ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

授業を作る

2008-10-15 | 育児
 子どもたちは,「できるようになりたい。」,「わかりたい。」と思っている。その願いを叶えるために私たちは精一杯の取り組みをする。そして,できるようにさせたいとかわかるようにさせたいという思いから,教材研究をする。しかし,これだけで授業は仕組めない。 
 それは,私たちが目指しているところが学習の自立にあるからだ。一方的に教師が教えても,自らの力でできるよう(わかるように)にはならない。子どもは,自らのできていく(わかていく)道筋に合わせて学習を進めなければ,納得できるものにはならないからだ。
 自分のできる(わかる)道筋は,迷路をさまよいながら,光をもとめて歩く姿に似ている。出口に結びつく情報を集める,時にはつまずき,引き返すこともある。立ち止まりよい方法を考えることもある。独りでは不安であるが,仲間の支えがあって何とかたどり着くこともある。自分で出口を見つけたときの喜びもひとしお。自分の力でやり通せば自信にもつながる。
 だから,教師が全面に出ることはない。子どもが全面に出られるようにサポートに徹しなければならない。そこに授業を仕組む難しさがある。
 教えてもらって安心している子どもではいけない。「先生,教えて!」といつも泣きつく子どもでも困る。困難に立ち向かい,自ら学び取ったことを自慢できる子どもにしたい。
 教師が目立つ授業は,授業でない。子どもが目立つ授業にするための努力が授業作りだ。

無意識を意識に

2008-10-14 | 育児
 繰り返し行うと意識的に行っていると次第に意識しなくてもできるようになる。これは、自動車の運転と同じで、どんなことにもあてはめることができる。
 よい繰り返しならばよいが、そればかりではない。日頃の行動のうち無意識でしていることは、自分の過去の経験や体験の繰り返しによって身に付けたことだから、知らず知らずのうちに他へ影響を与えているから厄介だ。それに、意識してしていることよりも無意識のうちにしていることの方がきわめて多い。自分を知ることは、この無意識にしていることへの気づきとなる。子どもにとってできるだけプラスの影響を与える自分でいたいと思う。
<環境への配慮>
・教室の乱れが気になる自分だろうか。
 (子どもが悪いと言わないで、進んで環境を整える自分だろうか?)
<表情>
・いつも笑顔で人に接している自分だろうか。
 (相手によって顔つきが変わることはないだろうか?)
・背筋をピンと伸ばして、前を向いて歩いている自分だろうか。
 (背を丸くして、下を向いて歩いている自分はないだろうか?)
<服装・身に付ける物>
・個性を主張するのではなく、どの子どもも受け入れやすい自分だろうか。
 (華美になったり、子どもの活動を無視したりしている自分はないだろうか?)
<言動>
・自ら進んで声をかける自分だろうか。
 (相手を意識せず、自分の事しか見えていない自分はないだろうか?)
・子どもの気持ちを考えた言動ができる自分だろうか。
 (子どもの意図を読まないで、自己主張している自分はないだろうか?)
<能力>
・自分の力はこの程度だと決めつけている自分はないだろうか。
 (忙しい、面倒だなどと逃げないで可能性を伸ばす自分だろうか?)
<見方・考え方>
・思い込みで子どもの姿を判断している自分はないだろうか。
 (可能性を信じたり、見方を変えてみたりする柔軟性はあるだろうか。)
<子どもへ思い>
・愛情をもって接しているだろうか。
 (我を通して、子どもを操ろうとしている自分はないだろうか?)
 愛情一杯に育てられた自分の体験経験があればそれを生かしたい。もし、足りなければ意識し、自分を変える努力をしたい。

仲良くなる

2008-10-13 | 育児
 子ども同士が仲良くなるように指導するが、その仲良しの深まりというのをどのようにイメージできるかによって関わりを深めるための手だての打ち方が変わってくる。そこで、こどもたちの仲良しの深まりを考えてみた。
1 一緒にいる。
  同じ場にいる。(教室やグループなど共有する場にいる)
2 一緒に活動する。
  同じ活動をする。(一緒に歌ったり、話したり、行動したりする)
3 力を出し合って助け合う。
  同じ目標に向かって行動する。(役割を分担したり、係をしたいする)
4 互いの考えを分かり合う。
 (思いや願い、考え方などを理解し合い、分かって活動する)
5 相手のためになる行動をしたり、知恵を使ったりする。
 (相手が喜ぶことを考えて行動する。一緒にいて楽しいことを考える。)
6 相手を生かすために行動したり、知恵を出したりする。
 (相手がよりよくなるために何ができるか考えて行動する。切磋琢磨)
 「みんなのために」と言える子どもは、相手が誰であっても仲良しだという気持ちがあるときにその芽が育つ。前提として、少人数の中で関わりを作ることができなければ、なかなか「みんなのために」という気持ちで動く姿は作れない。まずは、仲良しを深める体験が必要になる。

群れて育つ

2008-10-12 | 育児
 子どもたち一人一人を大切にしようと丁寧に指導することが多い。でも、ひょっとすると子どもの自立を遅くしているかもしれない。・・・・そんな疑問が昨日の研修で「子どもは群れて育つ」という話を聞いたからだ。
 集団でいることそのものが重要で、集団性を高めることではなく、子ども自身の能力も集団だからこそ高まるというものだ。いろいろな集団に属することで、それぞれの集団からいろいろなことを学ぶ。集団が変われば、その中での自分の位置づけも変わる。価値観も違ってくる。違う集団の中で対応しようとすることで個々の能力が様々に発揮される。
 だから、集団から取り出して特別の指導をすることよりも、その集団の中でいかにその子が位置付くように支援できるかが重要となる。
 最近の子どもは我慢強さが足りないとよく言われる。これはある意味で集団への適応力が弱いことの現れと言える。自分の思い通りにならないときにどのように対応するのか。自分の考えを押し通すことが大事なのか、それとも集団に合わせて我慢することが大事なのか。それは、その時々の状況によって異なってくる。どちらがよいかを自分で判断できないときに仲間の姿を見ながら学ぶこともある。しかし、仲間を見て学ぼうとしない子どもであれば、その力は身に付かない。
 困ったときに人の真似をして動くことを私たちは日常的にやっている。見知らぬ土地へ行ったとき、やはりその土地の人を見て合わせるようにする。郷にいれば郷い従うとは正にこのことだ。我が強くて周りを見ようとしなければ、集団から浮くのは当然。集団からすると違和感が生まれ、集団を保つために集団の心理として当然力が働く。これも自然のことである。集団になるということは、個が集まるだけのことではない。集団としての力が生まれる。逆にそういう力が生まれない集団は集団ではない。烏合の衆だ。
 となると、集団を育て、集団の質を高める力をもつ教師が個々の力を伸ばすことにもなる。個と集団との関わりをじっくりと見つめてみたい。

肯定的な意図を探る

2008-10-11 | 育児
 うそをつき、ごまかすことの多い子どもと対決をしている教師がいる。仲間に働きかけをし、仲間の力で信じ合う姿を作り出し、その輪の中でうそをつき、ごまかすことがいかに相手を裏切ってしまうことになるのかを感じさせようと必死で取り組んでいる。しかし、なかなか子どもの姿が変わらない。
 どうしてうそをつくのだろう。うそをつくことで自分にプラスになることがあるのだろうか。
 深く追求しないが、いつも叱られ続けている子どもだととしたらどうだろう。
・叱られない口実を言う。
・気に入る言葉を返す。
・ごまかして機嫌を取る。
 出てきた言葉に場当たり的に反応し、一番相手が納得する言葉を見つけ出し、答えていく。繰り返しそれをしているうちに素早く答えを見つけ出すようになっていく。その場をうまくくぐり抜けるためには、とてもいい手段だと思ってしまう。後先考えないでその場を取り繕うことで精一杯だとしたら、うそをつくことで自分を守ることができる。
 どんどん想像が膨らんでくる。これが本当かどうかは分からないが、可能性として考えられる。次第にその子が可哀想になってきた。
 仮にそうだとするといくら責めても、うそをつかない姿にはならないだろう。打つ手を変えないと変わらない。
 うそをつく子どもと叱る側との関係の改善が大事になる。
 悩んでいる教師と話し合っているうちにそんな思いが強くなった。早速家庭に電話をして家庭の様子や母親との関係を探ることになった。

決めてもらって安心する

2008-10-10 | 育児
 行き詰まりの状況になることは、子どもたちにとって日常的に起きてくる。それは判断して決定するには、あまりにも少ない経験や体験しかもっていないからだ。「謝りたいけど謝れない。」、「これをしたいのにできない。」、「しなければならない。と思うけどできない。」など子どもたちの心が揺れてどうしてよいのかわからない状況があるとき、泣いたり黙ったりして困っていることを伝えてくることが多い。
 こんな時、「泣いて(黙って)いないでこうしなさい。」と言うと動くことができるが、これでは、今問題を解決できても次の問題の解決につながるかどうかはわからない。
 次の問題が出たときに、自分で考えて判断し、行動できるようにするためには、まず、何を大切にするのかという価値観や信念(見方考え方)を示すことが必要となる。行動の裏付けをきちんと示さないと「だって、先生がそうしなさいと言ったから。」になることが多い。
・このことを大切にしてごらん。
・こう考えるといい。
・こんな気持ち(感じ)になるから。
などと判断するための価値観や信念(見方考え方)をまず伝えたい。そして、この価値観や信念(見方考え方)に基づいた行動というのは、1つではないから、この考え方をすれば、こんな行動も可能になるという選択肢を用意すれば、子どもはその中から選択することができる。
・どっちがやりやすい?
・どれにする?
・何からする?
などと子どもが自分で選択すれば、「先生がそうしなさいと言った」というような責任を転嫁する姿にはならない。「私はこう考えて、こうすることに決めた。」という考え方ができる。心配なときには、「なぜ、そうするの?」と問いかければよい。このように行動を決めても行き詰まりから抜け出すことができ、子どもは安心する。
 子どもの自立を目指している私たちである。「自分で考え、判断し、行動する子」にするためにも、決めてもらって安心する子にはしたくない。

おごりはないか

2008-10-09 | 育児
 自分の考えが一つのまとまってくると、その考えに合わせて見直しをする。そして、それが確かだと思えば、自信につながる。
 しかし、それが過信になってはいけない。本当にこれでいいだろうかと常に自分に問いかける姿勢が必要だ。
 私たちは経験から物事を判断し、決めて動いていることが多い。しかし、それは、私の経験から決めることなのだ。人によって経験は違う。その経験の違いがあるから、人によって判断が違ってくる。確かだと思うことは、自分の経験の積み上げでしかない。だから、他の人はどのように捉えるのだろう?どうしてそう考えたのだろう?違いはどこにあるのだろう?と探り続けることがより確かな自分の考えを作り出す。
 行動の違い程度ならばまだよいが、価値観となると経験の積み上げがあり、なかなか変えることは難しい。
 子育てについて保護者と教師の価値観のズレはまさにそれだ。教師がいくら素晴らしいと思って、違った価値観をもっている保護者に説得しようとしてもすぐにできるものではない。まずは、相手の立場に立ちながら、経験を重ね、自分の価値観に近づけていく営みが必要となる。これは今までにない経験の積み上げとなる。統合するための経験だ。これをおごりが邪魔する。自分の中のおごりが自分をもだめにする。

言葉の質を考える

2008-10-08 | 育児
 最近、子どもを育てる時に育てる側として大事にしたい言葉かけの視点が私の中で明らかになってきた。言葉かけ一つで働きかける側が大事にしているものが見えてきた。その視点は、「環境」「行動」「能力」「信念や価値観」「アイデンティティー」の5つである。そして、これにはレベルがある。
<1>環境レベル 子どもを取り巻く、自然環境、人的な環境などを見る
<2>行動レベル 子どもの活動を見る
<3>能力レベル 子どもの能力を見る
<4>信念や価値観レベル 子どもの見方・考え方を見る
<5>アイデンティティーレベル 子どもの存在そのものを見る
 子ども一人一人を育てたり、学級の質を高めたりすることがこの5つのレベルで見ることができる。
 教室環境や家庭環境などそれぞれ関わっている環境を育ちやすい環境にしておくことが育てる側の責任でもあるし、子ども自身にもその環境を作る働きかけをしなければならない。居心地のよい環境だから頑張れる。その環境が子どもを育てる基盤になっている。落ち着いた行動ができるのも、自分の能力を伸ばすのもすべて環境に左右される。
 行動し続けることにより能力が身に付くし、その身に付けた能力をもとに自分らしい考え方を生み出すことにもなる。それが周りから認められると存在感をもち、自分らしく生きることもできる。
 よく耳にする会話や指導の言葉かけを下位レベルから上位レベルで考える。
・勉強しない(行動)から学力(能力)がつかない。 
・机の周りが雑然としている(環境)から勉強できない(行動)。
・勉強しない(行動)子は、だめな子(アイデンティティー)だ。
 逆に上位レベルから下位レベルを考えることもできる。
・勉強が面白くないと考えている(信念や価値観)から、勉強をしない(行動)のだ。
・勉強できない(行動)のは、勉強道具が揃っていない(環境)からだ。
・学力がある(能力)から無駄な行動をしない(行動)。
 子どものつまずきや手だてを見つける視点としてこれを武器にすることができる。また、問題の本質を見つけることもできる。
 子どもの生活をよりよくするということは子どもの行動を変えることになる。何を変えると行動が変わるかを試行錯誤しながらつかむ。言葉かけのレベルを変えて刺激をしてみる。
 勉強しやすい環境を整える→勉強する(行動)→勉強を続ける(能力)→意図をもって勉強を続ける(信念・価値観)→勉強できる自分(アイデンティティー)という流れを考えたとき、「勉強しなさい。」(行動)だけでは、子どもを育てる指導にはならないことがわかる。
「まずは、勉強道具を揃えよう。」(環境)
「勉強を続けるとこんな力が身に付くよ。」(能力)
「勉強をしているとこんなことが分かって(できて)面白いよ」(信念価値)
「仲間から頼られる子になるよ」(アイデンティティー)
等、いろいろな視点から子どもに働きかけることができる。
 日頃の生活を見ていると行動レベルでの言葉かけが多いことに気づく。心を育てる言葉は、行動レベルの言葉ではなく、能力や価値観などを大切にした言葉のようだ。

好きな子同士?

2008-10-07 | 育児
 社会見学などをするとき、昼食を「好きな子同士で食べたい。」と話す子どもがいる。中には、「好きな子同士でもいいよ。でも、独りぼっちは絶対に作らないでね。」と言ってそれを認める教師がいる。これは、間違い。独りぼっちにしないでと言われても、子どもたちの意識は好きな友だちに向いている。だから、多くの場合、独りぼっちを作ってしまう。独りぼっちがいないとしても、気遣いのできる子が引き受けているだけで、学級全体の意識ではない。好きな子同士で食べたいという意識は、学級作りの妨げになる意識だと感じる教師は、絶対に好きな子同士では昼食をさせない。初めから独りぼっちを作らせないように、生活班を使うか、社会見学用のグループを使う。そして、昼食もグループを育てるチャンスだと捉えて指導をする。昼食時の子どもたちの様子を観察するといろいろな姿がある。その姿に合わせて指導をすることで、グループの質が高まる。
ー「そばにいようとしているか」の視点から子どもを観察するー
 まずは、この目で昼食時の子どもの様子を見る。これが基盤になる。敷物をどのように敷くか見ているといろいろある。友だちと敷物を付けて敷く子、付けないで勝手に敷く子、敷き方を考える子など様々である。この姿から仲間を意識しているかどうかを見ることができる。(仲間と関わりをもつことの指導が可能)
ー「どこを見ているか」の視点から子どもを観察するー
 会話をしやすいようにみんなの方を向いている子、一部の仲間を見ている子、中には背を向けている子など様々だ。仲間との関わりが見える。(仲間を見るための行動の指導が可能)
ー「話を自分からするか」の視点から子どもを観察するー
 仲間への働きかけができる子、それができないで黙々と昼食を食べている子など様々だ。会話を楽しむ子になっていると、楽しい班を作ることができる。(話題の提供や関わり方の指導が可能)
ー「友だちへの関心事を話すか」の視点から観察するー
 仲間と仲良くしたいという思いがあれば、仲間の様子を気にする。お弁当の中身、遊んだこと、話題に関わろうとすることなど会話の内容からその子の考えを読み取ることができる。(その子のよさの評価が可能)
ー「楽しそうに食べているか」の視点から子どもを観察するー
 笑顔で会話を楽しんでいるかどうかを見ているとその子の班で存在が見えてくる。仲間と楽しく過ごそうとしている子、そうでない子がわかる。(その子がいることのよさの評価が可能)
 せっかくの指導のチャンスを逃すか、利用するかは大きい。教師の集団性を高める目があるかどうかはこうしたチャンスを生かすかどうかにかかっている。班を作るだけであとは子ども任せになっていて、昼食中の子どもの様子を見ていない教師も昼食を指導のチャンスを見逃している。もったいない話だ。

ボランティア活動

2008-10-06 | 育児
 一家族一ボランティアの活動についての集会があった。そこで、いろいろな実践発表を聞いた。そして、活動に対して、どうしたら家庭から地域や社会に活動が広がるかが話題になった。
 話を聞きながら、「どうしたら」ではないではなく、「どんな思いを持ち続けるか」が大事なように思えてきた。
 言い出した人の思いを受け取り、次の人がその思いに答えていく。そして、その思いが空間や時間を広げて伝わっていく。そんな様子を見ていると、その思いの大事さが意味のあることのように思えた。広がるか広がらないかは、その思いの強さと共感しやすさではないだろうか。そして、受け取る側一人一人の心のあり方によって伝わり方が違っていく。
 ということは、広げたいならば、同じ思いに立って活動してくれる仲間がいることに喜びを感じ、同じ思いに立ってくれたことへの感謝の気持ちを伝えること重要に思える。つまり、同じ思いに立って活動する仲間を探す所からボランティア活動が始まるのではないだろうか。

大事にされていると感じるか

2008-10-05 | 育児
 子どもはいつも自分を見ていて欲しいと思っている。集団が大きくなればなるほど、子どものとって見てもらえる機会が少なくなっていく。特にこの時には見ていて欲しいと思う時に見ていてくれないと「ちっとも私のことを見てくれない。」と不満をもち、信頼関係を崩すことにもなる。
 一人一人に声をかけることができればその方がいい。しかし、物理的に無理なことの方が多い。ここがポイントだ。
<子どもの聞く姿勢を作る>
 学級全体に話をすれば、学級全員が聞いていると思うのは間違い。話し手が聞き手に聞いて欲しいというメッセージを送り続けることが大事。だから、聞いていない子を見つけたら、話を止めたり、どんな話をしているのか聞き返したり、聞く姿勢を注意したりしなければならない。
<話をするときにはいつもあなたに話しているのだと話しておく>
 学級全体に話をするというのは、学級全員に同じ話を一度に話したいからみんなの前で話するのだ。聞いているあなたやあなたと関わる人に大事にしてもらいたいことがあるから話していると子どもの伝えておかなければ「私には関係ない。」と思えば話を聞かない。
<話の中に必ず自分と関わる内容を入れ込む>
 全体に話すことを自分の場合に置き換えて聞けるかどうかは、話し手の意図とは違って聞き手が自分で判断する。自分の能力で自分に関係ある話だと解釈できればいいが、自分に関係があるかどうか判断が難しい話にしてしまうと聞かなくなる。だから、話の内容に「こんな人がいる。」「こんな場合があなたにもある。」など、自分に置き換えやすい話にする。
<必ず話の後に確認をする>
 聞いたことが確実に伝わっているかどうかが大事になる。伝えたい内容を理解したかどうかの確認をすることが自覚を生む。この場合、一斉に「はい。」と言わせる教師があるが、声だけでは一人一人が返事をしたかどうかは分からない。挙手をさせたり、話した内容を近くの子に話させたり、一人一人が確実に話の内容と関わるように確認をしなければ、ざるから水が漏れるように話た内容は伝わらず漏れていく。全員の確認ができたところでの「はい。」は、集団の意識を高める上で効果はある。
 集団に向かって話す時、あなたを大事にしているよという思いで一人一人の子どもの顔を見ながら話すと子どもは自分は大事にされていると感じる。

変化に気づく

2008-10-03 | 育児
 子どもの変化に気づけるかどうかは、教師の見方にかかっている。子どもを指導するのは、子どもに何らかの変化を期待しているからだ。それにも関わらず、指導し放しでいることはないだろうか。
 子どもの変化を何で見るか。
・身体的な変化で見る。(顔つきが変わる。体に緊張感がある。等)
・動きの変化で見る。(変えようとする行動になる。行動が変わる。等)
・言葉の変化で見る。(指導した言葉、反省、気づきが出る。等)
・周囲の変化で見る。(仲間への働きかけや仲間の思いが変わる。等)
 指導した瞬間の変化がどこまで持続しているかを見ることが見届けとなる。
★指導した瞬間の変化だけを見て安心していることはないだろうか。
★指導後、やるかやらないかは自分次第だと見放してはいないだろうか。
★他にも指導しなければならないと言って目を離していないだろうか。
★他にもすることがあると言って目を離していないだろうか。
★指導する子が大勢いると言って目を離していないだろうか。
★変化したにも関わらず、子どもの努力を認めないでいることはないだろうか。
 変化したことを指導した子ども自身が自覚することで変化となる。
「いけないと思っているんだね。その顔から分かるよ。」
「そうだ。そうすることなんだ。」
「よくわかっているね。その思いを大事にしようね。」
「できるようになったね。みんなで拍手!!」
「最近のあの子の様子はどうかな?」
「あなたが努力したから、こんな学級になってきたよ。」
 子ども自身の変化が周辺にも影響を及ぼしたとき、その子どもの存在感が明確になる。そこまで、見届けると子どもは先生は、「私を見ていてくれる。」「大事にしてくれている。」と感じる。欲張ることはない。一つでいいから、どの子にもそういう思いを感じさせることができたら、多くの指導をしなくてもすむ。特に問題行動の多い子どもには、これが必要。一点突破だ。一つのことを満足に見届けられないうちに他の指導をしても、教師の指導の意図は伝わらない。「いやなことばかり言う先生だ。」「私のことを嫌っているからなんだ。」という思いにさせてしまう。1つのことができたとき自信とともに信頼関係を築くことができる。
 つまり、愛情を感じる指導になっているかどうかは、教師が子どもの変化をどこまで見届けるかにかかっている。

見えるものと見えないもの

2008-10-02 | 育児
 教室で大声を出したり、立ち歩いたり、友だちに話しかけたりと問題行動を示す子どもがいると気になり、注意をする。そして、子どもの問題点として取り上げる。教師から注意の言葉が発せられる。また、仲間からも声がかかる。何とかみんなと同じ行動にしようと働きかけをする。しかし、なかなか変わらない。
 それには、子どもの思いや考えなど行動の裏にある目には見えない心を読む必要がある。「どうしてこんな行動をするのだろう。原因はどこにあるのだろう?」
 もし、障がいによるものならば別であるが、障がいがなければ、学級の人間関係なのか、教師との関係なのか、それとも家庭での生活の問題の影響なのか子どもの外にある様々な原因を考えることができる。
 子どもたちは、見えるものへの反応は早い。しかし、見えないものにはなかなか気づけない。だから、問題行動を示す子どもの見えない心を知らない子どもに任せて、友だちの問題行動を変えさせようというのは酷な話である。本当にその子の事がわかって関わろうとしていてくれるのならばよいが、なかなか難しい。まずは、教師が問題行動をとる子どもの内側を理解するように努めなければならない。
 この場合、自分一人の考えで「きっとこうなんだ。」と思い込みをすると指導を間違えてしまう。一番いいのは、本人の気持ちを聞くことだ。しかし、なかなか自分の事が分からずに問題行動を起こしてしまっている事も多い。
 そんな時、保護者の思いを尋ねたり、周りの子どもたちから情報を集めたり、時には同僚からの意見を取り入れたりとできるだけ客観的な判断ができるよう努力したい。
 思い込みで指導していると、「先生は、私のことをわかっていない。」と子どもは教師の言動を否定し、子どもとの関係を悪くする。「あなたのことを考えて、こんな思いからこうしたのだ。」といくら言っても関係が悪くなってからでは、耳に入らない。
 指導した後の反応から、問題行動を示す子どもの見えないものを見ようとするキメの細かさが関係を保つことになる。時には、自分のしている問題行動を示す子どもへの指導が周りにどのような影響を与えているかを考えてみることも大事だ。目の前の子どもしか見ていない自分に気づくことがある。

話題を広げたり狭めたりする

2008-10-01 | 育児
 話題が広がると参加しやすくなるが、話題が狭くなると参加しにくくなることがある。どちらがよくてどちらが悪いということでもない。その時々の必要に応じて、広がったり、狭まったりする。
 ただ、これを意図的に流れを作るか、それとも話題に参加したものに流されていくかは、教師の力量の違いとなって現れる。子どもに振り回されている状態は、この広げたり狭めたりするためのコントロールがうまくできない状態だと考えられる。
 子どもたちが自由に発言できることはとても重要なことであるが、それに流されているとやるべきことができないとか、時間がいくらあっても足りない状況に陥る。
 こどもたちの発言をうまくコントロールして広げたり、狭めたりすることで子どもたちと言葉のダンスをしながら、思考を深めていくことができる。
①話題を提供する。
 「~ついて知って(わかって)いることは?」「~についてどう思う?」
②広がり具合を見る。
 「他の人は?」「あなたはどう?」
③発言を承認や同意を求める。
 「そうなの?」「みんなも?」「そういうことある?」
 「他の子もそう思う?」「間違いない?」
④発言内容を全体に広げ、承認を求める。
 「それでいい?」「本当?」「そうなの?」
 「そう考えていいの?」「言ったこと、わかった?」
⑤発言を止める。
 「ちょっと待って!」「あれ?」「でもね。」
⑥発言をまとめる。 
 「ということは」「つまり、こういうこと?」
⑦まとめについての同意を確認する。
 「こう考えていい?」「このようでいい?」「わかる?」
⑧別の視点に当てる。
 「それなら、~についてはどう?」「なるほど。ところで、これは?」
 教師として、常に子どもの目指す方向を明確にし、子どもたちの話題が目指す方向に進むように話題についての深い造詣(教材研究)が必要となる。
 また、発言した内容を整理し、方向付けることができるようになったら、発言した子どものよさを発言の度に評価できるようになるといい。
 子どものよさは、発言の内容だけでなく、発言をしようとする意欲、発言内容の価値、発想力の素晴らしさ、考え抜いた努力など一人一人の話題に向かう姿の中にある。子どもの発言を聞きながら、それを探る。
 「そうか。」「なるほど。」などと承認する発言は、子どもの発言を活発にする。それにもまして、自分の姿勢を褒められれば、発言することに自信をもてるようになる。これを繰り返すことで、話題を広げても狭めても逃げないでついてくる子どもにすることができる。