綏和元年、王根病免、王莽爲大司馬。
二年、帝崩。在位二十六年、改元者七、曰建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和。帝有威儀。臨朝若神。然荒于酒色、政在外家。張禹・薛宣・翟方進、爲相、漢業愈衰焉。太子即位。是爲孝哀皇帝。
綏和(すいわ)元年、王根病んで免ぜられ、王莽大司馬と為る。
二年、帝崩ず。在位二十六年、改元すること七、 建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和と曰(い)う。帝、威儀有り。朝に臨んで神の若(ごと)し。然れども酒色に荒(すさ)み、政は外家(がいか)に在り。張禹・薛宣(せっせん)・翟方進(てきほうしん)相と為り、漢業愈々衰う。太子位に即く。是を孝哀皇帝(こうあいこうてい)と為す。
綏和元年(前8年)に王根が病気のため職を免ぜられ、王莽が大司馬になった。
綏和二年に成帝が崩御した。在位すること二十六年、改元すること七度、建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和である。成帝は威厳があり、朝廷に出られたときには神々しいほどであった。しかし酒色に溺れ、政治の実権は外戚の手に握られた。張禹・薛宣・翟方進が宰相になったが、漢室は益々衰えるばかりであった。太子が即位した。これが孝哀皇帝(哀帝)である
二年、帝崩。在位二十六年、改元者七、曰建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和。帝有威儀。臨朝若神。然荒于酒色、政在外家。張禹・薛宣・翟方進、爲相、漢業愈衰焉。太子即位。是爲孝哀皇帝。
綏和(すいわ)元年、王根病んで免ぜられ、王莽大司馬と為る。
二年、帝崩ず。在位二十六年、改元すること七、 建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和と曰(い)う。帝、威儀有り。朝に臨んで神の若(ごと)し。然れども酒色に荒(すさ)み、政は外家(がいか)に在り。張禹・薛宣(せっせん)・翟方進(てきほうしん)相と為り、漢業愈々衰う。太子位に即く。是を孝哀皇帝(こうあいこうてい)と為す。
綏和元年(前8年)に王根が病気のため職を免ぜられ、王莽が大司馬になった。
綏和二年に成帝が崩御した。在位すること二十六年、改元すること七度、建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和である。成帝は威厳があり、朝廷に出られたときには神々しいほどであった。しかし酒色に溺れ、政治の実権は外戚の手に握られた。張禹・薛宣・翟方進が宰相になったが、漢室は益々衰えるばかりであった。太子が即位した。これが孝哀皇帝(哀帝)である