満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

   SONIC YOUTH    『the destroyed room』

2007-10-18 | 新規投稿
    

SONIC YOUTH  『the destroyed room b-sides and rarities』

ジムオルークが実は最高のロックインプロギタリストだという事に改めて気づかされたのはLOOSE FURの『BORN AGAIN IN THE USA』(2006)に収録されたボーナストラック(ライブ録音)で彼の壮絶なギタープレイを発見した時であった。‘実は’というのも失礼な話でこの人は元々、ヘンリーカイザーに見出されたプレイヤーだった。確か。LOOSE FURでのプレイを聴いて、そう言えばオルークはソニックユースに参加していたんだと思い出し、過去のアルバムをざっと聴き直した。

正直言って90年代以降のソニックユースは以前ほど熱中できないバンドになってしまっていた。『daydream nation』(88)『goo』(90)という頂点以降の活動の多様化と共にグループ名義の作品はレベルが落ちていったと感じられる。みんなあまり言わないがメジャーになってから、ことアルバム制作に関する意識は変質したと私は思っている。スケジュールの管理という業界枠の中にソニックユース本体はあった。その反作用としての各々のソロでの自由な表現活動がエネルギーを持った面があったのではないか。勝手な推測だが。

ソニックユースが切り開いた大きな道を後発のロックが登り始め、その巨大な道を背景にしてソニックユース自身はエッジの多様性、その見せ方に苦悶しながら、リズムの平坦さ、その限界とも格闘していた。嘗ての性急なスピードとエッジ、緩急なメロディとクールダウンの応酬が音楽性の多彩さをぎりぎりまで実現していた後、メジャー後は小さくまとまるような中道ロック、味わい深さを内に籠めるような圧縮されたコンパクトなロックミュージックへとゆっくり変貌していったと感じる。(新宿ロフトで観た初来日時の爆発的ライブと95年頃、観た信じられないくらい音量が小さくなっていたソニックユースの相違は明らかであった)

ジムオルークはグループの起爆剤だっただろう。彼が加入したソニックユースにはロックギターによるインプロヴィゼーションの可能性をどこまで見せてくれるか、そこに注目し、聴き続けたわけだが、グループの中間ロック的なフォーマットの中で見せるオルークの精一杯の光が無惨に感じる局面さえあったと思う。テンションの差が明らかだった。
偶発性、響き、無調、反復。サーストンムーアが価値を認めた音のあらゆる局面、それを許容する先行意識とオフィシャルなビートロックのフォーマットとの間にグループの本質が揺れていた。このグループを正確に把握する為にはプライベートレーベルで制作された音源もチェックしないとその全貌は掴めないが、メジャー作品での平坦な印象は音楽性のベストな客観性に至らないグループの偏りを現していたと感じる。

『the destroyed room』はシングルのBサイドやアウトテイクを集めたもの。
オルーク参加のナンバーも多数収録。ラフな一発実験ものや長大なインプロナンバーもある。貴重な演奏記録だ。ただやはり全体の印象が薄いのはリズムの直線的、ミディアムテンポなワンパターン性のせいか。LOOSE FURでのうねりまくるビート、水位がじわじわ上昇するようなリズムパターンの変化と爆発性をバックにしたジムオルークの即興演奏にこの人の一番、光る瞬間を視てしまった後の、これらの音楽は。何ともテンション不足に感じる。
いや、ソニックユース本位に聴かねばならぬ。それは分かっている。もう少し時期をみて、ゆっくり聴き直す事にしよう。

2007.10.18

 



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