-自分の人生を否定された-
テレビを見ていたら、こんなコメントに出くわしました。悔しい気持ち、よく分かる気がします。そして、これから時が進めば進むほど、こう言いたくなる人々や場面が多くなるようにも思います。ただ一方で、そう言ってしまうのと同時に、自分とは何かという自分自身への問いかけも非常に重要だろうと考えます。
自分は何を為そうとしているのか、自分の存在意義とは何か・・・。それを突き詰めてもいないのに、被害者ぶるのは、ある意味でその人の驕りでもあります。自分の人生や存在価値を否定されたと嘆く前に、自分自身について、真剣に考える必要があるでしょう。つまり、自分なりの「きちんとした世界観」を持ち、その中における自分の存在意義や役割というものを、しっかり理解する必要があるということです。
ちなみに、私の個人的な経験からいうと、その「きちんとした世界観」なるものが地球レベルではダメのような気がします。ダメとは、つまり、いずれ誰かに否定され、立ち行かなくなるということです。冷静に考えてみれば、地球規模という意味で使われる「グローバル」というのは、既にだいぶ使い古された言葉であり、それは現代において、誰もが当たり前に考えるべき、当然過ぎるスケールであるとも言えます。
そういう意味で、これからの「きちんとした世界観」は、宇宙規模で考えなければならないと考えます(「宇宙人としての自覚」参照)。
ただし、宇宙等というと、実感が湧かず、ずいぶんと難しく考えてしまう人も多いようです。これもまた、個人的な経験ですが、こうしたテーマについては、宗教が取り上げてくれていることが多く、それをそのまま鵜呑みにしているケースが多いような気がしています。そして、こうした人々の場合、世界観等、自分の生き方の礎ともなる部分を他者に委ねてしまっているせいか、極めて重要な事項について、自分の頭で考えない傾向があるような気がしてなりません。そういう意味で、私としては、人生において核となるべき部分を宗教に頼って、その人の人生が、明るく拓かれ続けるというのは幻想に思えるのです。
もちろん、宗教を全否定するつもりはありません。宗教は、宗教で有用であることは間違いないでしょうし、これまで人類を救済してきたという側面や功績があったことは事実だと思います。しかし、そこに核心を委ねてはならないとも考えます。宇宙レベルの世界観を持つという意味で、既にそれを謳ってくれている宗教は、大変、便利なツールではありますが、あくまでもツールに過ぎないということも重要です。主従逆転してはなりません。
大切なことは、宗教に拠らず、自分自身の頭で考え抜いて、最終的には自らの力で、宇宙レベルの「きちんとした世界観」を掴むということです。最近では、科学の飛躍的な発展に伴い、宇宙について(何が謎であるかを含めて)だいぶいろいろなことが明らかになってきました。こうした分野についても、しっかり注視できていれば、宇宙とは何か、宇宙規模の世界観とは何かを考えることは、けっして難しくないはずです。そして、そうした世界観を持つことができたうえで、自分自身の存在を位置付けることができたら、それはきっと揺らぎない自分へと繋がっていくことでしょう。
-自分の人生を否定された-
これはこれで、事実として、きちんと受け止めるべきです。ただし、ここで「社会が悪い」、「世界が悪い」等と居直ってしまったら、その時点で、その人はこの世における役割を終えてしまうことになります。後に残った人生は、後片付けのための時間にしかなりません。
そこからもう一歩、踏み込んで考えてみるべきでしょう。
-自分に何が足りなかったのか???-
これを突き詰めていくことで、その人の世界観は、その度に広がっていくはずです。
整理してしまえば、極めて、単純な作業でもあります。自分の人生を否定される度に、自問自答をしてみるというだけの話です。これだけの話のなかに、宗教が絡まなければならない理由は認められません。やろうと思えば、いくらでも自分自身で答えを見い出せるはずですし、本来、人間にはそうした力が備わっているとも思います。
そんなことを考えつつ、私としては、これからの人類の行く末が、とてもとても楽しみなのでした。
「自分の人生を否定された」というのは、とある街頭インタビューを見ていたときに耳にした言葉です。世相も世相ですので、そう思うような方も多いだろうなぁと思って、ここに引用しました。
平野綾さんに、何があったのかはよく知りませんが、私自身、平野さんはとても才能溢れる方だと思っておりますので、是非是非、これからも活躍していただきたいと思っています。