今日は3つ目の忘年会、詩吟教室の仲間とささやかな、ささやかな飲み会です。
老子は、楚の苦縣(こけん)の人なり。李姓、名は耳、字は伯陽。又曰く、字は耼(たん)と。周の守蔵吏と為る。孔子焉(これ)に問う。老子之に告げて曰く、良賈(こ)は深く蔵(おさ)めて虚しきが若くし、君子は盛徳あって、容貌愚なるが若し、と。孔子 ―中略― 今老子をみるに、其れ猶龍のごときか、と。
老子、周の衰えたるを見て、去って關に至る。關の令、尹喜曰く、子将に隠れんとす、我が為に書を著わせ、と。乃ち道徳五千余言を著わして去る。其の終る所を知る莫し。其の後、鄭人列禦寇(れつぎょこう)・蒙人荘周有り。亦老子の学を為(おさ)む。荘周、書を著わし、孔子を侮り、而して諸子を誚(そし)る。
老子、老耼は周の守蔵吏(図書室)の役人になった。孔子が礼について問うたところ良い商人は、品物を深くしまいこんで、無いように見えるものだ、また有徳の君子は徳を顕わさないで、まるで愚者のように見えるものだ、と。孔子は帰って弟子に、老子は例えれば龍のようで、とらえようが無く、偉大な人である、といった。
老子は周を去って、関(函谷関か)にさしかかった。関の役人の尹喜は、あなたは今世を遁れようとしていますが、私のために何か書いて下さいませんか、と請うた。そこで老子は道徳経を書き残して去った。その後の消息を知る者はいなかった。後になって鄭人列禦寇(列子)と蒙人荘周(荘子)が老子の学をおさめた。荘子は孔子を侮り、諸子をそしった。
老子は、楚の苦縣(こけん)の人なり。李姓、名は耳、字は伯陽。又曰く、字は耼(たん)と。周の守蔵吏と為る。孔子焉(これ)に問う。老子之に告げて曰く、良賈(こ)は深く蔵(おさ)めて虚しきが若くし、君子は盛徳あって、容貌愚なるが若し、と。孔子 ―中略― 今老子をみるに、其れ猶龍のごときか、と。
老子、周の衰えたるを見て、去って關に至る。關の令、尹喜曰く、子将に隠れんとす、我が為に書を著わせ、と。乃ち道徳五千余言を著わして去る。其の終る所を知る莫し。其の後、鄭人列禦寇(れつぎょこう)・蒙人荘周有り。亦老子の学を為(おさ)む。荘周、書を著わし、孔子を侮り、而して諸子を誚(そし)る。
老子、老耼は周の守蔵吏(図書室)の役人になった。孔子が礼について問うたところ良い商人は、品物を深くしまいこんで、無いように見えるものだ、また有徳の君子は徳を顕わさないで、まるで愚者のように見えるものだ、と。孔子は帰って弟子に、老子は例えれば龍のようで、とらえようが無く、偉大な人である、といった。
老子は周を去って、関(函谷関か)にさしかかった。関の役人の尹喜は、あなたは今世を遁れようとしていますが、私のために何か書いて下さいませんか、と請うた。そこで老子は道徳経を書き残して去った。その後の消息を知る者はいなかった。後になって鄭人列禦寇(列子)と蒙人荘周(荘子)が老子の学をおさめた。荘子は孔子を侮り、諸子をそしった。