まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

小鰭と鯵を食す

2017年01月20日 | 日記

回転寿司もいいけれど
たまには「回らない寿司」も食べてみたいものである。
人生最後の晩餐はと問われたら
やはり寿司を腹いっぱい食べて死にたいと思う。

コハダ(小鰭)の握りである。
昔から「寿司は小鰭に始まり小鰭で終る」と言われるぐらい
江戸前寿司を代表するネタである。
ただ、関西にはコハダを食べるという食文化がなく
もともと「光もの」と呼ばれる魚が苦手だったこともあって
長い間、食べたことがなかったのだが・・・
最近、初めて食べてたちまちクセになってしまった。
こんなに旨い寿司があったのか!
酢で〆てあるのにしっとりジューシーな食感で
旨味が凝縮したような味わいである。
見かけは地味でも寿司職人の「仕事」によって
これほど変化を遂げる魚もめずらしいのではなかろうか。

アジもずっと食べず嫌いであった。
どこかで食べた鯵の握りが妙に生臭かったことがあって
それ以来、すっかりトラウマになっていた。
しかし、この季節、脂がのった鯵の得も言われぬ「甘さ」は
何ものにも代えがたいような気がする
その鮮烈な旨味に思わず陶然となってしまうのである。

作家・池波正太郎氏のご母堂は
貧しい中でも内職の工賃を懸命にやりくりして
十日に一度、一人で好物の寿司を食べるのが無上の喜びだったと言う。

 「まずこのように、十日に一度、好物の寿司をつまむだけでも
  人間というものは苦しみを乗り切って行けるものなのだ。
  つきつめていくと・・・
  人間の<幸福>とはこのようなものでしかないのである。」

池波氏のご母堂は
コハダの握りが大好物だったと言う。