《創られた賢治から愛すべき賢治に》伊藤忠一の『大正十五年日誌』
伊藤忠一が「羅須地人協会時代」に日記をつけていたであろうことはほぼ間違いない。
なぜならばその第一に、
大正十五年の一月だつたと思ふ。日誌を見たら先生が一月十五日に町から大工さんを連れて來て、元の家の間取りが悪いといふので…
と証言しているからである。
そしてその二に、「校本年譜」及び「新校本年譜」にも . . . 本文を読む
ついでに、その封印していた場所に自生しているムカゴニンジンのムカゴ等の観察も行った。
《1 ムカゴニンジン》(平成25年10月21日撮影)
《2 》(平成25年10月21日撮影)
《3 そのムカゴ》(平成25年10月21日撮影)
それから、同じくその場所に自生している
《4 シロネの仲間》(平成25年10月21日撮影)
《5 〃 》(平成25年10月21日撮影)
何という名のシロネな . . . 本文を読む
《『大正15年11月に賢治は上京した』とあくまでも言い張る「宮沢賢治賞」受賞者H氏》
10月15日のH氏のコメント
さて、どの程度のことまで投稿しようかと迷っていたところに、10月15日になって更に次のようなコメントがH氏によってなされた。*****************<(35)↓投稿者H氏/2013年10月15日 00:15>**********************鈴木守さんが、とつぜ . . . 本文を読む