明皇帝名。即位八年殂。改元者一、曰泰始。自帝之初、蕭道成將兵、征討有功。尋鎭淮陰、収養豪俊。賓客始盛。已而爲南兗州刺史。至是褚淵薦爲右衞將軍。與顧命大臣、共掌機事。太子立。是爲後廢帝。
後廢帝名。明帝無子。實嬖人李道兒之子也。明帝子之。殺諸王十五六人、惟恐之不立。十歳即位。桂陽王休範擧兵反、攻建康。蕭道成撃斬之。道成爲中領軍。
明皇帝名は(いく)。位に即いて八年にして殂す。改元する者(こと)一、泰始と曰う。帝の初めより、蕭道成(しょうどうせい)、兵に将として、征討して功有り。尋(つ)いで淮陰(わいいん)に鎮(ちん)して豪俊を収養す。賓客始めて盛んなり。已にして南兗州(なんえんしゅう)の刺史となる。是(ここ)に至って、褚淵(ちょえん)薦めて右衛将軍(ゆうえいしょうぐん)と為す。顧命の大臣と共に機事(きじ)を掌(つかさど)る。太子立つ。是を後廃帝と為す。
後廃帝名は(いく)。明帝、子無し。、実は嬖人(へいじん)李道兒の子なり。明帝、之を子とす。諸王十五六人を殺し、惟だの立たざらんことを恐る。十歳にして位に即く。桂陽王休範、兵を挙げて反し、建康を攻む。蕭道成、撃って之を斬る。道成、中領軍となる。
淮陰 江蘇省の地名。 南兗州 江蘇省中部。 顧命 天子の遺言。 機事 機密に属する事項。 嬖人 寵臣。
明皇帝の名はという。即位して八年で亡くなった。改元すること一回、泰始という。帝の即位の初めから蕭道成が兵を率いて各地を討伐して功を立てた。そして淮陰を鎮定し、英俊豪傑を召し抱えたので賓客が盛んになった。やがて南兗州の刺史となったが、明帝が亡くなると褚淵の推薦で右衛将軍になった。遺命を託された重臣たちと共に、国の枢要にあずかるようになった。太子が即位した(472年)。これが後廃帝である。
後廃帝名はである。明帝には子がなく、は明帝お気に入りの李道兒の子であったが之を子とした。自分の後継ぎにするために、兄孝武帝の子十五、六人を殺した。は即位した時に十歳であった。
桂陽王の休範が叛して兵を挙げ、建康を攻めた。蕭道成がこれを破って斬り殺し、功によって中領軍となった。