太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

東海北陸学会

2009-10-31 | 研究室
 10/31,11/1で岐阜の長良川で行われている東海北陸理学療法学会に参加しています。

 岐阜には、あまり来たことがなく遠い印象がありましたが、名古屋から快速で20分ぐらいでした。そのため新幹線を使うと約1時間で岐阜までこることができます。いつもの通勤より近いぐらいです。

 さて、朝のプレコングレスから参加しました。心臓の血管が一度、先に狭窄や梗塞を一次的に起こさせると、実際に梗塞になった時の心筋の壊死が抑制される話でした。それらの現症はischemic preconditioningと呼ばれています。初めて聞く話で、新鮮でした。研究は、動物実験ですが、ヒトにおいても狭心症を発症した後に心筋梗塞を発症した方が、心筋梗塞の初回単独発症よりも心筋壊死の範囲が狭いということです。

 今回、私は座長の仕事がありました。私の関連した発表は今回4題あり、3題が10/31でした。しかしながら、私の座長とその3題は同じ時間で全く彼らの発表を見ることはできませんでした。

 太田研究室OBの新米PTの2名が発表をしました。感想は、緊張し手が震えマウスのワンクリックができなかったそうで、また質問にうまく答えられなかったとのことでした。自分も初めての学会では足ががたがたと震えたことを思い出しました。夜は、岐阜大学の服部先生も交えて、研究談義に花が咲きました。OBの二人もホッとしたようで楽しいひと時でした。


発表前の緊張した二人。


岐阜大学病院の服部先生とお疲れ様会後、岐阜駅近くの43階建てビルの展望台で男4人で記念撮影。

ザリガニと友人 in LA

2009-10-30 | つれづれ
 先日、娘がザリガニの3匹入った水槽の中を指差して、何かいるといっていました。その指している先を見るとなんとザリガニの赤ちゃんがいました。よく見ると15匹ぐらいいました。小さくても、ハサミはちゃんとあります。

 どうも何日か前に生まれたと思われますが全く気がつきませんでした。既に共食いなど?で淘汰されてしまったようです。3匹の大きいザリガニに食べられてしまうといけないので早速、水槽を買いに行きました。我が家には水槽が2つになってしまいました。ザリガニの赤ちゃんは、食欲が旺盛で、自分より大きい小女子も抱えて食べています。脱皮も既にしているようで見る見る大きくなっています。このままでは我が家はザリガニだらけになってしまいます。

 さて、先週の土日で東京の友人の所に行って来ました。LAの留学友達で私たちと同じアパートに住み、苦しくも楽しい留学時代を共にした人達です。小児科の医師で現在は慈恵医大のDNAの研究センターにいるそうです。友人の家族は子供3人の5人家族で、アメリカに来た時は、子供たちは6歳、4歳、1歳でした。今は一番下の女の子は小学2年生になっており、家の娘をずいぶんかわいがってくれました。娘も初めて皆さんに会うのに不思議とすぐに溶け込み、特に友人の先生にははじめて会った時から「ねえねえ」と話しかけていました。子供たちが寝てからも夜の2時まで留学の話で盛り上がりました。こちらの家族もまた、我々の留学の財産です。

卒研とToMoCo

2009-10-30 | 研究室
 太田研究室の4年生3人も卒研のデータ収集を終え、解析をしています。研究を開始する前に研究デザインを決め、研究を実施するのですが、解析をしていく中で少しデータの見方を変えることはありますが、今は正にどのような結果がでるか、データの解析をどのようにしていくか、必死になっている時です。11/9が助教の3研究室で読み合わせをします。その前に太田研究室では11/4に読み合わせをします。しかしその前には、その練習も必要です。なんとか統計の方向性までは見えてきました。SPSSの入ったPCとその解説本を学生に貸してあります。個々のテーマは違いますが、3人で協力し合って統計処理をしていることと思います。11/9の後は、リハ工学センターで読み合わせを行い、11/25が発表の本番となります。あと1ヶ月をきりました。

 さて、太田研究室に入りました3次元解析装置ToMoCoのマニュアル作りを3年がしています。なんとか、使えるようになって来ました。ToMoCoを作られた東総システムの日下さんに27日に大学に来て頂き、使用方法を再度、詳細にお聞きすると共に、私の欲しいデータ処理を相談し、プログラムを作ってもらうようになりました。システムはOff lineですので、解析に大変手間がかかりますが、いろいろと生データに近いレベルで欲しいデータが得られそうです。

 また、ひょんなことから英語雑誌のレビューを初めてしています。10/26に受けとり、2週間でコメントを返さないといけないためあと1週間しかありません。いつもは、自分の論文がrejectされてばかりですので、自分がレビューするのは不思議な気分です。しかし、レビューする立場に立つとまた自分の書いた論文もレビューする側でみることも少しはできそうな気がします。大変貴重な経験です。

 10/31、本日は夕方、県の産学連携のコーディネーターの方とと打ち合わせをしました。11/12締め切りの研究費申請で研究アイデアを出す事にしました。高齢社会をテーマにしたものです。英語論文のレビュー後は、こちらが待っています。

 明日は、東海北陸理学療法学術大会が岐阜の長良川国際会議場で行われます。私は座長で参加します。太田研究室のOB2名も始めての学会発表です。内容は卒研で発表した内容が中心ですので、十分に練られていると思います。しかし、私の座長と彼らの発表二つが別会場で同じ時間になったため見ることができません。残念ですが、しっかりやってくれるものと安心しています。夜、合流して打ち上げをすることが楽しみです。

留学の準備2

2009-10-23 | 研究留学回想録
 留学の準備は、その当時専業主婦であった家内がネットや本から情報収集し詳細に書き出してくれました。それにあわせ一つずつ進めて行きました。 

 先日書きましたIAP-66は待つしかありません。海外への引越しですが、家具などを持って行くわけには行きません。そのため、家財道具を両方の実家に持っていくことしました。また家内の祖父母が以前酪農をやっていて、そこの倉庫を使わせてもらう事になりました。我々は幸いそのように対応できましたが、トランクルームを借りるなどしなけらばならないと思いました。2年も借りると、結構な値段になると思います。乗っていた車は、自分の親に預けると言う形にし、税金はお任せしておきました。こちらも幸い実家の近くの方が駐車場を無料で提供してくれました。

 留学予定期間の2年間を健康で過すことは、最大の関心事です。年に1回の健康診断は受けていますし、30代前半でしたので悪い所も今と違ってまったくありませんでした。歯科のチェックは必ず受けなさいというのが留学前の必須となっており、受けましたが問題ありませんでした。

 国際免許が必要です。国際免許の有効期限は1年間で留学予定期間が2年ですので、アメリカで車のライセンスを取らなければなりません。また、実際にアメリカに住む場合は、3ヶ月までしか国際免許は有効でないと言う情報を得ていましたので、渡米後すぐにライセンスを取らなければならない(真相は不明)と思っていました。インターネットで試験問題の一部を手に入れましたが、あちらの日系の電話帳の裏に問題が載っていると言われ、しっかりメモっておきました。実際にそれで試験を受けました。

 航空券のチケットは片道になります。往復でないと売ってくれない航空会社もありました。我々はインチョンでビビンバを食べてアメリカに向かうようにKorea airlineを選びました。片道のチケットは、簡単には買えないようでした。

 アメリカでは、収入がないためとにかく節約しなけらばなりません。そのため、日本で入っている学会などを休会にしていく必要がありました。私のほうのPT協会は問題ありませんでしたが、家内のST協会は休会がないと言われ、退会をしていきました。

留学の準備1

2009-10-18 | 研究留学回想録
 Dr.Powersに留学の許可をもらい、いよいよ本格的な留学の準備です。

 面接前に購入した地球の暮らし方カリフォルニアを本格的に読みました。帰国する時にLAのbook offで売ってしまったので現在手元にはありません。とにかく、留学のスポンサー(私の場合はUSC)から、留学のビザ申請のためのIAP-66を出してもらい,日本でビザの申請をしなければなりません。Dr.Powersにはもちろんそのことを伝え「分かった」と返事はもらっているものの、インターネットで留学記のようなサイトを見ると皆さんIPA-66がギリギリであせったと言うものばかりでした。それが頭にあったため,そのこともDr.Powersに伝えてはありました。どうも留学が近くならないと出せないようで,留学の半年も前でしたがこのピンクスリップと言われる用紙のことが気になって仕方がありませんでした。

 さて、住む所は下見もしてすっかり気に入ってしまったPasadenaと決めました。しかしどのようにアパートを見つけるかは不明です。本やwebsiteによると日本人の不動産屋、自分で住みたいあたりを歩いて見つける、インタネットで探すなどでした。半年後も英語はろくにしゃべれない自信はありましたので、日本人の不動産屋さんに聞く予定にしようと決めました。ただ、どこかの情報でapartment.comのサイトを知り、変化のないサイトを留学までの6ヶ月間見まくっていました。留学前には実際に見てみたいところを数カ所コピーだけしておきました。また、住む所の情報としてやはり気になるのが治安です。zipcode(郵便番号)を入れると治安を数字で表してくれるサイトを見つけ、自分の希望する辺りを入れて検討をしたりしました。下見をした所良かったのですが、そのサイトでは少し治安が悪いと出てやや不安でした。しかし安全といった所はそのサイトではあまりないようでした。それはそれで不安材料でした。

 話は戻りますが、アパートの価格は月1200ドル(当時1ドル135円)で日本円で18万円弱です。今が1ドル90円とすると11万円弱。今の円高がうらやましい限りです。無給のため何とか安い所をと考えていましたが、安全と家賃は正比例し、またアパートの設備(プールやジムなど)も治安と比例するため、更に価格が上がっているように感じました。それでも、アパートをインタネットで探す事は楽しい事でした。ただ、自分の無知でしたが、アメリカの住居費は日本よりかなり安いと思っていましたが、それは地方の話でLAは、先ほどの1200ドルの部屋(1bed room:1LDK)でもPasadenaではお値打ちな方でした。留学に必要な予算の計算をするつもりで、出鼻から予想をはずしていました。

 さてもちろん職場にもその旨を正式に伝えました。辞めることは残念ですが、応援はするという形で理解を示して頂きました。また、結果的には無理でしたが、籍を残す形で留学できないか交渉もして頂きましたが、結局それは叶いませんでした。臨床から留学予定期間の2年間臨床を離れるかと思うと日々の臨床も何かとても貴重に感じました。それと留学が近づくにつれ、事故を起こさないようにという気持ちが非常に強くなったことを思い出します。