今日は、朝からうれしいことがありました。
朝、起きてメールチェックをすると、英語論文の編集者から返事がありました。投稿した論文がaccept(採択)とのことでした。この論文は、初めての投稿から2年半かかっています。尚更うれしいacceptです。最初に投稿したのは、Physical therapyというジャーナルでした。1回目のrevision(編集者、査読者から質問や指摘を受けること)では、内容をほめられ、よしいけると思いました。その中で統計に関する指摘があり、統計に詳しい先生と相談した結果、相手の指摘を反論するような返事を書きました。見事に次の返事はreject(不採択)でした。
次は、医師が中心のKneeというジャーナルに投稿しました。人工膝関節に関する研究であり、内容もオペの内容に触れざるを得ません。その結果、私の本来言いたい内容よりもオペの説明に編集者は意見が傾きrejectとなりました。
その後、今回採択されたManual Therapyに投稿しました。こちらも最初のrevisionは、not badと言う感じでしたが、次のsecond revisionでは、英語のミスが多いと言うことでrejectになりました。英語校正はちゃんと業者に出しているのに。さすがにぐったりです。
ただ、そこのコメントで英語のミスをなくすようにということ以外にも修正のコメントがあり、他の論文に出しなおす時はタイトルもこのようにした方が良いと書かれていました。その後、組み立てを修正して再度、rejectされた時のコメントのタイトルに変更して出し直しました。そして、今回の採択に至りました。
教訓としては、査読者には逆らわないということと、医師が編集するジャーナルには、オペの内容記載が多く必要なものは、その指摘が多くなることです。また、rejectされても、また出しなおせば諦める必要はないということです。そう思うと、最初にrejectされたPhysical Therapyに統計を反論してごめんなさいと言うことで、編集者の指示に従い統計の方法を変えて出し直していればもっと早く採択されたような気もしています。しかし、この様な経過があったから実感したことでもあります。この経験は、自分が指導した学生が投稿論文からrejectされても同じジャーナルに出し直しをさせるかもしれません。いづれにしても、このような論文掲載までの苦渋の経過を見て、現在論文投稿で苦しんでいる人たちに勇気?(これなら私の方が良いかもと)を与えられればと思います。
本論文のデータ取りは、私が豊橋市民病院と豊橋市役所を兼務していた時に行ったもので、その時の献身的な協力者の豊橋市民病院の神谷猛先生と森坂文子先生に深謝します。もちろん共著者です。
さて、夕方自宅で家事をしているとJOSKAS(日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会)事務局より電話がありました。すぐに思い当たることは、3ページまでの論文を6ページ書いてしまったので、超過分のお金を払わないといけないことと今年度の会費未納です。すみませんと謝って電話に出たところ、その件ではありませんとのことでした。
よく聞いてみると、昨年度発表した内容(論文)が膝関節部門で学会賞を取ったのでおめでとうございますとのことでした。全く予期せぬうれしいことでした。今週金曜日から土曜日まで沖縄でJOSKAS学会がありそこで表彰するので総会に出席してくださいとのことでした。参加者(著者)の殆どは、関節を専門とした整形外科医師ですので、私のようなPTがと信じられない気持ちです。
内容は、太田研究室初めての学部学生との研究で、そのため何から何まで初めてであり、苦労したことを思い出します。その時の学生であった上田君、相本君には教えるどころか、随分助けられた感じがしています。彼らなくしてこの受賞はありません。ありがとう。事務局からの電話を置いた後は、すぐに通常の家事の戻りました。今日は、発泡酒ではなく、スーパードライで乾杯です。
また今日は、先日とは別の海外の方で私の研究室に興味がある方と午後から話をしました。工学を専門としている方で、私のいつものアイデア一発モノ作りの説明をしました。英語での話しですが、最近は英語を使うことがなぜか増えています。ただ、私のwebsiteは、未に一部しか英語にしていませんが、皆さんwebsiteを見て問合せをしてくれます。不思議なものです。
朝、起きてメールチェックをすると、英語論文の編集者から返事がありました。投稿した論文がaccept(採択)とのことでした。この論文は、初めての投稿から2年半かかっています。尚更うれしいacceptです。最初に投稿したのは、Physical therapyというジャーナルでした。1回目のrevision(編集者、査読者から質問や指摘を受けること)では、内容をほめられ、よしいけると思いました。その中で統計に関する指摘があり、統計に詳しい先生と相談した結果、相手の指摘を反論するような返事を書きました。見事に次の返事はreject(不採択)でした。
次は、医師が中心のKneeというジャーナルに投稿しました。人工膝関節に関する研究であり、内容もオペの内容に触れざるを得ません。その結果、私の本来言いたい内容よりもオペの説明に編集者は意見が傾きrejectとなりました。
その後、今回採択されたManual Therapyに投稿しました。こちらも最初のrevisionは、not badと言う感じでしたが、次のsecond revisionでは、英語のミスが多いと言うことでrejectになりました。英語校正はちゃんと業者に出しているのに。さすがにぐったりです。
ただ、そこのコメントで英語のミスをなくすようにということ以外にも修正のコメントがあり、他の論文に出しなおす時はタイトルもこのようにした方が良いと書かれていました。その後、組み立てを修正して再度、rejectされた時のコメントのタイトルに変更して出し直しました。そして、今回の採択に至りました。
教訓としては、査読者には逆らわないということと、医師が編集するジャーナルには、オペの内容記載が多く必要なものは、その指摘が多くなることです。また、rejectされても、また出しなおせば諦める必要はないということです。そう思うと、最初にrejectされたPhysical Therapyに統計を反論してごめんなさいと言うことで、編集者の指示に従い統計の方法を変えて出し直していればもっと早く採択されたような気もしています。しかし、この様な経過があったから実感したことでもあります。この経験は、自分が指導した学生が投稿論文からrejectされても同じジャーナルに出し直しをさせるかもしれません。いづれにしても、このような論文掲載までの苦渋の経過を見て、現在論文投稿で苦しんでいる人たちに勇気?(これなら私の方が良いかもと)を与えられればと思います。
本論文のデータ取りは、私が豊橋市民病院と豊橋市役所を兼務していた時に行ったもので、その時の献身的な協力者の豊橋市民病院の神谷猛先生と森坂文子先生に深謝します。もちろん共著者です。
さて、夕方自宅で家事をしているとJOSKAS(日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会)事務局より電話がありました。すぐに思い当たることは、3ページまでの論文を6ページ書いてしまったので、超過分のお金を払わないといけないことと今年度の会費未納です。すみませんと謝って電話に出たところ、その件ではありませんとのことでした。
よく聞いてみると、昨年度発表した内容(論文)が膝関節部門で学会賞を取ったのでおめでとうございますとのことでした。全く予期せぬうれしいことでした。今週金曜日から土曜日まで沖縄でJOSKAS学会がありそこで表彰するので総会に出席してくださいとのことでした。参加者(著者)の殆どは、関節を専門とした整形外科医師ですので、私のようなPTがと信じられない気持ちです。
内容は、太田研究室初めての学部学生との研究で、そのため何から何まで初めてであり、苦労したことを思い出します。その時の学生であった上田君、相本君には教えるどころか、随分助けられた感じがしています。彼らなくしてこの受賞はありません。ありがとう。事務局からの電話を置いた後は、すぐに通常の家事の戻りました。今日は、発泡酒ではなく、スーパードライで乾杯です。
また今日は、先日とは別の海外の方で私の研究室に興味がある方と午後から話をしました。工学を専門としている方で、私のいつものアイデア一発モノ作りの説明をしました。英語での話しですが、最近は英語を使うことがなぜか増えています。ただ、私のwebsiteは、未に一部しか英語にしていませんが、皆さんwebsiteを見て問合せをしてくれます。不思議なものです。