満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』

2009-02-03 | 新規投稿

フリクションのライブ会場で毎回、見かけるのは、カメラを持って客席を移動する茂木恵美子の姿だった。彼女はいつもいた。そのシックな装いと美しい容姿は静かな存在感があり、目立っていたのだ。嘗ては座って弾くギタリストとしてアヴァンギャルド・フリクションの中で異彩を放ち、バンドを離れてからも常にフリクションの創造と併走する姿を見せていた。二年前、11年ぶりのフリクションライブの当日券を買う為に早めに磔磔に着いた私がまず発見したのは、誰もいない開場前のライブハウスに入る茂木恵美子であった。やはり、彼女がいた。あの時の不思議な感慨は何であったか。彼女は勿論、私を知らない。しかし、80年代以降、ずっと私は彼女を見続けてきた。あの日、私は茂木恵美子の姿をまず、目にした事で‘俺はフリクションを今日、観に来たんだ’、と実感が湧いたのであった。

「シャッターを押してくれた撮影者の方々に今、深く感謝します」-RECK / FRICTION
レック自らの謝意が記されたフリクションの写真集『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』に収められた写真の多くが茂木恵美子によるものではないかと思う。もっとも、この写真集は多数の撮影者によるオムニバス形式となっており、誰が撮ったのかが今となっては解らないものも含んでいるようだ。プロ、アマ問わず多くの人間がフリクションを撮った。そのシャッターを切った人達はフリクションの写真を撮るという行為に、何らかの能動的な意志、演奏の強度に触発されたリアクションとしての行為に出ていた事をイメージする。フリクションとは誰もが写真を撮りたくなるようなバンドである。それほど、ビジュアル的にもカッコ良く、ステージにおいては信じられないくらいのオーラを発していた。私にとっては音楽以上にそのバンドの絵姿がもはや、戦慄的に素晴らしかった。

ロックミュージックがカメラを過剰に意識し始めたのはいつ頃からか。それは何もビジュアル系などというカスみたいな音楽をやる連中にだけに当てはまるものではない。例えば90年代以降のイギリスのロックやポップミュージシャンに見られる、その顕著なまでにグッドルッキングでハイセンスな写真写りやフォトジェニックな要素は、不自然を通り越して、もうポーズを撮って商業主義な‘絵’をつくる事がミュージシャンのお仕事の一つで、それがもはやパッケージされた義務になっている事を示す気持ち悪さに溢れている。ルックスの良いアーティストが無愛想で無造作に被写体になるカッコ良さ。そしてルックスの悪いアーティストが目一杯、はずしてカッコつける‘無残なカッコ良さ’はどちらも今、あまりない。音楽産業の画一化されたオートメーションの一環にアーティストの写真や動画が組み込まれ、ひたすらアンドロイドのような人工的な‘カッコ良さ’が再生産されている。正に‘かっこいい事は何てかっこ悪いんだろう’(早川義夫)という状態だ。

被写体としてのフリクションの自然体とは音楽への揺るぎない自信からくる余裕の表れか。しかもそのルックスも良いのだから全く、手に負えない。このバンド、本当に‘カッコ良さ’の象徴だった。レック、チコヒゲ、恒松正敏、そして、シュルツハルナ、茂木恵美子、ヒゴヒロシ。この人達の持つクールスタイリッシュな感性はステージで映えた。モノクロームでハードボイルド、ダンディズム、スリムでシャープ。無骨で無愛想。カッコ良すぎだった。本当に。そしてラピス再加入時のビジュアル的な違和感さえ、バンドカラーの無頓着性が見事に吸収したのは、フリクションのそれらの諸要素が決して作られたものではなく、あくまで自然体による結果だった事を示していると思われる。ギラギラした目つきのラピスが汗を吹き出しながらサンタナのようにのけ反ってギターを弾く完全燃焼型のステージングを見せつける時、私は最初の違和感がまもなく嘘のように消え、この異物的カッコ良さを裡に持ったフリクションの深さだけを思い知ったのであり、また、段々、髪を伸ばして美形イメージを定着させた佐藤稔や最初からロン毛でしかもTシャツ!を着ていたイマイアキノブの健康路線もいずれも以前のフリクションとは全く異なるビジュアルながら、もはや、違和感なきフリクションワールドに収まっていたのは、フリクションにとってスタイルとは先行させたものなのではなく、その時々のリアルタイムな内側からの要請に従ったまでであった事が解る。今やレック自身が髪を伸ばし、タトウーに長髪振り乱しの中村達也と二人で全く‘オールドウェイブな画像’を無頓着に繰り広げている。これもまた、カッコいいのである。

写真集を出すに本来、最も相応しいバンド、フリクションの30年の歴史が色んな人の手で無造作に撮られたフォト集。プロな写真は一部のみ。大半はスピードで画像が揺れるかのようなラフで現実的なものばかり。ベタな言い方だが、音がきこえてきそうな写真集である。

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「写真は撮られるより撮る方が好き」と説明するレック。
しかし私は、写真家レックを評価する術もない。
『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』はレックを撮った写真とレックが撮った写真とが一冊ずつの写真集としてカップリングされたものである。レックによる写真は全てが深夜の東京をスケッチしたもので、その徘徊ぶりが窺える。その偏執狂的とさえ言える夜への偏愛は何か。「レックは真夜中の屑拾いだったのだろうか」という書き出しで始まる河添剛氏による解説はレックが被写体として選択する対象の脈絡のなさを解析し、そこに独自の現実主義的性格を見ている。写真を見る限り、カメラはそれほど高級なものではないだろう。当然ながら芸術的完成度よりも瞬間のインパクトの方を感受する。写真のどれもが、路上での通過地点の一場面をピントすら合わせず、無作為にカシャっと映し歩いたようなラフなものに映る。

写真作品のフリクションとの共通項を見出す必要はないだろう。しかし、強いて言えば、レックがフリクションに於いて選択する言葉達との感覚の類似だけは認めたい気がする。直感的だが的確で、無意味なようで意味深なレックの書く歌詞とここに収められた写真の数々が私の中でスパークする。レックだから信じられるというそのセンスの事ではない。その無造作性と精緻の間を揺れるような感覚は、フリクションにあって唯一、その鍛錬や構造上の‘鋭意努力’の成果であろうリズムの構築性と一体不可分なレックの二面性としての本性を象徴しているかのようにも感じる。ラフではあるが、やはり何かしらの強い意思を感じさせるのだ。

真っ暗な公園の赤いベンチに座る猫、薄暗い路地、誰もいない横断歩道、気味悪い色の夜空に突き刺さるようなテレビアンテナ、赤信号の赤が反射した電信柱、闇に浮かび上がる工事現場、大アップの質屋の看板。
レックのインスピレーションによる対象の選択とその独特な遠近感にも興味はある。しかし、その撮影された‘作品’を鑑賞し味わう術を私はやはり、知らない。むしろ強くイメージするのはレックがシャッターを押す、その行為の快楽性の方だ。ベースを弾き、リズムを刻みながら、言葉を発声するレックの快楽に連なるものとしての撮影行為があるのではないか。いわばシャッターを押す事が演奏に於けるリズムキープのような直接快楽性につながっているのかもしれない。その意味で、出来上がった写真を見る行為より撮るというアクティブ性こそを一義とさえしているような事を想起してしまう。
レックという男。とことん、快楽を追い求め、楽しむ質(たち)だ。もはや表現とかアートではない。それは快楽の手段を自分に引き寄せる吸引力で深く掌握する‘快楽体現者’の姿であろう。

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『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』には1枚のCDがついている。付録扱いだが、音源は貴重なもの。これが78年というラピス在籍のグループ最初期のライブ音源なのだ。カセット音源なので音は悪いが、音楽の善し悪しにはあんまり関係ない。ラピス作曲、リードボーカルの「female」も貴重。全編、圧倒的。凄まじいエネルギーのリズムが叩きつけられるかのようにプレイされている。後のフリクションが身につけるクールな感性よりもひたすら熱さが先行する。私は「I can tell」のイントロのベースとドラムのスタートにヤラレました。繰り返し聴いても飽きない。このタイミング。カッコ良すぎる。

しかし欲を言えば、この作品に‘FRICTION 1978-2008’とタイトルをつけた以上、その写真だけではなく、音源でも30年間をトリップして欲しかった。こんなカセット音源は他にもたくさんあるはず。しかもフリクションには私の認識でも公式音源でリリースさていない重要なライブがいくつかある。例えば86年12月30日の新宿ロフト(レック、チコヒゲ、ヒゴヒロシ、セリガノ)や88年7月8日の六本木インクスティック(レック、佐藤稔、ヒゴヒロシ、セリガノ、ジョンゾーン)でのライブなどだ。それらを今でも度々、私は自分で録った劣悪な音のカセットで聴くのだが、その演奏は全くすごい事になっている。これらは眠らせてはいけない音源であり、当然、バンド周辺の関係者はこのような時代ごとの音源を多数、テープで所持していると思われ、それらを小出しでもいいから何曲かずつ編集し、ライブ音源の30年史として制作していただきたかった。勝手なこと言ってるが、78年のものだけじゃ、もの足らない気分になってしまうのも、フリクションというバンド故、仕方なく贅沢な欲求が出てしまうのです。
次回に期待。ですね。

2009.2.3




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