太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

新入生ガイダンス

2009-04-06 | 大学
 キャンパスの桜も満開で、校舎の間にある桜の花びらは風に乗って上へ舞い上がっていました。本日は、新入生と初めて顔を会わせる日です。私は新1年生の指導教員の一人であり、今後彼ら、彼女らが4年間充実した学生生活を送れるようにサポートする責務があります。本日の自己紹介では、皆自分のことをシャイだと言っていましたが、それは少しすると分かってくるでしょう。いつも思うことですが、学生は本当に純粋で、それゆえ育てる責任を感じます。それがまた教員の醍醐味と感じています。新入生だけでなく在校生とも今後もっと交流を深めていくことを楽しみにしています。

 全学年のガイダンスを終え、明日から始まるオスキーの準備で本日は終えてしまいました。オスキー(OSCE:Objective Structured Clinical Examination;客観的臨床能力試験)とは、医師および医学生の臨床能力(臨床実技)を客観的に評価するために開発された評価方法です。全教員が一丸となって、臨床実習に出る学生の準備性を高めることを目指しています。私とU先生がその担当で、U先生のご指導の下、少しずつバージョンアップしています。実習に出てみるとオスキーが役に立ったと昨年何名かの学生から聞きました。今週来週はこのオスキーに費やす時間が大変多くなりますが、臨床実習に役立つものになれば幸です。

 オスキーで忙しいのですが、科研費の内定書類と昨年度頂いた総長裁量経費の報告書を完成させなければなりません。桜が咲いているうちに何とか終えたいものです。


スーツ

2009-04-05 | つれづれ
 昨年年度末に何度かスーツを着る機会がありました。よくよく考えてみるといつも同じスーツを着ていました。数着あるのですが、10年程前に作ったものや成人式(20年前)のもので、最近はあまり自分でも好んで着なくなっていました。その内いつも同じスーツだとばれてしまうと思い、その前に一つ新調しようと決めました。

 私の体形は、少し背が高く細身で手が長くなで肩のため市販のスーツがあまり合いません。昨年、イージーオーダーでジャケットのみ作りましたがやはりしっくり来て大変満足をしています。さて今回、昨年度無事に博士を取れたこともあり、思い切ってオーダーでスーツとシャツを作ることを決めました。貧乏症の私としては大変思い切った決断でした。

 ネットで調べた所、近所に大変よさそうなアルデックスというオーダースーツの店がありました。早速、電話でいくらから作ることができるか確認をし、お高いですが何とかぎりぎり予算内で作れそうであったためそちらに出かけました。

 お店では生地を肩にかけて鏡で見るなど、今までにないとても貴重な経験をしました。スーツの詳細を選ぶ基準がよく分からないので店長さんにお薦めを聞きながら、スーツ全体、内側の生地、襟、袖、ボタンなどの色や形を決めていきました。シャツも2枚でいくらの形状記憶のものしかないため襟の形や硬さ、高さなどを決めるのも店長さん任せでした。厄年の40歳ですが、少し大人になったような気分でした。

喜ばしきこと

2009-04-02 | 研究室
 本日は、保育園がクローズのため有給休暇を頂き朝から子守をしていました。毎週土曜日は家内の仕事の関係で2歳の娘と私の二人で過ごしていますので、娘の食事の準備やトイレットトレーニング(目下の関心ごと)などがあるのですが私一人で特に問題ありません。

 本日も豊橋動物園(のんほいパーク)に行って来ました。豊橋動物園は広大で多くの動物がいるのですが、娘はうさぎが好きでいつもうさぎを見ています。次にアリが好きで花壇でアリを見ています。あまり動物園にいることがいかされていない感じもしていますが。写真はうさぎ舎のいつもの特等席でうさぎを観察している所です。

 さて、午後3時ごろにうれしい知らせがありました。同僚のH先生から昨年秋に出した日本学術振興会の科学研究費の結果が出ているとのことです。今までは、スタートアップという研究者成り立ての人だけが応募できる枠で申請を2回しましたが(新規教員となって初年度のみ応募可)、不採用でした。今回は、一般の基盤Cという領域に申請しました。もし若ければ若手研究者枠で出すことができるのですが、厄年の私はもう若手ではなく一般で申請しなければなりません。つまり40歳以上の研究経験豊富な方々と研究費を争うということです。そのため大変厳しいと思っていました。

 前置きが長くなりましたが、本年度の私の研究が採択されたようです。第3者に研究方法とその重要性を認めて頂き大変光栄です。今後はこの貴重な研究費で少しでも社会貢献ができるように粛々と誠実に研究を行なっていきたいと思います。何かの手違いでしたと訂正の連絡が来ないかと少し不安な気持ちもあります。

留学への扉

2009-04-01 | 研究留学回想録
 1年半後に留学するため離職すると決めました。そして今後まずやらなければならないことは当然留学先を決めることです。普通は留学先が決まり引き受けて頂けた時点で留学へ動き出すと思いますが。

 留学先を決める要因として、1.自分の専門を生かせる(理想)、2.既に研究しているもしくは研究留学をした日本人に紹介してもらう、3.2に類似していますが自分の所属する研究室から研究留学者を引き続きだしているところに留学させてもらう、4.学生(修士など)として入る、5.論文などから最も自分の興味がある研究をしている所にapplyする、6.インターネットで留学したい研究室のBossの顔から人相を読むなどを考えていました。また自分の本当にやりたい事をやれる留学がよいのですが、Bossやスタッフなどの人間関係が良い方が研究内容よりも留学を成功させるためには重要と聞いたことがありました。しかしそのような情報は人相を読む以外の方法では私としては入手困難と思っていました。

 PTで留学経験のある方に貴重なお話も聞かせて頂きましたが、私のように「ないものづくし」の人間が臨床に近い研究留学をしたいということは、まさに無謀な野望であったようで、お話の印象は厳しいものでした。スウェーデンとカナダに研究留学をされていた二人の整形外科医は、自分でapplication letterを書いてお金は要らないからそちらの研究を手伝わせてくれというような感じで自分で見つけることを薦められました。二人の先生は留学できると自信たっぷりに断定していました。なんとなくそんなものなのかなと感じていました。(実はその後お会いした時に本当に留学できる(する)とは思わなかったといってみえましたが。)

 さていずれにしてもコネもないので、自分でApplyするしか方法はありません。ちなみに前述した「ないものづくし」とは私が留学に関する講演でいつも述べる4つのないです。1.英語力、2.学位(博士号)、3.研究経験、4.お金がその4つです。

 英語も何とかしなくてはと思い、語学学校に通い始めましたが週1回ではうまくなるはずがありません。留学先が決まらない、英語もダメダメで2001年春になってしまいました。留学まであと1年。あせる気持ちがあるもののどうして良いか分からず、自分の興味のある英語論文(前十字靱帯損傷、膝蓋大腿関節障害、肩関節傷害、スポーツ外傷など)を読んでどこに留学をしたら良いか日々考えていました。家内からはこのままでは狼少年といわれてしまうとプレッシャーをジワリジワリと掛けられていました。

 そんな時(4月頃)でしたが、9月の肩関節学会で発表しようと学会に応募しました。採択されたため学会の案内が届き、冷蔵庫の扉に張っておきました。

 何の進捗もないまま6月になり、家内から9月に学会発表をしている余裕はないのではないかと鋭い指摘を受け、事務局に大変恐縮でしたが一身上の都合でとしてお断りさせて頂きました。その時に冷蔵庫に張ってあった案内をゴミ箱に捨てたのですが、なんとなく気になりもう一度丸めた紙を見てみました。そこには投球傷害で有名なDr.Jobeが講演でみえると書いてありました。Dr.Jobeの所属はUniversity of Southern California (USC)となっており、このUSCには理学療法の学部があるのだろうかと思いインタネットで調べてみました。今考えるとその時が留学への扉をほんのちょっと開けた瞬間でした。丸めた紙を広げなければ留学をしていなかったかもしれません。