味の素ではどうして嫌なのか

2010-08-31 15:47:00 | Weblog
 しばらく前、フランスに住んでいる友達がツイッターで「ラーメンを異国の地で食べられるのは嬉しい。でも味に何かが足りない」と言うので、僕は味の素のことを思い出した。

 味の素というか、旨味という味覚のことを。旨味というのは日本人が発見したわけだけど、当初は欧米の科学者に受け入れられなかったらしい。端的すぎる言い方を恐れずに言えば、旨味がすでに入っている肉を食べている民族と、豆腐に大豆から作った旨味である醤油を掛けて食べていた民族の味に対するフレームワークの差異。

 それから味の素に反応して頂いた方と少しやりとりとしていると、その方は「美味しい天然ダシにこだわりたい」と言われた。

 僕は他の国のことを良く知らないし、日本人は特別に味の素を嫌う、という話も耳にはしたことがあるけれど、ざっと人間というものは化学調味料を嫌うものだと思う。

 それを美味しいと感じるかどうか、あるいはそれが人体に有害であるかどうか、という次元の問題ではなく、これは「この世界のものかどうか?」という問題なのだろう。

 味の素の美味しさじゃ嫌だ、というのは「幸福なボタン押し男」の問題に似ている。
 幸福なボタン押し男というのはこういう被験者のことだ。人間の脳にはここが活動すると「幸福感」を感じるという部位があって、彼の脳のここには電極がつながっている。ボタンを押すと幸福を感じる部位に電流が流れて彼は幸福を感じる。このボタンを彼自身に握らせたなら、彼は狂ったようにボタンを押し続け「幸福」を感じ続ける。

 さて、彼は本当に幸福だろうか?
 というのが、このシチュエーションの提示する問題だ。
 子供の頃、僕はこれは高尚な問題だと思っていた、とても幸せではない気がするけれど良く考えてみなくてはと、でも今はいとも簡単に「幸福なわけないじゃん」と答えることができる。やっぱり幸福なわけない。

 味の素のおいしさはなんか嫌だ。
 脳に電気を流して感じる幸福感も嫌だ。
 薬決まってる時の気持ちよさも嫌だ。
 精製された砂糖も嫌だ、自然の甘みがいい。
 山にはヘリではなく歩いて登りたい。

 こういう何かの為に「わざわざ」何かをしたい、というリストは際限なく続く。
 わざわざ面倒なことをするのは嫌な筈なのに、僕たちはわざわざ面倒なことをしないと面白くないと思う。たとえば、どんなに「サッカー選手になってワールドカップで活躍したい」と願う子供だって、そう願った瞬間に「オッケー、じゃあ今すぐにそうしてあげる」と神様が現れて、リフティングが急に1万回できるようになってワールドカップに放り込まれたら困るんじゃないだろうか。僕達が何かを望むときの望み方というのはそういうものじゃない。

 何かを望むとき、僕達は、現実にあるものを、自分の肉体や環境をうまく使って成し遂げることを望む。
 味の基だってその環境の延長なわけだけど、それはちょっとショートカットがすぎていて、その辺の匙加減は人によって異なるのかもしれない。

 この世界で、この世界にあるもので、それを使って遊び楽しむことを、心の底ではとても大事に思っていること。本当にこの星や宇宙と遊ぶために生まれてきたようなものだ。だから時には生きることがただの面倒の連続に見えても、その面倒の陰に喜びが霞みそうになっても、僕達は歩みを止めない。苦しいときも本当は僕達は遊んでいる。

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ネット国会/政党政治

2010-08-25 22:24:35 | Weblog
 ツイッターで僕は時々「ネット国会」を作ったら面白いんじゃないか、ということを言っていました。
 ネット国会というのは文字通りネット上に作る国会のことです。そこには基本的に全ての国民がアクセス可能であり、直接民主制に近い形式で政治が行われます。

 選挙前後にマニフェストマッチというサイトができるのをご存知でしょうか?そこには各政党のマニフェストから要旨が抜き出されています。アイデアがどこの党から出たものかを伏せたまま、「経済」「教育」「外交」等のジャンルごとに方針が書かれています。

「経済政策;
 A党案。。。。。。。。。
 B党案。。。。。。。。。
 C党案。。。。。。。。。
 ・・・・・」

「教育;
 A党案。。。。。。。。。
 B党案。。。。。。。。。
 C党案。。。。。。。。。
 ・・・・・」

 といったように。
 もちろん、経済政策の中のA党と教育のA党が同じ党だとは限りません。
 このサイトを使う人は各ジャンルでA党とか、B党とか、C党とか、どこの党の意見が一番いいかを選ぶ。
 すると、一番最後に「あなたの考え方は○○党に一番近いです。民主党との意見一致率は何%、自民党とは何%、みんなの党とは何%、公明党とは・・・・・・」という感じで結果が出て来ます。そこで、このサイトを利用した人は、なるほど自分の考えは○○党に一番近いのか、じゃあ○○党に投票しよう、となるわけです。

 僕も前回の選挙でこのマニフェストマッチを試してみました。
 そして何とも奇妙な気分に襲われました。

 僕が得た結果は、もっとも一致率の高い党であってもせいぜい60パーセント程度で、他にも50パーセント、40パーセントと、半分程度の意見一致率を持つ党はいくつもありました。

 さて、この60パーセント一致した政党に僕が票を投じるというのは、なんだか変ではないでしょうか?

 ここで少し視点を変えてみます。
 このマニフェストマッチというサイトの目的を「党選び」ではなく、「各ジャンルにおける国民の意見を聞く」に変更すると、どういうことがおきるでしょうか。つまり、最終的な「あなたの意見はこの党に一番近いですよ」というのを外して、代わりに各ジャンルごとにみんながどの意見を一番支持したかを集計するのです。「教育に関する政策ではA案がもっとも支持された。外交に関してはC案が。。。。」という風に。
 そして、このもっとも支持の多かった政策を実行することにします。
 この方が、党を選ぶよりもダイレクトに国民の声を反映しているような気がします。

 僕は政治に疎いので、政党の存在理由というものが全く分かりません。
 どうして、「政策」ではなく「党という政策のセット」でしか選ぶことができないのでしょうか。

 このマニフェストマッチを進化させた、ネット上でもっとダイレクトに政策を議論したり選択したりするシステムがあればいいなと思っています。  

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小説

2010-08-20 11:52:32 | Weblog
 最近、ブログを書くことが困難になってきました。それは多忙の為、書く時間も体力もない、ということではなく、文字通り書くこと事自体が困難になってきたということです。

 理由はいくつかあって、それらについて自分でもそれなりに考えてみました。
 そして思い至ったのは、僕はブログという形式には納めることのできないことを書きたいのだ、ということでした。

 納めることができない、というのは、一つは単純に分量、長さの問題です。
 最近ブログを更新する頻度は落ちていると思いますが、実はポメラの中にはそれなりの分量の文章があります。ただ、どれも書いているうちに自分の考えが変化してしまったり、漠然としていること自体が結論となったりしてブログとしては長すぎるのです。

 それから、ブログが自分に近すぎて書けないことも多い、という問題もあります。
 たとえば、僕がここで自分の恋やセックスについて語ることはあまりにも生々しい。けれど、ある意味では恋愛というものは僕の人生の多くの部分を占めてきたし、そういうことをこれ以上無視したままにはできない。

 その他に、ぐるぐると色々なことを考えて、僕は今一度小説を書くことにしました。
 あっ、心配なさらなくても恋愛小説なんかではありません。僕はそれには全くが興味がないのです。
 今まで何度か小説を書いて、途中で下らなくなってやめるということがありました。そういうのを僕は自分の根気のなさ故だと単純に思っていたのですが、実は書きたいことがただのエンターテインメントであって、それは半分くらい「僕はこんなにおもしろいことを考えることができる」という自己顕示欲の固まりに過ぎなかったからだと今は思います。
 それを象徴するかのように、ずっと、僕は書きたいことなんてない、ただ面白い話を作りたい、と言っていました。

 今は、書きたい、書くべきことがあり、小説という記述形式が必要だと思っています。
 僕には言わなくてはならないことがあります。言われなくてはならないことが。それは、これはフィクションなんです、と銘打った物語でしか書くことのできないものです。 言わなくてはならないこと、なんて全く大げさで傲慢なようですし、自分でもそう思います。でも、これは「書きたい」とは少し違っているのです。やはりこれは「書かれなくてはならない」ことだ、と自分勝手な錯覚にしろ思っています。それが、世界の為に書かれなくてはならない、とは流石に言えません。少なくとも自分の為には書かれなくてはならず、それが結果的にいくらかの人々にとって書かれなければならなかった、読まれなくてはならなかった物語になってくれれば良いと考えています。

 何かの為に書かれなくてはならなかった物語、という割には、それは全然示唆的でも教訓的でもなく、まったくのエンターテインメント作品にしか見えないかもしれません。
 それはそれで構いません。それが何のように見えるか、何に似ているか、というのは実際のところ重要なことではありませんから。
 とにかく、僕は31年間好き放題に生きて来て、今コツンと何かに当たったのです。シャベルの先が何か堅いものに当たってしまった以上、僕は期待を持ってそれを掘り出さないわけには行きません。それは大きければ大きいほど、深ければ深い程大変な作業になるでしょう。

 僕にはしたいことが沢山あって、小説だけを書いているわけには行きません。不純だと言われても、そういうわけには行かない。何か一つに全生活、全生命を賭けないないならそんなものには価値がない、と言われてもそういうわけには行かない。
 だから、執筆速度はそれほど早くはできない。でも、できるだけ早くそれを掘り出したいと思うし、できれば過程であってもせっかちに早く誰かに見てほしいと思う。
 だから、それに沿う形で出すことにしたいと思います。

 それから、僕はこの発掘作業をただではできない、と告白せねばなりません。
 「えっ、金の話の話すんの、金くれって!」
 と言われても仕方ないのだけど、平たく言うとそういうことになります。

 僕はこれまで「お金を貰わない」で何かをする方針でした。そして、お金を貰わないことの限界も知ったつもりです。
 お金を貰わないというのは、一見太っ腹のようで、その実は臆病さの塊でもありました。僕は自分の開いたパーティーを無料にしていたけれど、そこには「もしも面白くなくてもタダなんだから文句を言わないで」という陰湿な理由があったことを否めません。責任が発生しないようにするという責任逃れだったのです。クオリティー低くても当然、だってタダだもん、という逃げ口上。
 本当はみんなから少しだけお金を出して貰って、それでキチンとしたクオリティーのものを作るという選択肢も意識していました。

 今度はそうしようと思うのです。
 僕はお金を貰い、そして言い訳のできないクオリティーを提供する。
 現実問題として、ただで長時間集中して長い文章を書く、というゆとりは今の僕の生活にはありません。せいぜいブログが精一杯で、そのブログにも切れ切れな記事が散見されるようになりました。
 これは一つの限界だと自分で感じています。それが自己顕示に過ぎないとしても、言いたいことをみんなに聞いて貰っている立場だとしても、僕はそれなりに誠実にこの数年間ブログを書いてきたつもりです。これは僕の現在持てる資源での限界です。
 これ以上のことは助けて貰わないとできないし、人々に助けて貰ってでもこれ以上のことをしたいと思っていると、ここで僕は言わなくてはなりません。
 そして、お金を払ってくれた人達がちゃんと喜んでくれるだけの品質を提供する覚悟だと。

 もしかした、カチンとスコップの先に当たったものは、ただのちっぽけなタイムカプセルかもしれません。しかも僕が自分で埋めて忘れていただけの。他の人にとっては何の価値もない。期待を持って掘り出したのに、中を開けてみれば僕が入れたガラクタしか出てこないかもしれない。
 そんなことになってしまっても、僕は貰ったお金を返すことはできないし、ひたすら謝ることしかできない。言い方を変えれば責任は取れない。
 だから、もう少しだけ自分一人で掘ってみて、もう少しだけ「これはガラクタじゃない」という確信が持てたとき、みなさんの力を借りて本格的に掘り始めたいと思います。そのとき、僕の差し出すものに賛同頂けたならば、少しだけ助けて頂けると幸いです。

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スケートボード

2010-08-18 14:08:57 | Weblog
 妹に二人目の子供が生まれ、お宮参りがあったので行ってきました。
 神社に僕がスケボーで現れたので、母親は「またこの人は、、、」という表情でいくつか質問してきた。

 「こんなの道で乗っていいの?」
 「具体的には法律がないから悪質じゃなかったら捕まらない」

 「危ないんじゃないの?」
 「小学生の時から乗ってるから自分の足で歩くのとほとんど変わらない」

 「ふーん。車の中に入れてきて、早く(向こうのご両親達が来る前に恥ずかしいから車に隠してきて)」

 僕は小学生の時からスケートボードに乗っている。映画Back to the futureを見た後にすぐ買って貰った。
 当時のスケートボードは、いわゆる第3世代スケートボードで、今見かける第4世代の板とは全然違った。なんというかもっとがっちりした作りで、前後も決まっていて自由度が低かった。こんな板では平地でのオーリー(ジャンプ台なんか無しに平地でジャンプすることです)はたぶん不可能だろうし、随分不便なスケボーだったわけだけど、まだ、やっとポリウレタンのウィール(タイヤのこと)を使うようになった第2世代の板も混在していた当時、小学生の僕たちはオーリーなんて知る由もなく、これは全く不思議なことなんだけれど、どこで覚えたのかチクタクや、プッシュでその辺りを走り回るだけだった。地面に足を着くプッシュではなく、両足をボードの上に乗せたまま前に進むチクタクを覚えたとき、僕は感動してしまい、その推進原理を詳しく日記(先生あのね)に書いた。

 中学生になると、スケボーはもう唯の子供のおもちゃにしか見えなくなって全然乗らなくなる。それでも相変わらずBack to the futuerに憧れのあった僕はホバーボードを作れないかと思い立ち、映画の様に本当に”浮かぶ”のは無理だけどホバークラフトみたいなものならできるかもしれないと、早速スケボーのタイヤを外した。それから、家の掃除機を分解してモーター部分を取り出し(家には2個掃除機があったから大丈夫!怒られたけれど)、スケボーの真ん中に大きな穴を開けてそれを取り付けた。それから板と地面の間に空気を閉じこめる為のスカートを取り付ける。ホバークラフトという乗り物は、ヘリコプターの様に下に向かって空気を噴出することで浮かんでいるのではなくて、スカートと地面の間にできる「空気の漏れ出る隙間」分浮かんでいるだけのお手軽なシステムなのです。
 結果的に、僕のホバーボードは乗って進むとは程遠いものに終わりました。
 そして我が家は掃除機を一台失い、僕はスケートボードを失った。

 スケボーなんてすっかり忘れていた高校生の頃、日本に第4世代のスケートボードが入ってきた。
 そして、友達が「これ、なんかすごいんだけど」と言ってビデオを見せてくれた時、初めてオーリーを見た僕は言葉を失った。

 それはもう全く次元の違うスケートボードの乗り方だった。
 オーリー。
 スケボーの上に立ってジャンプしたら一緒にスケボーまで飛び上がるなんて魔法にしか見えなかった。足と板がつながっている訳じゃないのに。どうして板まで飛び上がるのだ?
 そしてオーリーが可能にした様々なトリック。障害物に飛び乗ったり。それまで、プッシュ、チクタク、マニュアル、自転車や車
で引っ張って貰う、台風の日に傘を持って乗り風で進む、坂道を下る、程度の2次元的な遊びしかしたことのなかった僕にとって、板をクルクル回しながら障害物を飛び越える3次元的な動きは奇跡にしか見えなかった。

 僕たちは第4世代のスケートボードを買った。何年振りかに乗るスケートボード。前世代のものより遙かに自由に近い足触り。
 当時はまだインターネットなんてなくて、田舎には新世代のスケボーの本もなくて、僕たちは友達のビデオを繰り返し何度も何度もスローやコマ送りで見て分析し、やっとのことでオーリーを跳べるようになった。まだまだ低いけれど、でも板は地面から離れるようになった。
 それは実に感動的なことだった。そんなことができるなんて夢にも思わなかったことを、先人のビデオで知り、それを実際に自分が習得すること。僕のそれまでのどの達成よりも刺激的な達成だった。

 二人がそれなりのオーリーを飛ぶようになり、しばらくすると情熱は失われていった。もともとスケボーに乗りたがる人が他にいなくて、いつも2人で遊んでいたのだが、彼がバンドとバイクに重心をシフトすると、僕は一人でスケートするしかなく、自分も段々と乗らなくなった。
 スケボーに乗っていると「変な人」「悪い人」だと思われることが多いのも、その頃は結構気になって、大学生の間はほとんど乗らなかった。

 久しぶりに乗ったのは、数年前、実家の玄関に転がって埃を被っていた板がなんとなく目に留まり、自分のアパートへ持ち帰ったときだ。夜の公園へ行って乗ってみると、久しぶりの、地面の上を滑る感覚がとても気持ち良かった。
 それでも実際にどこかで乗ることはほとんどなくて、また良く乗るようになったのは最近ウィールを柔らかなものに、静かなものに変えてからのことだ。歩きなれた道が再び公園に見える。

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東京日記3

2010-08-14 02:08:47 | Weblog
 11日は夜早めに京都へ戻るので、それほど時間もなく、一人でさっと気になることことを済ませてしまう日。一人観光は苦手だけど、当初はこの最終日半日くらいだけが一人観光の予定で、それくらいなら許容範囲だった。

 渋谷駅で岡本太郎「明日の神話」を見る。

 次いで、地下鉄とゆりかもめを乗り継ぎ、日本科学未来館へ向かう。
 それまでごちゃごちゃした街だとしか思っていなかったけれど、ゆりかもめからの景色があまりに未来的で度肝を抜かれた。はじめて東京の凄みを見た気がする。ビッグサイトの巨大さだとか、空と飛行機と、汚れきっているけれど海があり、高層ビルが並び、風力発電の風車があり、昔の科学雑誌にあった未来予測イラストみたいだった。

 テレコムセンターでゆりかもめを降りると、目的の科学未来館の前に産総研が目に飛び込んで来て色々と複雑な気持ちになる。
 産総研。

 科学未来館へは2時に着いた。運の良いことに2時からはアシモのショーみたいなのがあったので、僕はそのまま急いでアシモを見に行った。
 それから、これも運の良いことに昔ネットでお世話になった尊敬するエンジニアの方とお会いすることができた。「あー、あの時の!」と。まさかこんな形で会うことになるとは、あの時想像もしなかった。

 日本科学未来館は懐かしい雰囲気だった。
 子供の頃に見た科学館のことを思い出す。
 展示されている内容は僕が子供の時から進化しているけれど、そんなには変わっていないような気もした。
 今はここで働いていらっしゃる元エンジニアの方が「いやー、ここローテクですよ。予算もないし」と言っていらっしゃったのが10分程見ていると分かってきた。展示されていることも大体は知っていることだし、そんなに時間を掛けては見なかった。でも子供の時に来たら大はしゃぎだっただろうな。

 特別展はドラえもんの道具に現代科学がどこまで近づいたかというもの。ドラえもんで夏休みの子供も引っ張れると思うし良い企画だと思う。
 僕は展示されている物にではなく、壁に大きく描かれていたドラえもんのマンガのコマに感激してしまってちょっと泣きそうになった。
 僕はドラえもんにものすごく影響を受けている。ドラえもんは地球の科学の象徴だった。ドラえもんの映画はいつも「地球の科学vs何々」という視点で見ていた。
 あの優しい手触りは何だろう。奇跡みたいなマンガ。

 未来館の後、表参道へ。
 そういえば表参道ヒルズには実は前日にも訪れているのだけど(最初に書いたように掻い摘み日記なのです)、この日も少しだけ入った。

 けれど、表参道の主目的は岡本太郎記念館。いつか来ようと思っていたので、今回の東京滞在で訪ねることにしました。東京日記1の冒頭はこの岡本太郎記念館の中にある彼のアトリエに入ったときのことです。
 かつて、ここで彼は絵を描いていた。

 僕は自分がいつどこでどのようにして岡本太郎の名を知ったのか思い出すことができない。幼稚園の年小に当たる時期、僕は大阪の茨木に1年程住んでいたので、太陽の塔はきっと目にしていたことだろう。画家志望からデザイナーに転向した父は、まだ幼い僕に太陽の塔をどういう人が作ったのか説明してくれたかもしれない。そういうことがあったとしても何も覚えてはいないけれど。

 覚えているのは初めて「今日の芸術」を読んだ時の衝撃だ。僕はもう大学生になっていたかもしれない。それまで「芸術は爆発だ」に代表される奇抜さしか知らなかったが、今日の芸術の中では岡本太郎の芸術観が理路整然と説かれていた。

 それもその筈、彼は当時のの日本において、かなり数少ない本物のインテリだった。パリに長く暮らし大学でモースに師事して、抽象芸術運動に参加してバタイユやカンディンスキーなんかと議論するような暮らしから日本へ帰って来た男なのだ。輸入された書物を読んでいただけのインテリとは話が違う。

 昔、岡本太郎と三島由紀夫、あと誰か忘れたけれど何人かの座談会記録を読んだことがる。太郎と三島とのやりとりは実に印象的だった。格が違う。今で言うと、ツイッターでの堀江貴文と一般人のやりとりくらいに格が違う。
Aさん:「堀江さんはどうしてそんなに失敗を恐れないで色々なことにチャンレンジできるのですか?」
ホリエモン:「失敗したらなんか困んの」
 みたいな。

 正直な話、僕は岡本太郎の絵は好きでないし、好き嫌い以前にもう古いと思う。立体は結構好きだけど、でも立体ももう古い。
 古いとか新しいとか、そんなものだけで芸術は評価できない、という反論もあるかと思うけれど、芸術は古い新しいの問題です。古い作品には芸術としての価値はない、それはもうただの「芸術の歴史」の資料にすぎない。

 でも岡本太郎の書いた本はとても好きです。本を読むと「ただの変な芸術おじさん」というイメージは吹き飛ぶと思う。
 その点はムツゴロウさんに似ているかもしれない。ムツゴロウさんも「ただの変な動物おじさん」だと思われているけれど、彼の本を読むとそんなイメージはぶっ飛んでしまうはずだ。生き方がもの凄いです。

 岡本太郎記念館を出たあと、簡単な待ち合わせをして、それから東京駅で新幹線に乗り京都へ戻った。
 京都駅では、牛久大仏より11メートルだけ背の高い京都タワーが夜空を背景に白く光っていた。

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東京日記2

2010-08-14 00:03:00 | Weblog
 森美術館の一番素晴らしいと思う点は夜10時まで開いていること。夜から美術館にいけるというのは素敵なことだ。夜にしか見えないものが世界にはたくさんある。

「ネイチャー・センス展」では吉岡徳仁さんの雪みたいなインスタレーションと栗林隆さんの和紙で作った森みたいなインスタレーションを見て、やっぱり大きいものが僕は好きだなと思う。

 森ビルの展望室から眺めた東京は、イメージ通りの東京だった。
 じゃあまたねバイバイと言って、次の待ち合わせへ向かう。

 待ち合わせは新宿だったので、一旦新宿へ降り立つも、池袋に変更となり池袋へ。ビールを飲んで話をして。

 10日は予定がキャンセルになり、迷ったものの昼下がりから一人で牛久大仏を見に行くことにした。
 茨城県牛久市は東京から電車で1時間程度の距離。大仏までは駅からバスで30分程度。牛久大仏は高さが120メートルで、奈良の大仏が手の平に乗る程の巨大さを誇る。2008年にどこかに抜かれるまでは世界最大の大仏だった。

 駅から3時半くらいに出るバスに乗ったのは、僕と青年一人、おばさん一人だけ。おばさんは途中で降り、乗ってくる人はおらず、僕とその青年二人だけを最後尾の左右に乗せたバスは田舎道を走っていく。ちなみにこのバスは駅から大仏まで行く最終バスだった。さらに、大仏から出ているバスの最終は4時過ぎだったので、僕は大仏からバスで帰ることはできない。

 大仏は確かに圧倒的に大きかった。町田康が小説の中に書いていたように、ただ大きいだけの間抜けな仏像かもしれないけれど、それでも天晴れな大きさだと言っていいと思う。

 僕は基本的に一人旅ができない人間で、誰かと感動を分かちあえないなら何をしても意味がないと考えてしまう。さらにこの日は気分が沈んでいたので、実のところ大仏を見てもなんとも思わなかった。
 もしも誰かと来ていたら「大きかった」だけではなくもっと別の感想を書いていたかもしれない。

 大仏の中に入ると、まず最初の間で真っ暗闇を体験する。真っ暗な中で1分程何かのナレーションがあって、それから扉が開くとそこにはクリスタルの仏像が青や赤や緑の光で照らされている謎の空間がある。
 なんというか、新興宗教的宇宙的場末の観光地的UFO的空間が。あと3300体の黄金の仏像だとか、やっぱりスペーシーな写経の間とか。
 大仏の胸辺りが展望室になっているので、そこから景色を眺めることができるけれど、さっと覗いたらそれでいい程度の景色なのでさっと覗いて降りた。
 外から見たら巨大大仏だけど、中に入ってしまえばなんてことない。

 大仏を出ると「ふれあい動物広場」みたいな所がすぐあるけれど、閉じこめられた動物が子供達に触り回られるという残虐な光景は見たくないのでスルー。

 5時の閉園時間も迫り、帰ろうとするも、ここへ来て先送りにしていた「帰りはバスがない」という問題に直面する。
 バスがないどころか、タクシー乗り場にタクシーの陰も形もない。
 売店で働いているおばさん二人が帰ろうとしていたので、「駅まで乗せてください」と言ってみるも「方向逆だし」と無惨に断られる。普段の僕ならここで諦めずに他を当たったり、「牛久駅まで」と紙に書いてヒッチハイクしたかもしれない。でも、この日は元々沈んでいて、おまけに嫌いな一人観光で心が弱り果てていた。「タクシー呼ぼう」僕は売店に張ってあったタクシー会社の電話番号をコールした。すると、早口で良く聞き取れなかったけれど、出たのはどこかのお店の人みたいだった。あれっ、と思いながら「タクシーをお願いしたいのですが」と言うと、「あっ、そのタクシーの会社潰れちゃったみたいですよ」との明るい返事が返ってくる。

 電話を切って、僕はiphoneで他のタクシー会社を調べた。

「あー、牛久大仏ですかー、ちょっと、うちは牛久まではカバーしてないんですよ。良かったらグループの他の会社教えますんで、そっちに掛けてみて下さい」

 教わった番号では誰も電話を取らず、僕はもう一つ別のタクシー会社に電話を掛け、やっとタクシーを頼んだ。

 ベンチに腰掛けて衛生ボーロを食べている。諸事情で僕はこの時衛生ボーロを持っていて、お腹が空いていて、他には食べるものが何もなかった。
 大仏公園は閉園して、もう客は誰もおらず、ただ園の掃除をするおじさん達とベレー帽まで被った大げさな身なりのガードマンみたいな人がいるだけだった。ガードマンはありとあらゆるところの鍵を掛け終えると車に乗って帰って行った。

 日が傾き、ヒグラシが鳴き、タクシーを待つ僕の背後には間抜けなくらい巨大な大仏が立っている。遙か見上げた大仏の頭には何かの鳥が止まったり飛んだりしていた。
 足下には巨大なタイプのアリと小さいタイプのアリがたくさんウロウロしている。衛生ボーロを一つ落としてみると、巨大な方のアリが見つけてなんとか運ぼうとしているが成功しないようだった。僕は別のボーロを落として足で砕いてやった。
 バスは無く、ヒッチハイクも断られ、電話したタクシー会社は潰れていて、背後には巨大大仏、足下にはアリ。
 もう一度書いておくと、この日はもともと気分が沈んでいた。だからこのタクシーを待つ時間ときたらそれは悲惨なものだった。

 ようやく現れたタクシーの運転手さんは気さくで陽気で、僕はそれで一気に救われる。人に明るく親切に接することは大事なことだなとしみじみ思う。
 運転手さんと話していて分かったのだけど、なんとこういった場所では流しのタクシーは走っていなくて基本的に全部電話で呼ぶものらしい。僕にとってタクシーは基本的には手を挙げて止めるものなので、そういうと彼はびっくりして「いやいや、本当に知らなかったんですか! こういうとこへ来てタクシー待ってても絶対に来ませんよ。流してませんから。呼んで下さい」と言った。

 電車に乗って東京へ戻り、夜の渋谷で待ち合わせ。初めてハチ公像を見る。ゴミだらけだ。子供の頃にハチ公物語を読んで、コタツに潜って泣いたことを思い出す。

 渋谷のスクランブル交差点もはじめて渡り、こんな人だらけの街にまともにくつろげる店があるのだろうかと心配したけれど、さすが友達はずっと渋谷で働いているだけあって、一歩裏通りの、きれいな、人の少ない素敵なお店へ連れて行ってくれる。

(続く)

セカンド・ネイチャー
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東京日記1

2010-08-13 21:57:17 | Weblog
 夏蔦が窓の外で揺れている。すこし遠い蝉の声が聞こえる。そこには、かつて存在したものがもう存在しないことによる深い静寂が腰を据えていた。古い埃のにおいと窓から射す遅い午後の光。8月という死者に一番近い季節。僕はそっとピアノに手を触れてみる。

 カーン、と誰かが表にあるあの変な形の鐘を鳴らした。
 僕は生者の世界へ意識を戻す。
 この夏の太陽が照りつける汗ばんだ世界へ。

 2010年の8月8日から11日まで、僕は東京に滞在していました。僕はずっと京都に住んでいて、東京へ出たことはこれまで3回しかありません。1度目は小学生の時にディズニーランドへ行ったとき通過しただけ。2度目は中学生の修学旅行で東京タワーに登っただけ。3度目は一昨年従姉妹の結婚式に出て、帰りにコルビジュエの国立西洋美術館を見てご飯を食べて帰っただけです。

 だから、今回は僕のはじめての東京と言っても過言ではありません。なんと31歳にして。
 このところ、ブログに日記を書くことはほとんどしないようにしています。本当に素敵な重要なことは書けない場合が多いからです。だから書くとしてもある部分だけを抜き出して、それに対する自分の感想みたいなことだけを書くようにしていました。
 今回も日記は書かないつもりでしたが、色々と思うところがあるので、抜き出された部分の断続的連結で日記に似たものを書こうと思います。整合性などにおかしな点があっても気になさらないでください。
 という訳で、話は8日の夜11時から始まります。

 池袋で11時前に友達と待ち合わせ。彼は中学の同級生で、同じ塾にも通っていたけれど、実は学校でも塾でも同じクラスになったことは一度もない。多分まともに遊んだことは一度もないんじゃないだろうか。さらに中学を卒業してから10年以上会っていないし、連絡すら取っていなかった。全く偶然にミクシィで再会し、それで数年前1、2回京都で会った。
 考えてみれば、これはかなり薄い関係の筈だけど、不思議なことに僕は忙しく働いている彼に対して日曜日の夜11時から飲みに行くことを提案してしまう程の親密さを感じていた(無茶言ってごめんねw)。こういうのはインターネットの恩恵かもしれない。

 池袋を二人で歩くのは不思議な気分だった。僕たちは目に付いたバーに入ってビールを注文した。昔や今や未来の話をしていると3時半になっていて、外では最近珍しい雨が降っていて、僕たちはバイバイまたねと小走りでそれぞれの眠りへ向かった。

 9日は11時に六本木で待ち合わせ。
 東京ミッドタウンの21_21で開催中の佐藤雅彦さん「”これも自分と認めざるをえない”展」へ。この展覧会がはじまったとき、見たいなとは思ったけれど、まさか本当に見ることになるとは思いもしなかった。

 最初に自分の名前、身長、体重、星を描く動き、虹彩を登録する。
 この展覧会は体験型の展示が多いので、人が空いていてラッキーだった。それでも登録システムの前に数人の列ができていて、並んでいると「京都工芸繊維大学の人ですよね?」と声を掛けられてびっくりする。見てみれば見覚えのある人で、同じ大学の人だった。今は東京で働いているという。東京でばったり京都の大学の人と会うとは。

 これは京都での話だけど、つい先日もお店のカウンターに座っていると「京都工芸繊維大学の人ですよね?」と話掛けられてびっくりしたところだった。全然誰か思い出せないなと思っていたら本当に知らない人だった。「大学で何度か見たことがあります」とのこと。なんだか有り難い。

 この展覧会のテーマは「属性」で、指紋、虹彩、身長、体重、ペンの握り方、顔、輪郭の長さ、記憶、体の動かし方、服などと個人の属性を関連させた展示が置かれている。
 顔、については顔認識のシステムを使った展示があり、そこでは「男か女か」「30歳以上かどうか」「笑顔か怒っているか」の判断をコンピュータが下すのだか、僕は女で30歳未満で、精一杯の笑顔も怒った顔だと、ことごとく逆の判断をされた。昔から女の子に間違えられることも、若く見られることも多かったから、それはそれでいいけれど、笑顔が怒った顔に見えるというのはちょっと頂けない。

 全体的にハイテクな展示の中で、一番印象的だったのは今やローテクに分類される普通の写真だった。
 Ari VersuluisとEllie Uyttenbroekの"Exactitudes"という作品で、二人は街行く人々を観察し写真を撮り、それを「似たもの同士」のグループで分類した。これがなんかとても面白かった。僕たちが普段うっすらと意識している「こういう感じの人達」というものを写真で明示した作品だ。うまく言えなかったことを誰かが上手に説明してくれたときのような爽快感。

 トリッキーな作品の多かった21_21を出て、新国立美術館のファサードとインテリアを見た後、友達が「黒沢明の実家」だという店でうどんを食べる。
 それから六本木ヒルズの森美術館へ。
(続く)
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”ちょっとマニアックな話”

 展示には何人かの有名人のパソコンが並べられているブースがありました。
 中にコーネリアス小山田くんのもあって、デスクトップに「和光」というフォルダがありました。
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阿闍梨の犬は修行中吠えない

2010-08-06 13:08:25 | Weblog
 それではマトリックスの話に戻りましょう。印象に残ったシーンというのは、ネオが予言者の所を訪ねた時の話です。

 そこにはチベットの僧侶みたいな格好をした男の子がいて、スプーンを超能力で曲げています。
 彼はネオに「本当はスプーンなんてないって分かっていれば簡単なことだ」と言う。

 マトリックスの中では全てはプログラムで書かれた仮想現実にすぎません。例の裏返った緑色のカタカナで編まれた空間です。実体が本物のスプーンではなく、ただのプログラムだと分かっていて、そのプログラムを書き換える方法さえ知っていれば、スプーンなんてどうにでもすることができる。もちろんスプーンに止まらず、世界の全てを。

 そして、僕達の世界に存在するスプーンも、哲学者やブッダやイエスや聖者達のいうように、本物のスプーンではない。

 ついでに少しチベット仏教の話をすると、チベットで修行した日本人に野口法蔵さんという人がいます。
 彼はもともとカメラマンか何かでした。チベットに行ったらそこですっかり仏教の虜になってしまい修行を始めた。僕は一冊だけ本を読んだことがあります。
 その本はいきなり「私は毎日10時間”五体倒地”という祈りを行っています。バカだと思うと思うけれど」というような文章から始まり、ガンジス川の畔で焼け残った死体を思わず食べちゃった、みたいなことも書かれている変わった本でした。

 その中に瞑想のシーンが出てきます。
 標高何千メートルという山の中にある寺院で、暖房も何もない部屋の中、石畳の上に座って瞑想するのですが、そんなの寒くて瞑想どころではありません。気温が氷点下何十度という世界です。普通、そんなところでじっと座っていたら凍傷になったり死んだりします。
 実際に、僧侶の中にも瞑想中の凍傷で指なんかをなくした人がいるようです。

 ところが、上手に瞑想すると指は凍らない。野口さんは、指導者に「あの山まで行って帰って来れたら大丈夫」という言い方をされたそうです。あの山というのは瞑想中遠くに見えている山で、座ったまま意識が遠いその山まで行って、また帰って来れるような状態になれば大丈夫とのこと。
 彼は無事に瞑想をやり遂げた。

 マイナス何十度の中に何時間座っていても人体は本当はびくともしない。僕達の身体は、ひいてはこの世界は、僕達が日常考えている程度のものではない。 
 世界はそのプログラムを理解するにはあまりに広大だから、きっと僕達は自分の身体からはじめるのだ。
 自分でも”もの”でもあるこの摩訶不思議で身近なところから。ちょうど、武術が最初に身体の扱い方からはじめて、次に武器の扱い方、そして敵の扱い方、とステップバイステップに自己を拡張していくように。

 空手にはバット折りというパフォーマンスだか儀式だかがあります。立てたバットを蹴って臑で折るというものです。
 これは昔テレビで見ただけだけど、レベルも体格も変わらない二人のうち一人に空手の先生はバット折りを許可し、もう一人には許可しませんでした。そのとき「彼の性格だったら大丈夫だけど、こっちの彼の性格だったら自分の足が折れるからダメ」と理由を述べていらしたのですが、性格でダメというのを聞いてひどく驚いたのを覚えています。
 でも、たぶん本当にそうなのだろう。バットか臑のどちらが折れるかは、半分は心で決まるのだろう。

 宗教の苦行の他に、武道でも苦行みたいなものはあります。寒稽古だとか禊ぎだとか、運動科学的にはやめた方がいいような悪条件の中で体を動かす。
 あるいは瓦を割ったり、煉瓦を割ったり、トラックにひかれてみたり。

 僕は最初に触れた武術が少林寺拳法で、少林寺拳法の開祖宗道臣は「レンガ割りたいならハンマーで割れば良い」というようなことをいう人だったので、僕も子供のときはそう思っていました。

 でも、今は瓦割りの意味がとても良く分かります。あれは自分の身体に対する弱い先入観を捨て去る為の儀式です。弱い身体を越える為の。

 一時期日本でも流行ったイスラエルの護身術みたいなものにクラブマガというのがありました。
 彼らは一般の受講者に対するレクチャーに「風船割り」を入れています。床に座って風船を手で押しつぶして割るだけです。軟らかいから誰にでも簡単にできる。でも、風船は割れたときに大きな音がするのでちょっと怖い。音なんて害がないって分かっているけれど、すこし腰が引けてしまう。割るのを躊躇ってしまう。その微かな躊躇いを消すために何度も何度も風船を割る。
 たぶんこれはとても軽いタイプの瓦割りになっていると思う。

 ちょっと阿闍梨の話に戻ると、阿闍梨の食事は栄養学的に見たら不可能だそうです。
 フルマラソンを走るアスリートは栄養学的にちゃんとした食事をしますが、阿闍梨は掛け蕎麦と芋2個みたいな粗食で、それで山の中をフルマラソンと同じ距離毎日のように駆け回っています。

 強い寒さに長時間さらされたら死ぬ。
 ちゃんと栄養とらないと体に悪い。
 臑をバットにぶつけたら骨が折れる。

 そういうのは半分は僕達の強い思いこみが作り出しただけのものかもしれません。
 そういえば昔、真島昌利が歌っていた。

「栄養とらなきゃ体に悪いって本当なのか?
 睡眠とらなきゃ体に悪いって本当なのか?」

 <続く>

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