みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3078 外台川原の霜華

2013-01-19 08:00:00 | 花巻周辺
 下根子桜の南方に「外台(とだい)川原」という地区がある。  1月18日の朝、その外台川原の霜華がきれいだった。   《1 旧外台村の歴史の木標》(平成25年1月18日撮影) の立っている場所は旧奥州街道沿い。そこから東側にはかつて北上川が流れていたであろう低地が広がり、見下ろすと 《2 おちこちに霜華が咲いていた》(平成25年1月18日撮影) 《3 古川からは霧が立ち昇っている》(平成25年 . . . 本文を読む
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3077 セツブンソウ(1/17)

2013-01-18 09:00:00 | 花巻周辺
 我が家の鉢植えのセツブンソ満開です。 《1 》(平成25年1月17日撮影) 《2 》(平成25年1月17日撮影) 《3 》(平成25年1月17日撮影) 《4 》(平成25年1月17日撮影)  続きの  ””へ移る。  前の  ”セツブンソウ(1/13)”に戻る。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。 . . . 本文を読む
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3076 『賢治随聞』の「あとがき」(#1)

2013-01-18 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
 『あっ!』と思った。  関登久也は昭和32年に亡くなった。そして、たしか『賢治随聞』は昭和40年代に発行されたはずだ。なぜわざわざ関登久也が亡くなった後に関登久也著『賢治随聞』が発行されたのだろうか、と。  一方、「新校本年譜」の例の大正15年12月2日についての出典は『賢治随聞』であることを  関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。とその註釈で明かしている。   . . . 本文を読む
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3075 「社会運動としての羅須地人協会」より

2013-01-17 08:00:00 | 賢治渉猟
 青江舜二郎は『宮澤賢治 修羅を生きる』の中の「社会運動としての羅須地人協会」で次のようなことを主張していた。  (小田邦雄)氏は「賢治は社会運動をやる代わり稲作増収の肥料設計による農民への寄与を意図した」とし、それを彼の〝菩薩行〟としているのである。だが私が花巻でその教え子たちから聞かされたところにしたがえば、賢治はそれを社会運動の代わりとしてではなく、「社会運動として」、すなわち労農運動の一つ . . . 本文を読む
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3074 青江の「労農派と賢治」より

2013-01-16 08:00:00 | 賢治渉猟
 そもそも「労農派」とは一体どのようなものなのだろうか。  青江舜二郎は『宮澤賢治 修羅を生きる』の中の「労農派と賢治」で次のように、  …私としていいたいのは、明治中期の日本文学の流れの中に〝悲惨小説派〟というものがあったということだ。フランス文学十九世紀の文豪ヴィクトル・ユーゴの『此悲惨』という、社会機構及び政治の欠陥による下層生活者の悲惨を描いた小説に刺激されたひとたちが、同じ視覚に立ってわ . . . 本文を読む
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3073 青江の見る「賢治の菩薩行」

2013-01-15 08:00:00 | 賢治渉猟
 青江舜二郎は『宮澤賢治 修羅を生きる』の中の「菩薩行とは何か」で、  大乗仏教をもとにして考える限り、人間は仏になるのが理想(小乗思想)でなく、すべての衆生が救われるまでは、仏より一段ひくい菩薩の境遇にあって喜怒哀楽を衆生と共にし、彼らのために身を粉にしてはたらく、つまり仏にならないということが理想とされているのだ。法華経にはそういう菩薩や長者の話がいくつもあってまことに感動的だが、それをたえず . . . 本文を読む
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3072 セツブンソウ(1/13)

2013-01-14 08:00:00 | 花巻周辺
 我が家の鉢植えのセツブンソウ大分咲いてきました。 《1 》(平成25年1月13日撮影) 《2 》(平成25年1月13日撮影) 《3 》(平成25年1月13日撮影) 《4 》(平成25年1月13日撮影) 《5 》(平成25年1月13日撮影) 《6 》(平成25年1月13日撮影)  続きの  ””へ移る。  前の  ”セツブンソウ(1/8)”に戻る。  ”みちのくの山野草”のトップ . . . 本文を読む
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3071 澤里武治について少し

2013-01-13 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
がらくた楽団  過日板谷栄城氏の著書『賢治小景』から『太湖船』にまつわるエピソードを教わったが、同じくこの『太湖船』にまつわる次のような別のエピソードも同書には載っていた。  賢治は羅須地人協会時代にオーケストラの活動を目指して合奏を始めました。  音楽の才能を見込まれて参加した賢治の教え子、沢里武治さんは「あれはオーケストラなんていうものではなく、がらくた楽団でしたな。だけど先生は夢中で楽しんで . . . 本文を読む
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3070 江刺の寒空にトンビの群

2013-01-12 08:00:00 | 北上・江刺周辺
 所用があって江刺の岩谷堂に向かっていたならば、 《1 寒空に夥しい数の鳥が群舞》(平成25年1月11日撮影) 《2 》(平成25年1月11日撮影) 《3 カラスだけではなくて》(平成25年1月11日撮影) 《4 》(平成25年1月11日撮影) 《5 トンビもいるようだ》(平成25年1月11日撮影) 《6 》(平成25年1月11日撮影)  続きの  ”国見山のセリバオウレン”へ移る。 . . . 本文を読む
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3069 円万寺観音山からのえぐね風景

2013-01-11 08:00:00 | 花巻周辺
 先日訪れた円万寺観音山はちょっと悔いを残したので、寒晴れの1月10日今度は重装備で登って、境内からえぐね風景を見下ろした。 《1 円万寺観音山》(平成25年1月10日撮影) 《2 北隣は江釣子森山》(平成25年1月10日撮影) 《3 円万寺大鳥居付近》(平成25年1月10日撮影) 《4 99段の「心臓破り」の急階段》(平成25年1月10日撮影) 《5 二の鳥居と観音堂》(平成25年1月 . . . 本文を読む
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3068 『太湖船』唯一の曲 楽譜は自筆

2013-01-10 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
 井上ひさしによれば、『楽器練習会で最初に取り上げた曲は「太湖船」だったという証言がある』(『ちくま日本文学全集 宮沢賢治』(筑摩書房)460p)ということである。  実は、この曲だけは賢治もチェロを弾きながら若者達と一緒に合奏を楽しんだことであろう。なぜならば、横田庄一郎氏がこの「太湖船」という曲はチェロの開放弦だけで弾けてしまう曲だ(『チェロと宮沢賢治』(横田庄一郎著、音楽之友社)35pより) . . . 本文を読む
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3067 ぎんどろ公園

2013-01-09 08:00:00 | 花巻周辺
 ぎんどろ公園のぎんどろが青空に真白だった。 《1 》(平成25年1月8日撮影) 《2 》(平成25年1月8日撮影) 《3 ぎんどろ》(平成25年1月8日撮影) 《4 〃 》(平成25年1月8日撮影) 《5 こちらはコブシ》(平成25年1月8日撮影)  続きの  ””へ移る。  前の  ””に戻る。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。 . . . 本文を読む
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3066 セツブンソウ(1/8)

2013-01-08 14:00:00 | 花巻周辺
 家の中に置いていてある鉢植えのセツブンソウである。 《1 》(平成25年1月8日撮影) 《2 》(平成25年1月8日撮影)  続きの  ””へ移る。  前の  ”セツブンソウ(1/6)”に戻る。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。 . . . 本文を読む
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3065 イギリス海岸からの早池峰連巓(1/7)

2013-01-08 08:00:00 | 賢治関連
 1月7日の、イギリス海岸から眺めた早池峰連巓等の報告である。  《1 》(平成25年1月7日撮影) 《2 》(平成25年1月7日撮影) 《3 》(平成25年1月7日撮影) 《4 》(平成25年1月7日撮影) 《5 》(平成25年1月7日撮影) 《6 》(平成25年1月7日撮影) 《7 左=早池峰山、右=薬師岳》(平成25年1月7日撮影) 《8 頭だけ=鶏頭山、中央=中岳、右=早池峰 . . . 本文を読む
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3064 セツブンソウ(1/6) 

2013-01-07 09:00:00 | 花巻周辺
《1 》(平成25年1月6日撮影)  続きの  ””へ移る。  前の  ”セツブンソウが咲きました”に戻る。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。 . . . 本文を読む
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