太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

中間発表

2009-03-30 | 研究室
 本日、労災リハ工学センターの元田先生、鈴木先生、木村先生に現3年生の卒業研究中間発表を聞いて頂きました。いつものように活発な意見が多く出て大変有意義でした。。バイオメカに詳しい整形外科医とエンジニアの意見を同時に聞けそこでディスカッションできる恵まれた機会に大変感謝しています。

 足関節背屈制限と膝内反モーメント(O脚になる力)の関係を研究する佐藤研究では今一度、膝以外の足部の方向や股関節の角度・モーメントなどの生データをしっかり見ていく必要性を指摘されました。ポールウォーキングの中西研究では、両側T字杖を使用した場合の歩行とも比較していく必要性を指摘されました。明日、早速meetingです。

 工学部のN君も卒研の内容(ポールウォーキングの動作解析)を発表し今後の研究テーマについて意見交換をしました。

 研究とは全く別件ですが、本当はその後に皆で献血に行きたかったのですが(3、4月は血液が不足すると聞きましたので)自分が風邪薬を飲んでいたのでまた次回としました。もちろん献血は自由意志ですが太田研究室のプチ社会貢献の一つと思っています。

中間法人愛知県理学療法士会設立記念事業

2009-03-30 | 大学
 3/28(土)有限責任中間法人愛知県理学療法士会設立記念事業及び愛知県理学療法士協会30周年記念式典が名古屋東急ホテルで行われ参加してきました。その席で日本理学療法士協会半田会長のご講演を聴講した。会長の協会の今後を見据えた並々ならぬ決意や渉外活動を聞き会長の活動力に敬意を称するとともに今後が楽しみにもなりました。その活動は、今回の改正にも好影響を与えているとのことでした。
 
 現在まで、PT協会は国や政治への働きかけが少なく、会長が厚生労働省に国の目指す政策にPTがどれほど重要であるかを述べに行った時には、「今頃になって」という対応でつらい思いを多くされたことを伺いました。しかし現在では誠意と熱意のある会長ほか協会の方々の活動が認められつつあるようです。
 
 PT協会のみでなくOT協会、ST協会と協力体制もできて来ているとお聞きしました。自分たちの職能(OT,STも含め)が社会に認められるようなシステム作りを会員一人ひとりが自覚を持って行くことで少しずつ達成して行けると感じました。多くの若い会員の方に会長の生の声を聞いて頂けると、きっと職能団体としての団結力も強まると思いました。

 

仰げば尊し

2009-03-27 | 大学
 3/25(水)は朝豊橋を出る時から雨が降っていました。9:30頃名古屋大学東山キャンパスに着いた時にも大粒の雨が降っていました。今日は、卒業式です。何とか晴れることを願いつつ工学部の長谷先生との話し合いのため工学部2号館に向かいました。長谷先生とは今後の研究の話し合いを行い、膝に特化した力学的モデルについて検討しました。私も大変興味がある分野でスムースに進んでいくように尽力したいと思いました。
 
 11時ごろ話し合いが終わり豊田講堂に向かいました。雨が止んでいました。豊田講堂の前には華やかな袴姿の学生がたくさん集まっており、来て良かったと思いました。本専攻の学生を見つけ一緒に何枚かの写真を撮りました。一緒に写真を撮りましょうと言われるのは気持ちの良いものです。

 午後からは卒業証書授与式があり、私は卒業証書の見張り番を13:30-14:30までしていました。一人退屈で学生が戻ってくるのを今か今かと待っていました。無事に授与式が終わり青空の下、皆で記念撮影。桜もどんどん花を咲かせています。
謝恩会もありその時点では、しんみりとしたものはまだありませんでした。

 謝恩会は、まさに学生に招待されるという感じでとてもうれしいものです。学生から各教員への贈る言葉(スライド・歌付)は、心に染み入るものでした。当研究室の学生も私のために知恵を絞り私の好きなスラムダンクを使い、最高のプレゼントをしてくれました。本当に教員の醍醐味を感じました。

 本日は2次会参加のためホテルを取りゆっくりと学生諸君と話をしました。社会に出て行く彼ら、彼女らにエールを送りたく皆さんの「可能性」を話したつもりです。今後は一社会人として、社会に貢献できるよう頑張ってください。私たちとも今後もずっと付き合いがあります。今後の方が密かもしれません。そう思うと寂しさは少なく、心地よさの方が勝っていました。









弥生の頃

2009-03-24 | 大学
 私のいる大幸キャンパス別館の前にある桜も少しずつ花が咲いてきました。隣の教室から、もうすぐ卒業する4年生が「仰げば尊し」(←コメントにより「蛍の光」から変更。すみません)の練習をしています。その歌声が聞こえてきます。現在の1年生が4月から入学する新1年生のための新入生歓迎コンパの準備のため私の所にやってきました。臨床生活では味わえなかった大学ならではの心地よいtasteを研究室のいすに座り、春の日差しの中感じていました。
 
 ただWBCが気になって仕方がありません。現在WBCが行われているDodgers Stadiumは私が留学していた時に住んでいたPasadenaに近く、もしLAにいたら必ず日本の応援に行っていたと思います。

 さて明日は、謝恩会に招待されています。私の研究室ができて初めて受け持った学生が卒業します。私も教員生活2年目となり、一学年約20人と少ない当専攻ということもあり、学生全員の性格なども分かりそれぞれに親しみを感じています。明日はホテルも予約してあるため、遠く離れた自宅に帰ることを考えずゆっくり楽しみたいと思っています。謝恩会でどんな気持ちになるのだろうか。

留学の動機と決意するまで

2009-03-22 | 研究留学回想録
 今思い返しても留学の動機としては、あまり高尚なことは思い当たりません。「なぜ留学しようと思ったのですか」とよく聞かれますが、実はすっきり答えられないなあとよく感じています。

 私が大学生の時に語学留学した友人がいました。私はその時になぜそんなことをするのかと疑問に思ったことを覚えています。つまり若い時には、興味がないどころか行きたくないぐらいの勢いだったことが分かります。今思い起こすと就職して5年目頃に留学を意識して休職できないか、事務に聞きに行ったところ休職は処分だから留学目的では使えないと教えてもらったことを覚えています。

 私の中では、そのころから何かほかの理学療法士と違うことがしたいという思いがあり、またこのまま理学療法士を続けて行こうかとも悩んでいた時代でした。他の理学療法士と違うことの一つが留学でした。留学したい気持ちもありながら、遅々として進まない留学計画に半ばあきらめの気持ちもありました。というよりも留学に対する強い意思が欠如していたと思います。ちなみに今は理学療法士で本当に良かったと思っています。

 そんな気持ちの中で留学のモチベーションが高まった出来事が1999年にありました。横浜で行われた理学療法の世界学会(WCPT)にポスターですが参加したことです。全く英語もしゃべれず、ポスターの前に人が来ると目をそらしていました。これではいけないと思い、自分から話しかけましたが、自己満足のみで相手は苦笑いだったと今では思います。その中で海外招聘講師の講演後にある日本人が英語で質問していました。「かっこいい」と思ったことを鮮明に覚えています。どうも、英語がしゃべられるようになりたいと強くその時に思いました。いろいろ考えてみると留学の一番の動機はこの「英語をしゃべることができるようになりたい」であったと思います。

 結局留学はそれから3年もあとになります。その間は迷う気持ち、簡単にいえば踏ん切りがつかない状態でした。そのため留学できない理由を自分で延々と考えていました。(例:今自分がいないと職場や患者さんが困るから→みんなのために留学はあきらめようなど)

 そんな中、背中を押してくれてたのは研究留学の魅力と可能性を話してくれた2名の整形外科医と家内でした。家内がまずいつ留学するか決めようと強くいうので2002年4月と留学する日にちを決めました。2000年の秋のことでした。職場には1年半後に留学するので仕事を辞めることを伝えました。留学しないわけにはいけない状況を自分で作ってしまったわけでした。まったく当てもないのに。