常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

全国民のための建国記念日

2010年02月11日 | 日本

今日は、建国記念日です。この日は、初代天皇の神武天皇が即位された日とされています。

しかし、本ブログにて繰り返し述べているとおり、私は記紀に傾倒した日本史観というものに対しては、一定の距離を保ちたいと考えており、また神武天皇や日本の建国史についても、少々、違った見方から、この祝日を捉えたいと思っています。

つまり、あくまでもこの国を建国したのは出雲大社の大国主大神であり、日本建国から「出雲の国譲り」に至るまでの過程で、本当に「和の精神」を体現したのは、この人物にほかならないのではないかということです(「「国譲り」の二面性」参照)。神武天皇というのは、「神武の東征」という言葉があるとおり、九州に発して大和の国を治めることになりますが、これは「出雲の国譲り」の後、和が乱れた大和政権内部を取り成すかたちで、大和を追われた出雲系の大王として召還されたのではないかというのが私の仮説です(「日本建国史の再考」参照)。

そういう意味で、神武天皇というのは出雲系であり、本来の建国の主・大国主大神側の人物として、それを素直に祝えばよいのかもしれません。ただし、記紀というのは、天照大神をはじめとした「国を奪った」側の正当化に使われている可能性があり、それ以降の歴史解釈に関しては、慎重を期す必要があるだろうという点は変わりませんし、また本来の建国主は、やはり大国主大神ではなかったということは、忘れてはならないように思うのです。

ところで、そのように本来の建国主が大国主大神であったとしたら、その子孫こそが、本当の意味での「和の精神」を体現した正統なる大王の血を引く人々ということになります。「出雲の国譲り」というのは、あくまでも平和的譲位であり、当時において一族郎党皆殺しのような血生臭い事件があったとは考えられません。そうだとすれば、この日本には出雲の大国主大神の血を引く人々が、多数いると考えられるわけです。むしろ当時の人口から、今日の人口に膨れ上がる過程における血の交わり方を考えるならば、国民ひとりひとりが大国主大神の子孫かもしれないとも言えます。

そういう意味で、本日の建国記念日は、国民ひとりひとりの先祖かもしれない大国主大神の建国を考える日と思ってもよいかもしれません。そして、そう考えると、今日は全国民にとっての建国記念日と考えてもよいのではないかと思うわけです。そんなわけで、本日のブログのタイトルバナーには、その大国主大神を入れてみました。

蛇足ですが、一緒にいるのは、本ブログのアカウント名の源にもなっている「武内宿禰」です。彼は長らく国政を支えた大臣とされておりますが、私の解釈では、彼は出雲系の人物です。そしてまた、正統なる大王と非常に深く結びついていた人物、あるいはそれそのものであり、私が出雲系と考える神武天皇や、正統なる大王を葬ったかもしれない天智・天照大神系の持統天皇や藤原家(「東国の神々へのご挨拶」参照)と一線を画す天武天皇等に、それぞれ「武」の字が入っていることとも関係しているように思っています。

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2 コメント

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Unknown (s.田中)
2010-02-12 01:02:35
仮説を否定することではないことを前提でコメントさせて頂きます。
例えば、神武天皇が出雲系であるという証拠はなく記紀には九州から出発したことが書かれています。このように記紀に書かれていること以外を想定する場合・仮に実在でない(もしくは書かれていること以外の内容であれば)それも記紀から読み取れる、推定できることから導くしかないのではないでしょうか。記紀より先に書かれた史書や物的証拠に神武天皇が出てくれば別ですが。
記紀がどういった意図・背景・内容で編纂されているかは貴殿がおっしゃるように大切ですが、それを理由に仮説で結びつけることは小説の域となり、歴史解釈を難しくするのではいでしょうか。当時最高の学者が携わっているとはいえ7、8世紀に数百年を遡った歴史を正確に作ろうとしたとは考えにくくおそらく内容には別の意味があると思います。その意味では神武天皇や竹内宿禰を個人として捉えるよりも話の流れや言葉の意味を考えるべきでしょう。蘇我氏と聖徳太子の関係は何かありそうだとは読めますが近畿の話なのか九州で起こった話なのか等前文の解釈如何で相当に変わってくるでしょうし、中国史書を意識していると見れる以上、中国・半島との勢力関係もあり九州の倭でない日本国を正統化する必要があったことは間違いないと思います。
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記紀の重み (竹内一斉)
2010-02-12 10:07:15
s.田中さん、コメントありがとうございます。

ご指摘の通り、書かれていないことを推論から導くと、(場合によっては)小説のような飛躍したストーリーに見える可能性もあると思います。また、おっしゃるように神武天皇や竹内宿禰を個人として捉えないという考え方も、それなりに有効な仮説の置き方なのだろうと考えます。

私自身、記紀を否定するつもりは毛頭ありません。もちろん、当時の学者が「くだらない偽りを書いた」等と切り捨てる気もまったくありません。むしろ、当時の学者の方々は非常に優秀であったと思っており、そう考えればこそ、彼らが荒唐無稽な神話を持ち出すあたりに不自然さを感じます。そして、それはもしかすると、荒唐無稽な話のなかに、彼らなりのダイイングメッセージを忍ばせているのではないかと思わせるのであり、だからこそ、それが生まれた時代背景を考察しつつ、その限界を推し量ることも、なかに書かれていることを読み込むことと同じくらい重要だと考える次第です。そういう意味で、s.田中さんがおっしゃている記紀から読み取ることの重要性は、とても分かる気がします。

また、推論に関する捉え方は、ご指摘どおり、その歴史を眺める人間にとって、「解釈を難しくする」ような推論ではダメで、いかにその人にとって「腑に落ちる推論か」ということが大切なのでしょう。そんななか、今のところ、私にとっては、上述の推論が最も「腑に落ちる」もので、荒唐無稽な神話を持ち出す記紀の不自然さを含めて、「歴史解釈を簡単にできる」気がしている次第です。

今後、また何か新しい発見なり、解釈が出てくれば、そうしたものについて、勉強させていただきたいと思います。
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