太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

太陽柱

2010-12-31 | つれづれ
 29日から休みで毎朝、豊川の河川敷を4-5Km程度ランニングをしている。29日の朝は、6:50頃から走り始めた。走り始めた時は日の出はまだであったが、走り始めてしばらくすると東の空が明るくなり始めた。地面から空に向かって光の柱がみえた。何かの反射の加減か、私にはVの字のように見えた。きれいな日の出を見ながら、走った。家に帰ってからそれを家内に伝えたが興味はないようであった。

 翌日の新聞でそれが太陽柱と呼ぶものであることを知った。新聞によると冬の日の出や日没時に大気中の氷の結晶が反射して起こるそうである。10分程度見られたとのことだが自分はそれを10分間ずっと見て走ったことになる。年の瀬に縁起の良い経験をした。

 本年は、自分としてはいくつかの嬉しいことがあった。それは、心に留めておき、残念なこととしては何と言っても下顎骨の骨折をしたことであった。また、反省点としては英語論文を少ししか書かなかったことである。

 毎年、年のはじめに年間計画を書いて机の前に張っている。10年以上続けている。豊橋市民病院の大石先生の勧めで始めた。目の前に貼ってあるので振り返ってみる。計画の一番目は、家内安全、育児・家事遂行と書いてある。これは実施したと思われる。その後の自分の健康に関するアルコール摂取のことや運動のことはイマイチであった。ランニングは1/週程度は実施できた。英語論文の投稿・採択はイマイチであった。

 自分の担当したゼミの学生も増え、5名が卒業して臨床で活躍している。現役はもちろん、卒業生とも比較的密に連絡をとっているが、こんなペースで増えていくことの怖さ(責任)も実感する。自分もまだまだ教えるどころか自分が学ばなければならない。共に学んでいきたい。自分の姿を見て学生やOB・OGが努力をしようと思われるような自分自身の努力が来年も必要とつくづくと考える。

 太田研究室では、身近にできる社会貢献として親孝行・ゴミ拾いを励行している。以前のブログで元巨人の桑田が陰の努力として、トイレ掃除やゴミ拾いを挙げていた。それらをすると、ホームラン性の打球がファールになると言っていた。先日の全国高校駅伝で2位となった豊川高校の記事が新聞に載っていた。生活面を見直す記事であった。布団の上げ下げをするようにしたらタイムが良くなったと学生のコメントが書いてあった。

 来年も陰の努力もして、本業に運気を運びたい。運だのみでは、よくないとも思うが。

 隣で、来年のサンタさんから何をもらうか娘が算段している。また来年、記載するが個人的に大きな変化のある年だ。


良い子リスト

2010-12-24 | つれづれ
 娘は本日のクリスマスを、半年ぐらい前から楽しみに待っていた。最近は、サンタさんの良い子リストに名前が載っていないとプレゼントを貰えないと言って引っ張ていた。

 数週間前の中日新聞サンデー版には、どういう子がサンタさんからプレゼントを貰えるか書いてあった。良い子リストに載っていることが条件とのこと。リストに載るには、お父さん、お母さんの言うことをよく聞くこと、おもちゃなどを片付けてサンタさんが歩きやすいようにすることと書いてあった。

 なかなか良い子リストに載るポイントは稼げず、長い間次点であった。時に今はリストに載っていると言って、言うことを聞かせたりした。今日は自分から一人で寝ると言っていたので、当選確実と言ってベッドに送り込んだ。

 1ヶ月ほど前に何がほしいか手紙をサンタさんに書いている。1回差し替えがあった。クリスマスツリーの根元にプレゼントも準備OK。自分も明日の朝が楽しみだ。



下顎骨骨折その後

2010-12-18 | つれづれ
 本年の3月に自転車で転倒して、左の下顎骨頚部を骨折した。その後の経過を振り返りたい。

 骨折後、すぐに病院で顎間固定をしてもらった。特に手術は不要ということでそのままの固定で2週間。流動食のみの期間であった。その固定期間に、左の下顎骨頚部(左耳から左下顎骨の下端)までが短くなっているような気がしていた。その後、顎間固定のゴムが少なくなり、少し口が開くようになった。その状態が次の2週間。骨折側に下顎が偏位しており、ゴムでそれを矯正する方向に引っ張った。個人的にはあまり変わらない印象であった。骨折後4週間ぐらいでワイヤーを外した。ワイヤーを外す時が痛かったことは今でもはっきり覚えている。

 特別な後療法はなかった。左右均等に噛むようにという感じの指示であった。かみ合わせは確実に変わり、左の奥歯が最初にあたり、歯列の中心もずれてしまった。

 夏ごろにあった歯のイベントで矯正歯科医に相談してみたが、対象外と言われた。

 最終的には、このままこのかみ合わせで慣れていき、虫歯の治療などでもかみ合わせが変わるので、このままでと言うことになった。

 骨折後、9ヶ月。口はしっかり開き、モノを食べても何も気にならない。ただ、つい奥歯に力が入ってしまい、かみ合わせの変化は感じている。このままずっとと思うと何とかしたい気持ちにもなるが、気にならない時も少し増えているかもしれない。

 結果としては、やはり左の下顎骨の頚部の短縮が原因と思われる。物理的な問題なので慣れると言ってもそこそこ限界がありそうだ。

 その後大きく変わったこととしては、自転車は安全運転となった。

BJ リーグ

2010-12-18 | 研究室
 今日は三菱電機ダイヤモンドドルフィンズの方とご縁があり、東区の東スポーツセンターでバスケットの観戦をしてきた。娘と新幹線に乗って出かけた。学生と会場入口で待ち合わせた。

 豊橋ではOSGの試合を何度か仕事がらみで観戦したが、今日は久しぶりであった。2m超えの大男たちのぶつかり合いは迫力があり、試合も第3クウォーターまでは接戦で白熱した。問題は4歳の娘が、退屈でぐずりだしたことだった。学生が遊んでくれたので助かったが、座っての観戦のためなかなか本人は納得しない。2階席だったので2階の外周を走るように行ったら、すぐに1周を走ってきた。もちろん私が目で追えるとこである。ただ1周しかしてくれなかった。

 試合は最後は少し点差が広がり、三菱の負けとなったものの、個人的には気分転換ができた。ただ、帰りに娘が眠たいと言って抱っこで眠ってしまったので、東スポーツセンターから自宅までの乗り物以外はずっと抱っことなってしまった。帰宅時には私は疲労でぐったり。

 ブログにバスケの写真を載せたかったが、会場は写真撮影禁であった。

名古屋大学医学・バイオ系知財フェア

2010-12-18 | 大学
 12.13-17も講義と実習に追われ忙しい週だった。

 本年度から始まった治療学実習では、関節可動域運動とストレッチングの実習をした。関節可動域運動に関しては実習を行うにあたり、教科書的なものを探してみたがなかった。自分の臨床経験からは、もしそこに患者さんがみえらばその病態を意識した手の当て方や力の入れ方で自然と関節可動域運動やストレッチを行うことができる。本実習の目的を、いろいろな病態をイメージした時に行うそれらの思考過程と実際とした。自分の治療を振り返る良い機会にもなった。

 水曜日は、その治療学後急いで帰宅し、豊橋創造大学に向かった。金井先生の企画するリサーチカンファレンスに参加して、その後膝装具の研究打ち合わせをした。膝OA、腰痛、膝装具、歩行解析がkeywordsで既にデータ解析も終わっている研究で、現在の構想ではメンバーで分担して5本の論文投稿を目指す。そのうちの1本は、前回の臨床歩行分析研究会で発表した内容で弥生病院の相本くんが既に論文形式にしてきた。介護保険に関する研究も本年4本の論文にしたので、こちらは来年度の目標の一つである。

 さて、金曜日は久しぶりに研究打ち合わせや講義のない日で朝は少しゆっくりできた。最近は全く時間がなく机の上も乱れていたので、整理整頓も少しできた。今まで秘書をして頂いていた豊橋市民病院からお付き合いのある大川さんも年内でご都合によりご協力願えなくなった。しかし幸いにして、来年から当校OBの方にご協力願えそうでホッとしている。しかし、人件費分の研究費の獲得はまた必須となった。

 午後から名古屋大学医学・バイオ系知財フェアがあり、私が今までに作成した膝蓋骨可動性計測器や肩の夜間痛用サポータを展示した。名古屋大学を始め近隣の大学の医学・バイオに関する知的財産を紹介して企業との連携を進めていくものである。再生医療やバイオマーカーなどが中心で私自身のものは、ややお門違いの感じがした。しかし枯れ木も山の賑わいと思い試作品として展示した。事前にサポータに関して問い合わせがあった企業さんがあり、その企業さんとそこで説明や話し合いができた。とても興味を持って頂き、今後の連携に繋がりそうである。結果として大変有意義であった。

 さて、その後は助教3人とそのゼミ生で、林先生の家で鍋をした。私以外の皆さんが準備をしてくれ、大変楽しく美味しいお酒を飲ませてもらった。最近は学生が気をつけて帰るように心配してくれる。