常識について思うこと

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「才能の無駄遣い」の克服

2008年01月17日 | 産業

ある動画コンテンツの配信サイトで、「才能の無駄遣い」という言葉を散見します。そのサイトのコンテンツ(音楽演奏、歌、踊り、アニメ等)は多くの一般の方々、いわゆる素人によって(副次的なものを含めて)制作されたもので、彼らの作品のなかで秀でたもの、優れたものに対する賛美として、「才能の無駄遣い」という言葉を使っているようです。

最近では、音楽や映像編集技術が高度に発展したため、いわゆる素人がさまざまなコンテンツを創作できるようになりました。また絵を描いたり、楽器を演奏したり、歌を唄ったり、コンピューターを駆使したりという才能も、そうした素人社会のなかで多分に有されていたりします。次第にプロとアマチュアの境が曖昧になり、これらの才能と最近のコンピューター技術を融合させることで、これまでの映画やテレビにはない、まったく新しい価値をもったコンテンツ制作ができるようになってきています。

例えば、「初音ミク」という歌を唄わせるコンピューターソフトの場合、本来、歌を唄わせるだけのソフトですが、「初音ミク」のキャラクター(長い青髪の女の子)とともに、限りない派生効果を生んでいます。

 ①:初音ミクにいろいろ唄わせる・しゃべらせる
   (歌謡曲、民謡、国歌、替え歌、JRの発車音楽、台詞等)
 ②:初音ミクに専用オリジナル曲を唄わせる
 ③:キャラクター「初音ミク」を制作する
   (「初音ミク」の絵を描く、3Dを制作する、人形を作る等)
 ④:①や②の初音ミクの音楽に、③のような動画をつける
   (初音ミクに表情や踊りをつける等)
 ⑤:②のオリジナル曲を人間が唄う
 ⑥:①~⑤をミックスして、別のコンテンツを制作する
 ⑦:⑥にさらに初音ミクの仲間(同類のソフト)を加える
 ⑧:⑥や⑦を利用して、さらに別のコンテンツを制作する

コンテンツの将来像については、機会をあらためたいと思いますが、少なくともインターネットというインフラで、不特定多数の人々がその制作に関わっていけるようになれば、無限の才能がこれに加わるようになります。この広がりには限りがありませんし、こうした流れは、やがてこれからのアニメ制作等についても、多大な影響を及ぼすようになる(作画、ストーリー、音楽、声優等についても一般の人々が活躍することになる)はずです。

ただし現時点では、著作権やそれらを管理するシステムの問題があり、コンテンツを作った人々が、それによって収入を得るようなことはできませんし、こうした配信サイトがメジャーなメディアになるのは極めて難しい状況です。結局、才能豊かな人々の楽しいコンテンツも、彼らの収入には結びつかず、また趣味の範囲を超えることなく「才能の無駄遣い」に終わってしまっています。また、とくに心苦しいのは、こうした楽しいコンテンツを制作している方々は、才能のみならず、その制作に多大な愛情を注いでいることです。

現状において、著作権やシステムの問題があるがゆえに、「才能の無駄遣い」を許容せざるを得ないのは確かです。しかし一方で、インターネットのように、自由で新しいインフラが整備されてきているというのも避けられない現実です。その現実において、今日「才能の無駄遣い」をしているような、純粋なクリエイターの方々(一般の人々、いわゆる素人)に対して、どのように報いていくかということは、社会にとっての重大な課題でもあります。それは、コンテンツの楽しさを享受する視聴者のためでもあり、活気ある社会のためでもあり、それらの問題を克服することが関連業界、あるいは日本の責任ある地位に就かれている人々の責任だろうと思います。

ここで日本の責任ある地位に就かれている人々、とまで言及するのに、大げさな印象を持たれた方がいらっしゃるかもしれませんので、間単に補足いたしますが、日本が世界をリードしていくうえで重視すべきは、その技術力もさることながら、日本固有の文化力です。日本が、その確固たる文化力を可視化させ、世界に示していくためには、上記のような全員参加型のコンテンツ制作体制は、大変重要な課題であり、また日本には、その力が十分に備わっているものと思います。

「才能の無駄遣い」をさせない社会作り。これからのインターネット社会で、求められている大きな課題です。

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