太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

September eleventh 2

2009-06-11 | 研究留学回想録
 Dr.Powersを目の前にして忘れていたことがありました。お土産を渡すことです。寄木細工のペンスタンドを渡しました。机の上にはペンスタンドはなく早速、使ってくれました。もう一つ、ラボの皆さんにとうなぎパイを渡しました。そしてこれはeel cookieだと言って渡しましたが、あまり嬉そうではありませんでした。うなぎクッキーでは、奇妙に思われたようです。

 さて、Dr.Powersから一般的な話で日本のどこに住んでいるのか、それは日本のどの辺りかなどを聞かれました。そして、いよいよ本題で、7/7に私が送った私のレジュメと業績を手に持ち、君は何をしたいのかということを聞かれました。自分の日頃の臨床の話をして、Dr.Powersの専門領域でもあり、私の興味のある膝蓋大腿関節(膝のお皿の関節)についての自分の研究を説明しました。自分の説明で通じるとは、思っていませんでしたので横浜で開かれた理学療法士の世界学会(WCPT)でポスター発表をした時のポスターを見せながら説明をしました。リップサービスと思いましたが、関心があるとのことでした。しかし、後からすると私がやっていた「膝蓋骨可動性の定量的評価」には、本当に興味があったのでした。また、経験はないもののスポーツ傷害に関する動作解析に興味があることを話しました。どの程度分かってくれたかは、不明でしたがそのようなことがしたいことはなんとなく分かってくれたと感じました。その後、自分たちの研究はとてもハードワークだけど大丈夫かということと、特に無給で本当に良いのかということを重ね重ね聞いていました。ハードワークも無給も、no problemと答えました。

 このようにやり取りを書くとスムースなようですが、相手の言っている事がよく分からず、私の言っている事も分かってもらえない場面が多々ありました。英語のレベルは同じぐらいの家内は黙って聞いているつもりだったようですが、黙っていられなかったようで、途中から一生懸命援護をしてくれました。心なしか途中からDr.Powersは家内のほうを向いてしゃべっているように感じました。家内もそのように感じていました。きっとそうだったのでしょう。

 そしてついにDr.Powersは私に言ってくれました。ここで一緒に研究をしよう。うれしく彼に握手を求めましたが、握手をしてくれませんでした。私の聞き間違いかと思い、研究留学は”Perhaps"ということ。Dr.Powersは私にもう一つ確認したい事があったのでした。それは3ヶ月間はお試し期間で、ラボの皆と協調性を持って仕事をしなければ、帰ってもらうという条件でした。意味はよく分かりませんでしたが、Yesと言わないと留学できないことは、分かりましたので力強くYesと答えました。どこの馬の骨かわからない英語もできない人間を自分のラボに入れるため、当たり前の条件と感じます。その返事後、Dr.Powersは握手をしてくれました。

 捨てたはずの紙切れからUSCのホームページを開き、そこに自分の興味と見事に一致するラボを見つけ、訳も分からず、手紙を書いてLAまで来てしまいました。そして、Dr.Powersは、研究留学を許可してくれました。うれしさが込み上げてきました。がしかし先ほどのハードワークと3ヶ月間のお試し期間が気になり、本当に自分に出来るのかという不安も込み上げてきました。

 Dr.Powersは、DepartmentのchairであるDr,GordonとDR.PowersとバイオメカニクスラボのCo-DirectorであるDr.Salemを紹介してくれました。そして、Dr.Powersは、どこかに電話を掛け、暫くすると数名のアメリカ人とアジア系の人が彼のオフィスに入ってきました。数カ月先には、一緒に研究する仲間たちでした。Dr.Powersは、彼らに来年4月からラボに来るSusumuだと言ってくれました。彼らも自己紹介をしてくれました。体の大きい二人が一人がSamでもう一人もSam。ラボには、Samが二人いるのでした。Sam二人はその後の留学で、本当に助けてくれた現在の親友アメリカ人のエリートSam Wardと台湾人のエリートSam Chenでした。

 何か聞くことはないかと聞かれ事前に書いた質問分のアンチョコを彼に見せました。It is nice to meet you.から書いてある私のアンチョコを見て少し笑っているようでした。Visaと住む所について聞きました。Visaには、ピンクスリップと呼ばれるIAP66という書類が要ることを伝え、寮に入ることができるか聞きました。ラボの皆は自分でアパートを借りているとのことでした。昨日、Pasadenaに行ったことを伝えた所、Pasadenaは良い所だと教えてくれ、ラボの皆はどこに住んでいるのか聞いた時もPasadenaと言われました。ラボの皆は、Pasadenaに住んでいると思っていましたが、留学後ラボの皆と親しくなるとPasadenaは自分だけと気がつくのでした。

 そして、バイオメカニクスラボの見学に行きました。広い空間にカメラが6台あり、今までに見たことのない研究施設でした。2001年当時に、日本でも3次元解析システムVicon(バイコン)は、あったようですが使ったことも見たことも私はありませんでした。日本ではこのような研究が出来ないのかと聞かれ、できないと(正しくありませんでしたが)答えました。

 今にして思うと、まさに私が研究したいと言った内容とDr.Powersの所の博士課程の学生二人(Sam Wardと今回は登場しなかったSusan Sigward)が実施する内容が密接に関連していて、私がアメリカに研究留学に行く時と彼らが研究をスタートさせる時と見事に一致するのでした。留学をして慣れて来た頃、ラボの皆はこの二人の研究の開始に合わせてSusumuは来たと思っていたことを知りました。本当は、留学の1年半前に辞めることを決め、3月に退職することが一般的なので必然的に決まっただけの時期でした。

 

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