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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み 臥薪嘗胆

2008-12-02 08:41:34 | Weblog
壽夢の後四君にして闔廬(こうりょ)に至る。伍員(ごうん)を挙げて国事を謀(はか)る。員字は子胥(ししょ)、楚人伍奢(ごしゃ)の子なり。奢、誅せられて呉に奔り、呉の兵を以て郢(えい)に入る。呉、越を伐つ。闔廬傷つきて死す。子の夫差(ふさ)立つ。子胥復之に事(つか)う。夫差讐(あだ)を復せんと志す。朝夕薪中に臥し、出入するに人をして呼ばしめて曰く、夫差、而(なんじ)は越人の而の父を殺ししを忘れたるか、と。周の敬王二十六年、夫差、越を夫椒(ふしょう)に敗る。越王勾踐、余兵を以て会稽山に棲み、臣と為り妻は妾と為らんと請う。子胥言う、不可なり、と。太宰伯嚭(はくひ)、越の賂(まいない)を受け、夫差に説いて越を赦(ゆる)さしむ。勾踐国に反(かえ)り、膽(きも)を仰ぎ之を嘗(な)めて曰く、女(なんじ)会稽の恥を忘れたるか、と。国政を挙げて大夫種(しょう)に属し、而して范蠡(はんれい)と兵を治め、呉を謀ることを事とす。

郢 楚の都
このとき勾踐が献じた妻が西施で夫差はおぼれて国を傾けるに至る
属し ゆだねる
わが国太平記に児島高徳が桜の幹を削って 天勾踐を空しゅうする莫れ 時に范蠡なきにしも非ず と書いた