太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

チーム助教とそれぞれの出発

2010-03-27 | 大学
 私の仕事部屋は、他の助教の加藤先生、林先生と同じ部屋です。講師以上の先生方は、各自の部屋があります。考え方とだれと同じ部屋かということが問題なのかもしれませんが、この物理的な空間を共有する、しないということは業務に大きく影響すると思います。幸い、他の先生方が協調性と人への配慮がたいへんある方々でとても良い空間で仕事をさせてもらいました。
 
 Give and takeとよく言う言葉ですが、giveとtakeのうちお互いがgiveをすることを意識しているため、非常に良い関係を築けました。自分に取って有用な情報があれば積極的に共有し、仕事などで忘れていないか確認しあうなど完全にチームとして機能していました。お互いの学生の発表の練習を合同で行い、各教員の学生にも遠慮せず意見を言っていたため、とても有意義なディスカッションもできていました。いつも思うことですが、個人よりチームとして機能し始めると業務の質が高まりまたお互いのチェック機能が働くためミスが減ります。

 そんなチーム助教でしたが、加藤先生が来年度より中部大学に准教授として赴任されることになりました。業務全般のことや大学で教員として働いていくこと、研究(特に研究デザインや統計など)について多くのことを教わりました。3/26(金)の午後に中部大学に荷物を持って引越しをされました。しっかり見送りをしたいと思っており、最後の少しの荷物運びを手伝い、前日までは咲いていなかった桜が咲き始め、その前で写真を撮りました。一端はお別れですが、是非これからも広域のチームとして機能すればと思います。加藤先生、ありがとうございました。



 もう一人の林先生は、非常に気を使われる先生で、いつも先回りをしてサポートをしてくれました。研究への熱意も強く、とても刺激を受けました。そんな林先生は3/27(土)にボストン大学に半年間の研究留学のため出発しました。大変慌しい出発前でしたが、無事出発できたと思います。13時ごろの出発と聞いていました。10時半頃にメールをしたところ返事が返ってきました。たぶんセントレアからと思います。成田、シカゴ経由と聞いていますのでまだついていないと思います。自分の留学の時もそうでしたが、不安もいっぱい期待もいっぱいの出発だったと思います。ボストンでの幸運を祈ります。

 そんなわけで、とりあえず3/26(金)加藤先生を見送った後、静かな部屋に戻ると何か寂しさを感じました。ただ、4月からまた新しい先生もみえるため、またチームとしてお互いをサポートし合っていければと思っています。

 それぞれの先生方の新しい出発に、乾杯。

 

別れの時と顎間固定のその後

2010-03-27 | 大学
 まさに、この時期は別れの時です。今週もそんな多くの出来事がありました。

 3/23(火)。太田研究室追いコン。顎間固定中の私はエンシュア(高カロリードリンク)を持って前半のみ参加しました。夕方からは、栄養不足で疲れてしまいふらつくため、無理をしないように決めました。4年生のうちの1人は、当日から仕事があり間に合う予定でしたが、残念ながら間に合いませんでした。仕事につけば、業務は優先されるものですのでしょうがないですね。

 ゼミ生は私が少しだけ走っているのは知っているので、Jogging用の万歩計をくれました。下顎骨骨折が良くなったら早速使います。ありがとう。一緒に飲みたかったですが、またどこかの学会で会いましょう。ゼミのOB・OGが増えていった時の学会の一つの楽しみになりそうです。いろいろと臨床の話を研究をしながらもしてきたつもりです。それらのエッセンスを、臨床に出て生かしてもらえればと思います。



 写真の私の前に見えるの水色缶がエンシュアのバニラ味の缶です。

 さて、顎間固定ですが上下の歯茎にワイヤーをさして歯茎のところに金属をあてその上下に着いたフックに輪ゴムをかけて固定しているのですが、3/25(木)の朝、完全固定から輪ゴム2本となりました。口は1横指ぐらい開きます。自宅に戻り、おじやを食べました。大変美味しく幸せを感じました。2週間ぶりの液体以外の口に入るものです。ただ、先ほどのワイヤーに食べものが引っかかり、また口が開かず、サッポロポテトも噛みきれないほどの力しか出ませんでした。でも、しゃべりのほうはかなりしゃべられるようになりました。今日の謝恩会用に1日早く完全固定を解除してもらいました。

 その後、大学に向かいました。お昼ごはんとして、柔らかそうなパンとプリン、野菜ジュースを途中で買いました。しかし、パンはかなり噛まないと入っていかないことが判明しました。結局、お昼はプリンと野菜ジュースになってしまいました。まだまだ、食に関するQOL向上には時間がかかります。それでも、舌の上に食べ物をのせることのできる喜びを感じました。

 午後から学位授与式です。博士前期課程の学生さんも一緒になり行われました。授与式を待つまでのスナップとうちのゼミ生との写真です。ゼミ生との写真は上が授与式用で下が通常です。







 そして、謝恩会。学生と教員という立場で接する最後の時です。卒業生たちがゼミの担当教官への感謝の言葉とスライドによる演出をしてくれました。学生がどのようなものを出してくるか楽しみでした。スラムダンクのフレーズを散りばめながら、私の頭の中を検索すると娘のことがその大変を占めているというものでした。また家事・手伝いもそこそこのウエイトです。だいたいそんな感じです。楽しい時間をありがとう。また、4年生全員からの色紙と花をもらいました。花は私の好きな紫でまとめられていて、彼らの気遣いを感じました。最後に仰げば尊しを合唱してくれ、大学の教員冥利に尽きる素敵な時間でした。卒業生のみなさんありがとう。



 食事は、カレーの具なし部分をすくって飲んでいました。それがまた美味しかったです。しかし昼もろくに食べていなかったので、2次会では特別に雑炊をもらいました。もっと飲んでしゃべりたかったですが、ほどほどで2次会途中で引き上げました。帰りの最終の新幹線の中でその色紙をみると、ゼミ生以外の学生たちが卒研発表会の後の打ち上げで私と話した事にとても感化されたことが書かれていました。こちらもとてもうれしかったです。しかしそれは4年生の後半のことです。もっと学生とコミュニケーションを取る時間を作ればよかったと感じました。また学生の純粋さも再確認しました。





 自宅に戻ってから少し謝恩会の余韻に浸りながら、頂いた色紙と紫の花を写真に取りました。





日本からの送金

2010-03-22 | 研究留学回想録
 2002年4月6日。昨日、ガーデナのSouth bay Toyotaで中古のカムリを購入しました。お金は、日本から現金とトラベラーズチェックで15万円ほど持ってきましたが、もちろん足りません。銀行口座が開けたため、先日家内の母に事前にお願いしてあった通り送金をお願いしました。1ドル130台前半ぐらいであったように思いますが、500万円ほど送金してもらいました。義理のお母さんには、送金でご苦労があったと後から聞きました。本人でないので、いろいろと大変であったようです。しかし良く考えると本人のお金を海外にいる本人の口座に本人が送れるわけはありません。矛盾を感じます。

 さて、BOA(我が家のメインバンクBank of America)で確認をすると入金されていました。500万円は50,000ドルと考えたい所でしたが、換算どおりかなり目減りしていました。また、1回の送金料も4000円ぐらい取られていたと思います。この辺りの金額は私の記憶ですので不確かですが。また、check(小切手)が届いていないため(口座開設後郵送されてきます)、銀行で車購入と家賃のためのcheckを作ってもらいました。早速、車のお金を払いに行き、その後ガーデナの日系スーパーのマルカイに買い出しに行きました。基本的に日本のものは何でも揃うようでした。少し高めの感じです。品揃えも豊富であり、サンディエゴにお住まいで以前お世話になった小林先生もLAまで買い出しに来ると言ってみえました。

 その後、レンタカーをLittle Tokyoにも営業所のあるさくらレンタカーに無事に返しました。

 アメリカでの初めての週末(土曜日)でしたが、慌しく過ぎていきました。

 今後も何回か書くかもしれませんが、その時は日本にある500万円が換金で37,000ドル、今が90円とすると55,000ドルでその差は18,000ドルです。1ドル100円で考えると180万円の違いかと思うと、今ならもう少し良い暮らしができたかと思ったりもします。2002年と今はそのくらい違うのですね。2年間で最も円高であっても125円ぐらいであったように思います。毎日、為替を見て次の送金をどのタイミングでしてもらうかが、収入のない私としては勝負と思っていました。

リハ工学センター

2010-03-21 | 研究室
 3/18(木)。リハ工学センターで現3年生の中間発表で行った研究内容をセンターの鈴木先生、元田先生に聞いて頂き、いろいろなご意見を頂きました。医学的意見と工学的意見がどちらも伺え、有意義な時間でした。

 しかし、リハ工学センターは本年度3月で閉鎖されます。大変残念な事です。医療と工学の連携が叫ばれていますが、ここは既に組織としてそれぞれの分野が共に研究しています。私は、直接的には大学に赴任してからの3年間お世話になりましたが、大変有意義に勉強をさせて頂きました。組織はなくなっても人間関係は繋がっていけると思っています。むしろそこが大切なことなのでしょう。こちらでお世話になった方々と今後も連携を取りながら、むしろ少しでも恩返しのできる研究をしていけたらと思います。

下顎骨折とその後1週間

2010-03-21 | つれづれ
 3/23(火)に、口腔外科を受診して、私の骨折は片側の骨折で閉口すると骨折部の転位は少ないため手術は不要とのことで固定も2週間となりました。下顎骨の骨折には、見識がないためネットで調べた所、2-4週の固定で手術をするとその固定期間が短縮すると言うようなことでした。骨折のタイプにより異なることは重々承知していましたが、あまりにも流動食だけの毎日が辛くて、手術をしてもらおうと思っていました。結果的には、保存的治療で2週間なら良かったと思っています。

 さて、顎間固定も1週間を過ぎ少し慣れてきました。それでも流動食は辛く、食べれるようになったら何を食べようか楽しみにして現在の苦境を乗り切ろうと思っています。ケガをした時は、少しゆっくりすると良いとか、出来た時間を日頃出来ないことに使うと良いと人には言うのですが、流動食だけでは体の芯の力が出ない感じで、集中力も高められません。テレビを見ても、グルメに関するものが多く、心理的に応えます。見なければ良いのですが。

 先週1週間は大学での必要な仕事は、通勤し何とかこなしました。食事は病院で出されたエンシュアという流動食のバニラ味とコーヒー味です。これが、すぐに味に飽きてしまいます。なんとか、コンソメ味とかしょうゆ味とか出来ないものでしょうか。これまた、患者さんの苦労が分かります。ただ、このエンシュアは1缶250mlで375Kcalあります。毎食2缶を取っています。つまり、一回の食事で700Kcalで1日2100Kcalです。やはり1Kgほどやせました。ただ、栄養が十分に取れていない高齢者の方がこのエンシュアを食事にプラスし飲み始めたら随分元気になられた方がみえたことが記憶にあります。現在、メタボリック予防の情報が溢れていて、高齢者の方もそれに影響されてしまうようですが、むしろ低栄養、特に動物性のたんぱく質の不足が言われています。もしかしたら、このような高カロリーの補助食(飲み物)も併用すると良いのかもしれません。

 さて、大学に行く時にそのエンシュアを持っていかなければならないのですが、すぐに忘れててしまいます。結局、ドリンクのカロリーメイト(200kcal)か、ウィーダインゼリーのカロリーの高いもの(180Kcal)で済ませましたが、やはりなんとなくのふらつきを感じがしました。先週は、送別会がいくつかありましたが、キャンセルさせてもらいました。すみません。朝7時に自宅を出て7時に帰宅が日常で、書き物の仕事は夜か早朝(最近は起きられず)にしているのですが、出社から帰宅までの12時間でぐったりでした。

 このような経験はとにかく人生の修行と捉え、プチ断食と考えるようにしています。ただ、食に関する感謝の念はとても生まれそうです。アメリカ留学時代に超貧乏でしたので、食後のデザートが買えずさびしい思いをしていましたが、帰国後からは良くプリンやゼリーなどを買っています。それがすごい贅沢のように今も感じています。食に関してもそのようになりそうな気がします。食べられることは、すばらしい。

 下顎は、科学と同じでありこれは科学的研究をしっかりしなさいということかと、少しでもプラスになりそうなことを考えている毎日です。