常識について思うこと

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禁欲と失欲

2009年06月24日 | 宗教

宗教には、目に見えないものを可視化するという働きがあります。可視化させるということには石像等、目に見える物を作ること以外に、言葉として表現するということも含まれます。つまり、精神世界の分かりにくい問題について、私たちが認知しやすい物質世界のルール(文字や言葉も含む)に従って、表現しようというのが宗教のひとつの役割だろうということです。

ところが、宗教で扱っている精神世界の事柄は、物質世界のルールで表現してしまった瞬間に、その表現が本質から離れてしまうという重大な問題をも孕んでいます(「偶像崇拝とフィギュア」、「「天国に行ける」という罠」等参照)。目に見えない精神世界の真理を伝えたい、究めたい、あるいはそれによって人々を救いたい等という様々な思いから、生まれたであろう宗教の存在を否定するわけではありません。しかし、それには限界があるということについては、きちんと認識しておく必要もあるのだろうと考えます。

そうした視点に立って、宗教で言われる「禁欲」については、その本質が「失欲」にあるのではないかと思うことがあります。

もちろん、宗教で目指すような「精神を清らかにする」ということと、「禁欲」とは密接に結びついており、「精神を清らかにするために禁欲する」というのは、それはそれで、ひとつの手法として合理的なのだろうと思います。しかし、「禁欲」ばかりに目が向けられると、それは問題の本質から離れるばかりでなく、破綻をきたすのではないかとも思うのです。特に欲望を抑えるというのは、ある意味で人間に無理強いしていることに間違いはなく、そうした無理を続けるということは、何か別のものを歪めさせたり、あるいはその反動で、その押さえつけられていた欲望が爆発したりということもあるのではないかと考えます。

私としては、宗教でなされているような、物質世界上での表現を否定するわけではありません。そもそも、私が、こうして文字で表現している以上、それを否定することはできないだろうと考えます。しかし、せっかく表現をするのならば、「欲を禁じる」というネガティブなかたちよりも、もう少しポジティブな表現の延長線上で、「禁欲」の対象となる「欲望」について、語ってはどうかと思うのです。

それは、自分という存在が、多くの人々の役に立つ、たくさんの人々の幸せに貢献できるという喜びを見出すことと「欲望」との関係性です。

よく言われることなので、あまり詳しくは書きませんが、自分という存在が、多くの人々の役に立っていると思うことができ、さらにそこに大きな喜びを見出すことができれば、その人の心は大いに満たされていきます(「生きがいと幸せ」等参照)。このとき、その対象となる人々が多ければ多いほど、また役に立っている度合いが大きければ大きいほど、その人はより大きな喜びで満たされていくことになるはずです。

これを「欲望」との関係性で語るならば、こうした数多くの他者の喜びにより、自分自身の心が満たされ、自ずと自分の「欲望」が消失してしまうというのが、精神世界のひとつの側面であろうということです。

そういう意味で、例えば「聖人」と呼ばれるような人々が、禁欲生活をしているように見えるのは、実際に「禁欲」をしていたというよりは、他者を喜ばせる、他者の役に立っているという喜びに満たされてしまい、単に他の欲望を失っていた、つまり「失欲」していたという側面があるのではないかと考えます。

そして、もしそうだとするならば、何かにつけて「禁欲せよ」と戒めるよりも、「他者を喜ばせる幸せがある」ことを語り、「欲望」については、その結果として「失欲」という現象が起こることを説明するに留まるというのも、ひとつの考え方ではないかと思うのです。

私が述べ申したいことは、「禁欲」ではなく「失欲」にこそ本質があるということではありません。「欲望」のレベルは、単なるバロメーターに過ぎないということです。

「禁欲」を目指す人>
「禁欲」だけに本質があるわけでもないので、あまり「禁欲すべし」等と肩肘張らずに、少し気楽にいっていいのではないでしょうか。

「失欲」できていない人>
仕事や趣味の世界等、社会との繋がりのなかで、もう少し他者を喜ばせるという幸せに気付いてみてはいかがでしょうか。

《おまけ》
本記事で言うところの「欲望」とは、一般的に宗教等で戒めているとされているものを指しています。本来、「他者を喜ばせたい」というのも、人間のひとつの欲望のかたちですが、それについては、ひとまず除外して整理したことをご理解ください。

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