水・土・日曜日、祝日に更新し、毎回4枚の写真と撮影秘話を中心に、楽しかった思い出をお伝えしています。
7月27日のブログから愛知県瀬戸市の「山口の史跡」をご紹介していて、今回が2 回目となります。
山口憩いの家に設置してある「山口 史跡マップ」を頼りに行きましたが、目的物の場所がチンプンカンプン。
そこで、地図が示す場所の近くの民家で聞きながら、また草をかき分けながら史跡巡りを行いました。
※いつもは4 枚の写真構成ですが、紹介したい写真が多いので、このシリーズは13 枚構成となっています。
写真は、山口憩いの家に設置してある「山口 史跡マップ」で、(01)~(50) 項目の史跡が紹介されています。
(01)近くの民家で聞きながら探した大津城跡です。ここには大津氏祖宗碑・天王社・稲荷社があります。
大津城の由来が記されていますが、内容が理解出来ませんでした。
(02)首なし地蔵です。子供の頃に見たお地蔵さんには首がありませんでしたが、今回見たら首がありました?
山口憩いの家2 階(山口八幡社の隣り)の「山口郷土資料館」のパネル展示を見たら首はありませんでした。
(03)バナナの木や雑林の奥に「大坂砂防堰堤(エンテイ)跡があるはずですが、怖くて中へ入れませんでした。
チョッと離れた所にもバナナの木がありましたが、美味しく実るのでしょうか。
(04)近くの民家で聞きながら探した秋葉社です。民家のご婦人は「地元ではお参りしています」とのこと。
社に雨が吹きこんで「お札が濡れる」のではないかと心配です。
(05)庚申塚(コウシンヅカ)です。明治時代や高度経済成長期に撤去されずに済んだのは私有地だったからかも。
草刈りをした形跡がありますが、次々に雑草が生えるでしょうね。
(06)武田信玄碑です。あちらこちらに「武田信玄碑」や「武田信玄の墓」がありますが、本物はどこでしょうか。
瀬戸市山口地区にある「物見山」にも武田信玄の話が伝えられています。
※ 午前0時・・分・・秒、「ピィピィプー」の時報を待つかのような更新は、名付けて「忍者ブログ」と呼んでいます。
7月27日のブログから愛知県瀬戸市の「山口の史跡」をご紹介していて、今回が2 回目となります。
山口憩いの家に設置してある「山口 史跡マップ」を頼りに行きましたが、目的物の場所がチンプンカンプン。
そこで、地図が示す場所の近くの民家で聞きながら、また草をかき分けながら史跡巡りを行いました。
※いつもは4 枚の写真構成ですが、紹介したい写真が多いので、このシリーズは13 枚構成となっています。
写真は、山口憩いの家に設置してある「山口 史跡マップ」で、(01)~(50) 項目の史跡が紹介されています。
(01)近くの民家で聞きながら探した大津城跡です。ここには大津氏祖宗碑・天王社・稲荷社があります。
大津城の由来が記されていますが、内容が理解出来ませんでした。
(02)首なし地蔵です。子供の頃に見たお地蔵さんには首がありませんでしたが、今回見たら首がありました?
山口憩いの家2 階(山口八幡社の隣り)の「山口郷土資料館」のパネル展示を見たら首はありませんでした。
(03)バナナの木や雑林の奥に「大坂砂防堰堤(エンテイ)跡があるはずですが、怖くて中へ入れませんでした。
チョッと離れた所にもバナナの木がありましたが、美味しく実るのでしょうか。
(04)近くの民家で聞きながら探した秋葉社です。民家のご婦人は「地元ではお参りしています」とのこと。
社に雨が吹きこんで「お札が濡れる」のではないかと心配です。
(05)庚申塚(コウシンヅカ)です。明治時代や高度経済成長期に撤去されずに済んだのは私有地だったからかも。
草刈りをした形跡がありますが、次々に雑草が生えるでしょうね。
(06)武田信玄碑です。あちらこちらに「武田信玄碑」や「武田信玄の墓」がありますが、本物はどこでしょうか。
瀬戸市山口地区にある「物見山」にも武田信玄の話が伝えられています。
※ 午前0時・・分・・秒、「ピィピィプー」の時報を待つかのような更新は、名付けて「忍者ブログ」と呼んでいます。
わたくしも、いつも歩くところです。結構古い史跡などがありますね。
地域の祖先の方々が脈々と引き継がれてこられた信仰なんでしょう。
あらためて、関心をもってあるいてみます。
とっさー
「山口 史跡マップ」に記された場所と実際の場所は離れていて、自力で見つけることが出来ない史跡もありました。
いい風に考えれば、地元の方と会話が出来る+αの楽しみでしょうか。
散歩コースなら、撮影の楽しみを+αされては・・・
瀬戸市「山口の史跡」紹介は、毎週水曜日のブログに掲載していて、これからも続けます。
土・日曜日、祝日は、いつも写真少年の切り口で撮った写真を掲載いたしますので、しばらくは作風の違うブログを2倍楽しんで下さい
お地蔵さんに首が無いのは気の毒だから、誰か親切なお婆ちゃん?が首と服をくれましたね。
暑くて外に人がなかなか歩いていない住宅街でも写真に通行人を収めちゃうところが流石です(笑)
知らない、或は初めての人が見たら「首なし地蔵?。首あるじゃん!」と言って怒るかも。
なぜ「首なし地蔵」に首を付けたのでしょうか。
人が居ないので、7枚目・13枚目は苦労しましたよ
瀬戸市在住です。
武田信玄のことを調べていたらこちらのブログに辿りつきました。
この秋から「武田信玄プロジェクト」を発足しました。
武田信玄のお墓は信玄公の末裔がお墓を供養されています。 織田信長の末裔でもある西山自然博物館の西山先生の本の中にも瀬戸市で信玄公の死について記載。
隠された歴史をようやく表に出す時が来たようです。
本当なら愛知万博会場となり跡形もなく行政に歴史を消されるところでしたが、武田信玄公が末裔に海上の森を守れという言葉を告げたそうです。
是非また陶龍寺へお越し下さい。
2016年08月03日のブログ「瀬戸市:山口の史跡 紹介 2」は7年前の掲載ですが、撮影していた時の状況をハッキリと覚えています。
「武田信玄プロジェクト」の発足、おめでとうございます。
瀬戸市海上町の「陶龍寺」と思われますが、7月16日に瀬戸市山口地区にある「山口八幡社」では、同市の南部に位置する「本地地区・菱野地区」から山口地区へ送り継いだ「虫達(仮想)」を山口地区にある「多度神社」まで送って行きました。
「陶龍寺」と「多度神社」は近くにありますから、ご縁がありそうですね