太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

JOSKAS

2009-06-29 | 研究室
 JOSKAS2009(日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学科)に6/25から6/27まで参加して来ました。医師が中心の学会で発表するのは初めてでそれなりに緊張しました。厳しい質疑応答もあり、活気あるものでした。

 何よりも今回感じたことは、充分に練られえた研究デザインであること、背景の論文検索も充分にされていること、対象数の数が十分あること、先端のトライアルが発表されていると感じました。学会に参加し得るものはとても多くありました。統計処理も、N(対象者数)が少ない場合はパラメトリックなデータであってもノンパラメトリックで使用する方法を使用している発表が多く感心しました。Nが少なくてもパラメトリックならだいたいT検定を使用していましたが、最近読んだ統計の本や公衆衛生の先生とのお話でそのような場合はノンパラメトリックを使用しようと思っていたところでしたので、特にそのように感じました。

 パテルディスカッション、シンポジウム、ディベートなど発表の合間の企画も日頃参加している学会と異なり、新鮮でした。

 私の発表も無事に終わり、印象としては視点は面白いと思って頂けたようでした。会場からの質問も3つほどあり、鋭い質問を恐れていましたが、何とか説明できるものでした。

 また、本学会参加で有意義な時間は、多くの東海地域で活躍されている整形外科の先生とお話ができたことでした。特に、同じ名古屋大学の先生と日頃、キャンパスが違うこともあり、なかなかコミュニケーションを取ることができませんでしたが、今回、比較的ゆっくりと今後の研究の話をすることができました。特に、光山先生は私が留学していた時に世話になったSam Wardが、USCでPhD修了後UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)でポスドクをしていた所に、光山先生が留学された関係で、2004年の春ごろにメールを頂いたことがありました。今回お会いでき留学の話などで盛り上がりました。留学したことが、日本でもネットワークを増やしてくれるのでした。
 


研究デザイン

2009-06-22 | 大学
 15日(月)は、午後から公衆衛生を専門にされるT先生の所に現在、進めているデイサービスへのポールウォーキングの介入研究のデザインの相談に行ってきました。T先生は大変物腰が柔らかく、生活習慣病の研究もしています。ポールウォーキングは生活習慣病にも応用できるため、数年先の考想として相談をしてきました。
 今回、デイサービスで実施する予定の研究は多施設共同比較試験の一重盲検となりそうです。初めて行うしっかりとした研究デザインのため、事前に詳細の確認が必要でした。相談の結果、各施設を介入群とコントロール群で分けて行う方向としました。その他の方法としては、各施設内で介入群とコントロール群を分ける方法もありますが、被験者同士が違う方法を見てしまうことや途中で私もやりたいと希望される人が出てくる事が予想され、前者の方が良いのではとなりました。

 17日(水)は、午後18:30から豊橋創造大学で膝関節OA研究のメンバーで集まり、研究打ち合わせと金井先生によるViconに関する関節中心の出し方などの説明を受けました。私が学生への説明で欠けていたところで、本年からこの資料を使わせてもらおうと思います。
 
 さて、同大学で20:00から後藤寛司先生と今度はデイサービスで実施する研究の相談と、本研究に興味を持っていただいている介護福祉型の大学のN先生と初めて顔を合わせました。先ほどの、膝関節研究のメンバーも興味深そうに横から参加をしていました。デイサービスにポールウォーキングを実施する研究メンバーはこれで、太田・後藤先生・N先生と後藤先生のゼミ生となります。大変助かります。N先生はデイサービスに詳しく、実際に現場でデータ取りをする時の注意点も含め多くのアイデアを頂きました。また裁縫もしてみえるそうで、3次元解析測定時の服も作成して頂けることとなりました。第3者割り付けに関しては、元太田研究室の相本君が引き受けてくれそうです。Randmizeの方法も知っていました。

 18日(木)は、午後から豊川にある企業と現在、応募しようとしているJST(科学技術振興機構)のフィージビリティスタディ申請の相談をしました。方向性は、既に話し合ってあり、簡単なプロトタイプのプロトタイプのようなものが既にできていました。私が、この介護支援装置の類似特許が昨年出ていた事を見つけ、今回は申請できないと思っていましたが、コーディネーターのNさんと企業Kさんの話では、既に特許が出ているということは、ニーズがあることでもあり、その違いがあれば問題はないと述べていました。違いは確かにありKさんがその違いをしっかりと説明してくれました。申請は、Goという事になりました。ある一動作に特化した介護支援装置です。パワーアシストやロボットでは現在、問題になっている介護問題(老老介護など)をすぐに軽減する事は難しいと感じます。コストも高く家庭で気楽に使えるものではありません。そのような点から考えたものです。

 19日(金)は、午後からH20年度総長裁量経費の報告をしてきました。さすがに他の報告では、世界初などの先端の話もありました。私は地道なポールウォーキングの話でしたが、本研究費で実施した研究から科学研究費が採択され、企業との共同研究契約、工学部との連携など多くの成果がありました。今後の発展性をしっかり述べたつもりです。フロアーからも質問があり、思ったより関心を頂けた印象でした。本専攻から石田先生も応援に来て頂き、心強かったです。

 同日、夕方からは豊橋市内デイサービス有志の集まりである花草会役員会合に参加しました。研究の説明を聞いて頂き関心を持っていただきました。また、実施にあたり何が可能で何が不可能かの話も伺いました。まず、デイサービスの職員の皆さんにポールを使ってもらう事からとしました。しっかりとした研究デザインで欲張らずに自分たちのやれる範囲内かつその後現場に定着できる研究ができればと思います。

 さて、現在の仕事を整理すると、今週北海道で行われるJOSKASでの発表、研究費申請が2本、倫理委員会への申請、書き始めた英語論文の作成であり、私にストレスを与えている事柄です。また先週水曜日から腰痛が出現し苦しんでします。娘の抱っこを断るのが大変です。

足関節繋がり

2009-06-14 | 大学
 先週日曜日(6/7)は、スポーツ傷害予防研究会の定例会が愛知大学であり、他職種で情報交換をしました。その中で私の超慢性痛のハムストリングの痛みに鍼灸師のH先生が軽いストレッチとマッサージをしてくれました。我々もマッサージを治療手技で使いますが、鍼灸マッサージの方との交流はあまり密ではありません。本会のおかげで、他職種の方とも交流ができ、有意義な時間でした。確かに、症状は少し緩和していました。次回、そのH先生から私の治療をしながらディスカッションでもしませんかと申し出を頂きました。日頃治療する立場でも自分のことになると素人になってしまいます。現在、9月のナゴヤドーム6時間耐久リレーマラソンに出場予定でもあり、もちろんお受けしました。楽しみです。

 6/8・10日とキャンパスクリーンを2回に分けて行いました。昨年は、軽装で臨んだためかなり虫に刺されましたが、今年は準備をしていったため大丈夫でした。1年生にはその情報を十分に知らせず、申し訳なかったです。草刈機は、大学に来るまで使用したことはありませんでしたが、毎年実施しているので慣れてきました。皆さん、お疲れ様でした。

 9日は、名大病院リハ部のN先生、H先生、整形外科医のM先生が研究の話し合いに来て頂きました。そこで足関節の解析と今後の研究協力に関して話し合いをしました。私も名大にいて、場所は少し離れますが付属病院があり、優秀なリハスタッフの皆さんもいらっしゃるので、何らかの形でコラボレイトを望んでいました。そんなところに、先方から、私のところに来て頂き大変うれしい出来事でした。私のできる範囲で少しずつ臨床も研究も協働できればと思います。

 12日は、午後からEndnote webとweb of scienceのインタネット講習を受けました。インターネット講習会は初めてでしたが気楽に受けることができ、お勧めです。22日にはそのadvanceコースがあり、受講する予定です。22日は、代休を頂く予定ですがどこらかでも受講できるため、自宅で受ける予定でいます。文献管理には悩まされていましたが、一筋の光が見えました。(でもまだ、その後使用していませんが。)

 そのインタネット講習会後すぐに労災リハ工学センターに向かいました。首都大学東京の長谷先生と長谷先生の指導を受けている名古屋大学工学部の院生N君、工学センターの鈴木先生、元田先生とN君の研究の方向性について話し合いました。臨床で有用な詳細な足関節・膝関節の解析をしていく方向で話は進んでいきました。まさに他職種(医師、エンジニア、PT)での話し合いで、多くの情報が飛び交います。私にとっても、貴重な情報収集の時間です。
 
 13日(土)は、娘といつものように豊橋動植物園に行き、水辺で遊びました。おかげで太陽の光をすぐに吸収して黒くなる私は真っ黒です。夕方に、家内の勤めている病院のリハスタッフの皆さんにプライベイトで肩の治療の話を実技などを入れながらしました。皆さん若く情報に飢えているようでした。喜んで頂ければ幸です。

 14日(日)は、朝から大学にいきました。THPの講座があり、統計と研究方法に関するものでしたので受けさせて頂きました。また、事前にメールで私の研究に興味があり話を聞きたいと言われる臨床の先生とお昼に大学で会う約束をして少し話をしました。その方も足関節のバイオメカニクスに興味を持っているとのことでした。足関節の話を今週は多く聞いた気がします。工学部との研究で足関節の良いモデルができるとその応用先はありそうです。足関節繋がりを感じた1週間でした。


 

September eleventh 2

2009-06-11 | 研究留学回想録
 Dr.Powersを目の前にして忘れていたことがありました。お土産を渡すことです。寄木細工のペンスタンドを渡しました。机の上にはペンスタンドはなく早速、使ってくれました。もう一つ、ラボの皆さんにとうなぎパイを渡しました。そしてこれはeel cookieだと言って渡しましたが、あまり嬉そうではありませんでした。うなぎクッキーでは、奇妙に思われたようです。

 さて、Dr.Powersから一般的な話で日本のどこに住んでいるのか、それは日本のどの辺りかなどを聞かれました。そして、いよいよ本題で、7/7に私が送った私のレジュメと業績を手に持ち、君は何をしたいのかということを聞かれました。自分の日頃の臨床の話をして、Dr.Powersの専門領域でもあり、私の興味のある膝蓋大腿関節(膝のお皿の関節)についての自分の研究を説明しました。自分の説明で通じるとは、思っていませんでしたので横浜で開かれた理学療法士の世界学会(WCPT)でポスター発表をした時のポスターを見せながら説明をしました。リップサービスと思いましたが、関心があるとのことでした。しかし、後からすると私がやっていた「膝蓋骨可動性の定量的評価」には、本当に興味があったのでした。また、経験はないもののスポーツ傷害に関する動作解析に興味があることを話しました。どの程度分かってくれたかは、不明でしたがそのようなことがしたいことはなんとなく分かってくれたと感じました。その後、自分たちの研究はとてもハードワークだけど大丈夫かということと、特に無給で本当に良いのかということを重ね重ね聞いていました。ハードワークも無給も、no problemと答えました。

 このようにやり取りを書くとスムースなようですが、相手の言っている事がよく分からず、私の言っている事も分かってもらえない場面が多々ありました。英語のレベルは同じぐらいの家内は黙って聞いているつもりだったようですが、黙っていられなかったようで、途中から一生懸命援護をしてくれました。心なしか途中からDr.Powersは家内のほうを向いてしゃべっているように感じました。家内もそのように感じていました。きっとそうだったのでしょう。

 そしてついにDr.Powersは私に言ってくれました。ここで一緒に研究をしよう。うれしく彼に握手を求めましたが、握手をしてくれませんでした。私の聞き間違いかと思い、研究留学は”Perhaps"ということ。Dr.Powersは私にもう一つ確認したい事があったのでした。それは3ヶ月間はお試し期間で、ラボの皆と協調性を持って仕事をしなければ、帰ってもらうという条件でした。意味はよく分かりませんでしたが、Yesと言わないと留学できないことは、分かりましたので力強くYesと答えました。どこの馬の骨かわからない英語もできない人間を自分のラボに入れるため、当たり前の条件と感じます。その返事後、Dr.Powersは握手をしてくれました。

 捨てたはずの紙切れからUSCのホームページを開き、そこに自分の興味と見事に一致するラボを見つけ、訳も分からず、手紙を書いてLAまで来てしまいました。そして、Dr.Powersは、研究留学を許可してくれました。うれしさが込み上げてきました。がしかし先ほどのハードワークと3ヶ月間のお試し期間が気になり、本当に自分に出来るのかという不安も込み上げてきました。

 Dr.Powersは、DepartmentのchairであるDr,GordonとDR.PowersとバイオメカニクスラボのCo-DirectorであるDr.Salemを紹介してくれました。そして、Dr.Powersは、どこかに電話を掛け、暫くすると数名のアメリカ人とアジア系の人が彼のオフィスに入ってきました。数カ月先には、一緒に研究する仲間たちでした。Dr.Powersは、彼らに来年4月からラボに来るSusumuだと言ってくれました。彼らも自己紹介をしてくれました。体の大きい二人が一人がSamでもう一人もSam。ラボには、Samが二人いるのでした。Sam二人はその後の留学で、本当に助けてくれた現在の親友アメリカ人のエリートSam Wardと台湾人のエリートSam Chenでした。

 何か聞くことはないかと聞かれ事前に書いた質問分のアンチョコを彼に見せました。It is nice to meet you.から書いてある私のアンチョコを見て少し笑っているようでした。Visaと住む所について聞きました。Visaには、ピンクスリップと呼ばれるIAP66という書類が要ることを伝え、寮に入ることができるか聞きました。ラボの皆は自分でアパートを借りているとのことでした。昨日、Pasadenaに行ったことを伝えた所、Pasadenaは良い所だと教えてくれ、ラボの皆はどこに住んでいるのか聞いた時もPasadenaと言われました。ラボの皆は、Pasadenaに住んでいると思っていましたが、留学後ラボの皆と親しくなるとPasadenaは自分だけと気がつくのでした。

 そして、バイオメカニクスラボの見学に行きました。広い空間にカメラが6台あり、今までに見たことのない研究施設でした。2001年当時に、日本でも3次元解析システムVicon(バイコン)は、あったようですが使ったことも見たことも私はありませんでした。日本ではこのような研究が出来ないのかと聞かれ、できないと(正しくありませんでしたが)答えました。

 今にして思うと、まさに私が研究したいと言った内容とDr.Powersの所の博士課程の学生二人(Sam Wardと今回は登場しなかったSusan Sigward)が実施する内容が密接に関連していて、私がアメリカに研究留学に行く時と彼らが研究をスタートさせる時と見事に一致するのでした。留学をして慣れて来た頃、ラボの皆はこの二人の研究の開始に合わせてSusumuは来たと思っていたことを知りました。本当は、留学の1年半前に辞めることを決め、3月に退職することが一般的なので必然的に決まっただけの時期でした。

 

September eleventh 1

2009-06-08 | 研究留学回想録
 2001年9月11日。今日は、Dr.Powersとのインタビューの日です。これで、私の研究留学が実現するか振り出しに戻るかが決まります。夜は普通に眠ることが出来ましたが朝から異様な緊張を感じていました。10時からインタビューです。朝はそんなに慌てなくても時間は十分ありました。テレビのスイッチをオンにしてみるとどのチャンネルもニュースのようでした。

 繰り返し映る映像は映画のワンシーンの様で、ニュースの中のその映像が現実のものとは理解が出来ませんでした。ニュースの詳細が分かるような英語力もありませんでしたが、ただ繰り返される飛行機がビルに衝突する映像から、予想が出来ない大変な事が起きていることは察知できました。もう一つ、なぜか真珠湾攻撃の映像が流れていました。この事件と日本人が何か関係あるのだろうか。日本バッシングが起こるのだろうか。不安は高まりました。後から分かりましたが、アメリカが攻撃された出来事として映像を流していたようでした。その時は、その映像で更に緊張が増しました。

 部屋を出てホテルの一角にあるHISのデスクに向かいました。既に多くの人が集まっていました。いろいろなオプショナルツアーがキャンセルになっていたようです。とにかく、何が起きているか分からず、デスクの人に聞いてやっとそれが、ニューヨークで起きたテロと分かりました。ホテル内も当然、非常にピリピリとした状態でした。

 東海岸で起きた大惨事ですが、西海岸でも当然厳戒態勢となっていました。今日はホテルからでないようにデスクの方から言われました。これでは、Dr.Powersに会うことができない。Dr.Powersは、日本から来た私のために大学に来てくれているのだろうか。どうして良いか分からず、ただ可能ならば会いたいという思いで、デスクの方に事情を話した所、Dr.Powersのオフィスに電話を掛けてくれました。なんて親切なんだろうという思いと電話も掛けられない自分の情けなさを感じていました。すると、Dr.Powersは大学に来ているとのことでした。

 覚悟を決め、借りておいたレンタカーに乗り、下見の通りUSCのHealth Sciences Campusに向かいました。途中、LAのCivic center周辺(行政機関が集まっている所)は、Police carが道を封鎖し厳戒態勢になっていました。Civic centerを横にみながら、Down Townの1st streetを東に走りました。

 下見どおりUSCに無事につき、入り口の守衛さんにDr.Powersに会いに日本から来た、Appointmentも取っていると言ったものの掛け合ったもらえず、印刷してきたDr.Powersの写真をみせ、「この人だ」と伝えました。しかし芳しい返事が返ってきませんでした。さすがに駐車場ぐらいで引き下がるわけにはいきません。ちょうどその時に、守衛室に立ち寄った女性がDr.Powersの写真を見て私が案内するわと言ってくれました。敷地内の有料駐車場に車を止め家内と二人でその方の後をついていきました。まず、Faculty officeの受付で駐車許可の紙を車に張ってくるように言われた。そんな受付でのやり取りの時に顔を出してくれたのが、インターネットでみた事のある顔、Dr.Powersでした。It is nice to meet you.のあいさつをした後すぐに車に戻り黄色い駐車許可書を車のフロントに張ってきました。

 構内には学生もたくさん歩いていて先ほどのCivic center周辺の厳戒態勢がうそのようでした。

 オフィスに戻ると彼の部屋の横の椅子で少し待っているように言われました。なんとなく流れで夫婦二人で待っていました。暫くしてDr.Powersが部屋に入るように言われ部屋に入りました。家内もどうぞと部屋に通されました。Dr.Powersと我々夫婦二人が向き合い椅子に腰掛けました。いよいよ研究留学の可否が決まります。英語はできないけど留学したい思いはしっかり伝えたい。はたして留学の可能性は”Perhaps"なのだろうか。