以度同平章事。上曰、吾倚度一人足破賊。命度兼彰義節度使、充淮西宣慰招討使、督諸軍進討。唐節度使李愬、先擒賊將丁士良・呉秀琳・李祐。釋而用之。用祐計、雪夜七十里、引兵入蔡州城。撃鵝鴨池混軍聲。鶏鳴入據元濟之外宅。元濟登牙城拒戰。已而就擒。檻送京師斬之。自叛及誅、凡用兵二歳。時元和十二年也。
度(たく)を以って同平章事とす。上曰く「吾、度一人に倚(よ)って賊を破るに足れり」と。度に命じて彰義節度使を兼ねしめ、淮西の宣慰招討使に充(あ)て、諸軍を督して進討せしむ。唐(とう)の節度使李愬(りそ)、先ず賊将丁士良(ていしりょう)・呉秀琳(ごしゅうりん)・李祐(りゆう)を擒(とりこ)にす。釈(ゆる)して之を用う。祐が計を用いて、雪夜七十里、兵を引いて蔡州城(さいしゅうじょう)に入る。鵝鴨池(がおうち)を撃って軍声を混ず。鶏鳴に入って元済の外宅に拠(よ)る。元済、牙城に登って拒戦(きょせん)す。已にして擒(きん)に就く。檻(かん)して京師(けいし)に送って之を斬る。叛してより誅に及ぶまで、凡(すべ)て兵を用うること二歳。時に元和十二年なり。
宣慰招討使 宣慰使と招討使を兼ねた官。宣慰使は朝廷と地方の中継ぎ、招討使は降る者を招き叛する者を討伐する。 唐 唐州と州。 軍声を混ず 兵馬の音を紛らした。 擒に就く とりこになる。
裴度を同平章事に任じた。憲帝は「賊を破るのは、度一人に任せて十分であろう」と言って彰義節度使を兼ねさせ、さらに淮西の宣慰招討使に任じ、各節度使の軍を指揮して討伐に向かわせた。唐節度使の李愬が賊軍の将丁士良・呉秀琳・李祐を虜にして味方にした。李祐の献策を用いて雪をついて夜行七十里、蔡州城域に入った。池の面を叩いて水鳥を驚かせその声に紛らして鶏の声とともに急襲して呉元済の私邸を占拠した。元済は城に登って抗戦したが、生け捕りになり、檻車で都に送られて斬殺された。
反逆してから誅殺に至るまで、凡そ兵を用いたのは二年間で時に元和十二年(817年)であった。