ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

美しい人間

2017-09-11 18:40:10 | 日常
退職手続きに出向いた後、その足で散歩に出た。




草はひんやりと湿っている。
 

 


薄雲で太陽が霞んでいる。


バスに乗って岸壁に出てみると太陽が暈を被っていた。








岸壁の商業施設には観光客寄せのUFOキャッチャーがある。
1回300円、2回なら500円。


茶屋で休憩する。
凍らせた珈琲に牛乳をぶっかけたものをストローで少しずつ飲みながら本を読む。
押田成人『藍の水』、間もなく読了する。
「南方より微風ありき」の章に一人の老人と著者との出会いが記されている。
牛乳に溶け出す珈琲をちびちび飲みながら、さっきからこの章の同じ箇所を何度も繰り返し読んでいる。

  ある晩秋の夕べ、ニューギニヤ高地人と20年寝食をともにしてきた人で、
  五十何歳ということでしたが、年齢よりも遥かに老いこんでみえる陽にやけた老人が、
  伊那谷のフランシスコ会の神父に、連れられてやってきました。
  ・・・
  背がかがみこみ、白髪がかなり見えて、笑うときにのぞく歯はかけていて、
  太い皺が笑うときにさらに刻みを深めました。
  まゆげも太く、その奥からほほえむまなざしが見つめていました。
  見つめるとき、まぶたが時々ゆれました。
  ・・・
  翌日の彼の仕事の仕方は、客人のアルバイトではありませんでした。
  自分のたんぼの脱穀のように精魂をこめて働きました。
  落穂があると丁寧に拾いました。
  その日の夕食の食卓で、彼は掌を水平に合わせて叩きながら、踊るようにしていいました。
  「私たちは幸せだ。
   この世の中には、腹がへっていて食べるものが十分ない人か、
   でなければ、食べ物が十分にあって、食べたくない人はたくさんいる。
   しかし私たちは、腹がへっていて食べるものがある」
                    (押田成人著『藍の水』思草庵 1977年「南方より微風ありき」より )


50代。
この老人は今の私と同年くらいの年齢であろうか、
私にとって美しい人間とはこのような人だ。

帰ろう。
失業は今日一日だけだ。
少し休みたい。
太陽の暈が消えた。
 


川面は鈍い青銅色をしている。


バスを降りて歩いていると米屋の扉に「おにぎり始めました」の張り紙を見つけて買ってみた。
具が葱味噌で海苔で包んであるおにぎりと、葉わさびの醤油漬けをご飯に混ぜたおにぎり。
まだ正午になっていない。
同じものを母の分も買って差し入れた。

眠いなぁ。
少し寝ようかな。

ここ数日オンデマンドで大河ドラマを一日8時間も9時間も見続けて眼精疲労に陥ったため
音楽を手あたり次第聴いている。
Mozart Requiem Karl Bohm K626
Lene Lovich Stateless
Siouxsie and the Banshees Hong Kong Garden
Chaka Khan I'm Every Woman
Sia Chandelier
J.S.BACH BWV996