太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

自動車購入

2010-01-31 | 研究留学回想録
 2002年4月5日。LAのDown TownのカワダホテルのチェックアウトをしてPasadenaに向かいました。Pasadenaでは、昨日契約したアパートの近くにモーテルがあることは、確認しておいたので、本日からはそこを宿泊先にすることにしました。9日までの4泊をお願いしました。モーテルの名前はPasadena innと言って、隣にタイレストランもありました。留学中も気に入って時々、そのレストランは使用しました。

 今は、レンタカーのカローラに乗っています。今日は、我々の留学中の愛車を探しにガーデナまで行きました。いろいろと自動車販売店はあるものの、途中で故障しない日本製のものと決めていました。最初は、S先生の紹介で日産のディーラーに行き、車を見せてもらい、失礼ながらそこでトヨタのディーラーの場所を教えてもらい、そちらに向かいました。アメリカに行く前は、カローラの中古もしくは安全(故障しない)のため新車をと考えていました。しかし、カローラはフルモデルチェンジしたところで、日本では考えられませんがプレミアが付き新車も定価より高くなっていました。ただ、Pasadena freewayを走っていてカーブが多く、カローラでは少し安定感がないことも感じていましたので、可能ならばワンランク上のカムリも見せてもらいました。もちろん中古です。毎週特別車を今週限りと言った感じで売っているようで、掲示が出ていました。3年落ち(1999年式)のカムリで値段は15,500ドル当時のレートで200万円近い額でした。試乗はさせてもらい、その辺を走っただけですが安定感は感じました。我々は、見るだけと思っていましたし、お金も用意できていませんし、保険のこともあります。しかし、対応してくれた日本人のスタッフは、今日決めないと売れてしまうというような勢いでした。お金や保険の話をすると、お金は昨日開いた銀行口座を開いた時にもらったtemporaryのcheckで良いと言われ(後日チェックで払う約束で)、保険はサービスで1か月フルカバーのものを付けてくれると言うことでした。どちらにしても、車は必要ですし早く買えば今借りているレンタカー代もうくので、購入をする事に決めました。驚いたのは、この後のことです。

 車の購入を決めたら、車を今日持って帰ってくれと言われました。既にあなたのものなので、ここにおいていて何かあっても保障できないというのです。確かに今契約をしました。辺りも暗くなってきたので、明日また出直して明るくなってから取りに来たいと言ったのですが、置いておく車が心配と言われ困りました。家内も少ししかアメリカで運転していませんし、道もよく分からず、何よりも暗くなっている事が心配でした。しかし、Pasadenaまでは、110(freeway)で北上して行けばそのままPasadenaまでいけます。Pasadena freewayは、Pasadenaで終わりその道がそのままArroyo Parkwayという道の名前になります。そして我々の今日泊まるPasadena innは、そのArroyo沿いにあります。モーテルの立地はアパートに近い意外は考えていませんでしたが、地理的にも分かりやすい立地でした。とにかく110に乗れば何とかなりそうと家内との話になりました。

 さて、家内はカムリ、私はカローラでガーデナからPasadenaへ出発です。とにかく、ゆっくり走るので、後をぴったりついてくること、親切に他の車を間に入れないこととして発車しました。発車して、すぐに後を見ましたが、フロントライトがどのような形か良く分からず、着いて来ていると思いました。次に信号で停まった時に、後ろを確認するとトラック(?)か何かで明らかにカムリではありませんでした。路肩に止めて待っていて、家内が抜いていくかもしれないし、しかも3(もしくは2)車線は車が一杯で、身動きが取れません。もうすぐ、freewayに入る道に行くため、右折をしなければなりません。家内は分かっているのだろうか。ここで、はぐれては方向音痴の家内はどこかに行ってしまいます。しかも、既に真っ暗になっていました。取りあえず、祈るような気持ちでゆっくり車を走らせました。右折も近づいています。次の次の信号で右折です。まだ真ん中の車線にいました。目の前の信号が赤になり、停まりました。バックミラーで見ていたのですが、その瞬間後ろにいた車が、一台は右に、一台は左へ、一台はまた右にと車線を変えて私の車の後ろがなぜかスッと空きました。その時、モーゼの十戒で目にする海が二つに分かれていくようなイメージが頭の中に浮かびました。そこへ、カムリらしいヘッドライトが近づいて来ました。バックミラーでも家内が運転していることが分かりました。窓を開けて、手を振ってお互い確認をしました。すぐに右折することを伝えました。会えたと言う(大袈裟ですが)、うれしさが込み上げてきました。しかし、まだ45分ぐらいはFreewayを走らなければなりません。手は汗で、びっしょりでした。赤信号から発車すると同時に右へより次の信号で右折しました。
そして、暫く走ったあと再度右折し110(ちなみにワンテンと現地の人はいいます)に乗ることができました。家内も着いてきています。4から5車線の真ん中辺りをゆっくり走りました。車線が多いので、誰もプレッシャーをかけたりはせず、豊富な車線を利用して抜かしていきます。Down Townの分岐のところで渋滞し、その分岐が少しややこしいので緊張しましたが、Pasadena freewayに無事に乗ることができました。後は、本当に道なりに走るだけです。道中ずっとバックミラーでカムリのフロントライトを確認していたので、ライトでカムリであると認識をすることもできるようになって来ました。Pasadena freewayを降りてArroyoに入りました。あと、500m程でPasadena innです。Pasadena innが見えてきました。右折の合図を出すと後のカムリも出します。Pasadena innに到着。車から降りて、抱き合いました(日本語で書くと恥ずかしいですが、ハグです)。大袈裟かと思いますが、日本ではまず感じなかったと思いますが、当事者は夫婦で何か成し遂げたチームとしての達成感のようなものをこの時感じました。

 その夜は、グタグタに疲れていて夕食は隣のタイレストランに行きました。さすがに、今日はビールで乾杯しようとビールを頼みました。アサヒスーパードライがありました。乾杯!
 

3つのmeeting

2010-01-31 | 研究室
 1/29(金)。今日は、午後から3つのmeetingがありました。AMは27日に修理で出したPCが10:30に戻ってくるのを待っていました。PCがないと、仕事が本当に進みません。

 13:30から太田研究室の学生と彼らの卒研内容について話をしました。以前から、話し合いはしており、学生も文献検索をしてきていました。ここに来て(以前から構想はありましたが)、アイデアがいろいろと浮かんできました。また、来年度より本大幸キャンパスにMRIが研究用に入ります。アメリカ留学中もMRIと3次元動作解析を組み合していましたので、何とか日本でもと思っていましたがそのチャンスが来そうです。今の3年生にもMRIと3次元動作解析の両方のデータを用いる研究をテーマに選べるか検討することにいました。私はもちろん、学生たちも(?)面白そうなテーマに研究が楽しみになってきました(と思います)。1時間半ぐらいの時間があっという間に過ぎていきました。

 17時からは、名大リハ部のスタッフと名工大の院生と研究打ち合わせをしました。ジャイロセンサーを使用し、どのようなことができるか、どのような視点があるかを話し合いました。我々の臨床のアイデアと実際の病院という現場と工学部の計測技術を生かした研究ができればと思います。こちらも、1時間半があっという間の有意義な時間でした。

 19時からは、岐阜大学リハ部のスタッフで以前から親しい先生と当校卒業生も加わり研究打ち合わせ兼飲み会をしました。岐阜大学病院は3次元動作解析装置があり、3Dデータを臨床の場で取ることができます。そのため、アイデアだし(対象と方法)と言っても私からの提案ですが、一度実施してもらうこととなりました。こちらも気がつくと21時40分でした。19時の時点では、停まっていた新幹線も豊橋行きのこだま10:14は、通常時間で運行をしていました。助かりました。

 午後から喋り尽くめの1日でした。のどガラガラでした。

Panama

2010-01-27 | つれづれ
 今日は、夕方青年海外協力隊でパナマに2年間行っていたKさんを囲んで行われた食事会に参加してきた。Kさんの目の前に座らせてもらい楽しく話をしてきました。

 彼女も2年間大変苦労したようでしたが、行って良かったと言っていました。彼女は、自分が居なくなっても何かそこに残るようにシステムを考える良い機会をもらったと言っていました。私も、同感です。私をいつもサポートして頂いている整形外科医のO先生は、20年前から「システムを作る人が偉い人」と言ってみえましたが、その意味がやっと分かるようになりました。これは、私が学生に伝えたことの一つです。

 私の分野の話では、日本人で膝の悪い人の多くはO脚ですが、パナマでは圧倒的にX脚が多いとのことです。アメリカ人もそうですが、何がそれを規定しているのか知りたくなります。

住居決定とBank acount

2010-01-23 | 研究留学回想録
 2002年4月4日。昨日、探したアパートは白紙となりました。本日は、Pasadenaに住むS先生の奥さんが助けてくれるということで、レンタカーで再度Pasadenaに行き一緒にアパート探しをしました。住みたい辺りを歩いてFor rentと書いてあるapartmentで部屋を見せてもらいました。大きなアパートが多く、管理人も常駐している所もたくさんありました。良さそうなところは、やはり値がはります。ベランダでBBQをやりたい私としてはそのような設備にかなり目が向きました。良い所はどこもプール、スポーツジムがあります。我々としてはなくても良いので安くして欲しい限りです。
 
 私が日本で調べて行ったアパートにも行きました。Del Mar Bluv.(Boulevard)沿いのOld town Pasadenaに近い辺りです。ちなみにアメリカでは、このBlvd. St.(street)Dr.(Drive)などが住所になになに通りとして使用されます。ロケーションは抜群でfreewayにも近く、申し分ありません。後は部屋を見る事と値段です。事務の方はシシリアというおばさんでした。日本の沖縄に居たことがあるということで、挨拶程の日本語をしゃべっていました。ちょうど空いている1BR(ベッドルーム)があるということで見せてもらいました。2Fの通りと反対側です。静かでlivingも広く大変気に入りました。値段は1299ドル。その当時の日本円で18万弱です。家内は、私が1200ドルまでと決めていたのでここもダメと思っていたようです。しかし、昨日見た所は家内が気に入っていないことは分かっていました。今日の所は随分気に入っているようでした。気に入って住むか、そうでなくて住むかは、大きな違いでしたので、そこに決めようと一旦、保留にしてアパートを出ました。さて、アパート借りるには、銀行口座を開かないといけません。SSN(ソーシャルセキュリティナンバー)も必要です。そして、住所も必要です。アパートを出た足で、S先生の奥さんにお昼をタイレストランでご馳走になりました。その後、銀行口座を開くため、近くにありアメリカで最も大きいBank of America(BOA)に向かいました。片ことの英語でしたが、ちょうど支配人(名前はNora)が親切に担当してくれ、無事に口座を開く事ができました。Noraは、その後も銀行に行くといつも声をかけてくれました。さて、口座を開いた時の住所は、まだ契約していない先ほどのアパートを書いておきました。口座か開け、temporaryのcheck(小切手)をもらいました。銀行口座が開けたので、そのまま先程のアパートに行き、deposit(契約金)を払い、何枚にもなる契約書にサインをしました。読んで理解することは不可能な契約書ですが、一応読む振りはしました。これで、住居は決定です。しかし、入居はまだ部屋の清掃や壁の塗り替えのため5日後の4/9となりました。

 さて、本日でLAのdowntownのホテルの宿泊も最後です。明日からはPasadenaのモーテルに入る予定です。本日で随分とアメリカ生活の基盤準備が進みました。

2010,1/18-22の週

2010-01-23 | 大学
今週(1/18-1/22)は、1/24に行うNPO愛知県理学療法学会研修セミナーで1時間半話をする最終の準備をしました。結局、スライドは自分なりに整理したものの、自分の研究室の研究結果を加味し、臨床研究のエッセンスを加えたところやはり130枚ぐらいになってしまいました。その中にも加えましたが、研究の整合性を良くする一つの考え方で背景の末尾とまとめの整合性をあわせることに配慮すると研究全体のまとまりが非常に良くなります。24日、日曜日にもそのことを加えるつもりです。また、今回の件でいろいろ調べていく中で、Medlineで検索する時に単語の後に*をつけるとその語を変形した場合も考慮され、より広く検索できることを知りました。これも、お得な情報として24日に入れるつもりでいます。時間の関係で、動画をし使用するか分かりませんが、動画はUSBで移動した時にうまく作働しないことが多々あります。結局、USBでと思いましたが、PCを持っていくことにしました。

 本年度、名大保健学科ではじめての大学院ベーシックトレーニングセミナーを実施します。大学院の学生が、保健学科の専攻横断的にいろいろな研究スキルを身に付けることを目的にしています。医学科では、既に実施されています。私は助教ですが、私が2次元および3次元動作解析について1日かけて講義と演習を担当します。私がと言っても今回は非常勤で強力な助っ人をお願いしています。リハ工学センターの鈴木氏と3次元解析装置のプログラム開発をされている東総システムの日下氏に協力をして頂きます。看護の院生さんも多く受けて頂くため介護動作を盛り込みます。2次元では限界がありますが、上半身の重心位置をマークし、膝関節角度、股関節角度と重心位置の関係から関節モーメントまで考えられることを演習する予定です。昨日、リハ工学センターに行き打ち合わせをしてきました。演習を目的にしていましたので、当初5名定員でしたがその倍以上参加して頂く予定です。なんとか有意義なものにしたいと思っています。

 自分の日本語論文の校正は、今週はあまり進みませんでしたがなんとか方向性は定まりましたので、来週頭に修正を完了して提出予定です。以前も書きましたが、revisionの再提出にもカバーレターが必要です。

 1/20(水)は、夕方より豊橋創造大学で約1年半ほど実施して来た膝関節装具に関する研究の話し合いをしました。データ収集は2月中旬で終了し、その語急いでまとめる事になりました。苦労しながらもチームでやって来ました。もう少しです。被験者の方が患者さんで場所を変えてデータ収集をする大変さを痛感しました。Nは多くありませんが、目標に近づいています。

 プライベートでは、風邪を引いて鼻水と咳の出る娘を夜、毎日のように耳鼻科に連れて行きました。鼻水をしっかり取ってもらうとやはり咳は減ります。