令和元年6月9日(日)
愛鷹山の中腹にある風神社で「風の宮まつり」が開催されました。富士市の北部地域、かつて桑崎村、間門村、鵜無ヶ淵村、石井村、三ツ沢村が共同で設立した祠です。
(祠のある場所までは階段を上る)
(コケに覆われた祠)
今から180年ほど前の天保8年(西暦1837年)6月17日に建立され、祭神は志那都比古神(しなつひこのかみ)と志那都比売神(しなつひめのかみ)です。
祠の隣にある碑には次のように刻まれています。建立された時期は江戸時代後期世情不安の時、この地域には災害や食糧難のために多くの人が亡くなりました。そこで村人は、風の通り道といわれるこの地に「風の神様」を祀り、五穀豊穣と世の平安を祈祷しました。それからは、不思議と自然災害などは起こらず、多くの人が飢餓から救われました。また、明治時代には風神社の周囲は、現在の吉永第二小学校の学校林となり、校舎の資材や給食の薪として使われたといいます。
(由来を記した石碑)
朝起きたときの天気は雨が降りそうな曇り空で、愛鷹山に登るとなれば雨に遭う可能性が高いと想像していましたが、主催者からは決行という知らせが入り、急いで集合場所の桑崎公会堂へ。既に多くの地域住民が集まり、出発の準備をしていました。
主催者からの報告の通り、集合場所は青空が見え、寒いと予想して長袖を着てきたことを少し後悔しました。
参加者はおおよそ100人ほどで、少し高齢の方から小学生くらいまでが、その多くは徒歩で、また、足に自信がない人は送迎の車で、会場までの約2.5kmの林道を上っていきました。途中、汗がにじみ出るくらいの暑さでしたが、ハイキングにはちょうどいい道のりです。
(風神社までは2.5kmの林道を上る)
普段ゆっくりと話すことができない地域の皆さんとは、道中、様々な話題で盛り上がり、健康にもよく、郷土の歴史探訪は幾重にも得をした気分でした。
森を抜ける風は心地よく、特に風神社周辺は、先ほども触れたとおり、「愛鷹山の風の通り道」という表現がぴったりと当てはまる場所で、人里離れた森林の中ということもあり、神々しさを実感できました。
この地域の現在の呼び名は吉永北地区といい、この地区には古くから集落があり、このような歴史と伝統文化を漂わせる史跡が点在しています。鵜無ヶ淵神楽も無形文化財であり、地域の誇りです。観光という視点で、おすすめしたいスポットの一つですが、そのほとんどは余り知られていません。上手に活用できることも期待する一方で、地域の宝としてそっとしておきたいような気持ちにもなりました。
郷土学習会を兼ねたお祭りで、久し振りに良い汗をかき、ストレス解消の一日でした。
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