ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

100歳になったら

2015-02-21 22:14:03 | 日常
早番にて出勤。



融けて暖かいなと思ってたら今の時刻はマイナス10.3℃。
シバレたらしい。


・・・・・


昼休み。
食後のもずく酢をむせずに完食できたささやかな達成感。


つつがなく業務を終えて、市の高台にある見晴台に立ち寄った。
ちょうど日没するところだった。











切り落としたばかりの爪みたいな月が出ている。



すぐ傍の星は何だろう、金星かな。


帰宅。



さっきの月と星はまだ高い所にある。


・・・・・


PCを立ち上げたらIEが動作しなくなっている?

「問題が発生しました」

ちゅうて動かんの。
しょーがない、ステムの復元をやらせたら動いた。


ノートンのセキュリティ更新とIEが拮抗したらしい。
ぐるぐるは問題ない。
ではまたしばらくはぐるぐるを使うかね。
以前あったIEのセキュリティ問題以来、メインはぐるぐるを使っている。
しかしOTTAVAの再生がぐるぐるだと動かないのでしかたなくIE使ってた。
OTTAVAも今はニコ動から見てるので問題なし。


ふむ。
システムの復元したらうごくようになったが重たくなったな。


帰宅するなりIEか動かないのでいろいろいじくって試しながら
ずっと落語聴いて爆笑していた。


落語終わってOTTAVA聴き始めた。
ゲレンさんのOTTAVA聴いて、キケ・シネシの「あの頃の音」を
どうしても聴きたくてまた密林でポチってしまった。。。。。orz


何もしていないのに眠いな。
眠いのは自分が年老いたからだと思う。
職場に入居している100歳超えた方々を見ていると、
自分はまだこの人達の半分しか生きていないんだなと思うと同時に、
残りの半分、これからまた50年間、もしまだ生きてたらどうしようか。
底知れぬ恐怖と不安を感じる。
生まれて100年経っても死が来ない事は、今死ぬ恐怖よりも怖い。


100歳になったら、
きっと身の回りの親族も友人知人も既に皆死に絶えており、
自分の知る街のあちこち至る所全て、何もかもが変わってしまい、
自分の見聞きしたあらゆる物事を知る人が身の回りに誰一人いない。
自分の生きた時代の出来事や世相、価値観を知る人もいない。
自分は肉体は生きながら朽ちて思うように動く事も出来ず行く場所も無い。
他者と共有できるものが何一つ無いまま毎日毎日やって来ない死を待つ。
その時私は生きる事が懲罰である事を思い知るだろう。


職業によっては80でも90でも働ける仕事はあるかも知れない。
しかし私は80、90歳になったら・・何か出来る仕事あるかなぁ。
本気で考える。
いずれやって来る死に対して不安や恐怖はあまりないが、
自分が80、90歳になっても死が一向にやって来ない事の方に恐怖が常にある。
私はきっと働けないなぁ。
医療従事者、まして高齢者介護の現場では。(笑