満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

The Cinematic Orchestra 『Ma Fleur』

2007-07-06 | 新規投稿
    
ロバートワイアットの厳粛な歌の響きを想起させる1曲目「to build a home」。しかしアルバム全編を覆うのは、サウンドデザインとも言うべき緻密な音響世界である。そこは、やはりサンプリング世代による‘ポストソング’な感性が浮かび上がる。その意味で類似すべきはボーズオブカナダだろうか。良いメロを挿入できる力量。良いメロが書けるという貴重な才能が元よりあるソニックプログラマーとしての本質に加味された結果、映像的音響の静かな流れの中に、時折、歌の魂が顔出すような至上のバランス感覚を持った音楽が実現した。
「いつになるかわからないけど、『Ma Fleur』の映画はつくろうと思っている」というリーダーのジェイソン・スウィンスコーの意欲は映像と音楽が片方に従属する形ではなく、相互補完をも超えた地点に屹立する新たな表現形態を示唆するものだ。ブライアンイーノの『music for films』を発展させ、環境音に主体を含ませたような音楽世界がこの『Ma Fleur』であるとイメージする。

ただ、この作品も昨今のエレクトロ、サンプリングエイジのアーティストに見られる‘アコースティックへの恣意的アプローチ’の流れと無関係ではないと感じる。(それを批判的に捉えるところが私のひねくれたところだが)、ヒップホップやってた人が急に生音をバックに歌モノにチェンジしたり、テクノからピアノの環境音楽へ変身するアーティストがいる。<本物>に遠く及ばないパターンが多く無惨であり、あまり好きではない。音響や編集を必要としない裸の歌の原型質的なものや上手い演奏との比較に於いてエディット世代のつくる<歌>や<演奏>は多くの場合、底が浅いと感じている。
嫌な見方を敢えてすれば『Ma Fleur』の素晴らしさ、その完成度はジェイソン・スウィンスコーが今回、起用したシンガーソングライター、パトリック・ワトソンの力に負うものが絶大であると感じる。彼が作り、歌った4曲の挿入がこの作品全体のソウルを決定した。
解説に<音楽的なバックグランドやアティテュードに距離感がある事から、彼とのコラボレーションに多少、不安があったようだが、・・・>と記されており、私が感じた相違感を裏付けてくれた。しかし、その<距離感>こそが吉と出た。

The Cinematic Orchestra=ジェイソン・スウィンスコーは『Ma Fleur』で静かに燃えるような感情、静謐ながら濃密に展開する物語を体現した。‘愛と喪失’がテーマであると自身が解説しているが、そのサウンドから想起させる映像は感情が悲劇に向かって放流されるようなセンチメンタリズムではない。むしろ喪失感という深い感情をも夢幻な高みへと静かに至らせるような恒常的な世界だ。あるいは‘愛と喪失’の様々な場面が絵画のように美しく静止し、そこに時間概念や負の感情すらも無効になるようなスタティックな空間。更に言えば各々の場面が独立し、ズームアップとフェイドアウトを繰り返しながら自律した瞬間画像となり、前後のストーリー性からも脱却したかのような審美眼を持つ映像がイメージされる。

聴く者のイマジネーションを鍛えるような音楽は嬉しい。こんな音楽が今、不足しているとも感じているので尚更、そう思う。The Cinematic Orchestra=ジェイソン・スウィンスコーはミュージシャンでなく芸術家だ。その美への触覚がこのような類まれな極点の結晶物のような音楽を創造せしめた。ダダ的発想(反=音楽コンセプト)から音楽的昇華へと結実させる力量は正しくブライアンイーノ以来と言えば過大評価だろうか。今後も注目したいアーティストだ。

2007.7.6
    

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