太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

出発と入国

2009-12-29 | 研究留学回想録
 3月末は、忙しく過ぎていきました。多くの方々に送別会をやって頂きました。職場、友人、バスケフレンドなど。

 Visaは3/16に届きました。出発2週間前ですが届くまでは、ハラハラしました。

 3/28。家内の実家の幸田町のさくら公園に桜を見に行きました。まだつぼみでした。とてもきれいでしたがなにか寂しさも感じました。

 3/29。仕事納めをしました。12年間豊橋市民病院でお世話になりました。

 4/2。送別で友人に買ってもらったスーツケースに荷物と期待と不安をつめて私の兄貴に名古屋空港まで送ってもらいました。前日は私の実家に泊まり、朝出発しました。母親の目には涙がたまっていました。過保護な両親としては、33歳の息子が始めて手の届かない所に行ってしまう気がしたことでしょう。感慨深い別れでした。といっても2年間で途中帰国の予定もありましたが。

 空港では、義父も見送りに来てくれました。ハプニングとしては、一つの古いスーツケースの取っ手が外れてしまいました。いやな兆候でした。幸い、ねじの締め直しで戻りましたが、とにかく重いために不安です。見送りの兄と一緒についてきた姪たち、義父と別れを告げ出国しました。

 名古屋空港からインチョン空港で乗り換えLAに向かいました。インチョンでは、ビビンバを食べ、Korean airlineの機内食もビビンバを食べ、いよいよ入国です。ここで忘れ物のチェックをしてもどうしようもありませんが、最終チェック。いよいよ入国審査です。入国目的はsightseeingではないので、少し説明をしました。つたない英語でUSCで研究といったと思います。Visaの張られたパスポート、IAP-66を審査官は見ています。不備があれば入国できないのでしょう。しかし、意外とあっさり(普通かもしれませんが)入国できました。ものすごくうれしい瞬間でした。(こちらも普通のことでしょうが)

 さて、日本から予約してあったさくらレンタカーに空港の無料電話で連絡をして迎えに来てもらいました。(ちなみに今は無料電話はなくなっていました。)車はカローラで宿はdowntownにあるキッチン付きのホテルカワダに泊まりました。日系ばかりです。とにかくまず、社会保障番号(SSN:social security number)がアメリカで生活していくには必要です。Downtown近くのSSNオフィスに向かいました。パーキングメーターへのパーキングも初めてでした。オフィスの前には銃を持ったセキュリティーの人が立っていました。さすがにビビリます。受付をしようとすると、一つ忘れ物をしたことに気がつきました。Pasadenaに住んでUCLAに留学されているS先生の住所です。我々は、住所がないためSSNを仮の住所に送ってもらわなけらばなりません。事前にS先生にはその旨を頼んでありました。家内をそのオフィスに残して、一人ホテルに戻りました。無事、SSNの申請を終えました。その日の夜は、日本から持って行ったサトウのご飯とレトルトの牛丼?を食べました。いつもならビールですが、本日はなし。いよいよ、明日からLAでの生活の準備が本格的にスタートです。   

年末と論文の書き方

2009-12-29 | 研究室
 12/22に本年最後の講義「病態運動学:歩行障害」を終えました。アメリカ留学時代にMechanism of human gaitというUSCの講義に参加しgaitが学問として体系化されていることに驚きました。当校でも赴任以来少しずつ歩行(gait)の講義をさせて頂き毎年バージョンアップしています。

 12/24。リハ工学センターで本年実施した研究のデータを更に詳細に検討するため、床反力のデータを分解しかつ関節中心とCOP(足裏の圧中心)の2次元上の距離の変化を検討しました。4年生は、これで国試の勉強をしてもらうため、3年生にデータ解析を手伝ってもらう予定です。

 12/28は、大学を休み、通勤時間を節約して自宅で本年の仕事をまとめて整理する予定でしたが、娘が風邪を引き結局、病院に連れて行くことと子守で終わりました。

 さて、昨年の卒業生で太田研究室OBの相本君が論文を投稿するところまで来ています。提出する所になって細かくみていくとなるほど自分の指導不足の点をいくつか感じました。
①共著者のサイン:早めに気がついて作成しておけば良かった。
②参考・引用論文:論文名はMEDLINE/PubMed journal abbreviations(略語)を使用することが一般的です。フルスペルのものもあります。また、難しいのは,.:;は使い分けられていますので細心注意が必要です。また、引用論文のみや英語論文の共著者が複数の場合のet alなどイタリック(斜め文字)にすることが多いです。
③カバーレター:編集室もしくは編集長宛てに「このような論文を投稿させて頂きますのでよろしくお願いします」という目的で書きます。他に掲載されていないこと倫理上問題のないことなども私は記載しています。また簡単な内容を記載して、貴誌の読者に重要な情報となりますというような点も書くこともあります。英語論文ではカバーレターは随分と重要視されています。


久しぶりのランチョンミーティングと卒論と雪

2009-12-21 | 研究室
 なんとなく、一段落した14日(月)。午後から時間を取って英語論文を再び書き始めました。いつも思うことで、かつ論文の書き方本にも書いてありますが、論文の背景を書くことは、非常に難しいです。研究を実施する前に決まっている、つまり動機のような部分ですが、それを論理的に書くことが難しく、後回しにして方法と結果から書き始めました。今週は(12/14-18)、少しずつ時間を見つけ考察の一部まで来ました。細かい事も後回しにしているので、まだまだ時間がかかりそうです。英語論文を書くことが、どれほど大変かを味わっていますが、これを一生やっていくかと思うと、いつも何かに追われた受験生のような感覚になります。一生、受験生はいくらなんでも辛過ぎますが。慣れてくるでしょうか?
 
 12/15。久しぶりに太田研究室のメンバーがそろいランチョンミーティングをしました。4年生のデータを3年生が解析する話と統計処理も4年生が今回行ったものを3年生が4年生の指導の下行ってみることにしました。また、3年生にそれぞれのテーマを持っているかの話をしました。来年3月が中間発表です。ToMoCoさん(3次元動作解析装置)とは、それまでには親しくなっておきたいところです。3年生は3限の講義があったため4年生にお願いしてポールウォーキング研究のデータ処理を行いました。さすがにデータ処理には慣れてきたようで、スムースに行ってくれました。8月から11月で実施したポールウォーキング研究の結果を参加して頂いた方々にお渡しする約束をしており、何とか年内に個人結果をまとめてお渡ししたいと思っていますが、システムになっていないためすべて手作業で大変です。

 16日は、臨床経験9年ほどのPTの方で留学二興味がありその相談を受けました。自分も留学しようと思ってから実際に行動に移すまで5年ぐらいかかりました。留学希望者には、自分でも出来たのだから皆できることと、行って来ることに価値があって、向こうで特別に何かを得ようとか、業績を残そうと思い過ぎないことをアドバイスしています。私がアドバイスされて良かった事を自分も言っているだけですが。

 17日は、豊橋市民病院で兼業し、その後スタッフと書いている論文の校正をしました。本年度中に全く異なる論文で4本の投稿予定です。うち2本は英語のabstractが必要なため、first authorの方に書いてもらい、自分が少し修正し(あまり必要がないようにも感じていますが)、業者に校正依頼をかけています。それでも、英語を書いておけば、日本語からお願いするよりも、半分ぐらいの値段になります。書くだけ書いておいた方がお得と思います。ただ自分が何を言いたいかが相手側がわかないとひどく違う内容になってしまいます。

 18日。4年生は卒論提出日です。太田研究室の3人とは比較的早い段階から5回ぐらいのやり取りはしているので、慌てることはありませんでした。時間があると考えすぎていろいろと問題点も見つかってきます。問題点が見つかる事は良かったことと考えていますが、後から私が細かいことを言うのでそれなりに学生は大変だったと思います。午後からは、4年生は国試の申請書を記載していました。今年は担当ではありませんでしたが、毎年恒例で国試の申請書を書く日に名大理学療法研究会の説明と入会案内をしています。1学年20名と少ないため今も縦のつながりが強く名大の良い所であります。

 19日。厄年会である申酉会の忘年会でした。家内が試験で大阪に行っていたため、実家の両親や兄貴家族に娘をみてもらい参加しました。厄年の仕事も秋のお祭りが終わり、次は12/31から元旦にかけての振る舞い酒ぐらいです。来年の後厄が終わるとすべて終了ですがその後も忘年会は継続することとなりました。それにしても朝から雪の降った寒い一日でした。幸いタイヤは先日スタッドレスに替えていたため、雪はあまり気にせず走ることができました。


留学の準備4

2009-12-13 | 研究留学回想録
 久しぶりの研究留学回想録となります。

 あて先の書いていない海外ユーパック荷物を作った話は、以前書きました。その他の荷物ですぐに必要なものは、スーツケースです。なるべくスーツケースに入れて、荷物の郵送費は浮かしたいと考えました。明らかな重さは忘れてしまいましたが、スーツケース一つが32Kg以内で一人につき2つ良かったと記憶しています。(現在は重さなど異なるようです。)夫婦2人で30KG×4個の約120Kgです。ものすごい重さでした。それとは別にナップサックにPCなどを入れて持って行くという手段を選びました。

 アメリカに着いてからのことは、また改めて書きますが、まず生活の準備をするにあたり、キッチンのあるホテルとレンタカーの手配をしました。共にLAのDowntownの日系のところを選びました。

 引越しは、引越し屋が忙しい3月下旬よりも少し前の3/18に頼みました。比較すると自分たちの量とそれぞれの実家に荷物を持っていくという条件では、かなり金額差がありました。もちろん一番安いところにお願いしました。それまでは、ダンボールに囲まれ生活をしていました。

 引越しからアパートの引渡しの3/27(水)までは、大変不自由な生活でした。私の仕事納めは3/29(金)でした。アパート引渡し後は、それぞれの実家に100kgほどのスーツケースを抱えて移動し生活をしました。

 海外引越しは本当に大変です。

第40回スポーツ傷害予防研究会

2009-12-13 | 研究室
 本日、豊橋市カリオンビルで第40回スポーツ傷害予防研究会がありました。私は自分の受傷経験よりハムストリングスの肉離れ後の慢性痛に対する治療の話をしました。以前、自分の患者さんで同様な症状で来院されどのように治療するかを聞かれ、ストレッチ、筋力強化、物理療法というオザナリな話をし、その後来院されなかった経験があります。しかし今は試してみたいことがあります。その内容で、参加者と話しをしてました。その他の症状にも応用できる可能性があり、臨床時間の少なくなった私は、治療に応用する機会が減っているため本日参加して頂いた方に臨床応用してもらい、印象を聞きたいものです。

 また、本研究会は理学療法士以外のスポーツに関わってみえる方々も参加して頂いているため、それぞれの立場で意見も聞かれます。本日は、膝周辺のツボの話も面白く聞かせてもらいました。

 本研究会もついに第40回を迎えました。今後も細々と続けていきたいと思っています。なお、本日は太田研究室OB2名と同期の1名が参加してくれました。他にはない面白い研究会と思ってくれたのではと思います。