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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み 韋編三絶 

2008-12-16 17:44:45 | Weblog
昨日の記事に説明を加えたい。
易経 五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)の一。周易とも。伏羲が八卦を作り周の文王が説いて周公が細かく説明を加えたと伝えられ、孔子が十翼を作って、天地間の万象を説明した。
韋編 韋はなめし皮 紙の発明は後漢の蔡倫に待たなければならないが、それ以前は竹帛、木簡で、板状にした竹をなめし皮で綴じた。韋編三度絶つとは書物を熟読する意になった。
獲麟 孔子の著した春秋で麒麟が獲えられた文言が絶筆となったので、物事の終末、孔子の死、ひいては臨終の辞世まで言うようになった。
六藝(りくげい)士以上の必ず身につけるべき六種の技芸 御は馬車を御すこと
中庸 四書の一つ、儒教の総合的解明書 子思の作
四書 礼記(らいき)の中の中庸と大学に論語と孟子を加えた四つの書

十八史略 孔子 韋編三たび絶つ

2008-12-15 18:44:24 | Weblog
孔子の残した業績から、詩経、易経、春秋、について、最期に孫の子思まで記します。

古詩三千を刪(けず)って三百五編と為し、皆之を弦歌す。礼樂、此より述ぶ可し。晩にして易を喜(この)み、彖(たん)、象(しょう)、繫辞(けいじ)、説卦(せっか)、文言(ぶんげん)を序(つい)ず。易を読んで、韋編三たび絶ゆ。魯の史記に因って、春秋を作る。隠より哀に至るまで十二公、筆を獲麟(かくりん)に絶つ。筆すべきは則ち筆し、削るべきは則ち削る。子夏の徒、一辞を贊(さん)する能わざりき。弟子(ていし)三千人。身、六藝(りくげい)に通ずる者、七十有二人。年七十三にして卒す。子鯉字は伯魚早く死す。孫伋字は子思中庸を作る。

古くから伝わる詩三千編から選び抜いて三百五編にまとめ、楽器に合わせて歌えるようにした。晩年には易を好み彖、象、繫辞、説卦、文言を整理し順序だてた。何度も読んだので竹簡の綴じ皮が三度も切れるほどだった。魯の歴史に基づいて春秋を作った。隠公より哀公まで十二公、獲麟で絶筆とした。文学に長じた子夏でさえ一筆も加除することができなかった。弟子三千人六芸(礼、樂、射、御、書、数)に通じた者七十二人、七十三歳で亡くなった。子の伯魚は早世し孫の子思は中庸を作った

十八史略 孔子

2008-12-12 18:32:43 | Weblog
この後斉の景公は国に帰って、かつて魯を侵略して手に入れた鄆(うん)、汶陽(ぶんよう)、亀隠(きいん)の三つの地を返した。
次いで孔子は、三桓氏の弱体化に取り組む。

孔子、定公に言い、将に三都を堕(こぼ)ち以て公室を強くせんとす。叔孫氏先づ郈(こう)を堕ち、季氏、費を堕つ。孟氏の臣、成を堕つことを肯(がえ)んぜず。之を圍(かこ)んで克(か)たず。孔子、大司寇より、相の事を攝行す。七日にして、政(まつりごと)を乱(みだ)る大夫の少正卯(しょうせいぼう)を誅す。居ること三月にして魯大いに治まる。斉人之を聞いて懼(おそ)れ、乃ち女樂を魯に帰(おく)る。季桓子之を受けて政を聴かず。郊して又膰俎(はんそ)を大夫に致さず。孔子遂に魯を去る。

孔子は三桓氏の居城、郈、費、成を潰そうとしたが孟孫氏の成が抵抗した。都を囲んだが失敗に終わった。
孔子は大司寇と宰相を兼ねること七日目に国政を乱した、少正卯を誅殺する。三月にして治まった。斉これを聞いて恐れ舞姫を魯に贈った。季桓氏が夢中になって政治を顧みなくなった。天地の神を祭った時も供えた肉を大夫に届けなかった。孔子は礼の行われないことを知り遂に魯を去った。

十八史略拾い読み 孔子

2008-12-11 18:23:22 | Weblog
昨日の記事に誤りがあったので訂正します。隠公の弟桓公の子の、荘公に三人の弟、云々が正しい。

弟定公立つ。孔子を以て中都の宰と為す。一年にして四方皆之に則る。中都より司空と為り、進んで大司寇(たいしこう)と為る。定公を相(たす)けて、斉公に夾谷に会す。
孔子曰く、文事有る者は、必ず武備有り。請う左右の司馬を具(そな)えて以て従えんことを、と。―中略― 斉の有司、宮中の樂を奏せんと請う。優倡侏儒、戯れて前(すす)む。孔子趨(はし)って進んで曰く、匹夫諸侯を熒惑(けいわく)する者は、罪誅に当(とう)す。請う有司に命じて法を加えん、と。首足、処を異にす。-以下略―

この後斉の景公は国に帰って、かつて侵略して手に入れた鄆(うん)、汶陽(ぶんよう)、亀隠(きいん)の三つの地を魯に返した。

中都の宰 中都(地名)の長  司空 土木水利の大臣  大司寇 司法警察を掌
る大臣  相 賓客に接見する時の補佐役  侏儒 俳優やこびと  熒惑 くらまし、まどわすこと   


十八史略 三桓氏

2008-12-10 16:15:12 | Weblog
前回の補足
魯(前1055~前249)周の武王發の弟周公旦が始祖、伯禽が基礎を固めた。後に分家の三桓氏が実権を握り三十四代にして滅んだ。孔子の生国

伯禽より十三世にして隠公に至る。春秋の始めと為す。隠公の弟を桓公と曰う。桓公の子が荘公、荘公に庶弟三人有り。慶父と曰う。其の後を孟孫氏と為す。叔牙と曰う。其の後を叔孫氏と為す。季友と曰う。其の後を季孫氏と為す。是を三桓氏と為す。世よ国命を執る。七代(名は略す)を歴(へ)て昭公に至り、季氏を伐つ。三家共に之を伐つ。公、乾侯に奔(はし)り、以て卒す。

隠公の弟桓公に三人の弟、慶父と叔牙と季友がいた。その後をそれぞれ孟孫氏、叔孫氏、季孫氏といい、魯の実権を握った。魯の昭公に至って、昭公が季孫氏を伐ったが三家が共同して、逆に昭公を伐った。