太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

豊橋市運動機能向上に関する検討会

2011-07-30 | 臨床
 7/24(日)に8月から豊橋市にオープンするはしら整形外科リハビリクリニックの内覧会に家族で出かけた。院長の小林先生は豊橋市民病院、アメリカでの留学とお世話になった。私が留学した当時に小林先生はSan Diegoに留学されており、留学のアドバイスなどを頂いた。開業の話を伺い、ご相談を受け頻度は少ないが、8月以降クリニックにお邪魔して微力ながら支援をさせて頂く。小林先生はとても気さくな先生であり、病院の名前からのわかるようにリハビリテーションに強い関心と期待を寄せている。オペのできる他院でオペをして、クリニックでリハをする。スポーツにも力を入れていく予定である。研究の支援も頼まれているため、クリニックが軌道に乗ったら、是非臨床研究も進めていきたい。私の使用している2D解析のToMoCo Liteも用意されている。リハ室も明るく広い。またオープンMRIと骨塩量計測、エコーもあり、臨床研究が楽しみである。

 さて、豊橋市運動機能向上に関する検討会が木曜日にあり委員として参加した。医療・介護連携を具体的なツールを使用して、現実可能であることを優先して内容を検討している。リハ終了時の運動機能評価表と介護保険事業所の評価表をそろえるもので一定のコンセンサスも得られ、いよいよモデル事業から実際の政策へとなっていく。評価の重要性は、我々PTは非常に良く理解しているが、一般的には介護の現場で浸透させていくことは少し時間がかかりそうである。特に客観的なデータが介護保険の政策に必要であるがそれが不十分である。今回の評価表が統一されれば、市全体としての介護保険利用者の運動機能が客観的に捉えられる。またその効果の検証も可能となる。最初の1年は私が市役所を兼務した時に発足したが、その後の介護保険課・現在の長寿福祉課の方々、特に1名の豊橋市民病院から出向しているPTの力がなくては出来なかったことで、まさにPTの視点が介護保険の現場に取り入れられていく貴重な政策となるであろう。 
 
 

ベーシックトレーニングとKSS

2011-07-24 | 研究室
 ボランティアのため、7/4から7/9までの仕事や用事を翌週にシフトしたため、ボランティア後の日程は、大変忙しい日々であった。私の時間は、一昨日(7/22)の午後ぐらいしか取れなかった。

 この間、大学院ベーシックで2日間、終日実習を大学院生に行った。通常のビデオカメラから取り込んだ動画をImage Jで解析するとてもマニュアルな2次元動作解析の実習とToMoCo liteというソフトを利用した2次元動作解析の実習を行った。画像は、拡張子とコーデックスの2つの要素を持っており、なかなかバグなどが出て難しい。我々が実施しているシステムは基本的に拡張子がAVIのものを使用しているのでデジカメを購入するときは動画の拡張子がAVIのものが良い。

 先週は、国立長寿医療センターの整形外科松井先生と企業や他大学の方と研究打ち合わせをした。もともと知っている企業なので、フランクな会であった。ただ、大学から国立長寿までは意外と遠かった。研究棟は新しく施設見学をした訳ではないがさすが国のトップの研究施設である。

 昨日の土曜日は大学でゼミおよび3Dの投球動作解析を行った。ゼミでは、東総システムの日下さんに3D座標を算出するDLT法の方程式の立て方の講義をしてもらった。その後、弥生病院の相本君にバランス機能に関する評価法の話をしてもらった。開眼片足立ちは、転倒と相関が高く転倒リスクの検査とされているが、その再現性の悪さもやはり指摘されていることが分かった。その後、冨田整形外科の上田君に投球動作の話をしてもらう予定でしたが時間がなく次回にしてもらう。さて、当日はあさひ病院で投球傷害の分野でとてもがんばっている卒業生の竹中君とその同僚の方が大学に来られ、3Dの動作解析を行った。私の持っているシステム(ToMoCo VM)の利点は屋外で使用でき、動画さえ同期できるトリガー(光など)を入れて取れば後から解析ができる。そのため、現場でもスムースに計測ができる。また、電源などの確保もせずに実施することが出来る。高額の3Dシステムでは出来ない利点である。その分、解析はアナログで相当に時間を費やすことにはなる。

 さて、昨日の夕方からは第21回膝肩スポーツ(KSS)の会に出席した。途中からの参加で、中京大学の清水先生による足関節捻挫のスポーツ復帰と島根大学の内尾先生によるスポーツに伴う膝関節軟骨傷害に対する治療戦略を聴講した。足関節捻挫の後遺症の問題は、不安定性ではなく拘縮。そのため、ギプス固定はほとんど行わないとのこと。距腿・距骨下を区別したROMやストレッチなどの話もあり、早速臨床に応用できそうである。内尾先生のご講演は、6月のJOSKASで拝聴し感銘を受けた。背景からupdateの研究までものすごくまとまっている。前回は膝OAであったが今回は軟骨。多くの取り組みの中でも、やはり軟骨を再生されることは現段階ではかなり困難であることが分かった。軟骨病変に対してモザイクプラスティなどは、一定の小さい領域に対して良好な成績であるが、それでも再生ではなく補修という感じであるとのことであった。

 

陸前高田ボランティア 7/4-7/9 3

2011-07-11 | つれづれ
 不安の中から始まった災害リハビリボランティア。ローラー作戦で避難所や仮設住宅、親族の家などを各自治体から派遣された保健師が調査。そしてリハビリ支援の依頼を受け、対応した個別支援から、サロンや介護予防などの集団への支援へと状況が変化してきた。

 集団への支援の中に個別性も残しPTの視点を生かした支援を模索することとなった。私とパートナーのHさんと話をして、方向性を文章にした。特に金曜日(最終日前日)に、Keyとなる保健師と膝を突き合わせて話をした。それにより、各立場からの思いがそれぞれあることもわかり、それらも踏まえ、再度、起案書のようなものを書き、協会に送った。協会もどのような支援が良いか、現場の意見を真摯に受け止めてくれていると感じた。ただ、現在の自分としては、ここまででそれ以降は協会を通じ、次のボランティアの方に繋げていくまで。そこまでで良いのかとの思いもある。今回提案した内容は自分が豊橋市の介護保険課を兼務した時に経験がとても生きた。我々の提案は、PTにしか出来ない支援であり、必ず被災地に貢献できるものと思われる。

 今回のボランティアは、人生の中で大変貴重な経験となった。すれ違う地元の高齢者や子供たちも我々ボランティアに挨拶してくれ、ご苦労様と言ってくれる。こんな経験はありません。ボランティア同士でもご苦労様と声を掛け合い、朝、旅館を出るときも他のボランティアの方に行ってらっしゃいと言われる。本部のあるのは中学校の一室で、そこですれ違う中学生も挨拶をしてくれる。皆が感謝し合い、助け合っているという実感がとても伝わった。生まれて初めての経験であった。

 被災地もレンタカーであちこち廻るうちに地名も覚え、荒廃した街を何度も目にすることとなった。そのような景色を見ることもつらいことであるが、何よりも皆さんと話をして当日の様子、特に亡くなられた方の話は、返す言葉が出ない。仮設で、祖父母と孫が暮らし、親の遺影が飾られているなど本当に言葉が出ない。ただ、子供たちの笑顔や遊んでいる声を聞くと、子供たちが未来の宝だと本当に思う。被災された方のお話で子供たちを助けようと何よりも優先して助けた話も伺った。孫がまだ見つからないとの話も伺った。

 私は何ができるのだろうか。皆さんとても気さくに話をされ、丁寧にお礼を言って頂ける。自分を振り返る貴重な時間になった。


仮設住宅。仮設住宅福祉用具勉強会にも参加。


始めた見た段ボールベッド


県立高田病院


陸前高田の町


1週間貴重な時間を共にしたベストパートナー


旅館の近くに来た鹿


希望の一本松


希望の子供たち(旅館の前の田んぼでイモリ探し)

陸前高田ボランティア 7/4-7/9 2

2011-07-11 | つれづれ
 8時30分の盛岡駅発陸前高田行きのバスに乗る予定で駅に向かった。チケット売り場で私の前で同じチケットを購入している方がいらしたので声をかけたところ同じPTで私の1週間のパートナーであった。

 島根県からの参加のHさんは、40名ほどの部下を抱えるトップで年齢は私より少し下であった。バスは3時間の予定であったが、2時間15分ほどで到着した。バス停は高田ドライビングスクール。そこで待つようにしおりに書いてあったため、そのまま待った。11時30分には、迎えが来てくれると書いてあったがなかなか着てくれないため、どこに通じるかわからないがしおりに書いてあった番号に電話をしたところ我々の先遣隊に繋がった。先遣隊は女性であった。

 バスで高田ドライビングスクールに向かう途中も既に津波による被害を受けたところが見られ、被害を受けたところと受けていないところがはっきりと分かれていた。しかしまだ、テレビで見た風景は目にしていなかった。

 旅館に荷物を置いて、陸前高田第一中学校にある我々の活動本部に向かい、申し送りを受けた。各地域にある避難所や仮設住宅のリハビリ支援が必要な方を廻っていることと個々の被災者の方の身体機能などの情報を聞いた。保健領域の本部は、各自治体から出向で支援に来ている保健師の方が中心で、他に栄養士、医師も参加していた。40-50名ほどが活動していた。本部の指揮を取っていた保健師の方は名古屋市から1年間の出向の方であった。陸前高田の経験のある保健師の方は、震災にあわれ陸前の保健師の絶対数も少ないようであった。名古屋市からの保健師とも挨拶をし、現地の情報を教えてもらった。

 今までは、保健師により避難所、仮設、住宅のローラー作戦で住民の健康実態調査をし、そこからリハビリに相談したい方を紹介され、我々が伺うスタイルで個別の対応が多かった。しかし、被災者の方も仮設に移られ、避難所は今後閉鎖していくため、そのような新しい個別の対応も減っていく。地域で高齢者が引きこもらないようにサロン(集会所に集まりお茶を飲んだり、レクリエーションをする)や介護予防事業がスタートしだした。

 我々は、まさに災害リハビリ支援のあり方が変わる時の派遣となった。その内容はまた後ほど。

 1日の終了は16:30の本部の全体ミーティングで、その後報告書などの書類を完成させ17:30に本部がしまり帰宅となる。我々が泊まる旅館は、矢作温泉と書かれている旅館で薪でお風呂を沸かしているようであった。我々は2階の角部屋で目の前に共同の炊事場があり、住環境は予想していたより良く、インスタント類の食材やその他生活に必要な雑貨はそろっていた。食事は自炊で、結局1週間のうち、1日以外は自炊をした。相方は、自炊にかなり慣れていた。なお、家族構成も同じで5歳の娘さんがいた。

 つづく。


陸前高田ボランティア 7/4-7/9

2011-07-10 | つれづれ
 7/3(日)11時30分に東岡崎を出発し、新幹線を乗り継いで18時に岩手県盛岡市に到着した。今回は、新幹線と宿泊をセットで大学近くの旅行業者で発注したが、ホテルが盛岡駅より歩いて15分ぐらいと意外と遠かった。盛岡駅周辺では、地震による影響は感じられなかった。ホテルの近くの盛岡城跡公園に散策後、駅前のわんこ蕎麦屋で夕食を取った。これでしばらくまともな食事は取れないと覚悟していた。

 ボランティアの一週間ほど前より、自分が何が出来るのか、何をして良いのかなど良く考えたものであった。また事前情報がかなり少なく、戸惑いの中の出発となった。夕食を取りながら、ある企業のスタッフとして東日本の支援に関わっている自分の兄貴にもメールをしたりしてゆっくり夕食を取った。今回はPCも持ってこなかったため1週間は通常の仕事は何も出来ない、何もしないと考えていた。

 翌朝は、雨でホテルが近くないため結局タクシーを利用した。タクシーの運転手さんと短い時間であったが話をしたところ、道路は盛岡でもかなり波打っていたとのこと。そして応急的に、波の山を削り平らにしたとのことでした。ボランティアの話をすると、ありがとうございますとお礼を言われた。

 以降のボランティアの様子は、明日の朝の記載予定。(今から寝かせつけのため)