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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略

2009-11-28 08:42:52 | 十八史略
漢王率五諸侯兵五十六萬、伐楚入彭城、収其寶貨・美人、置酒高會。項羽方撃齊。聞之、自以精兵三萬還撃漢、大破漢軍於睢水上。死者二十萬人。水爲之不流。圍漢王三匝。會大風從西北起、折木發屋、揚沙石、晝晦。王乃得與數十騎遁。審食其從太公・呂氏行、遇楚軍、爲楚所獲。常置軍中爲質。漢王至滎陽。諸敗軍皆會蕭何亦發關中老弱悉詣滎陽。漢軍復大振。

漢王、五諸侯の兵五十六萬を率い、楚を伐って彭城(ぼうじょう)に入り、其の宝貨・美人を収めて、置酒高会(ちしゅこうかい)す。項羽方(まさ)に齊を撃つ。之を聞き、自ら精兵三万を以(ひき)いて還って漢を撃ち、大いに漢軍を睢水(すいすい)の上(ほとり)に破る。死する者二十万人。水之が為に流れず。漢王を囲むこと三匝(そう)。会ゝ(たまたま)大風、西北より起こり、木を折り屋を発(あば)き、沙石を揚げ、昼晦(くら)し。王乃ち数十騎と遁(のが)るるを得たり。審食其(しんいき) 太公・呂氏に従って間行し、楚軍に遭い、楚の得る所と為る。常に軍中に置いて質(ち)と為す。漢王、滎陽(けいよう)に至る。諸敗軍皆会す。蕭何も亦関中の老弱を発し、悉(ことごと)く滎陽に詣(いた)らしむ。漢軍復た大いに振るう。

十八史略

2009-11-26 08:32:31 | 十八史略
順徳者昌、逆者亡 通釈です
漢王はすでに、洛陽に至った。新城というところの三老の役をしていた菫(とう)なにがしという者が、道を遮り、漢王に説いて言うには「道徳に従って行動する者が栄え、道徳に逆らう者は亡びるものです。兵を出すのに名目が無ければ、事は成就しません。もし相手が逆賊であることを明らかにすれば、敵は屈服するものです。項羽は道徳にそむいて、主君である義帝を追放したうえ殺してしまいました。まさに天下の逆賊です。
そもそも仁を行うには勇は不用です、義を行うには力を必要としません。大王には宜しく三軍の兵を率いて、義帝のために喪服を着て、諸侯に項羽の非道を告げて、これを討伐されるべきです」と。
そこで漢王は義帝のために喪を発して諸侯に告げてこう言った「さきに諸侯相ともに義帝を立てて天子に戴いた。ところが項羽は義帝を追放して、殺してしまった。よって私は関中の兵を出し、河南、河東、河内の兵を集め、南方の江水、漢水を舟で下る、どうか諸侯、私に従って欲しい。義帝を殺した楚の賊を撃ち懲らしたいのだ」と。

三老 官名、その地の長老で教化をつかさどった。
三軍 周代の兵制で天子は六軍、諸侯の大国が三軍を出した。三万七千五百人の兵。
素服 白地の服、喪の時に用いた。

十八詩略 徳に順うものは昌え、逆らうものは亡ぶ

2009-11-24 13:34:36 | 十八史略
大川栄策の昭和ロマン第二章は「昭和浪漫第二章」でした。

漢王至洛陽。新城三老菫公遮説曰、順徳者昌、逆者亡。兵出無名。事故不成。明其爲賊、敵乃可服。項羽無道、放弑其主。天下之賊也。夫仁不以勇、義不以力。大王宜率三軍之衆、爲之素服、以告諸侯而伐之。於是漢王爲義帝發喪、告諸侯曰、天下共立義帝。今項羽放弑之。寡人悉發關中兵、収三河之士、南浮江漢而下、願從諸侯王、撃楚之弑義帝者。

漢王、洛陽に至る。新城の三老菫公(とうこう)、遮(さえぎ)り説いて曰く、徳に順(したが)うものは昌(さか)え、徳に逆らう者は亡ぶ。兵、出づるに名無し。事、故に成らず。其の賊たるを明かにせば、敵乃ち服す可し。項羽無道にして、其の主を放弑(ほうし)す。天下の賊なり。夫(そ)れ仁は勇を以ってせず、義は力を以ってせず。大王宜しく三軍の衆を率い、之が為に素服し、以って諸侯に告げて之を伐つべし、と。是に於いて漢王、義帝の為に喪を発し、諸侯に告げて曰く、天下共に義帝を立つ。今、項羽之を放弑す。寡人悉く関中の兵を発し、三河(さんか)の士を収め、南のかた江漢に浮かんで下り、願わくは諸侯王に従い、楚の義帝を弑(しい)する者を撃たん、と。

十八史略 陳平2

2009-11-21 09:48:19 | 十八史略
昨夜早く目覚めたのでNHKラジオをつけたら深夜便の歌が流れた。
いい歌だなーとしみじみ聞き入った、大川栄策の声で題名は「昭和ロマン第二章」と言っていました。 では前回の通釈です。

周勃が王に向って言うには「陳平は風采の立派なことは玉(ぎょく)で飾った冠のようですが、その中身は必ずしも伴っているとは言えません。私の聞くところでは陳平がまだ官につかず家にいるとき、あによめと関係をもち、魏に仕えて用いられず、逃げて楚に身を寄せたが容れられずして、また逃げてわが漢にたどり着いた、ということです。今、大王はこのような人物に軍を監督せられましたから、あやつは諸将から賄賂を受けています。どうかよくよくお考えください」と。そこで王は魏無知を責めた。無知が申すのに「私がお引き合わせしたのは、彼の能力を見ていただきたいのです。大王の問うところは品行のことです。今日、尾生や孝己のような立派な行いがあったとして、天下の帰趨になんらの益もなければ、大王にはどうしてそんな意見を用いられるいとまがおありでしょうか」と。
王は陳平を護軍中尉に任じて、すべて諸将を監督させた。そこでもう陳平のことを言う者が居なくなった。

護 もともと統率する、監督するの意がある。
譲む 譲はゆずる、の意の他に責める意味がある。
尾生 女と橋の下で逢う約束を守って、増水した川でおぼれたばか正直な男。
孝己 一夜に五度も親の安否を気づかったといわれる、殷の高宗の子。
拝 官を授ける、また授かるのどちらにも使う。ここでは前者。

12月、1月の予定

2009-11-19 09:49:30 | 春誠流・中野区吟連
吟誠会教室 中野区勤労者福祉会館
12月1日(火)創作室(3F)
  8日(火)創作室

1月19日(火)談話室(1F)
  26日(火)会議室2(3F)

1月24日(日)免状授与と新年会を予定しています。

春征会教室 12月より老人集会室耐震工事のため来年3月まで使用できません。鍋横地域センターを借りることにします。(来年3月までの予定)
12月 4日(金)調理室
  10日(木)調理室
  17日(木)調理室

1月14日(木)調理室
  21日(木)調理室
  28日(木)調理室