コルビジュエ。

2005-05-31 23:22:35 | Weblog
 大学に安藤忠雄さんがやってきて、講演会があった。
 僕は安藤さんの講演を昔にも一度聴きに行ったことがあって、そのあと彼がテレビで話していたことがこのときの講演と大体同じだったことと、同じ話が多いという先輩の言を踏んで今日は講演を聴きに行くのはやめておこうと思っていた。他にも今週はやるべきことが山のようにあるので時間の余裕がなかった。

 だけど、状況というのは予測不可能な形で変化する。
 開場時間よりも30分前くらいにNさんから電話が掛かってきて、「今からFさんと安藤忠雄の講演会行きたいんだけど、どんな様子?」と聞かれたので、僕はセンターホールまで様子を伺いに行った。予想通りで人出はかなりのものだった。いかにもNさんがこっちに着く前に満席になりそうだったので、電話で「無駄足になるリスクは極めて高いけれど、駄目元ででもおいでよ」と言いながら会場を歩いていたら、Iさんが友達とずらっと席に並んでいて、「座る?」と詰めて席を空けてくれたので、僕はNさんとFさんの席をとっておいてあげることにした。

 Fさんというのは建築を学びに日本にやって来たフランス人の女の子で、今日は日本語学校を早退して安藤忠雄の講演を聞きに行くことにしていたらしいのだけど、結局NさんとFさんの連絡がうまくつかなくて二人は来なかった。

 変わりに僕はその席に座り続けて講演を聴いてみることに決め(これも何かの縁だと思う)、隣にはI君がやってきたので彼が座ることになった。

 講演は面白かった。
 話の骨子は前回と同じだったけれど、新しい内容も加わり、ジョークで会場は何度も沸いた。
 彼の持つエネルギーをいうものを感じられずにはいられなかった。

 とても不思議なことに、マイクが3回も4回も駄目になって、途中で交換していた。
 一度や二度なら会場の不備で、電池が古かったのではないか、と思うけれど、ああ何度もマイクが駄目になると安藤さんから謎のエネルギーが出ていてそれがマイクを駄目にするんじゃないかと思えて仕方ない。
 それくらいエネルギーを感じる人だった。

 話の中で特別に印象深かったのは、相手にされなくてもとにかく自分勝手にプランを立てて提案していくということで、事務所設立当時に大阪市に駅前開発のプラン(屋上緑化)を持ちかけたことと、六甲の集合住宅を作ったとき、隣に新日鉄のマンションが建っているにも関わらず、それを壊してそこに自分の設計したものを建てるというプランを作って新日鉄に持っていったということを彼は話した。

 両方とも全然相手にされなかったということだが、三十何年の時が経ち、今大阪市は屋上緑化に力を入れていて、それから新日鉄のマンションは震災で壊れて、結局安藤さんの設計したものが建つことになった(手放しで喜べることではないけれど)。

 種を蒔くということ。
 もちろん、発芽率100パーセントというわけにはいかない。
 彼の著書「連戦連敗」というのは、そういうことを表すタイトルなのかもしれないと思った。

 今回の講演では、どちらかというと話の内容よりも彼の話すスタイルが気になった。
 それは今の僕のアルバイトが高いプレゼンテーション能力を要求するものだからで、僕はそうったことがあまり得意ではないので、良いものは盗もうと、近頃人の話し方が気になって仕方ない。

 そういえば、今日アルバイトに行って、実は今週の土曜日はバイトが休みだということに気が付いた。なんだ、休みだったんだ、と思っていると帰り道にT君から電話が掛かってきて「土曜日暇だったらファッションカンタータ行くけど、来る?」と言うので、毎年気になっていたので行くことにした。
 これも何かの縁だと思う。最近、とても縁というものが気になる。


青と緑のパッセージ。

2005-05-30 20:49:06 | Weblog
 伊吹山という山が、滋賀県と岐阜県の県境にあって、昨日僕たちはそこまでドライブに出掛けた。ちょうど去年の初夏にも、僕たちは岐阜県の養老(主に養老天命反転地)までドライブに出掛けていて、だいたい同じルートを通って岐阜県を目指した。立ち寄ったセブンイレブンまで同じところだった。ただ一年が経過し、メンバーが少し変わって、車も違う車になっていた。時間というのは本当に流れている。

 車中で僕はKさんからミスタードーナツのポンデライオン水鉄砲を貰った。それはいつだか僕がこのブログに「ポンデライオン達の書かれた箱を手に入れる為にドーナツを買ったのに違う箱だった」という話を書いたからで、Kさんはそれを覚えていてくれて水鉄砲までくれたわけです(どうもありがとう)。
 早速、I君がT君のエビアンを水鉄砲に補給して、車窓から外に水を放出しているのを見て、僕はなんとなく子供の頃自転車に水鉄砲を装着していたことを思い出した。やっぱり時間と言うのは本当に流れている。

 それにしても、わざわざ買いに行った箱が手に入らなくて、それまで存在すら知らなかった関連のキーホルダーを拾い、水鉄砲を貰えたというのはとても奇妙な気分がするし、単にKさんに対してだけではなく、よく分からない何かにも感謝をする。

 伊吹という土地は蕎麦の発祥地だということで蕎麦屋に入ったけれど(20分くらい並んで入った)、そこはいかにも観光用の蕎麦屋で、どちらかというと観光化というのは悲しいものだなと思い知る感じだった。観光化が進むと品質が下がり値段が上がるという異常なことが平気で起こる。

 そのあと、関ヶ原鍾乳洞に行った。
 僕は洞窟に入ることがとても好きなので、それはそれでとても楽しかったけれど、鍾乳洞と言うよりも只の防空壕に近かった。長い防空壕の途中にところどころ鍾乳石があるといったところ。
 後半は洞窟内を流れる小さな川に鱒が飼われていて、もはやなんの施設なのかよく分からなかった。
 駐車場に戻ると、近所にある鱒の養殖場の看板が立っていた。そういうことなのだ。

 鍾乳洞の近くにはメナードなんとかという廃墟と化した小さな遊園地とスケート場があって、その中が随分と気になったけれど、大人なのでスルー。
 洞窟は結構みんなはしゃいでいたし、探検隊を結成しても楽しいんじゃないかと思った。そういえば小さいときは探検ばかりしていた(探偵団だったのだけど)。
 
 ドライブウェイを通って伊吹山の山頂に着くと、そこは本当に高山といった趣の場所だった。
 風も冷たく、とても高くて、とても遠くを見ることができた。
 こういうところに来るのは生まれて初めてだった。僕はそこが単に切り立った斜面の上に存在しているからではなく、全く別の要因から死というものを強く意識した。そういう場所だった。寂しいとか悲しいとか、そういうのことではなくて、遥か下界に見える町と田園と、それから自分たちの周囲に生える低くてやわらかい植物が死を意識させるのだと思う。

 山頂の散策を終えて(意外に広い)、車に戻るとKさんがラムネをみんなにくれた。
 それもゲームセンターでとるような本物のラムネだった。とても久しぶりにラムネを食べると、とても懐かしい何かを思い出した気分になったけれど、でも実際は何も思い出してはいなかった。

 車中、後半はずっとBさんの持ってきたCDがかかっていた。かなりの確率で知らないけれどかっこいい曲がかかり、気になったけれど悔しいので誰が歌っているのか聞かなかった(このあいだもCD貰ったし)。それからこの日は朝思ったよりもばたばたとして、僕が持っていったCDはかなり適当だったので、もっときちんと選曲すれば良かったなと思った。

 帰りはハイウェイに乗った。
 T君は車にETCを付けていて、料金所はもちろんETC用を通るのだけど、ゲートにものすごいスピードで突っ込んでいくのでひやっとした。

 夜の高速道路は未来的だ、と僕が言うと、Bさんが、高速道路はユーミンっぽいと言った。僕はユーミンの曲をほとんど知らないのでなんのことなのか全然分からなかったけれど、夜の高速道路に似ている音楽ならば聴いてみてもいいなと思った。

 サービスエリアでお菓子を仕入れて、京都に戻り、お別れパーティーに行くBさんを三条で降ろして、プリンツによって帰りました。

 なんだかとても簡素な日記になった。
 まるでとても下手な人の翻訳したカミュの異邦人みたいだ。
 たぶん、本当にこの日思ったことは、また個別にどこかに書くと思う。

 T君一日中運転ご苦労様でした。 

ダンスパーティー。

2005-05-28 14:42:06 | Weblog
 迷路の攻略法の中に左手法というものがある。
 これはもっとも原始的な方法だといってもいいと思うけれど、左の壁をずっと伝っていくとやがて出口にたどり着く、というものだ。
 あらゆる分岐点で、単に左を選べばいい。何も考える必要もないし、迷う必要もない。そして、最短距離とは行かないけれど、ゴールには必ず辿り着く。

 こういう一つの頼りになる方針が、日々の生活の中にも存在していれば、どれだけ楽に生きることができるだろうかと思う。
 だけど、幸か不幸かそんなものは存在しない。
 僕たちはあらゆる瞬間に選択を迫られ、その判断基準は毎回変わる。さまざまな局面にフレキシブルに対応しなくてはならない。一つの方針にしがみついていると見えなくなるものがとても多い。

 何が言いたいのかというと、方針なんてどんどん変わるものだし、首尾一貫して何かを主張するというのはそれほど良いとは思えないということです。
 それから、自分の思考や何かに拠り所を作らないこと。
 中心は虚でなければならない。

 先日、また自転車に乗っていて、そして協会の前を通った。
 協会からは3人の青年が出てきた。彼らは3人ともきちんと整った服装をしていて、一人は白人で後の二人は日本人だった。
 僕は彼らが談笑するのを見て、彼らを結び付けているものは友情なのか信仰なのかどちらなのだろうかと思った。

 宗教に対して批判的な態度をとることは、なんとなくタブーだという風潮があると思う。
 国際化はどんどんと進んで、あと僕らの時代がポスト構造主義の時代で、異文化を理解しましょう、他人を理解しましょう、というスローガンが闊歩し、とにかくなんでも一度「あなたの文化を認めます。世界には色々な考え方があるものです」という断り書きを入れた上で話が始まることが多い。

 だけど、宗教と言うのは本来閉じたものだし、分かり合うことなんてできないんじゃないだろうか。
 確かに歴史的には宗教は決して閉じきってはいない。例えば、ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からさらにはイスラム教が生まれた。仏教はヒンズー教なしには生まれなかったし、日本神道は中国の道教をベースにしている。それに戦後の日本では神仏習合が起こり、今では寺の中に鳥居が立っていることもそんなに珍しくはない。つまり、歴史的な観点から言えば、宗教と言うのは結構アクティブに自分の殻を破ることもあると言える。

 ただ、何かの宗教を信仰している人に「他の考え方もあるのだ」ということを説明することは本質的に不可能に近い。せいぜい、「あなたの言うことはよく分かります。私たちの宗教は物分りのよい宗教ですから、他の宗教のいうことも認めることになっています」という飽くまで自分たちの宗教を上位概念に置いた理解しかしてくれない。

 つまり、「なんでも認める教」という宗教があって、その信者に「僕はこう思う」というと、「それは認めますよ。なにせ、なんでも認める教ですから」という答えが返ってきて、結局「なんでも認める教」の枠組みの外にでることができない。他の考え方をすべて包含しようとする。たとえ、「なんでも認める教っておかしいですよ」という意見をしても、「ええ、ええ、そんな意見も大歓迎ですよ。なんでも認める教ですから」という答えが返ってくる。

 こういうふうに、宗教というのは、だいたいにおいて他の意見を聞くようでいて実は巧みに自分の宗教が相手の意見の上位に来るように構造化されている。
 これは信者にとっては自分の信じる宗教の万能性を幻覚させるものだ。

 だから何をいっても無駄なのだ。
 このとんでもない閉塞感。
 だぶん、知性というのはこの枠組みを打ち破る行為を差す。
 知性と宗教の違いは、知性が知性の外側に存在する知性で扱い切れないものの存在を認識するのに対して、宗教は宗教の枠組みからはみ出したものを想像できないという点にある。

 ときどき、科学も宗教に過ぎないという議論があるけれど、でもはっきりいって科学は宗教ではない。
 なぜなら、本物の科学者というのは科学自体の限界と欺瞞を認識する努力を怠らないからだ。

 理論の美しさを追い求め、宇宙のすべてを表す統一理論を探す物理学者に、かつてリチャード・ファインマンは言った。「どうしてそんな式があると思うのか。もともとこの世界には最終的な理論なんてものはないのかもしれないじゃないか」

 科学は科学自身を疑う。科学の中にいながら科学の外側を見に行くのはとても難しいし、本当はできないことなのかもしれない、でも科学者というのはできないこともしようとするものなのだ。

 もちろん、僕は宗教が違うからといって仲良くできないとは思わない。
 仲良くするのに整合性なんて必要ないからだ。大切なのは彼や彼女自身であって、彼や彼女の神様ではない。


 

フリップ。

2005-05-27 14:29:34 | Weblog
 先日の朝、自転車に乗っているとゴミ捨て場に3人掛けの大きなソファーが落ちていた。70年代後期から80年代に入った頃の雰囲気を持つなかなかかっこいいソファーだったし、ちょうど研究室にごろりと横になれるくらいの大きなソファーが欲しかったので、僕は立ち止まり、そのソファーをチェックした。

 ソファー自体はとてもきれいに見えた(潜在的な汚れに関しては何も分からない。あるいはこのソファの上で悲劇が何度も起こった可能性だってあるけれど、そういったことは時間と共に全部風化するものだ)。
 でも、ソファーには粗大ゴミ回収のシールが貼られていて、そこには丁寧な文字でこのソファーを捨てた人の名前が書いてあった。つまり、このソファーに関しては、丁寧な文字を書く持ち主と、京都市だか清掃業者だかの間で一種の契約が交わされていて、僕が勝手にソファーを持って帰るというのはそのささやかな取り引きに無理矢理押し入ることだった。とても、そんな強引なことはできない。
 
 少しだけ、その名前の表札を掲げた家を探してみたけれど、でも住宅街の中で目的の家がそう簡単に見つかるものではない。僕は急いでいたので、仕方なくその場を後にした。

 市役所に電話を掛けて聞くと、「持ち主さんに言って、引き取りのキャンセルを出してもらって下さい。そうすればソファーを持って帰ってもいいですよ」ということだったので、僕はお昼に急いでソファーのところへ戻った。
 でも、予想はしていたけれどソファーは回収された後だった。
 手を打つべきときに手を打たなくてはならない。タイミングを逃せば、その後でどんなに頑張ったところで二度と手に入らないものというのは沢山存在する。

 でも、収穫が全くなかったのかといえばそうでもありません。

 僕はこの日、京都市役所のどこに電話をかければ良いのか調べる為にインターネットで市役所のサイトを見ていたのですが、ゴミ関係のところから京都市が運営しているリサイクル仲介の存在を知りました。何か要らない物を持つ人が「こういうものが余っている」と登録し、それを見た人が「それ欲しいです」と直接連絡を取るシステムで、要はただの掲示板なのですが、でも、市(循環型社会推進なんとかといった部署)がそういった取り組みをするのはとてもいいことだと思う。
 実際に登録されているものはとても少なくて、実際にはまだこのシステムがうまくいっているとは思えないけれど、ちょっと手を加えれば随分素敵なシステムになるんじゃないかと思う。

 ヤフーオークションのように世界規模で物を売買できるシステムも便利だけど、地域に限定した方が便利なことだってある。

 宣伝くらいはしてみようかと思います。

海洋生物学者。

2005-05-26 14:09:34 | Weblog
 JR福知山線で脱線事故が起きてから一ヶ月が経つと、昨日のニュースで言っていた。

 事故が起きた日、珍しく母親からメールが来て、そこには「まさかとは思うけれど電車に乗っていたんじゃないかと気になるから連絡しなさい」と書いてあった。
 もちろん、僕はすぐに「無事です」と返事をした。

 次に来たメールはオーストラリアから届いたものだった。
 ずっと昔にナイトクラブで知り合ったオーストラリア人の女の子からのメールで、「ちゃんと生きてるか心配だから連絡して」と書いてあった。
 僕はすぐに「無事だし、まったく心配ない」と返事を書いた。

 彼女は、オーストラリア人の怠惰さと、服装に関するセンスの悪さに辟易しているオーストラリア人で、メールには「京都に帰りたい、まるで家のように思う」と書いてあった。
 それに関して、僕は「気持ちは分からないでもないけれど、でも僕としてはゴールドコーストに住むほうがずっと素敵なことのように思える」と返事をした。それに、君は京都に戻りたいと言うわりにはほとんど一言も日本語が話せないし、戻ってくるなら日本語の勉強も少しはしたほうがいいんじゃないか、ということを書きたかったけれど、今のボーイフレンドと仕事に嫌気が差していて不愉快な生活だということが書いてあったので何も言わないことにした。

 年齢を重ねるにつれて、ニュースに関する感受性がどんどんと上がっているように感じる。
 誰かが死んで失われたり、誰かが傷つけられて泣くということがどんなに悲しいことなのか、そういうことがとてもリアルに感じられるようになり、ニュースの記事を読むだけで吐き気すら感じることがある。
 だから、本当はニュースなんて何も見たくはない。
 でも、日本で事故が起こればオーストラリアにいてもニュースになる。

リフレクション。

2005-05-26 12:26:42 | Weblog
 ポケットからイヤホンを引っ張り出すと、クリップがくっついていた。そのクリップを一体いつポケットに入れたのか記憶にはないのだけれど、でもクリップは確かにイヤホンにくっついていて、それも文字通りぴったりとくっついていた。

 どうしてイヤホンにクリップがくっついていたのかというと、それはイヤホンの中には磁石が入っているからで、イヤホンに限らず、一般にスピーカーの中には磁石が入っている。
 スピーカーに磁石が入っていることは良く知っていたけれど、イヤホンにこんなに強力な磁石が入っているとは思いもよらなかった(比較的強いという意味合いです)。

 僕はここのところ毎日イヤホンを使用しているけれど、イヤホンを耳に入れるという行為は、磁石を耳に突っ込むという行為でもあるわけです。
 そう考えると、耳のように至ってデリケートな器官に磁気をかけるという行為に一抹の不安を感じてしまう。

 耳は、音をフーリエ解析し、体のバランスと運動量をも測定している。
 その機構には磁気からの影響を受けそうなものがなかったとは思うけれど、でも何が災いするのか分からないようにこの世界というものはできている。人間には見えないものがたくさんある。

 たとえばモンシロチョウのオスとメスについて。
 たとえばコウモリの鳴き声について。

 僕たちは紫外線が見えないし、超音波も聞こえない。
 それどころか、たぶん本当は何も見えないし何も聞こえてなんかいやしないのだ。
 

メキシコといえばアミーゴ。

2005-05-23 01:14:38 | Weblog
 これまでの僕の生き方というのは、どちらかというと「犬も歩けば棒に当たる」といったタイプのずいぶんとフラフラしたものだった。目的を定めて、戦略を練り、そして気合を入れて最短コースを突っ走る(とこないだ堀江社長の単語集”ホリタン”を立ち読みしてみたら書いてあった)、というようなことがほとんどなくて、買い物一つとっても単にフラフラしていることが多い。

 高校生の頃に三代目魚武濱田成夫の本を読んだことがある。彼は「目立つ格好をしてフラフラしていれば誰かすごい人に遭遇するのではないか」と一時期変な格好で街中をふらふらしていたらしい。僕は彼の作品や生き方にほとんど共感を覚えることはないけれど、まあフラフラしていれば何かにぶつかるのではないか、という期待は理解することができる。

 でも、僕の場合フラフラすることに有限な人生のリソースをたくさん配分しすぎたような気がする。一冊の本を買いに丸善に入り、目的の本を買った後に立ち読みをしていて気が付くと2時間くらい経過していたりする。スーパーマーケットにケチャップを買いにいって、ついでに何か欲しいものがあるかもしれないとうろうろして30分が経過する。
 そうして、気が付くと26歳になっていて、なのに僕はまだどこにも自分の拠り所みたいなものを作ることに成功していない。

 それでまあ、しばらくまっすぐに歩いてみようと思います。

 夕方に雨のなかをI君とカナートまで買い物に出掛けた。明日、彼の部屋でタコスの会をするので、その買出しです。その途中でミスタードーナツのなんとかいうリスのキャラクター(調べるとハニーシッポだった>tadaki)のキーホルダーを拾った。箱は手に入らなかったけれど、ちょっと近づいたわけです。こういうのはやっぱりフラフラの効用とも言えなくない。

 タコスの会のときにプロジェクターで投影するため、ストーリーはないけれど映像はきれいなDVDを探そうということで、昨日I君とツタやにいくと、なんとバーニングマンフェスティバルのDVDがあったので新作にもかかわらず借りた。でも、変な編集で見れたものではなかった。もっと普通のドキュメンタリーのように編集すべきだと思う。
 それからハワイのDVDも借りたのだけど、こっちもあまりぱっとしなかったので、明日また何か借りに行こうと思う。南国のにぎやかな映像があればいいと思う。
  

ヤングアメリカン。

2005-05-22 13:51:50 | Weblog
 外では雨が降り、子供の猫が鳴いていて、そして軽い喪失感の中に自分がいるのなら、そんな夜、人は何をすればいいのだろうか。ある人は掃除だと言い、またある人はお酒を飲んで寝てしまうと言った。残念ながら僕の部屋はピカピカで、それからお酒なら十分に飲んできたところだった。でも、お酒を飲んでもあまり酔っ払うという質ではないし眠くもなかった。それを幸福だという人もいれば、不幸だという人もいる。要するにどちらでもないのだ。

 存在するとは別の仕方で。
 僕たちは丁寧に思考を積み上げることで、思ったよりも遠くに行くことができる。
 時間を使って、丁寧に積み上げること。いかにも押さえ難いコードをゆっくりと何度も練習すること。知らない単語をいちいち調べること。毎日ランニングをし、きちんと掃除をし、ときどきは料理を作る。
 なんといっても、結局世界というのはゆっくり進む。

 それでまあ、夜は明けて日曜日の朝(雨だけど)、ラジオのスイッチを入れれば小沢健二が歌っていた。ナイトクラブの歌。中学生の時には本当のことはよく分からなかった。大人にしか見えないものを僕は美しいと思う。それから「君に見合う僕でありたい」とかなんとか。
 押し入れの奥に放り込んであった黄色いラジオを研究室に持っていこうと思う。雨が降っていても、傘をさせばなんてことはない。

リトルツインズと赤い自動車。

2005-05-21 01:13:03 | Weblog
 ドイツからやって来たダンス学生たちの舞台を見に行くことができなかった。かわりに僕は中学3年生の女の子に物体の運動について教え(主に速度のことを)、それからほとんど最終に近い電車に揺られて帰ってきた。そうして、とても楽しみにしていた木曜日はどちらかというとハードな一日になった。ダンスを見に行く約束は水曜日に断ってあったけれど、木曜日の午前中に大事な発表を行う必要があったので、僕は水曜日の夜はほとんど眠ることなく辞書を引いたり計算をしたりしていた。つまり、木曜日は寝不足だったのだ。

 今日は水をたくさん飲んだ。ペットボトルからごくごくと飲んだ。

 水を飲むとき、ときどき僕は不思議な気分になるのだけど、液体って一体なんなのだろう?
 水のように滑らかで、それでいてしっかりしていて、さらに無色透明なものがこの世界に存在しているということが信じられなくなるときがある。あまりにも完璧すぎると思うのです。

 ある人に手紙を書くことにした。
 紙にペンで書くきちんとした手紙です。

 「中国ではみんな万年筆をよく使います。ボールペンでは線が延びない」

 と中国人の女の子が言っていて、ちょうど万年筆のことが気になっていたので、この際、万年筆を買ってもいいんじゃないかと思う。
 彼女は研究室を変更したので、先日、僕らの使っている部屋を出て行ってしまった。でも、月曜日に友達の家でささやかに開催する食事会にやってくるなら「辛いもの」を作ってくれる。

 中国ではアルバイトというものがないそうです。
 これを聞いたとき、僕はとてもびっくりした。大学生は誰もアルバイトなんてしないし、全員親からお金をもらって学生生活をおくり、お店やなんかで働いている人々はみんな日本でいう社員のようなものだそうです。

 


ほっそりと伸びた腕。

2005-05-17 01:12:17 | Weblog
 友達が、その友達から借りたCDが、二人の間を行き来する少しの間、僕の研究室にあったので、「これ、今借りていい?」と言って、パソコンに取り込んだ。
 そのCDというのは元ジュディ・アンド・マリーのゆきちゃんのアルバムで、僕は最近の邦楽事情にはひどく疎いのだけど多分新譜だと思う。

 高校生のときに付き合っていた女の子がジュディー・アンド・マリーのことをとても気に入っていて、彼女は歌が上手であるということが自慢だったので、いつも歌を歌っていて、このバンドの曲もよく口ずさんでいた。

 彼女はどちらかというとコンサバティブな人間で、「大学を出てOLになって結婚して仕事を辞めて母親になる」というのがどうやら将来のビジョンだったようだけど、僕が能天気に「そんなに歌が好きなら歌手や何かになって音楽で稼ぐといいんじゃない?」と言い続けた為に、「普通には働かない」と言い始め、よく分からないアマチュアバンドのボーカリストになり、そのあとはどうなったのか知らない。もう分かれてから何年も何年も経つ。そういう日々が現実にあったのだということが信じられないくらいの昔の話だ。
 ただ、本当に、僕は能天気だった。

 その高校生のときのガールフレンドの存在があろうがなかろうが、僕はジュディ・アンド・マリーというバンドはなかなか完璧なバンドの一つだと思うし、ユキという人はとても素敵なセンスの持ち主だと思う。作詞家、ボーカリストとして稀有の存在だと思う。

 自転車に乗りながら、そのアルバムを聞いた。
 優れた音楽を聴くと、いつも思うのだけど、僕たちは失いつつあるものを手に入れつつある。

 昨日、雑誌を立ち読みしていて八谷和彦さんのことを知ったので、慌ててネットで検索して、それから僕の入っているのと同じコミュニティネットワークにも入っていらっしゃったので、早速連絡をとることができた。ネットというのはほんとうに便利なものだと思う。
 八谷さんはすこぶる面白いことを考えて実行なさる方なので、もしよろしければ皆さんも検索してみてください。きっとわくわくしてくると思います。