ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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自分の力で

2008-06-19 | 育児
 久しぶりに理科の研究授業に参加した。教材を開発し、指導過程を工夫し、評価の内容を明確にして授業が行われた。教材、指導、評価の3点についてそれぞれ明確にして行われているが何か物足りない。一人一人の子どもたちが自分が捉えた事実をもとに追求していく姿が見えてこないのだ。教具が工夫され、多くの事実を捉えることができるはずなのに見つける事実が少ない。教師の指示通りに動き活動をこなしているようにしか見えない。グループで仕事分担をするため、捉えなければならない事実も人任せ。記録する子は記録するだけで計測器を眺めて、計測結果を読むことはない。掲示板にはグループ毎に見つけた事実はあるが、自分が見つけた事実ではない。借り物の事実で追求していて科学的な見方や考え方が育つとは到底思えない。自分が見つけた事実にこだわり、自分が見つけた事実から問題を解決できなければ、科学的な目は育たない。
 それならば、個々に実験をさせればよいというものでもないし、グループ学習を否定するわけではない。グループで実験したのならば、見つけた事実をどの子も自分の目で確認したり、見つけた事実はこれでよいかをグループ全員で確認したりする取り組みが必要である。要するに問題解決のために必要な事実をできるだけ多く集める子どもにしたい。そして、その事実をもとに自分なりに考察できる子どもにしたい。
 見つけさせたい事実は何か、見つけられなかったらどうやって見つかるように支援するのか。ここが大事
・「今何しているの?」
・「どんな事実が見つかるといいの?」
・「どこを見るとそれが見つかるの?」
・「どうするとその事実が見つかるの?」
・「みんなで確認した?」
・「何度やってもそうなるの?」
・「誰がやってもそうなるの?」
 机間指導で発する教師の一言一言が授業に必要な事実を見つける子どもに育てることになる。そして、どんな事実を自分の目で発見しているか見過ごさない厳しさが授業の質を決める。