color tv

2012-05-16 16:30:21 | Weblog
 あるテレビについての話をしようと思う。あるいは彼女が僕の部屋から盗んでいったカラーテレビ、についての話ということもできるかもしれない。実は僕はそのカラーテレビを今も探している。もうそんなテレビは役に立たない、という人もいる。それは古いブラウン管のテレビだ。ブラウン管の。地上デジタル放送に対応していないだけでなく、液晶の薄型ですらない。重く嵩張り、部屋のコーナーに置く以外にやり場のないテレビ。ついでに言っておくと、僕はテレビを全く見ないので、そのテレビを探していると言うと、どうせテレビを見ないくせに、という意見を賜ることもある。だけど、僕がテレビを見なくなったのはそのテレビがなくなったからなのだ。
 経緯について詳しい説明は省くけれど、ある日彼女は「ごめんなさい」と電話を掛けて来て、そして僕の部屋から出て行った。部屋に帰ってみると、メモ用紙がテーブルの上に置かれており、そこにはまた、ごめんなさいと書かれていた。メモの上には文鎮のようにチョコレートバーが載せられている。それは手紙ではなく、ただ端的に書き置きだった、ごめんなさいと名前以外には何も書かれていない。"シンプル イズ ベスト"とは一体どこの誰が言った言葉だろうか。そして、テレビが消えていた。テレビがないと、ことに大きなブラウン管のテレビがテレビ台の上から消えていると、部屋はまるでハンドルを取り付ける前の自動車のように不完全だった。彼女が持って行ってしまったのか? 書き置きをもう一度確かめてみたが、やっぱり「ごめんなさい」の他には何も書かれていない。テレビのテの字もない。しかし、どう考えてもテレビは彼女が持ち去ったと考えるのが自然だった。まさか彼女がいなくなったのと同じ日にたまたま泥棒が入って古いブラウン管テレビを盗んでいったとは、あまりにも考え難い。それでは踏んだり蹴ったりじゃないだろうか。いや、踏んだり蹴ったりとはこういう時の為の言葉で、そのような言葉が用意されているということはこういうことも起こり得るということかもしれない。泣きっ面にハチという言葉だってあるし、弱り目に祟り目というのもある。しかしまあ、テレビは彼女が持ち去ったのだ。確率の問題としても、部屋の雰囲気からしても。テレビ台の上の、テレビが元あった空間にはそうとしか解釈できない雰囲気が残されていた。
 そのようにして、僕はカラーテレビを失った。どこかの観光地の様子とか、リゾート地の様子とか、そういうものは一切目に入らなくなった。新しいお店がオープンしようが、新しい映画が封切られて紹介されようが、そういうものはもう別の世界の話だったし、完全完璧にどうでもいいことにしか思えなかった。新しいテレビを買えばいいという、至極もっともなアドバイスにも耳を貸さなかった。彼らは口を揃えて、新型の薄型の液晶のデジタルのテレビがいかに綺麗に映るかを説いてくれた。でも僕の欲しいのはそういうものではなかった。薄くて軽くて便利なテレビではなく、嵩張って重くて不便なテレビが欲しかったのだ。というよりも、僕は元のテレビそのものを取り戻したかった。3人目の友達と3回目の、このような同じような会話をしている途中、僕はあることに気付いた。そういえばあんなに嵩張って重たいテレビを、彼女一人で運び出すことは可能だったのだろうか? ああいったものを運ぶときは普通男手が必要になるのではないだろうか。
 会話を恙無く終えた後、僕達は店を出てバイバイを言い、それから僕は一人で別の店に入ってクラブサンドとクラブソーダを注文した。黙ってまずクラブサンドを食べ、次に黙ってクラブソーダを飲んだ後、店を出て、今度は15分黙って歩きクラブへ入った。有名なイギリス人のDJが来ていて入場料は3500円だった。朝まで誰とも話さずに、ただクタクタになるまで一人で踊った。胸腔に響く切れのいい低音が、正しい鼓動の周期を心臓から洗い流してしまいそうだ。昔、毎週土曜日にクラブへ一人でやって来て、そして一人で左側のスピーカーの前に陣取りただ踊って帰って行く女の子がいた。彼女とは一度だけ一緒に帰ったことがあって、そのとき彼女は「これは私にとっては必要な行為なの、クラブで楽しく騒ぎたいとかそういうんじゃないの」と言って、抱えている問題のことを説明してくれた。朝の太陽はだんだんと高さを稼ぎ始めていて、鴨川から見上げた橋の上を出勤時間の早い人達が歩きはじめる。僕達は一晩中踊り明かしたタバコの粒子が溶け込んだ汗に覆われている。崩れたメイクが朝の太陽に照らされて、もう何も隠し事はなかった。
 一人で部屋へ向かいながら、あの朝の彼女にとっての僕のように、今の僕には誰か話を聞いてくれる人が必要なのだろうかと考えみたが、とても人に何かを話す気分ではなかった。映画であればここにやや強引な性格の、そしてきれいな女の子でも登場するのだろうけれど、今はそういうこともすべて御免被って、ただ帰って朝のワイドショーでもつけっぱなしにして一人でシャワーを浴びて眠りたかった。あっ、テレビないんだった。

光を浴びて元気をますます発揮する鳥たちが、地面をつついて回る。彼らが生き延びているという事実が僕にはとても不思議だった。あの小さな裸の体で。ひとかけらの食べ物から得るエネルギーよりも、それを探すために地面をつつきまわる労力の方が上回っているようにしか見えなかった。
 問題;あの子の崩れ落ちたマスカラをこのスズメがつついた確率は何%か?

 静かな部屋で、静かにシャワーを浴びて、それから歯を磨いて水をコップに半分だけ飲んで、ベッドに潜り込んだ。一晩中大音量の音楽の中にいたせいでキーンと微かな耳鳴りがしている。やはり正常な鼓動を見失った心臓は、血液を過剰に脳に供給して、そのせいで目が冴え眠気はまったくなかった。それに部屋の中はもうすっかり明るい。
  中将と鬼の娘の話を知っているだろうか。中将はある日、扇子に描かれた女に一目惚れする。本気の本気で惚れてしまって、でも会えないので寝こんで死にそうになる。医者がやってきて「このままでは死んでしまいます」というくらいに本格的に寝込んでしまう。その時、彼はこう思っていた。せめて夢でも見てみよう、と。


 カラーテレビの画面に写っているのは伊豆にオープンした小さなケーキ屋だ国産小麦しか使いませんようちは果物も全部国産なんです脱サラしてケーキ屋をはじめたという40歳くらいの男がしっとりとそう言いアイドルの女の子がそれは素敵ですねと答えた隣にいたお笑い芸人がまだ店主の話している最中に桃のタルトをかすめ取って食べたそして大声でうっまーいと言ったなにこの人ほんとに大げさねめんどくさいこういう人と彼女は言い僕もこういう人は苦手だよでもこのケーキ屋は結構悪くないねスポンジケーキはあまりだけどタルトは好きなんだと言っていると場面は海岸の名所に移っていた僕達は伊豆ってそういや行ったことないし2泊くらいで行けたらいいねといいながらそういえば再来週行けなくもないんじゃないのという話をして計画を立て始めた

 道路ではしゃぐ子供たちの声で目が覚めた。時計は昼下がりの気だるさを体現するかのようにだらしない角度で針を動かしていた。テーブルの上に乾いたバケットがあって、僕は水を飲みながらそれを齧った。
TVピープル (文春文庫)
村上春樹
文藝春秋

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
村上春樹
新潮社

書評『風邪の効用』野口晴哉:野口晴哉という巨人

2012-05-14 15:14:43 | 書評
 夏、が呼ぶのかもしれない。
 彼はまあ、控え目に言っても随分と怪しい男だ。

 彼というのは野口晴哉のことで、この一風変わった人のことは、昔本を読んだきり、去年の夏まで完全に忘れていた。去年の夏、友人の個展で受付をしていると、足を痛めた様子の年配の方がいらして「野口先生がいたらなあ」というような話をされていたので、僕は思わず「野口先生って、野口晴哉のことですか?」と会話に割って入った。
 野口先生は、まさに野口晴哉のことだった。
 彼は1976年に死んでいて、僕にとっては本を2冊読んだだけの遠く遠く、そしてやや怪しい存在でしかなかった。でも、目の前に現れたその男の人は、かつて実際に野口晴哉の治療や指導を受けた人だった。

「なに、野口先生のこと知ってるの、君! へー、そうか、この子、野口先生知ってるってさ!」

「いえ、知ってるって言っても本読んだだけですよ」

 そうして、僕は野口晴哉という人が実際にどのような人だったのか、貴重な話を聞くことができた。それはもうすごかったらしい。なんだか良く分からないのだけどすごかったらしい。関西人らしく、主に擬音語を使って、パッとなんやしゃはったらギャイっと、という感じで受けた説明には、良く分からないけれど説得力があった。死後30年以上が経過して、医学も発達したはずなのに、それでもまだ彼に診てもらいたいと思うのだから、きっと本当に良かったのだろう。

 野口晴哉という人の存在を知ったのは、文庫化されていた彼の『整体入門』を読んでのことだ。僕は父の影響で子供の頃からかなり怪しい東洋医学っぽい本を読んでいたのだけど、野口整体はその中でも異質だった。当然だけど、一冊の本を読んだくらいでは何も分からなくて、これも文庫で出ていた『風邪の効用』を次いで買った。この本によれば、僕達が風邪をひくのは体のメンテナンスの為であるから風邪を敵視して無理矢理治すな、適切な経過を通じて風邪を体験すれば、体はひく前より良くなる、ということだった。
 僕は基本的にこういう大風呂敷の広げ方が大好きで、そして、この考え方は出鱈目だったとしても、できれば是非採用したいスキッとした嬉しいものの見方だった。

 先日、ツイッターで僕のタイムラインに、野口晴哉ボットのツイートが流れてきた。そこでまた、野口晴哉の言葉をいくつか読んだのだけど、それはやっぱり凄まじいようなものだった。

「晴れあり、曇りあり。 病気になろうとなるまいと、人間は本来健康である。 健康をいつまでも、病気と対立させておく必要はない。 私は健康も疫病も、生命現象の一つとして悠々眺めて行きたいと思う。」

 この言葉を、病で愛する人を失いつつある人の前で言えるかというと、それは難しい。でも、この次元を一つ繰り上げた視点のとり方はきっと人を溌剌とさせるのではないかと思う。




風邪の効用 (ちくま文庫)
野口晴哉
筑摩書房


整体入門 (ちくま文庫)
野口晴哉
筑摩書房