寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 紀信、楚をあざむく

2009-12-29 11:04:09 | 十八史略
紀信、楚をあざむく
楚圍漢王急。紀信曰、事急矣。請誑楚。乃乗漢王車、出東門。曰、食盡漢王出降。楚人皆之城東観。漢王乃得出西門去。項羽焼殺紀信。

楚、漢王を囲むこと益々急なり。紀信曰く、事急なり、請う楚を誑(あざむ)かんと。乃ち漢王の車に乗り、東門より出づ。曰く、食尽き漢王出で降る、と。楚人、皆城東に之(ゆ)いて観る。漢王乃ち西門より出でて去ることを得たり。項羽、紀信を焼殺す。

楚は一層厳しく漢王を取り囲んだ。紀信が漢王に「事は差し迫っております、ここはひとつ楚軍をだましてやりましょう」と申し出て、漢王の車に乗って滎陽城の東門から出て、「食糧が尽きたから降伏する」と呼ばわった。楚軍は東門につめかけて見物した。その隙に漢王はまんまと西門から脱出した。怒った項羽は紀信を焼き殺した。

十八史略 骸骨を請う

2009-12-26 08:48:27 | 十八史略
骸骨を請う
楚圍漢王於滎陽。漢王謂陳平曰、天下紛々。何時定乎。平曰、項王骨鯁之臣、亜父輩數人耳。行以疑其心、破楚必矣。王與平黄金四萬斤、不問其出入。平多縦反。羽大疑亜父。請骸骨歸。疽發背死。

楚、漢王を滎陽(けいよう)に囲む。漢王、陳平に謂って曰く、天下紛々たり、何れの時か定まらん、と。平曰く、項王骨鯁(こっこう)の臣、亜父の輩数人耳(のみ)。間を行うて以て其の心を疑わしめば、楚を破ること必(ひっ)せり、と。王、平に黄金四萬斤を与え、其の出入を問わず。平、多く反間を縦(はな)つ。羽、大いに亜父を疑う。骸骨を請うて帰る。疽背に発して死す。

楚が漢王を滎陽に囲んだ。漢王は陳平に「天下乱れて紛々、いつになったら平定するのだろうか」と言った。陳平は答えた「項羽の剛毅直言の臣は亜父范増たち数人に過ぎません。間者を放って彼等の間で疑心を起こさせたら、楚を破ること必定でございます」と。漢王は陳平に黄金四万斤を与えて、その出入りを問わなかった。平は多くの間者を放ったので、項羽は大いに范増を疑った。范増は暇を請い国に帰ったが腫れ物が背中にできて死んだ。

骨鯁の臣 直言の臣、鯁は骨が喉につかえることから君主の機嫌をそこねることを敢えて進言する臣。
骸骨を請う 主君に辞職を願う 仕官して捧げたわが身の残骸を乞い受ける

十八史略 ほとんど乃公の事を敗らんとす

2009-12-24 17:17:48 | 十八史略
通釈文 
酈食其は漢王に六国の跡目を立てて諸侯にするよう説くと、漢王は「ではすぐに印章を作らせよ。」と言った。張良が来て王に謁した。王は食事中であったが、委細を張良に話した。張良は「お手近の箸をお借りして大王の為にはかりごとを献じましょう」と言って八つの懸案を提示した。その七番目には「今、天下の遊説の士が親戚と別れ、先祖のまつりを置いて大王に従っているのは、ただただ、僅かな土地を望んでいるからでございます。今また六国の跡目を立てれば、遊説者たちは帰ってその諸侯に仕えるでしょう。そうなったら大王は誰と組んで天下を取るおつもりですか。その上、今楚より強い国はありません。六国がまた屈服して楚に従ったら、大王はどうやって臣従させることが出来ましょう。この客人のはかりごとを用いたならば大王の大事も潰(つい)えることになりましょう」漢王は食事を止め、口中の食物を吐き出して、「くされ儒者めがあやうくわしの大事業を潰すところであったわい」と罵って六国の印を鋳潰させた。

六国 楚・韓・魏・燕・趙・齊。 趣 おもむき のほかに、すみやかにの意味がある。籌 はかりごと  輟食てつしょく 食事を途中で止める 
乃公 乃はなんじ、公は君、汝の君主とは、臣下にむかって自分のことを尊大に言う。乃公出でずんば(このおれさまが出ないで、他の誰にできようか)

十八史略 豎儒幾ど乃公の事を敗らんとす

2009-12-22 16:12:58 | 十八史略
酈食其説漢王、立六國後。王曰、趣刻印。張良來謁。王方食。具告良。良曰、請借前箸、爲大王籌之。遂發八難。其七曰、天下游士、離親戚、棄墳墓、從大王游者、徒欲望尺寸之地。今復立六國後、游士各歸事其主。大王誰與取天下乎。且楚惟無彊。六國復撓而從之、大王焉得而臣之乎。誠用客謀、大事去矣。漢王輟食吐哺、罵曰、豎儒幾敗乃公事。令趣銷印。

酈食其(れいいき)漢王に説く、六国(りっこく)の後を立てんと。王曰く、趣(すみや)かに印を刻せよ、と。張良来たり謁す。王方(まさ)に食す。具(つぶさ)に良に告ぐ。良曰く、請う、前箸(ぜんちょ)を借りて、大王の為に之を籌せん、と。遂に八難を発す。其の七に曰く、天下の游士、親戚を離れ、墳墓を棄てて、大王に従い游ぶ者は、徒(いたずら)に尺寸(せきすん)の地を望まんと欲す。今復六国の後を立てば、游士各ゝ帰って其の主に事(つか)えん。大王誰と与に天下を取らんや。且つ楚より惟(こ)れ彊(つよ)きは無し。六国復撓(たわ)んで之に従わば、大王焉(いず)くんぞ得て之を臣とせんや。誠に客の謀(はかりごと)を用いなば、大事去らん、と。漢王、食を輟(や)めて哺を吐き、罵って曰く、豎儒(じゅじゅ)、幾(ほとん)ど乃公(だいこう)の事を敗らんとす、と。趣かに印を銷(しょう)せしむ

十八史略 黥布

2009-12-19 08:47:28 | 十八史略
随何、説九江王黥布、畔楚歸漢。既至。漢王方踞床洗足。召布入見。布悔怒、欲自殺。及出就舎、帳御・食飮・從官、皆如漢王居。又大喜過望。

随何(ずいか)、九江王黥布(げいふ)に説き、楚に畔(そむ)いて漢に帰(き)せしむ。既に至る。漢王方(まさ)に床(しょう)に踞(きょ)して足を洗う。布を召し入って見(まみ)えしむ。布、悔(く)い怒って自殺せんと欲す。出でて舎に就くに及び、帳御・食飮・従官、皆漢王の居の如し。又大いに望みに過ぎたるを喜べり。

随何が九江王黥布に説いて、楚に叛いて漢につかせようとした。黥布が来たとき漢王は床几に腰掛けて足を洗っていた。だがそのまま黥布を引き入れて会見させたので、布は王の無礼な態度に来たことを後悔し怒って自殺しようと思った。ところが思いとどまって宿舎に入ってみると、部屋のとばり、調度、食事の献立から部屋付きの役人までみな漢王の住まいと同様だったので、思った以上の厚遇に大いに喜んだ。

黥布 本名英布、項羽に従って転戦し九江王となった。罪を得て黥(いれずみ)の刑を負ったので。
畔 あぜ、くろ、のほかにそむくの意味がある。=叛、反