烈宗孝武皇帝名昌明、年十歳即位。
桓温來朝。詔謝安・王担之、迎于新亭。都下洶洶。云、欲誅王・謝、因移晉祚。担之甚懼。安色不變。温既至。百官拝于道側。温大陳兵衞延見朝士。担之流汗泱沽衣、倒執手板。安從容就席、謂温曰、安聞、諸侯有道、守在四鄰。明公何須壁後置人邪。温笑曰、正自不能不爾。遂命撤之。與安笑語移日。郗超臥帳中、聽其言。風動帳開。安笑曰、郗生可謂入幕之賓矣。温有疾還姑孰。疾篤。諷求九錫。安・担之故緩其事。尋卒。
烈宗孝武皇帝、名は昌明、年十歳にして位に即く。
桓温来朝す。謝安・王担之に詔(みことのり)して、新亭に迎えしむ。都下洶洶(きょうきょう)たり。云う、王・謝を誅して晋祚を移さんと欲す、と。担之甚だ懼る。安、神色変ぜず。温既に至る。百官、道の側(かたわら)に拝す。温大いに兵衛を陳して、朝士を延見す。担之、汗を流して衣を沽(うるお)し、倒(さかしま)に手板(しゅはん)を執る。安、従容として席に就き、温に謂って曰く、「安聞く、『諸侯道有れば、守り四隣に在り』と。明公何ぞ壁後に人を置くを須(もち)いんや」と。温笑って曰く、「正に自ら爾(しか)らざる能(あた)わず」と。遂に命じて之を撤す。安と笑語して日を移す。郗超(ちちょう)、帳中に臥して、其の言を聴く。風動いて帳開く。安笑って曰く、「郗生は入幕の賓と謂う可し」と。温、疾(しつ)有って姑孰(こじゅく)に還る。疾(やまい)篤し。諷して九錫を求む。安・担之故(ことさら)に其の事を緩(ゆる)うす。尋(つ)いで卒す。
新亭 江蘇省にある宴の地。 洶洶 懼れおののくさま。 祚を移す 祚は天子の位。 神色 顔色。 兵衛 護衛兵。 陳して 並べること。 延見 引見。 手板 笏。 従容 ゆったりと、落ち着いた様子。 諷 ほのめかす。 尋いで 間もなく。
烈宗孝武皇帝、名を昌明という、年十歳にして即位した。
桓温が姑孰から来朝した。帝は謝安と王担之に詔して、新亭まで迎えさせた。都の内は懼れおののいて、「王担之と謝安を誅殺して、晋室を奪うのではないか」と噂し合った。王担之は大いに恐れたが、謝安は顔色を変えなかった。桓温が到着すると、百官は道の両側で拝礼した。温の衛兵は威圧するが如く居並び、やがて朝吏を引見した。担之は冷や汗で着物を濡らすほどで笏を逆さまに持つほどの醜態を見せたが、謝安はゆったりと席に着き桓温に向かって「私は『諸侯に徳有れば、四隣がそのまま守りとなる』と聞いております。壁の後ろに人を配置するなど必要無いでしょうに」と言った。桓温は苦笑して「その徳が無いばかりに、こうせざるを得ないのだよ」と。遂に衛兵に退去を命じ、謝安と談笑して時を移した。郗超は帳の中に潜んで、そのやりとりを聞いていたが一陣の風に帳がめくれてしまった。謝安は笑って「郗君は幕僚中の賓客というところですかな」と言った。
やがて桓温は病を得て姑孰に帰った。重篤になって、九錫のことをほのめかすと、二人はわざと返事を引き延ばしていたが遂に桓温は死去した(373年)。