寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 以って父の刑を贖(あがな)わしめよ

2010-05-29 15:48:09 | 十八史略

十二年、賜民今年田租半。
十三年、太倉令淳于意、有罪當刑。少女緹縈上書曰、死者不可復生。刑者不可復屬、願没入爲官婢、以贖父刑。上憐其意、詔除肉刑。
是歳、除田租税
十六年、方士新垣平爲上大夫。
後元年、平以詐伏誅。

十二年、民に今年の田租(でんそ)の半ばを賜う。
十三年、太倉の令淳于意(じゅんうい)、罪有って刑に当る。少女緹縈(ていえい)上書して曰く、死者は復(また)生く可からず。刑者は復属す可からず、願わくは没入して官婢と為し、以って父の刑を贖(あがな)わしめよ、と。上(しょう)其の意を憐れみ、詔(みことのり)して肉刑を除く。
十六年、方士新垣平(しんえんぺい)上大夫と為る。
後の元年、平、詐(さ)を以って誅に伏す。

十二年、民に今年の田租の半分を免除した。
十三年、太倉令の淳于意が肉体の一部を切る肉刑に相当する罪を犯した。娘の緹縈が上書して言うには「死んだ者は生き返りません、肉体を切られた者は再び元に戻せません。どうか私の身体をお取り上げになって召使にすることで、父の刑をあがなうことをお許し下さい」と。帝は少女の心根を憐れみ、詔を下して以後肉刑を廃止した。
十六年、方士の新垣平なる者が一計を案じて上大夫となった。
のちの元年、新垣平のいつわりが露見して殺された。

太倉の令 朝廷の米倉を管理する長官。 肉刑 刺青、鼻そぎ、足切、宮刑など。 方士 仙術を行う者。 後の元年 新垣平の計略によって瑞兆が顕われたことを喜んだ文帝が十七年を後の元年とした。

十八史略 一尺の布も尚縫うべし 

2010-05-25 16:27:10 | 十八史略
六年、淮南王長謀反、廢徙死。民有歌之者。曰、一尺布尚可縫。一斗粟尚可舂。兄弟二人不相容。帝聞而病之、後封其四子爲侯。
匈奴冒頓死。
先是、上議以賈誼位公卿。大臣多短之。上以爲長沙王大傅。徙梁王大傅。上疏曰、方今時埶、可爲痛哭者一。可爲流涕者二。可爲長大息者六。
十年、帝舅薄昭、殺漢使者。帝不忍誅、使公卿羣臣往哭之。昭自殺。

六年、淮南(わいなん)の王(れいおう)長、謀反(ぼうはん)し、廃徒(はいし)せられて死す。民之を歌う者あり、曰く、
一尺(せき)の布も尚縫うべし。
一斗の粟(ぞく)もなお舂(うすづ)くべし。
兄弟(けいてい)二人(ににん)相容れず。と
帝聞いて之を病(うれ)え、後其の四子(しし)を封(ほう)じて侯と為せり。
匈奴の冒頓(ぼくとつ)死す。
是より先、上(しょう)、賈誼(かぎ)を以って公卿(こうきょう)に位せしめんと議す。大臣多く之を短(そし)る。上以って長沙王の大傅(たいふ)と為す。梁王の大傅に徒(うつ)る。上疏(じょうそ)して曰く、方今(ほうこん)の時埶(じせい)、為(ため)に痛哭すべき者一。為に流涕すべき者二。為に長大息すべき者六あり、と。
十年、帝の舅(きゅう)薄昭、漢の使者を殺す。帝、誅するに忍びず、公卿羣臣をして往(ゆ)いて之を哭せしむ。昭自殺す。

六年に文帝の弟で淮南の王(れいおう)長が謀反を企てたが発覚して、王位を廃され、他所に移される途中で死んだ。痛ましく思った民の歌が広まった。
わずかな布も縫って仲良く着られる。僅かな粟も搗いて一緒に食べられる。なのにどうして兄弟二人許し合えぬ。
文帝はこの歌を聞いてひどく気に病み、王の四人の遺児を侯に封じた。
この年、匈奴の冒頓が死んだ。
これより以前、帝は賈誼を公卿に取り立てようと朝議にかけたが、大臣の多くは短所をあげて非難した。そのため帝は賈誼を長沙王の大傅にしたが、間もなく梁王の大傅に移した。ある時、賈誼は上疏して「現今の時勢を見ますに、悲しみ嘆くべきものが一つ、涙を流すべきものが二つ、ため息をつくものが六つあります。」と申しあげた。
十年に、文帝の叔父の薄昭が朝廷の使者を殺した。帝は薄昭を誅殺するに忍びず公卿、群臣を薄昭の邸で使者の死を悲しみ泣かせた。薄昭は罪が軽くないことを悟って自殺した。

大傅 王を補佐、養育する役。 上疏 天子に奉る意見書
一尺の布・・・頼山陽の静御前の詩にみえる

十八史略 一抔(いっぽう)の土(ど)

2010-05-22 10:51:40 | 自由律俳句
其後、人有盗高廟玉環。得。下廷尉治。釋之奏、當棄市。上大怒曰、人盗先帝器。吾欲致之族。而廷尉以法奏之。非吾所以共承宗廟意也。釋之曰、盗宗廟器而族之、假令愚民取長陵一抔土、何以加其法乎。帝許之。

其の後、人、高廟の玉環を盗むもの有り。得たり。廷尉に下(くだ)して治(ち)せしむ。釈之(せきし)奏す、棄市(きし)に当(とう)す、と。上(しょう)大いに怒って曰く、人、先帝の器(き)を盗む。吾、之を族(ぞく)に致さんと欲す。而(しか)るに廷尉、法を以って之を奏す。吾が宗廟に共承(きょうしょう)する所以(ゆえん)の意に非(あら)ざるなり、と。釈之曰く、宗廟の器を盗んで之を族せば、仮令(もし)愚民、長陵一抔(いっぽう)の土(ど)を取らば、何を以って其れに法を加えんや、と。帝、之を許す。

その後、高祖の廟から玉環を盗んだ者があり、捕えられた。廷尉に引き渡してその罪を調べさせた。張釈之は、棄市の刑に相当いたしますと奏上した。帝はたいそう怒って、「先帝の宝器を盗むような不届き者は、その一族皆殺しの刑に相当すると思っておった。しかるに廷尉は法を盾に棄市と申しおる。それではわしが宗廟に恭しくお仕えしている気持ちがすまぬではないか」と言った。釈之は答えて「御たまやの御物を盗んで、その一族を皆殺しにするならば、もし愚か者が先帝の御陵の土を一すくいでも掘り出す不敬を働いたならば、一体いかほどの量刑に処したらよいのでしょうか」と。文帝はまた釈之の奏上通り認めた。

棄市 死罪にして市にさらす。 共承 共は恭に通じる。承は奉仕すること。
長陵一抔の土 宗廟の大量の宝器を一すくいの土になぞらえた。墓荒らしを婉曲に言った。

十八史略 廷尉は天下の平なり

2010-05-22 10:38:58 | 十八史略
河南守呉公、治平爲天下第一。召爲廷尉。呉公薦洛陽人賈誼。年二十餘。一歳中、超遷爲大中大夫。
陳平卒。
二年、賜天下今年田租之半。
三年、張釋之爲廷尉。上行中渭橋。有一人、橋下走。乘輿馬驚。捕屬廷尉。釋之奏、犯蹕當罰金。上怒。釋之曰、法如是。更重之、是法不信於民。廷尉天下之平也。一傾、天下用法、皆爲之輕重。民安所措手足乎。上良久曰、廷尉當、是也。

河南の守(しゅ)呉公、治平天下第一たり。召して廷尉と為す。呉公、洛陽の人賈誼(かぎ)を薦(すす)む。年二十余。一歳のうち、超遷(ちょうせん)して大中大夫と為る。
陳平、卒す。
二年、天下に今年の田租(でんそ)の半ばを賜う。
三年、張釋之(ちょうせきし)廷尉と為る。上(しょう)中渭橋(ちゅういきょう)を行く。一人(いちにん)有り、橋下より走る。乗輿(じょうよ)の馬驚く。捕えて廷尉に属す。釈之奏す、蹕(ひつ)を犯すは罰金に当(とう)す、と。上怒る。釈之曰く、法是(かく)の如し。更に之を重くせば、是れ法、民に信ならず。廷尉は天下の平なり。一たび傾かば、天下法を用うるもの、皆之が為に軽重(けいじゅう)せん。民安(いづ)くにか手足(しゅそく)を措(お)く所あらんや、と。上、良々(やや)久しうして曰く、廷尉の当、是なり、と。

河南の大守呉公は、政治の公平なこと天下第一であったので召して廷尉とした。呉公は洛陽の人賈誼を推薦した。賈誼はその時二十歳あまりであったが、一年のうちに、一足飛びに出世して大中大夫となった。
この年、陳平が死んだ。
文帝の二年、天下中に今年の年貢の半分が免除された。
三年、張釋之が廷尉になった。ある日、文帝が中渭橋を通りかかると、橋の下から走り出した者がいて、帝の馬が驚いて棹立ちになった。すぐさま捕えて廷尉に引き渡した。釈之が「行幸を騒がせたのは罰金に相当いたします」と奏上した。帝は処分の軽さに立腹したが、釈之はひるまず「法ではそのように決まっております。もしこれより重く致しますと、法が民に信用されなくなります。廷尉の職は天下の公平を司ることにあります。一たび傾きますと天下の法に携わる者が、これにならって、勝手に軽重を決めるでしょう。そうなれば民はどうして手足を伸ばせましょうか」と申し上げた。帝はしばらく思案の後、口を開いた「廷尉の処置はもっともである」と。

超遷 飛び越えて昇進すること。 大中大夫 論議を掌る官。 蹕 天子の行列のさきばらい、行きは警といい、帰りを蹕という。

十八史略 廷尉は天下の平なり

2010-05-20 08:16:47 | 十八史略
河南守呉公、治平爲天下第一。召爲廷尉。呉公薦洛陽人賈誼。年二十餘。一歳中、超遷爲大中大夫。
陳平卒。
二年、賜天下今年田租之半。
三年、張釋之爲廷尉。上行中渭橋。有一人、橋下走。乘輿馬驚。捕屬廷尉。釋之奏、犯蹕當罰金。上怒。釋之曰、法如是。更重之、是法不信於民。廷尉天下之平也。一傾、天下用法、皆爲之輕重。民安所措手足乎。上良久曰、廷尉當、是也。

河南の守(しゅ)呉公、治平天下第一たり。召して廷尉と為す。呉公、洛陽の人賈誼(かぎ)を薦(すす)む。年二十余。一歳のうち、超遷(ちょうせん)して大中大夫と為る。
陳平、卒す。
二年、天下に今年の田租(でんそ)の半ばを賜う。
三年、張釋之(ちょうせきし)廷尉と為る。上(しょう)中渭橋(ちゅういきょう)を行く。一人(いちにん)有り、橋下より走る。乗輿(じょうよ)の馬驚く。捕えて廷尉に属す。釈之奏す、蹕(ひつ)を犯すは罰金に当(とう)す、と。上怒る。釈之曰く、法是(かく)の如し。更に之を重くせば、是れ法、民に信ならず。廷尉は天下の平なり。一たび傾かば、天下法を用うるもの、皆之が為に軽重(けいじゅう)せん。民安(いづ)くにか手足(しゅそく)を措(お)く所あらんや、と。上、良々(やや)久しうして曰く、廷尉の当、是なり、と。

河南の大守呉公は、政治の公平なこと天下第一であったので召して廷尉とした。呉公は洛陽の人賈誼を推薦した。賈誼はその時二十歳あまりであったが、一年のうちに、一足飛びに出世して大中大夫となった。
この年、陳平が死んだ。
文帝の二年、天下中に今年の年貢の半分が免除された。
三年、張釋之が廷尉になった。ある日、文帝が中渭橋を通りかかると、橋の下から走り出した者がいて、帝の馬が驚いて棹立ちになった。すぐさま捕えて廷尉に引き渡した。釈之が「行幸を騒がせたのは罰金に相当いたします」と奏上した。帝は処分の軽さに立腹したが、釈之はひるまず「法ではそのように決まっております。もしこれより重く致しますと、法が民に信用されなくなります。廷尉の職は天下の公平を司ることにあります。一たび傾きますと天下の法に携わる者が、これにならって、勝手に軽重を決めるでしょう。そうなれば民はどうして手足を伸ばせましょうか」と申し上げた。帝はしばらく思案の後、口を開いた「廷尉の処置はもっともである」と。

超遷 飛び越えて昇進すること。 大中大夫 論議を掌る官。 蹕 天子の行列のさきばらい、行きは警といい、帰りを蹕という。