太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

September eleventh 1

2009-06-08 | 研究留学回想録
 2001年9月11日。今日は、Dr.Powersとのインタビューの日です。これで、私の研究留学が実現するか振り出しに戻るかが決まります。夜は普通に眠ることが出来ましたが朝から異様な緊張を感じていました。10時からインタビューです。朝はそんなに慌てなくても時間は十分ありました。テレビのスイッチをオンにしてみるとどのチャンネルもニュースのようでした。

 繰り返し映る映像は映画のワンシーンの様で、ニュースの中のその映像が現実のものとは理解が出来ませんでした。ニュースの詳細が分かるような英語力もありませんでしたが、ただ繰り返される飛行機がビルに衝突する映像から、予想が出来ない大変な事が起きていることは察知できました。もう一つ、なぜか真珠湾攻撃の映像が流れていました。この事件と日本人が何か関係あるのだろうか。日本バッシングが起こるのだろうか。不安は高まりました。後から分かりましたが、アメリカが攻撃された出来事として映像を流していたようでした。その時は、その映像で更に緊張が増しました。

 部屋を出てホテルの一角にあるHISのデスクに向かいました。既に多くの人が集まっていました。いろいろなオプショナルツアーがキャンセルになっていたようです。とにかく、何が起きているか分からず、デスクの人に聞いてやっとそれが、ニューヨークで起きたテロと分かりました。ホテル内も当然、非常にピリピリとした状態でした。

 東海岸で起きた大惨事ですが、西海岸でも当然厳戒態勢となっていました。今日はホテルからでないようにデスクの方から言われました。これでは、Dr.Powersに会うことができない。Dr.Powersは、日本から来た私のために大学に来てくれているのだろうか。どうして良いか分からず、ただ可能ならば会いたいという思いで、デスクの方に事情を話した所、Dr.Powersのオフィスに電話を掛けてくれました。なんて親切なんだろうという思いと電話も掛けられない自分の情けなさを感じていました。すると、Dr.Powersは大学に来ているとのことでした。

 覚悟を決め、借りておいたレンタカーに乗り、下見の通りUSCのHealth Sciences Campusに向かいました。途中、LAのCivic center周辺(行政機関が集まっている所)は、Police carが道を封鎖し厳戒態勢になっていました。Civic centerを横にみながら、Down Townの1st streetを東に走りました。

 下見どおりUSCに無事につき、入り口の守衛さんにDr.Powersに会いに日本から来た、Appointmentも取っていると言ったものの掛け合ったもらえず、印刷してきたDr.Powersの写真をみせ、「この人だ」と伝えました。しかし芳しい返事が返ってきませんでした。さすがに駐車場ぐらいで引き下がるわけにはいきません。ちょうどその時に、守衛室に立ち寄った女性がDr.Powersの写真を見て私が案内するわと言ってくれました。敷地内の有料駐車場に車を止め家内と二人でその方の後をついていきました。まず、Faculty officeの受付で駐車許可の紙を車に張ってくるように言われた。そんな受付でのやり取りの時に顔を出してくれたのが、インターネットでみた事のある顔、Dr.Powersでした。It is nice to meet you.のあいさつをした後すぐに車に戻り黄色い駐車許可書を車のフロントに張ってきました。

 構内には学生もたくさん歩いていて先ほどのCivic center周辺の厳戒態勢がうそのようでした。

 オフィスに戻ると彼の部屋の横の椅子で少し待っているように言われました。なんとなく流れで夫婦二人で待っていました。暫くしてDr.Powersが部屋に入るように言われ部屋に入りました。家内もどうぞと部屋に通されました。Dr.Powersと我々夫婦二人が向き合い椅子に腰掛けました。いよいよ研究留学の可否が決まります。英語はできないけど留学したい思いはしっかり伝えたい。はたして留学の可能性は”Perhaps"なのだろうか。



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