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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 趙普、同平章事となる。

2014-08-02 10:07:48 | 十八史略
乾元年、命慕容延等、會周保權討張文表。師出江陵、高繼冲出降。荊南平。延至湖南。文表先已敗死。保權聞宋師下荊南、懼而拒守。師進討之、獲保權。湖南平。
二年、宰相范質・王溥・魏仁浦、乞罷。質等周朝舊相也。自唐以來、宰相惟面奏大政事、餘號令・刑賞・除拜、但入熟狀。質等自以前朝大臣、稍存形跡、毎事具箚子進呈。退批所得聖旨。同列皆書字以志之。奏御之多始比。質等既罷。以趙普同平章事。

乾徳元年、慕容延(ぼようえんしょう)等に命じて、周保権に会して、張文表を討たしむ。師、江陵に出づ。高継冲(こうけいちゅう)出でて降る。荊南平ぐ。延、湖南に至る。文表先に已に敗死す。保権、宋の師荊南に下ると聞き、懼れて拒守(きょしゅ)す。師進んで之を討って、保権を獲たり。湖南平らぐ。
二年、宰相范質(はんしつ)・王溥(おうふ)・魏仁浦(ぎじんぽ)、罷めんことを乞う。質等は周朝の旧相なり。唐より以来、宰相惟だ大政事を面奏(めんそう)し、余の号令・刑賞・除拝は但だ熟状(じゅくじょう)を入る。質等自ら前朝の大臣たるを以って、稍形跡を存す。事毎に箚子(さっし)を具(そな)えて進呈す。退いて得るところの聖旨を批(ひ)す。同列皆字を書して以って之を志(しる)す。奏御の多き此処に始まる。質等、既に罷(や)む。趙普を以って同平章事とす。


会して 連合して。 面奏 まのあたりに奏聞すること。 除拝 官吏の任免。 熟状 すでに決定したことを天子に上奏すること。 稍 次第に。 形跡 形式的な儀礼。 箚子 上奏文。 聖旨 天子の考え。 字 書き判。 

乾徳元年に、慕容延等に命じて、周保権の軍と連合して衡州の太守張文表を討たせた。宋の軍は荊南節度使高継冲の治所の江陵に進出した。不意を衝かれた継冲は降伏したので荊南は平定した。延の軍はさらに湖南に進軍したが、張文表はすでに周保権と戦って敗死していた。それにも拘わらず、宋の軍が荊南に進んだと聞くと、次は自分の身が危ないと恐れて城を防ぎ守った。宋の軍はこれを攻めて周保権を生け捕りにした。これで湖南は平定した。
乾徳二年に宰相の范質・王溥・魏仁浦が辞職を願い出た。范質等は前王朝の後周からの宰相であり、唐以来宰相はただ国家の重要なことだけを天子に拝謁して奏上し、その裁可を受け、その他の指図とか刑罰恩賞とか官吏の任免については、ただ評議の結果を文書にして、それを天子に上奏し、裁可を受けることになっていた。ところが范質等は自分等が前朝よりの大臣であるため、失脚することを恐れて君臣間の儀礼を重んずるようになった。大小にかかかわらず何事も文書にして提出し、上意を伺った上で退出した後同役の宰相たちが天子の意向に対してそれぞれの意見を述べ一同がそれに書き判して承知のしるしとした。天子に奏聞する文書が多くなったのはこの時から始まったのである。こうして范質等が官を退いたので、太祖は趙普を同平章事に登用した。

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