書評:『死刑』 森達也

2013-06-13 18:48:50 | 書評
死刑 (角川文庫)
森達也
角川書店


 知らないことがたくさんある。
 もちろん、そんなことは常識だ。僕達はこの世界のことをほとんど何も知らない。知らなくても(たぶん)問題なく生きていけることも知っている。日々の糧を得るために会社にでも行き、決められた仕事をして帰り、給料で食べ物を買い家賃を払う。結婚して子供が生まれると、自立と家族を手に入れた一人前の人間だと社会的な認知を受けて、あとは特に疑問を抱かなくとも死ぬまで惰性で暮らせるだろう。僕達の社会ではそれを幸福と呼んでいる。

 もしも、知らずとも幸福に暮らし生涯を終えることが可能であるのなら、世界を知りたいという欲求は一体どこからやって来るのだろうか。

 多くを知れば知るほど、きっと日常生活は崩壊する。約束されていた幸福は彼方へ飛び去る。目の前に置かれた快楽を提供するはずの装置が、途端にガラクタに変化する。
 たしかにこれらは精巧にできていた。一部は本当に僕達の為に作られたものも混じっている。しかし、大半がただの作り物で、彼らの為に作られたものだった。まったく良くできた動物園だ。旭山動物園とでも名付けておこう。違う、人間園か。
 あそこで飼われているシロクマは「その習性に従ってガラス越しの人間をアザラシと勘違いして勢い良く跳びかかる」というショーを披露するらしい。食べ物を取るという動物としての本能を下らないショーに利用されている。窓越しに見えているのはアザラシではなく保護された人間達の頭部で、人間とクマを隔てる分厚いアクリルガラスは絶対に破れないことが計算済みだ。彼の爪は永遠に獲物に触れることなく、ただピエロを演じた見返りに人間からエサをもらって生き延びる。丁度、僕達がそうしているように。

 エサはエサだ。
 いつまでもそんなものばかり食べていられない。
 だから僕達は世界を知りたいと思う。
 分厚いアクリルに穴を穿つための道具を手にしたいと思う。

 前書きが長くなった。
 僕は自分がどうして『死刑』だなんて重々しいタイトルの本を読みたいと思ったのか、自分では良く分からない。どうして死刑なんて、如何にも重苦しいことを知りたいと思ったのだろうか。
 
「人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う」

 という副題がなければ手に取らなかったかもしれないし、森達也が書いたのでなければ読まなかったかもしれない。はっきりしていたのは、死刑というタイトルを見た時、自分が「そういえば死刑について何も知らない」と思ったことだ。

 「何も知らない」は自分が想像していた以上の「知らない」だった。

 まず、僕は死刑制度は比較的「常識的」なものとして世界に広く存在しているのだと思っていた。
 ところが現実に死刑のある国、死刑存置国は世界に58カ国で、国名を列挙すると

 アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、朝鮮民主主義人民共和国、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントキッツネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリア、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ

 となっている。
 (本の中でも存置国は列挙されているが、ここではhttp://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html から引用)

 
 正直なところ、僕はこのリストアップされた国名を見て強く驚いた。
 森さんも書いているように、別に他所の国は他所の国だし、日本に死刑を行う正当な理由があるのであればこのリストには何の意味もない。先進国がほとんどないことも気にしなくていいだろう。
 でも、もしも日本に強い正当な理由がないのであれば、僕達の住んでいるこの国は結構変わったポジションに立っていると言わざるを得ない。
 僕はこんなことすら知らなかったわけだ。
 僕にはヨーロッパ出身の友達も、ヨーロッパに住んでいる友達もいるけれど、死刑の話なんてそういえばしたことがなかった。目にする映画、ドラマ、物語はほとんど、先進国では珍しい死刑国、日本とアメリカのものだったので、死刑は普通に出てくる。だから僕はうっかりと死刑を極々一般的なものだと勘違いしていた。極々一般的だけど、自分とは何の関係もないシステムの一部だと。死刑があるとEUに加盟できないことも知らなかった。

 本書の中で森達也は様々な人間にインタビューを行なっている。途中からロジックが放棄され、「情緒」が柱に据えられる。「なんだそれ!?そんなことでいいのか」
と思われるかもしれない。
 本書に出てくる登場人物の全員と、森達也の「論理的な結論」は「死刑は存在する正当性がない」だ。でも僕達は「死刑よあれ」と思っている。
 死刑廃止論者達はずっとこの論理的な帰結を主張して来たが、人間というのはそれではどうやら動かないのだ。ならば、視点はやはり論理を超えて感情や情緒の世界へと移されるべきだろう。

 僕達がどの程度「死刑とあれ」と思っているのかというと、2004年の世論調査で「場合によっては死刑もやむを得ない」にイエスと答えた人は81.4%。設問が変わってしまうが1989年の「どんな場合でも死刑を廃止しようという意見にあなたは賛成ですか」に対するノーが66.5%。
 1989年からの15年で死刑支持者の割合は増加している。
 そして、それに呼応するかのように死刑執行が増えた。

 変な言い方だか、アメリカでですら死刑は減少傾向にあるという時期に、日本では死刑が増加していて、さらに言うのであれば、アメリカでは死刑の情報がオープンにされているのに対して日本では死刑の情報が隠されている。
 実は、国会議員で編まれた「死刑廃止を推進する議員連盟」というものが1994年に設立されているのだが、少なくとも本の出版された2008年においてこの議員連盟はサイトすら持っていない。もちろん、死刑賛成の国民が多い中でおおっぴらに活動しては票に関わるからだ。

 ここで立場を表明しておくと、僕はたぶん死刑存置なんじゃないかと思う。たぶん。本を一冊読んだところで答えの出せる問題ではない。

 本書における森達也の結論は、

「冤罪死刑囚はもちろん、絶対的な故殺犯であろうが、殺すことは嫌だ。
 多くを殺した人でも、やっぱり殺すことは嫌だ。
 反省した人でも反省していない人でも、殺すことは嫌だ。
 再犯を重ねる可能性がある人がいたとしても、それでも殺すことは嫌だ。

 結局それが結論かよと思う人はいるかもしれない。何とまあ幼稚で青臭いやつだとあきれる人もいるだろう。」

 正直なところ、結局それが結論かよ、と僕は思った。
 本文中での森さんの心の揺れを汲めばこれを本当に結論だと言っていいのかも良くわかない。

 自身の結論も明確には示さず、紹介した本の著者の出した結論にも「これは結論ではないのではないか」と言う、非常に曖昧な文章になったが、これ以上意見らしいものは僕には持てない。

 ただ、最後にこれまで知らなかったがこの本で知ったことを箇条書きにしておこうと思う。

 ・日本のメディアでは殺人事件の報道割合が他国のメディアに比べて突出して多い
  →日本人は殺人事件が好きなのかもしれない。

 ・明治大学博物館の色々な拷問器具が見れるコーナーは人気がある。
  →人間というのは残酷なことが好きなのかもしれない。

 ・今の死刑囚は他の死刑囚とコミュニケーションを取ることもなく、週2,3回30分の運動の時間すら1人で過ごす。運動場は10平方メートルから15平方メートルで、半分以上がなんと屋内。4畳半程の独房には窓があっても磨りガラスなので外が見えない。面会人がいない人も多い。つまり誰とも話をしない。死刑執行が言い渡されるのは朝食後で、言い渡されて大体1時間後に殺される。そんな状態で平均約8年間を過ごす。

 ・死刑の方法は絞首刑だが、確実に死ぬまで30分間吊るしておくのが慣例になっている。

 普通に暮らしているとまったく見えないこのような場所が、この日本にある。

死刑 (角川文庫)
森達也
角川書店

量子力学ミニレクチャー@つくるビル(2013年5月23日)

2013-06-12 20:20:35 | Weblog
 先月の終わり「量子力学のお話会」を、五条新町の「つくるビル」で開催させて頂きました。当初「7,8人でテーブルを囲んで90分くらいで小さくやってみよう」と言っていたのが、10名の方に来て頂き、調子も出てきて2時間半喋り続けてしまいました。
 はじめての試みで至らぬ点も沢山あったかもしれませんが、楽しんで頂けたようで良かったです。
 無理矢理詰め込み過ぎた割りには「あっ、あのことに触れてなかった」という事があったり、図の見方を説明していなかったり、色々と反省もしましたが、僕も楽しい時間を過ごさせて頂きました。

 終わるまで全く気にしていなかったのですが、後日あることに気が付きました。
 僕はこの小さなレクチャーを渡邊あ衣さんの作品の前で行うことになったのですが、個人的にはこれは象徴的なことだったのです。

 前々回の記事にも書きましたが、僕は異常に長い間大学にいて、その間いくつかの「分類」の中で、どれも選択しきれずに悩んでいました。平たく言うと優柔不断かつ居場所がなかったということです。
 大学入学時、僕の選択した学科は電子情報工学科でした。当時の僕は「意識」というものに強い興味を持っていて、さらに「人工知能は意識を持ち得る」と信じる「強い人工知能」論者だったので、生物学にあまり興味がなかったこともあって、人工知能からのアプローチで意識の問題に迫ることができないかと思っていました。
 だから最初から入りたい研究室も決まっていて、一回生の頃からその研究室には出入りさせて頂いていました。

 ただ、最初にクラスのみんなでラップトップをLANに繋いでプログラミングの授業を受けた時、「僕はここには属していないんじゃないか」という不安が過ぎったのを覚えています。1998年の話でまだPentium1、メモリ64メガくらいのラップトップが20万していた時代です。僕はこの時までほとんどパソコンを触ったことがありませんでした。
 人工知能といえばほとんどソフトの話なわけですが、なんと僕はソフトには本来あまり興味がなかったのです。ソフトよりも実際に物理的に動きまわるハードが好きでした。AIをほぼロボットと同一視して、ロボットという形で物理的実体の制作をする日がそのうち来るだろうと思っていたのですが、その前に制御理論の深淵な世界が横たわっていました。その研究室の先生に「動くものを作りたいというのは、そりゃ工学の世界の人間として勿論分かるけれど、でも今はまだオモチャしか作れない、オモチャでいいんだったら作ればいいけど、俺はオモチャには興味ない」と言われたのと、確かに人の意識とは全然関係のないオモチャしか作れないことも分かったので、少しづつ興味を失っていきました。

 オモチャ。
 人の意識を云々するには、オモチャはあまり役に立ちそうにありません。
 でも、僕はもともとはオモチャに興味がありました。
 オモチャというか、発明というべきか。
 ずっと科学者になるのだと思っていたのですが、子供のときに思い描いていた科学者というのは発明家だし化学者だしエンジニアだし物理学者だし、とても漠然としたものでした。

 人工知能という縛りを外してみると、途端にクローズアップされてきたのがプロダクトデザインです。幸い、僕の大学にはプロダクトデザインの学科があって、友達も何人かいました。
 正直なところ、最初僕はデザインの人々をあまり快く思っていませんでした。
 勝手なことばかり言って作れないくせにお絵かきして偉そうなこと言ってる人達、という風にしか捉えていませんでした。
 同じ学科で仲の良かった数少ない友人の1人が、当時九州芸術工科大学への編入を考えていて、僕に入学案内を見せてくれました。そこには学生作品の一例として「リニアモーターバイク」なる「作品」が載せられていて、この人はこれを自分の作品だというけれど、どうせ中身を実装するのはエンジニアの仕事だし、何を適当なこと言っているのだろう、と思ったのを良く覚えています。
 
 デザイナーは基礎研究もしないのに、その成果だけを華々しく流用してずるいと思っていて、それはいつの間にか「僕もこのずるいポジションに立ちたい」に変わって行きました。
 こういう書き方をすると、まるで「おいしいとこ取り」だけをしたかったように見えますが、実際にオモチャの作れるプロダクトデザイナーは楽しい仕事に違いないし、それにこれは所謂「発明家」のスタンスだったので、子供の頃、発明家をクールだと思っていた僕にとってはあまり違和感のない職業でもありました。

 そうして、僕は自分の学科の講義に出ないでデザイン関連の講義ばかり受けるようになり、やがて正式に学科を変更しようと思うに至ります。ただ、これは書類を提出しに行く途中にばったり会った昔の友達と話していて思いとどまりました。

 そんな頃に量子力学の講義を受け、僕は決定的な衝撃を受けます。厳しいことで有名な教授が担当された講義でした。水素原子のシュレディンガー方程式を解く程度までの初歩的な内容でしたが、とても面白い講義でした。
 講義中に外村彰の電子ダブルスリット実験およびアハラノフ=ボーム効果の観測が紹介され、講義の後僕は個人的に先生にビデオ(VHSです)を貸して頂きました。

 すっかり量子力学に魅了された僕は、それをメインで使う研究室に入ろうと思います。ところが、僕の学科は電子情報工学科であって物理学科ではないので、バーンと「量子論!」を看板に挙げた研究室はありません。半導体工学の一旦として量子力学は使われますが、せいぜいその程度です。でも1つだけ量子論をバリバリ使う物性理論の研究室がありました。
 物性という分野は、あまり興味のないものでした。
 僕はおおまかに「大きなもの、動くハード」が好きで、「小さなもの、ソフト」がそんなに好きではありませんでした。だから化学にも材料工学にもほとんど興味がありませんでした。もっと大きなバーンとした物理学か、あるいはロケットみたいなものが好きでした。派手なものが好きだったということかもしれません。
 だから、物性かあ、というのが最初の感想です。

 そんな折、図書館で物理学の本を漁っていると『物質の中の宇宙論―多電子系における量子位相』という本が目に飛び込んできました。
 当時の僕はこの本の中身をほとんど理解することができずさっと目を通して返したのですが、前書きに「宇宙というのは、地球から遠い場所のことではない、我々の目の前のあるスプーンの中だって、当然この宇宙の一部であり、だから我々はこのスプーンの中を詳しく考えることで宇宙論を語ることもできるのだ」というようなことが書かれていました。
 言われてみれば当然、目からウロコとはこのことでした。

 そうして僕は物性物理の世界に足を踏み入れます。

 長々と書きましたが、AI、デザイン、量子物性という興味対象の変遷はクリスプに起こったものではなくて、ファジーなもので、そういうものを通過するうちに自分の立脚点というものが良く分からなくなりました。
 さらに友達関係でも、電子回路の講義を受けたあとにランチを食べる友達と、知識デザイン論の講義を受けたあとにお茶を飲む友達と、文学部の講義に潜るときの友達と、美術館へ行くときの友達と、クラブに行くときの友達、なんかが全部バラバラで、トレンディドラマに出てくる仲良しグループみたいにずっと一緒に行動できる友達がほとんどいませんでした。
 しっくりと所属する集団がなく、科学と芸術の出会いを標榜はするものの現実には分断されたままの大学で、1人その間を中途半端にウロウロとして居心地の悪い思いをしていました。

 だから、たとえ小さなイベントであっても、色々の人々にお集まり頂き、アートに囲まれた空間で物理学の話ができたことは、僕にとってとても嬉しくてしっくりとするものでした。
 このような試みが定期的に開催できたり、あるいはストリートミュージシャンのように続けていければいいなと思っています。

 来て頂いた方も、オーガナイズ、ご飯などで協力して頂いた方も、本当にありがとうございました!

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
リチャード P. ファインマン
岩波書店


ファインマン物理学〈5〉量子力学
ファインマン
岩波書店

TETSUO rave part1

2013-06-11 13:19:06 | Weblog
 蛍にはまだ早すぎると思っていた。でも、谷間を高く跳ぶ薄らかな緑色の輝点は確かに蛍の放つ蛍光だった。僕は車で5分程、山中の無人駅まで、けして広くはない道を走り、友達の友達を迎えてきたところだ。一通りの自己紹介を車中で済ませ、ドアを開け外へ出ると、一匹の蛍が飛んでいた。川原からは音楽とウーハーの生み出す空気の歪みが伝わってくる。時間のことは良く覚えていない。ただ、街よりずっと早く闇の降りる谷間に、見えるのはその蛍の光と、そして僕達の付けたサイン、グロースティックの矢印だけだった。懐中電灯を点け足元を照らす。川の蛇行に沿ったカーブを曲がると、向こう側に焚き火と電灯とLEDとプロジェクターの光、そして人々の影が見える。
 今日は6月の1日目。梅雨入りだ梅雨入りだと、さんざんに脅された雨は2日前にすっかり上がり空は晴れている。
 2013年の夏は、このようにして開かれた。


 レイブをしようと言っていたのは、もう冬のことかもしれない。同居人の1人である友人の車で買い物に出て、カーステレオとウーハーの鼓動が背骨を揺さぶった時、僕は色々なことを思い出した。
 そういう風に身体を通じて音楽を聞くのはとても久しぶりだった。

 度重なる引っ越しと長い賃貸生活で、いつの間にか家からはまともなオーディオが1つもなくなっていて、PCのスピーカーとヘッドホンだけの生活になっている。もしもそれなりの音量で音楽を聞きたくなればヘッドホンを使うほかなく、しかし当然のことだが僕達は音楽を耳だけで聞いているわけではない。ヘッドホンから負け惜しみのように叫ばれる音楽には決定的なアンバランスが内包されている。

 クラブにもすっかり足を運ばなくなった。10年前にはまだ感じ取ることができた喜びや非日常性のようなものに、いつの間にか完全に慣れてしまい、そこはただの煙草臭くて狭い空間になりつつあった。高校一年生にとってはビレッジバンガードは興味深い店かもしれないが、30歳くらいの人間からみればガラクタ置き場にしか見えない。そういうことだ。少なくとも、ある年齢を超えた人間がクラブにただの客として行くことにはいくらかのアンバランスが内包されていて、僕はそれを無視できる質ではないようだった。

 かつて何度か開いた鴨川でのパーティーには、町中であることの当然の帰結として警察がやって来るという厄介な問題があったし、僕も迷惑な人間になりたいわけではないのでウーハーを使うこともできなかった。町中の開かれた場所は、アクセスも良くて魅力的だったが、結局のところここにも音量にまつわるアンバランスが存在していた。騒音はあれど響き渡る音楽のない街に、僕は暮らしている。

 防音の行き届いた狭い部屋の中ではなく、壁のない開かれた空間で、誰にも文句言われることなく、できれば美しい空気の中、遠くまで音を響かせたかった。野生の生き物たちには申し訳ないけれど、一晩だけ。清野栄一が昔「地の果てのダンス」に書いたように。
 そうだ、パーティーをしよう!
 気温が上がったらレイブをしよう!
 僕達はまだガスヒーターの温めるダイニングテーブルで、そのような会話を交わした。

 この半分は流れ去ったかのような計画が、先月復活して、僕達は計画を立てた。
 これも度重なる引っ越しのせいで、レイブを開催するのに必要な機器は僕の手元からほとんどなくなっていた。必要になったらまた買えばいいだろう、兎に角今は引っ越しが大変だ、というように捨て去ったわけだが、現実には「また買う」為のお金までなくなっていて随分な後悔が頭を過る。
 幸いなことに、友達がかなりのものを持っていて、オーディオは彼の車から下ろしたものを流用することにした。
 心臓である発電機は昔奮発して買ったものがあるのだが、何が起こるか本当にわからないもので保管場所にアクセスできなくなってしまい取り出すことができない。どうせ古くて重くてうるさい物だったのでレンタルすることにする。
 発電機のレンタル自体はかなり早くに予約してあったけれど、うっかりして直前まで直流の出力を確かめていなかった。3日前に電話して型番を聞き、ネットで検索すると直流は「バッテリー充電専用の12Vー8A」で100Wもない。これでは使い物にならないので、1600Wある交流側から電源を取るためにコンバーターを探して、予算がほとんどないので信じられないくらい安い物を買った。信じられないくらい安いコンバーターは、やはり信じてはいけなくて出力電圧が表記では12Vなのに、測定すると9Vしかない。360Wまで出せると書いてあるけれど、となればこれも嘘だろう。
 困った僕はもう10年以上会っていない友達と連絡をとって、いくらするのだか分からない完全にキチンとした安定化電源を借してもらった。本当にありがたいことに。もうパーティー前日のことで、まだあれこれと残っている準備のこともあり、十数年ぶりに駅前ロータリーで会って十数分で別れた。最後に会ったのは彼の結婚式で、もう彼には小学生の子供が2人いる。


 当日は朝からてんてこ舞いだ。
 基本的にはほとんどの準備を2人でしなくてはならなかったし、小さなトラブルが大体いつものように続出する。忘れないようにと数日前から「持ってくるもの置き場」に出しておいたイヤホンジャックからピンプラグへの変換ケーブルも、どうしてか見当たらない。それも念の為に買っておいた予備までご丁寧に消えている(ちなみにこれは今に至るまで消えたまま)。アンプ等を結線したまま運べるようにケースを加工したり、発電機を受け取りに行ったりガソリンを買ったり、使えないことが前日に判明した映像ケーブルの新しい物を買いに行ったり、飲み物と食料を買い出しに行ったり、気が付くと何も食べないまま既に夕方が迫っている。

 僕はかつて「なんでも一日あればできる」と思うような、所要時間に関して限りなく楽天的な人間だったけれど、度重なるピンチを経験して、時間の読みが随分と慎重になった。さっと想定した所要時間の2倍は絶対にかかる。特に集団で動く時はそうだ。
 時間があまりにもあっさりと過ぎ去ることを学習した僕は、一時期冷徹なタイムキーパーだった。そんなにのんきにしていては駄目だと、チームのみんなをせっついて回っていた。
 あるとき、夏の暑い時期、イベントの準備で動きまわって汗だくになった友達が、同じく汗だくになっている僕を見て「ちょっと一回休憩してシャワー浴びに帰らない?」と提案した。時間が既に押していたので、僕はその意見を却下したのだけど、なんだか自分が随分と酷い人間になってしまったような気がして後悔して、しばらく後にシャワー休憩を取ることにした。
 その頃から、あまり周りの人をせっつくことをしなくなった。正直なところそういった「うるさい詰まらない人」の役割にも疲れてきていた。「いいじゃん、いいじゃん、まあのんびり、遅れたら遅れたでいいし、コーヒーでも淹れようか」というような役割に対する羨ましさのようなものもあった。カチッと動くとのんびり動くの間でどっちつかずにサスペンドされた僕は、ここ3,4年間かなり自分を抑えこんで集団行動の際にイニシアティブを取らないよう心掛けていた。

 今回、2時間もしないうちにアンプが飛んでしまうという、音楽イベントとしては致命的なアクシデントが起こってしまったのは、そんな僕のせいだ。
 荷物満載の車で現地に到着したとき、まだそれほどの遅れも出ていなかった。発電機を回して会場を設営するときに、プロジェクターの電源ケーブルがないというかなり痛い事態が判明したが、それも照明のコードを一本加工してワニグチクリップとの組み合わせでなんとか乗り切った。
 ライティングと音と映像と焚き火が揃って、ようやく諸々の問題がクリアされてパーティーが開かれたのに、わずか2時間程でアンプが弾け飛んだのは痛烈だった。準備中に疲労が蓄積して来て「まあ大丈夫だろう」と行ったサボタージュが3点、即座に後悔の結晶として心臓の隣に析出する。
 後の祭り。

RAVE TRAVELLER―踊る旅人
清野 栄一
太田出版


地の果てのダンス
清野 栄一
メディアワークス