房玄齢と杜如晦、そして魏徴
時珪爲侍中、房玄齡・杜如晦爲僕射、魏徴守秘書監、參預朝政。玄齡謀事、必曰、非如晦不能決。及如晦至、卒用玄齡策。蓋玄齡善謀、如晦善斷。二人同心徇國。故唐世稱賢相、推房・杜焉。徴嘗告上曰、願使臣爲良臣。勿使臣爲忠臣。上曰、忠良異乎。徴曰、稷・契・皋陶、君臣協心、倶享尊榮。所謂良臣。龍逢・比干、面折廷爭、身誅國亡。所謂忠臣。上悦。
時に珪は侍中と為り、房玄齢・杜如晦は僕射と為り、魏徴は秘書監に守として朝政に参預す。玄齢事を謀るに必ず曰く、「如晦に非ずんば決すること能(あた)わず」と。如晦至るに及んで、卒(つい)に玄齢の策を用う。蓋(けだ)し玄齢は善(よ)く謀(はか)り、如晦は善く断ず。二人(ににん)心を同じうして国に徇(したが)う。故に唐の世に賢相を称すれば、房・杜を推す。徴、嘗て上(しょう)に告げて曰く、「願わくは臣をして良臣と為らしめよ、臣をして忠臣と為らしむること勿れ」と。上曰く、「忠良異なるか」と。徴曰く、「稷(しょく)・契(せつ)・皋陶(こうよう)は君臣心を協(あわ)せて、倶(とも)に尊栄を享(う)けたり。所謂(いわゆる)良臣なり。龍逢(りゅうほう)・比干(ひかん)は面折(めんせつ)廷争(ていそう)し、身誅せられ国亡びぬ。所謂忠臣なり」と。上、悦(よろこ)ぶ。
侍中 門下省の長官。 僕射 尚書省の長官。 秘書監 宮中の図書、記録を管理する部署の長官。 守 公文書に位階と官位を併記する祭、位階に比べて官職が高いときにつける、位署。 参預 参与に同じ。 稷・契・皋陶 ともに舜の臣。 竜逢 夏の桀王の臣。 比干 殷の紂王の臣、ともに諌めて殺された。 面折廷争 面前で君の非を挫き、朝廷で非を諌めること。
このころ王珪は門下省の侍中であり、房玄齡・杜如晦は左右僕射に、魏徴は秘書監になって朝政に参与していた。玄齢は何か政策を立案すると「如晦でなければ決裁できない」と常にいっていた。そして結局如晦が策を取り上げるのが常であった。まさしく玄齢は計画立案に長じ、如晦は決断が優れていたので二人が心を合わせて国政に身を投じた。それで唐代の賢相といえば、房・杜とならび称したのである。
ある時魏徴は帝にこう申し上げた「どうか臣を良臣とならせてください。忠臣とはなさらないでください」と。帝はいぶかって「忠臣と良臣は違うのか」と言うと魏徴は答えた。「稷・契・皋陶は帝舜と心をあわせ、ともに誉と栄えを享受しました。これが良臣でありますが、桀王の臣竜逢と紂の臣比干はともに強く非を諌めて身は誅殺され、国は亡びました。これが私のいう忠臣であります」と。太宗はたいそう喜ばれた。
時珪爲侍中、房玄齡・杜如晦爲僕射、魏徴守秘書監、參預朝政。玄齡謀事、必曰、非如晦不能決。及如晦至、卒用玄齡策。蓋玄齡善謀、如晦善斷。二人同心徇國。故唐世稱賢相、推房・杜焉。徴嘗告上曰、願使臣爲良臣。勿使臣爲忠臣。上曰、忠良異乎。徴曰、稷・契・皋陶、君臣協心、倶享尊榮。所謂良臣。龍逢・比干、面折廷爭、身誅國亡。所謂忠臣。上悦。
時に珪は侍中と為り、房玄齢・杜如晦は僕射と為り、魏徴は秘書監に守として朝政に参預す。玄齢事を謀るに必ず曰く、「如晦に非ずんば決すること能(あた)わず」と。如晦至るに及んで、卒(つい)に玄齢の策を用う。蓋(けだ)し玄齢は善(よ)く謀(はか)り、如晦は善く断ず。二人(ににん)心を同じうして国に徇(したが)う。故に唐の世に賢相を称すれば、房・杜を推す。徴、嘗て上(しょう)に告げて曰く、「願わくは臣をして良臣と為らしめよ、臣をして忠臣と為らしむること勿れ」と。上曰く、「忠良異なるか」と。徴曰く、「稷(しょく)・契(せつ)・皋陶(こうよう)は君臣心を協(あわ)せて、倶(とも)に尊栄を享(う)けたり。所謂(いわゆる)良臣なり。龍逢(りゅうほう)・比干(ひかん)は面折(めんせつ)廷争(ていそう)し、身誅せられ国亡びぬ。所謂忠臣なり」と。上、悦(よろこ)ぶ。
侍中 門下省の長官。 僕射 尚書省の長官。 秘書監 宮中の図書、記録を管理する部署の長官。 守 公文書に位階と官位を併記する祭、位階に比べて官職が高いときにつける、位署。 参預 参与に同じ。 稷・契・皋陶 ともに舜の臣。 竜逢 夏の桀王の臣。 比干 殷の紂王の臣、ともに諌めて殺された。 面折廷争 面前で君の非を挫き、朝廷で非を諌めること。
このころ王珪は門下省の侍中であり、房玄齡・杜如晦は左右僕射に、魏徴は秘書監になって朝政に参与していた。玄齢は何か政策を立案すると「如晦でなければ決裁できない」と常にいっていた。そして結局如晦が策を取り上げるのが常であった。まさしく玄齢は計画立案に長じ、如晦は決断が優れていたので二人が心を合わせて国政に身を投じた。それで唐代の賢相といえば、房・杜とならび称したのである。
ある時魏徴は帝にこう申し上げた「どうか臣を良臣とならせてください。忠臣とはなさらないでください」と。帝はいぶかって「忠臣と良臣は違うのか」と言うと魏徴は答えた。「稷・契・皋陶は帝舜と心をあわせ、ともに誉と栄えを享受しました。これが良臣でありますが、桀王の臣竜逢と紂の臣比干はともに強く非を諌めて身は誅殺され、国は亡びました。これが私のいう忠臣であります」と。太宗はたいそう喜ばれた。
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