二十二年、司空梁公房玄齢卒。上悲不自勝。玄齢佐上定天下。及終相位三十二年。號爲賢相。然無迹可尋。上定禍亂。而房・杜不言功。王・魏善諌諍。而房・杜譲其賢。英・衞善將兵。而房・杜行其道。理致太平、善歸人主。爲唐宗臣。
二十三年、上有疾。謂太子曰、李世勣才知有餘。然汝與之無恩。我今黜之。我死用爲僕射親任之。若徘徊顧望、則當殺之耳。乃左遷疊州都督。受詔不至家而去。
二十二年、司空梁公、房玄齢卒す。上(しょう)悲しんで自ら勝えず。玄齢、上を佐(たす)けて天下を定む。相の位に終うるに及ぶまで三十二年。号して賢相と為す。然れども迹(あと)の尋ぬべきもの無し。上、禍乱を定む。而して房・杜功を言わず。王・魏善く諌諍(かんそう)す。而して房・杜その賢に譲る。英・衛善く兵に将たり。而して房・杜その道を行う。理太平を致し、善く人主(じんしゅ)に帰す。唐の宗臣たり。
二十三年、上、疾有り。太子に謂って曰く「李世勣(りせいせき)は才知余り有り。然れども汝之と恩なし。我今之を黜(しりぞ)けん。我死なば用いて僕射と為して之を親任せよ。若し徘徊顧望(はいかいこぼう)せば、則ち当(まさ)に之を殺すべきのみ」と。乃ち畳州の都督に左遷す。詔を受けて家に至らずして去る。
司空 三公の一。 房・杜 房玄齢と杜如晦。 王・魏 王珪と魏徴。 英・衛 英公の李世勣と衛公の李靖。 理 治に同じ高宗の諱をさけた。政治の事。
人主 君主。 宗臣 宗は祖に次いで有徳の人。 徘徊顧望 うろうろして様子を見ること。
二十二年、司空で梁公の房玄齢が亡くなった。帝はたいそう悲しまれた。玄齢は太宗を助けて天下平定の礎を築いた一人として、宰相の身で終えるまで三十二年間補佐し続けてきた。賢相の名は高いもののその事績はこれというものが残っていない。それは、帝が乱を平定おり、房玄齢と杜如晦は、自分の功績を声高に言い立てなかった。王珪と魏徴が帝に対して諫言したので、この二人に功を譲った。また英公の李世勣と衛公の李靖は用兵に秀でた名将で、房玄齢と杜如晦はよくこの将軍たちを支持した。かくして天下はよく治まったが、これを太宗の徳政によるものとさせた。まことに有徳の名臣であった。
二十三年、太宗は死の床に臥した。太子を枕辺に呼んで遺言した。「李世勣が今の臣下のなかで才知がずば抜けている。しかしお前は彼に対して何らの恩恵も与えたことはあるまい。わしが今すぐ彼を左遷させておこう。わしが死んだら、そちが僕射に起用するがよい。もしわしの命を受けてぐずぐずしているようならすぐさま殺せ」と。そして李世勣を畳州の都督に左遷した。世勣は詔を受けるや、家敷にも立ち寄らず任地に赴いた。
二十三年、上有疾。謂太子曰、李世勣才知有餘。然汝與之無恩。我今黜之。我死用爲僕射親任之。若徘徊顧望、則當殺之耳。乃左遷疊州都督。受詔不至家而去。
二十二年、司空梁公、房玄齢卒す。上(しょう)悲しんで自ら勝えず。玄齢、上を佐(たす)けて天下を定む。相の位に終うるに及ぶまで三十二年。号して賢相と為す。然れども迹(あと)の尋ぬべきもの無し。上、禍乱を定む。而して房・杜功を言わず。王・魏善く諌諍(かんそう)す。而して房・杜その賢に譲る。英・衛善く兵に将たり。而して房・杜その道を行う。理太平を致し、善く人主(じんしゅ)に帰す。唐の宗臣たり。
二十三年、上、疾有り。太子に謂って曰く「李世勣(りせいせき)は才知余り有り。然れども汝之と恩なし。我今之を黜(しりぞ)けん。我死なば用いて僕射と為して之を親任せよ。若し徘徊顧望(はいかいこぼう)せば、則ち当(まさ)に之を殺すべきのみ」と。乃ち畳州の都督に左遷す。詔を受けて家に至らずして去る。
司空 三公の一。 房・杜 房玄齢と杜如晦。 王・魏 王珪と魏徴。 英・衛 英公の李世勣と衛公の李靖。 理 治に同じ高宗の諱をさけた。政治の事。
人主 君主。 宗臣 宗は祖に次いで有徳の人。 徘徊顧望 うろうろして様子を見ること。
二十二年、司空で梁公の房玄齢が亡くなった。帝はたいそう悲しまれた。玄齢は太宗を助けて天下平定の礎を築いた一人として、宰相の身で終えるまで三十二年間補佐し続けてきた。賢相の名は高いもののその事績はこれというものが残っていない。それは、帝が乱を平定おり、房玄齢と杜如晦は、自分の功績を声高に言い立てなかった。王珪と魏徴が帝に対して諫言したので、この二人に功を譲った。また英公の李世勣と衛公の李靖は用兵に秀でた名将で、房玄齢と杜如晦はよくこの将軍たちを支持した。かくして天下はよく治まったが、これを太宗の徳政によるものとさせた。まことに有徳の名臣であった。
二十三年、太宗は死の床に臥した。太子を枕辺に呼んで遺言した。「李世勣が今の臣下のなかで才知がずば抜けている。しかしお前は彼に対して何らの恩恵も与えたことはあるまい。わしが今すぐ彼を左遷させておこう。わしが死んだら、そちが僕射に起用するがよい。もしわしの命を受けてぐずぐずしているようならすぐさま殺せ」と。そして李世勣を畳州の都督に左遷した。世勣は詔を受けるや、家敷にも立ち寄らず任地に赴いた。