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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み 晏子

2009-01-02 14:00:48 | Weblog
あけましておめでとうございます。今日は1月2日いま箱根駅伝を見たところです。東洋大一年生柏原の区間新1時間17分18秒の力走は見事でした。では十八史略の続きを

桓公より八世にして景公に至る。晏子という者有り、之に事(つか)う。名は嬰、字は平仲。節倹力行を以て齊に重んぜらる。一狐裘三十年、豚肩豆(とう)を掩(おお)わず。齊国の士、待って以て火を挙ぐる者、七十余家あり。中略 公、晏子をして晉に之(ゆ)かしむ。叔向(しゅくきょう)と私語し、以為(おも)えらく、齊の政(まつりごと)は必ず陳氏に帰せん、と。其の言の如し。景公の後五世にして康公に至る。田和、周の安王の命を受けて侯と為り、康公を海浜に遷(うつ)して以て死せしむ。姜氏遂に絶えて祀(まつ)らず。

桓公から八世景公に仕えた晏嬰は倹約家、努力家として齊に重く用いられていた。狐の皮ごろもを三十年着て、豚の供え物は豆という祭器に盛っても隠れるほど質素であった。しかし齊国の人の中に晏子の援助を待って炊事の出来る家が七十余家もあった。
景公は嘗て晏子を晉に使いにやった。その時晉の叔向と私語してわが国齊の政治は将来陳氏に帰すでしょうと言った。果たして景公の五代後康公の時、田和(でんか)という者が、周の安王の命を受けて諸侯となり、康公を海辺に追いやってそこで死なせた。齊の姜氏は断絶して先祖の霊をまつる者が居なくなった。

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