満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

EMMYLOU HARRIS 『all I intended to be』

2008-07-15 | 新規投稿

ジョンコルトレーンにとっての『a love supreme』、ビートルズの『sgt pepper’s』、マービンゲイの『what’s going on』、ボブディランの『blood on the tracks』マイルスデイビスの『bitches brew』はそれぞれのキャリアの中で特別な‘空気’を持ったアルバムだと感じる。それは各々の代表作でありながら、それだけが他のアルバムとは違って、どこか別の部屋で鳴っているような異質性があり、ディスコグラフィーの中で浮いた存在である。

同様の作品がエミルーハリスにもあり、私は『red dirt girl』(2000)の神々しいまでの至上性にエミルーの最高傑作的異質性を感じていた。この作品にある独特の空気感は音響処理による作為が深みと夢幻性をもたらせたものである。そして、カントリーミュージック特有のレイドバックした安定感、たおやかな時間の流れを基底としながらも、歌の切実性が苦悩や希求といった独自の緊張感を醸しだし、ダークダイドとの拮抗が計られたアルバムだった。ただ、それは現在から顧みると単なるサウンドプロダクションの成せる業ではなく、楽曲そののもの力とそれを表現したエミルーの精神状態の具現化であったと確信する。様々な要因により『red dirt girl』は良い曲が奇跡的に集中し、楽曲の焦点の集中度による別格的な崇高さを有していた。

エミルーハリスの長期キャリアを保証しているのは彼女の‘絶対ボイス’であろうか。純潔性をイメージさせたクリアーボイスの70年代から老成の深みに至る現在まで、その暖かみのあるピュアな歌声は、ソロやユニット等、あらゆる企画、いかなるフォーマットに於いてもそれら制作の変化に左右される事のないエミルーの揺るぎない個性であっただろう。平坦なリズムアレンジが単調に感じられたマークノップラーとのデュオアルバム『all the road running』(06)も歌声の魅力に引き込まれ、結局はよく聴いたアルバムだった。聴けばすぐエミルーハリスと解る歌。そんな‘絶対ボイス’を持つ歌手である。

新作『all I intended to be』は『red dirt girl』以来の傑作となった。
自然体の楽曲、シンプルなアレンジ。それでいて『red dirt girl』のドラマ性に対抗し得る物語性を持つ作品。エレクトリックギターがアコースティックギターに交わるその一瞬のみで、これ以上ない雄弁な世界が拡がる。シンプルな音響世界と詩的融合感が実現した。
この静的なアンビエンスは喧噪へのアンチテーゼか。
‘静かな生活’への憧憬は混迷するアメリカの人々の共有するテーマとなりつつあるかもしれない。エミルーハリスの私的必然によって生まれ出た歌が、アメリカ人の‘内向き’を喚起する。それは現実への支点を動かし、新たなメンタリティを形成するのだろうか。そんな影響力さえイメージさせるほどのパワーが漲る作品。

2008.7.15


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