F.

2008-11-24 16:24:24 | Weblog
 ずっと前から書こうと思ってすっかり忘れていたことを思い出したので、さっと書いておきます。書くと言ってもほとんど町山智浩さんのブログからの引用になりますけれど。
 僕は町山智浩さんの映画のことがメインに書かれたブログを時々読むのですが、中に「唐沢俊一を批判する」記事がときどき出てきます。唐沢俊一という人は雑学王で何でも知ってるみたいな顔をして沢山の本を書いたりテレビに出たりしていますが、結構いい加減なところがあるので気を付けて話を聞かなくてはならないようです。
 

(以下、http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/ より引用)

唐沢 実際、黒人もプエルトリコ人も、ハリウッドの持つオーラに吸い寄せられて、あそこに行けば“夢”が買えるかもしれない、という一億分の一くらいの可能性だけに望みをつないでやってくるんだな。


何が、「実際」だ!
ロサンジェルスに住むヒスパニックはメキシコ系だよ。
プエルトリコ系が住むのはニューヨーク。アメリカの地図、見たことないの?
アイルランドとスコットランドの違いもわからなかった唐沢俊一にプエルトリコとメキシコの違いがわかるはずないか。
これよりもヒドいのはコレ。↓


唐沢 しかし逆に言うと、向こうにとっては、それだけの大物だったってことだよね。今、ロサンザルス(原文ママ)の略称は「LA」ってことになっているけど、あれ、「ロス」っていう略称が“ロス疑惑”を髣髴させて悪いイメージを与えるってことで、観光局が新しく作った略称なんだってね。つまり、三浦和義ってのは、一国の大都市の略称まで変えさせるほどの超大物だったんだ(笑)。

……もう呆れて、言葉がなかなか出ない……。
「作った略称なんだってね」って、作るなよ!
ロサンジェルスは三浦騒ぎ(84年)よりもはるかに前からずっとLAだっての!
映画や歌のセリフにも大昔から「LA」って出て来るよ。
ドアーズの「LAウーマン」は71年のヒット曲だ。
もともとアメリカ人はロサンジェルスのことを「ロス」なんて呼ばないんだよ。
そもそもロサンジェルスが市として発足した時からずっとLAが略称なの。
LAPD(ロサンジェルス市警)って聞いたことないか?

……こんな男の妄言を出版し、物書きとして生活させてしまった編集者たちは社会的責任を取るべきじゃないの?
かくいうオイラもと学会の最初の単行本『トンデモ本の世界』を編集して、ベストセラーにしてしまった。
唐沢はその本には原稿を書いておらず、続編『~の逆襲』に短い原稿を一本書いただけだが、その後、と学会の代表のような顔をして「トンデモ」を書名につけた本を乱発して生活していった。だから、このネズミ男がウソを撒き散らしている現状にオイラもちっとは責任を感じてるよ。
だから責任取って、ウソとパクリの自称雑学王を信じてしまった哀れな読者のために、その目を開こうとしてしてるわけよ。
まったく、ムジャヒディーンに武器を送ってタリバンを育てちゃって後悔しているアメリカみたいな気分だね。

yamanashi.

2008-11-24 11:30:23 | Weblog
 Dan Brownの"Deception Point"を読んでいると、"crampon"という単語が出てきて、即座に宮沢賢治の「やまなし」を思い出しました。小学校の教科書に載っていて、賢治の造語「クラムボン」とは何か、という議論を教室で交わした記憶が多くの日本人にはあるのではないかと思います。この英単語はスパイクの底とか金はさみ、みたいな意味らしいのですが、もしかしたら宮沢賢治がここから言葉を引いた可能性もあるのではないかと思って調べてみると、すでにその程度の説は研究者の間で昭和14年などの大昔に出ている様子でした。

 クラムボンのことはなんだって僕は構わないのですが、20年ぶりに読んでみると改めて宮沢賢治のすごさを感じます。

(以下、http://www.yamanasi.net/ より引用)

「やまなし」

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。

一、五月

 二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話てゐました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、
つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらつてゐたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『それならなぜクラムボンはわらっつたの。』
『知らない。』
 つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつゞけて五六粒泡
を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光つて斜めに上の方へのぼつて行
きました。
 つうと銀のいろの腹をひるがへして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまつたよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、
弟の平べつたい頭にのせながら云ひました。
『わからない。』
 魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『わらつた。』
 にはかにパツと明るくなり、日光の黄金は夢のやうに水の中に降つて来ました。
 波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちゞんだりし
ました。泡や小さなごみからはまつすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ち
ました。
 魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自
分は鉄いろに変に底びかりして、又上流の方へのぼりました。
『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』
 弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。
『何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。』
『とつてるの。』
『うん。』
 そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて、ひれも
尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環のやうに円くしてやつて来まし
た。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は……。』
 その時です。俄に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲
弾のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。
 兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐ
るのも見ました。と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、
上の方へのぼつたやうでしたが、それつきりもう青いものも魚のかたちも見え
ず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
 二疋はまるで声も出ず居すくまつてしまひました。
 お父さんの蟹が出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるえてゐるぢやないか。』
『お父さん、いまおかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が
上へのぼつて行つたよ。』
『そいつの眼が赤かつたかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かはせみと云ふんだ。大丈夫だ、安心しろ。
おれたちはかまはないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行つたの。』
『魚かい。魚はこわい所へ行つた』
『こわいよ、お父さん。』
『いゝいゝ、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん きれ
いだらう。』
 泡と一諸に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべつて来ました。
『こわいよ、お父さん。』弟の蟹も云ひました。
 光の網はゆらゆら、のびたりちゞんだり、花びらの影はしづかに砂をすべりま
した。


二、十二月

 蟹の子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすつかり変り
ました。
 白い柔らかな丸石もころがつて来小さな錐の形の水晶の粒や、金雲母のかけら
もながれて来てとまりました。
 そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶の月光がいつぱいに透とほり天井では波
が青じろい火を、燃したり消したりしてゐるやう、あたりはしんとして、たゞい
かにも遠くからといふやうに、その波の音がひゞいて来るだけです。
 蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡らないで外に出て、し
ばらくだまつて泡をはいて天井の方を見てゐました。
『やつぱり僕の泡大きいね。』
『兄さん、わざと大きく吐いてるんだい。僕だつてわざとならもつと大きく吐け
るよ。』
『吐いてごらん。おや、たつたそれきりだらう。いゝかい、兄さんが吐くから見
ておいで。そら、ね、大きいだらう。』
『大きかないや、おんなじだい。』
『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一諸に吐いてみやう。いゝ
かい、そら。』
『やつぱり僕の方大きいよ。』
『本統かい。ぢや、も一つはくよ。』
『だめだい、そんなにのびあがつては。』
 またお父さんの蟹が出て来ました。
『もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』
『お父さん、僕たちの泡どつち大きいの』
『それは兄さんの方だらう』
『さうぢやないよ、僕の方大きいんだよ』弟の蟹は泣きさうになりました。
 そのときトブン。
 黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうつとしづんで又上へのぼつて行き
ました。キラキラツと黄金のぶちがひかりました。
『かはせみだ』子供らの蟹は頸すくめて云ひました。
 お父さんの蟹は、遠めがねのやうな両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく
見てから云ひました。
『さうぢやない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行つて見やう、あゝ
いゝ匂ひだな』
 なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂ひでいつぱいでし
た。
 三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追ひました。
 その横あるきと、底の黒い三つの影法師が、合せて六つ踊るやうにして、山な
しの円い影を追ひました。
 間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔をあげ、やまなしは横
になつて木の枝にひつかかつてとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりま
した。
『どうだ、やつぱりやまなしだよ よく熟してゐる、いい匂ひだらう。』
『おいしさうだね、お父さん』
『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひと
りでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰つて寝やう、おいで』
 親子の蟹は三疋自分等の穴に帰つて行きます。
 波はいよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげました、それは又金剛石の粉をはい
てゐるやうでした。

    ◆

 私の幻燈はこれでおしまひであります。

ETC.

2008-11-21 18:38:12 | Weblog
 多発する追突事故を減らすために、ETCの開くタイミングを遅くするそうです。反って事故が増えそうな気がします。
 従来からETCに侵入するときは20キロ以下にスピードを落とすようにということが決められていました。でも守る人なんてほとんどいなかったと思います。僕は機械は壊れると思っていて、ゲートが開かない可能性を考えて結構スピードを落とすほうだと思いますが、それでも20キロ以下まで落とすことはないと思う。そこそこの速度でゲートに向かっても大丈夫だから、多くの人が結構なスピードでETCに向かい、たまたま前の車がカードの差し忘れなんかで停車すると後ろから突っ込んでしまうという事故が多いそうです。だからゲートの開閉を遅くしてみんながゆっくりETCに入ってくるそうに仕向けたいらしいけれど、ゲートの開閉が遅くなったことを知らないドライバーが突っ込んできて大変なことになりそうな気がします。

 そもそもETCに物理的な障壁なんて必要なのでしょうか。機械の故障で開かないということだって起こりうるし、仮にそのままぶつかったても大丈夫と言われても、自動車で目前の障壁に突っ込んで行くのは少し怖い。ゲートなんてなしにして、ETCカードを差していなかった車もそのままスルーできるようにしたほうがいいと思う。支払いに問題のあった車はナンバーを読み取って後で請求すればいい。物理的に壁で車を止めてしまうというのは、特に高速道路の出口では絶対に危ないことだ。

 それに車のナンバーを読むことは、Nシステムで既に確立されたているシステムなので、それに少しの拡張を加えればバーのないETCはすぐに実現できるのではないでしょうか。
 ちなみにNシステムというのは警察による自動車ナンバー自動読み取り装置のことで、日本中の色々な道路に仕掛けられています。そしてそこを通った車は全て記録されている。だから僕達が車で出かけたとして、どこをいつ通ったかというのは警察に全て把握されているわけです。日本のまともな道を走る車が全部監視されているなんて、なかなか窮屈な話ですね。

武術。

2008-11-21 12:36:07 | Weblog
 もう10年も前のことだけど、ある道場で一番上の大先生(本当にものすごい大先生)に「武術というのは健康体操だ」と言われたことがある。当時僕はそこそこ真剣に武術に取り組んでいて、所謂日本古来の合気を軸に据えた武術というものと、バリバリ西洋化スポーツ化した合理的に見える武術のどちらを取るべきなのか決めかねていた。
 その日の練習は僕が謂わばその大先生に軽く噛み付いてみたが為、定刻に終わらず、様々な事情があったであろう先輩や道場生に迷惑を掛けてしまったことと思うけれど、僕はそれはそれで真剣だった。

 先に結論から書いてしまうと、僕は若くて間抜けだった。「健康体操」という言葉の意味が分かったのはつい最近のことだ。武術というのは極めて広義の健康体操だと今では思う。当時は文字通り、「戦ったりするのではなく、体を動かして健康作りをする」みたいな意味合いにしか受け取ることができなかったので、僕は相当に失望したし、結果的に他の事情もあってその道場をやめた。実に浅はかだったと思う。浅はかだったと気が付くまでに10年も掛かったということもできるし、先生の言葉は10年間も僕を方向付けるくらいに大きかったとも言える。

 それはとても日本的な武術で、やめた後僕は「合理的な」方に重心を移した。もう空手だかキックボクシングだか良く分からない有様だった。ただ、全ては物理的に明白だった。うまく言葉で説明できない謎の感覚に頼ることなく、こう腕を組むと梃子が働いてとか、この軌跡で突いた方が距離が短いとか、理性で全て簡単に理解できた。僕のことを知っている人は想像もつかないと思うけれど、それなりに体も鍛えたし、服を脱いだら痣だらけだった。常に体はどこかが痛くて、でもそういうのがいいのだと当時は思っていた。そしてそれらは本当に楽しかった。

 もともとどうして僕が武術や格闘技に興味を持つようになったのかというと、それは明らかに父親の影響で、彼は昔少林寺拳法を習っていたらしく僕が子供の時にいくらか手ほどきをしてくれた。そうそう、少林寺拳法を中国の嵩山少林寺における武術と混同している人もいるようだけど、少林寺拳法というのは宗道臣という日本人が中国拳法と日本の武術を混ぜて試行錯誤の後に作り上げた日本の武術です。かなり合理的に出来ていて、本当に面白かった。それは僕には魔法みたいに新鮮な驚きだった。
 僕がそういう格闘じみたことを好むようだと知った父親は、小学校高学年になったころにボクシンググローブを買ってきてくれて、それで僕が成長して父が衰え、彼が対戦を嫌がるようになるまで夜な夜な殴り合いが行われた。父は面倒見が良く、実に多くの遊びを教えてくれたけれどこれは間違いなくベスト3に入る楽しさだった。

 そういう経緯で、僕が武術とか人間の体の仕組みに興味を持つのは当然の成り行きだったと思う。奥が深いという言葉はあまり好きじゃないけれど、人間のことだから当然奥も深くて、それなりに多くを学ぶことができたと思う。

 この作文で何が言いたいのかというと、少しは年もとって、なんと武術の意図みたいなものは本当だったのだと理解し始めたということです。「武術を通じて宇宙と一体になる」みたいな理念を僕はただの言い訳と言うか格好をつける為のフレーズにすぎないと思っていました。そういうのが大嫌いだった。でも、そういうのが実は本当に根底にあることを最近では認めざるを得ないのです。
 僕はもう長らくどこの道場にも通っていないし、ときどき一人で体を動かす以外には武術めいたことはなんにもしていないけれど、でも、それは表面的なことに過ぎなくて、本当のところは歩いていても座っていても心のどこかに武術的思考が働いて何かのひらめきが起こったりする。型の練習なんて全然しなくなったのに、歩いていて急にある型が本当はどういう身体運用を求めていたのか分かったりする。

 もっと広く「どういう状況でも周囲と渾然一体に全体としてのシステムを形成してなんとか上手く物事を進める」というような武術的思考が自分の思考ベースになりつつあるような感じがする。「どんな状況でもうまく生き延びる」というのは当然殴り合いのケンカのことだけではなくて、全てのことに当てはまる、ブリコラージュ的な、あるいはマクガイバー的なことです。そういえば、もう完全に話は脱線するのですが、「グレイズアナトミー」からのアディソンを主人公にしたスピンオフドラマ「プライベート・プラクティス」シーズン1・エピソード1で緊急手術として麻酔もないのに帝王切開をしなきゃならない場面があります。東洋医学を修めた同僚が針麻酔か何かをして無事に手術は行われるのですが、これを後にアディソンは「マクガイバー手術」と表現していて、その辺りの海外ドラマが好きな人は嬉しくなります。

 そうか、話がそれたつもりだったけれど、マクガイバーというのは実に武術的なドラマだから、武術の理念(それはけして強くなるとか心を鍛えるとかいうものではないと思います)を面白おかしくドラマ仕立てで見てみたい人はマクガイバーを見てみるといいと思います。銃が嫌いでケンカもあまり強くない特殊な捜査官みたいな人が科学的な知恵を駆使して任務を果たすというドラマで、科学的かどうかは置いておいてとても面白いです。macgyver でyoutubeやtudou, youku, megavideo辺りを検索すると見つかるかもしれません。








f.

2008-11-20 19:16:27 | Weblog
Once on my friend's diary, he's written about "sunk cost". It means a cost that you threw into something and never be gotten back. Well that's a sunk cost, you'd better just sweep the slate clean, right? Past is a past. Don't look back. I got it.

This sunk cost coming from economic terms looks very nice. Simple, clear, chin-up, positive. Of course not always but in many case we should think about sunk cost and sometimes that will help us. However, for me, I just have to own up my trashing so many thihgs that didn't work very easily without knowing this word of sunk cost. This word makes me get wise. I should respect things more.I was a natural born "sunk cost guy".

Also I appried this concept on the future. OK if you regret something, you'd better just forget or analyze it then start over. For instance, imagine you have a very important examination a week later. Today you didn't study for it. you get regret why I didn't, stupid me. Then you are gonna look the futuer. "OK, tomorrow I shall study hard".
Confession, confession, confession. I've sometimes thought I won't study tomorrow also, anyway all I have to do in tomorrow's night is to forget about the day and make a new vow to the next day. So to say, I can start over at FUTUER'S NOW, not NOW'S NOW. Stupid.

名を呼ぶ者。名を呼ばれる者。

2008-11-14 17:00:27 | Weblog
 実は、僕はある女の子の名前が苦手だ。その名前の女の子と何かあったというわけではないし、自分でもどうしてその名前が苦手なのか分からない。その名前は極々一般的な名前なので、たまにその名前を持つ女の子に会うことがある。すると僕はその人の名前を素直に呼ぶことができない。本当に失礼な話だけど、名前のことは忘れようとする。

 一体これは何なのだろう。
 精神分析の好きな人は、それこそが、どうしてそれが嫌いなのか自分で分からないほどにまで抑圧されたなにかこそが本当のトラウマだし、きっと君は過去にとても嫌な体験をしてそれに蓋をして思い出せないようにしているのだ、と言うかもしれない。
 そんな風に「無意識でどうこう」と言われると、それは僕に意識できない範疇の話なので反論はできない。もしかしたら幼稚園にその名を持つ女の子がいて、彼女が僕に猫のフンを食べさせようとした事件があったのに僕ときたらきれいさっぱりそのことを忘れていて、今はただその名前に嫌な感じを覚えるのみ、みたいなことが絶対にないとは言い切れない。でも、たぶんそういうことはなかったと思う。

 良く考えてみると、僕が違和感を感じるのはその名前を男バージョンに改造してみても同じだ。多くのポピュラーな日本人の名前って簡単に男バージョンと女バージョンが作れますよね。たとえば僕は良太という名前ですが、世の中には良子という名前の女の子もたくさんいる。加えてこれはまったくの余談だけど、小学校中学校の同級生に良子という名前の子が居て、その子は誕生日まで僕と1日違いだった。閑話休題。だから僕はその名前の幹に当たる部分の音がなんとなく苦手なようで、それは多分特定の誰かに原因を帰結するものではないと思う。ただの好き嫌いだと言われればそれまでです。

 平安時代とかの大昔、人々にとって名前はその人そのものといった感じで大事にされていたらしい。他人に本名を明かすのは呪いなんかの関係もあって危険だから、基本的には本名ではなくニックネームを使っていた。本名を明かすというのはその人の前で裸になるようなものだ。加えて、悪霊だとか魑魅魍魎の類がその子供に興味を示さないように「うんこ丸」「便器ちゃん」みたいな汚いニックネームもつけていたらしい。本当だったとしたら、魑魅魍魎の方はどうか知らないけれど、子供の精神衛生上あまり良くなさそうですね。そういえばとても昔付き合っていた女の子は「私の名前は呼ぶときの音がちょっときつくなりやすいから、だから私ってきつい性格になったかもしれないって親が心配している」というようなことを言っていた。

 僕はもしも自分の名前が今の名前と違うものだったらどういう人間になっていたのだろうか。僕は今の名前でなければ「童憧馬」だかなんだかと書いてドラマと読ますつもりだったようで、それはそれで大変な人生になっていたのではないかと思う。

みんなにお金をあげよう。と大臣は言いました。

2008-11-13 15:55:59 | Weblog
 ホリエモンがブログで、定額給付金は大金をかけて集めたお金(集めないとできないことがあるから集めた)を大金をかけてばら撒くというバカバカしい政策だけど、どうせ実行されるのだろうから、ならこういうのはどうか、ということでみんなが定額給付金を寄付してNPOを作り、それぞれが一票を持って集まったお金をどこ(他のNPOやNGO)に出資するかネット投票で決める直接民主主義の実験を提案している。2兆円がばら撒かれるのだから、寄付する人がどれだけいるか分からないけれど1000億くらいは最初に集まるのではないか、という考えらしい。

 面白いアイデアだと思います。
 定額給付金がバカバカしいのかどうか僕は判断できませんけれど。たしかに集めた物をばら撒くのは無駄みたいだけど、時間軸を考慮して「過去に集めすぎちゃった分を元に戻したい」ということだってあるかもしれないと思うからです。

 さて、僕が今日書こうと思っていることは、このアイデア本体とは関係がなくて、お金を使うって一体どういうことなんだろうという問いです。どなたか経済に明るい人がいらっしゃったら教えていただけると幸いです。

 最初に疑問を感じたのはお金を特に「政府が」使う場合です。大金をかけて集めたお金を大金をかけてばら撒く。このときの「大金をかける」というのは具体的にどのようなお金の動きになっているのでしょうか。お金が労働の対価であるとシンプルに仮定すると、大金をかけるというのは「日本人の労力の総量からより多くを使う」ということになるのだろうというのはぼんやり分かります。お金の割り振りというのは即ち労力の割り振りのことだろうと思います。

 ただ、面倒なので貿易、旅行及び投資投機FXなど、ありとあらゆる海外との経済的なやりとりを排除した、いわば鎖国モデルを立てたとき、日本国内で日本人がお金を使うと何が損なわれて何が得られるか良くわかりません。政府がお金を使うというのは、政府が何かの製品を買ったり、公務員に給料を払ったりすることで、製品を買ったお金は企業に入って従業員に渡り、公務員の給料は公務員も国民だから政府に集めたお金が人々の下に戻るということでしかないように見えます。そのお金はさらに人々の間をぐるぐるしたり税金として政府のもとへ届けられたりします。でも、当然今は日本を経済的に閉じた系だとしているので日本にあるお金の総量は変化しません。減りも増えもしない。だから、政府がお金を何かにたくさん使ってしまったとき、僕はそれを凶弾しなきゃいけないのかどうか本当のところは良く分からないのです。先にも書いたように、労力の割り振りだと思えばなんとなくはわかるのですが、いまいち釈然としない。

 モデルをもっと究極に単純化してみましょう。
 鎖国状態はそのままに、加えて。
 日本人は全員農家で米を作っていて、しかも米は完全栄養食で米しか食べない。水も飲まない。病気も怪我もない。服も着ない。家もなくて外で寝る。つまりこの世界では大事なものはお米しかない(愛とか恋とかは考慮していません)。
 お米も出来不出来があるので、足りない人は余っている人からお米を借りて、どれだけ借りたのかそれぞれで記憶していた。
 ある日、それぞれが覚えるのはややこしいので、「お金」というものを作ってお金でお米の貸し借りを管理しようということになった。1円が1グラムに対応していて、お米の貸し借りが劇的に便利になった。
 さて、このお米国家日本が、「豊かになる」とはどういうことでしょうか? 日本が豊かになる方法は一つしかありません。それは「毎年とれたお米が少し余ってそれがどんどんと蓄積されていく」ということです。
 蓄積されたたくさんのお米とお金を管理するために、一部の日本人が米作りをやめて「政府」というのをはじめました。政府の仕事をしていてはお米はできないのですが、彼らも当然お米を食べなくては死んでしまうので、「みんなの役に立つ仕事をしているのだから」ということで、お米をみんなからちょっとづつ分けてもらうことにして、それに「税金」という名前を付けました。政府のお陰でお米のやりとりがとてもスムースになったり、さらに今までは次の収穫まで食べ繋ぐお米とお金がなくなると死ぬしかなかった(善意人情友情というものを考慮していません)のが「生活保護」という形でお米の支給を受けられるようになり、人々は以前より安心して暮らせるようになりました。
 ここで「政府が大金を使う」というのは、今まで日本国民の10パーセントが政府をやれば良かったのに無駄な理不尽な問題を持ち上げてその解決の為にさらに政府の仕事をする人を増やし、国民の20%を政府の仕事に使ってしまうような状態を指すのかもしれません。そうするとこの年のお米の収穫は、農民が90パーセントから80パーセントに減るので当然ダウンします。これは国益を損なっていると考えることができます。

 僕達が現実の世界で言っている国の豊かさってこれと似たものでしょうか?
 それと、どうして国家間でお金の価値が、ひいては労働の価値が違うのでしょうか。 


2008年11月7日金曜日;
 海外ドラマを見ていると時々、夜になればこの街にはここしか飲食店がないとばかりに職場の人も友達もみんな集まってくる店があって、あくまでドラマ演出の一環なんだろうけれど面白い。それで金曜の夜なので大学の友達と軽くダーツバーに立ち寄って帰る。

2008年11月8日土曜日;
 Sちゃん、Kとランチのつもりが信じられない長話で夜中の2時になる。

2008年11月9日日曜日;
 夕方4時から大文字に登る。兵庫、大阪からわざわざM君とSちゃんも来てくれる。日没から夜になるのを見る予定だったけれど、生憎の曇り空で夕暮れは見えない。I君がハプニングに見舞われあまりに面白かったので腹がよじれて笑い転げしばらく立てない。
 帰りにおでん屋へ行くというので行くと定休日。代わりに傍にあったダイニングカフェみたいなところへ入るとなんと入り口でTさんが迎えてくれて吃驚する。その辺から一挙、見知らぬ店がホームに変わりつつあったのだけど、良く物を落とす店員の女の子にテーブルを動かしてくっつけてもらって席を確保し、メニューがややこしかったので最初控えめに頼んでいたのがいつの間にか頼み過ぎる。料理がひとしきり出揃ったところでTさんが上がってきて「無茶無茶頼むからてんぱった」と額に汗で言われる。案の定食べきれず、締めのはずの釜飯をおにぎりにして持って帰る。満腹になった割には安く済んで、店を出るとオーナーらしき人が戻ってきて、Yちゃんと再会を喜び会うのでまた驚く。3年前に一緒に働いていたとのこと。京都は狭い。

2008年11月10日月曜日;
 夕方、色彩の研究をしている友達の被験者をする。久しぶりにデザイン経営工学科の演習室に足を踏み入れて変な気分になる。

2008年11月11日火曜日;
 造形思想論が民芸運動とモダニズムの話に移る、漱石にどう繋がっていくのか楽しみ。従姉妹が入籍したらしい。おめでたい。

2008年11月12日水曜日;
 寒くなってきたのに着る物がないので夕方に服を見に行く。欲しい物がなにも見つからない。idギャラリーに立ち寄る。流木の作品でなんと生まれ故郷静岡の海岸からこの大量の流木を運んだという。

particles in the foggy blur.

2008-11-07 19:32:41 | Weblog
 僕の専門には全然関係がないけれど、大学院で造形思想論という授業を受けています。この間までは西田幾多郎の話でした。恥ずかしいことに、僕は京都に住んでいて、哲学も少しは興味があるくせに西田幾多郎のことを名前しか知らなかった。まだ少し聞き齧ったくらいじゃほとんど何も知らないに等しいけれど、もしかしたら物凄い哲学者なんじゃないかという凄みを感じています。

 教室には門外漢が僕だけなので、先生は気を使ってときどき物理や数学を例に取って下さり、それから西田幾多郎は量子力学にも興味を持っていたということを教えてくださった。
 西田幾多郎は1870年生まれで、なくなったのは1945年なので、ちょうど量子論の黎明期に重なる。量子力学はある意味哲学や文学が議論してきたことが実体を持って立ち上がってきた事件でもあったので、当時の鋭敏な哲学者が興味を示したのは極めて自然なことだ。

 昔このブログに引用したものをもう一度引用すると、

「量子力学者の書いた本をいろいろ読んでみた。そして、かれらの言葉に対する感覚が、最高の(現代の)文学者のものであることを知ってびっくりしたのだった」 ―(「文学じゃないかもしれない症候群」高橋源一郎、朝日出版社)

「ぼくたちは経験と類推によってことばを使う。だから、まったく新しい事件に遭遇した時には何もいえない。言葉がないからだ。でも、どんな言葉ももってこられないような真に”新しい出来事”は滅多に起こらない。量子力学ではそれが起こったのだ。」―(出典同じ)

 若きハイゼンベルクの「我々の言葉で原子内部の様子が記述できないのなら、我々はいつまでも原子内部の様子を理解できないのではないか」という問いに答えて、ボーア曰く、

「いやいやどうして、そう悲観的でもないよ。われわれは、その時こそ”理解する”という言葉の意味もはじめて同時に学ぶでしょうよ」―(「部分と全体」W・ハイゼンベルク、山崎和夫訳、みすず書房)

「量子論は、われわれがある事柄を完全に理解することができるのが、それにも関わらずそれを語る場合には、描像とか比喩しか使えないことを知らされる1つの素晴らしい例だ。」―(出典同じ)

 僕達の思考というのは、実は言葉と我々自身の五感に制限されている。たとえば、「三角形」はイメージすることができるけれど、「三角形であり、かつ、五角形」なものを具体的にイメージすることはできない。でも、量子力学ではそういうイメージできないものをイメージして、さらにそのイメージできないイメージを用いて思考することが要求される。そんな無茶苦茶なって思うかもしれないけれど、実際に物理学者たちはそれで物事を進めて、僕達のコンピューターも携帯電話も実際に動いているし、量子力学は人類史上、今のところ最高精度を誇る物理理論です。この実体はわけが分からないにも関わらずなんとか前に進めるというのは人類の持つものすごい機能の一つだと思う。

 とはいうものの、まだなんだか良く分からないということも沢山あります。たとえば、量子力学を用いて何かを計算するとき、僕達はその系のハミルトニアンというものを知る必要があります。このハミルトニアンというのは古典力学のエネルギーに近いものなので、古典力学の言葉でその系が記述できるときは古典的エネルギーをちょこっといじってやることで知ることができます。だけど、古典的に対応するものがない系を考えるとき、どうやってハミルトニアンを考えるかと言うと、それはもう半分当てずっぽうになってしまう。滅茶苦茶な話で僕が言っても全く説得力に欠けるので、偉大な物理学者の一人J.J.Sakuraiの言葉を名著"Modern Quantum Mechanics"から引用しよう、

『問題にしている物理系に古典論に対応するものがないとき、ハミルトニアン演算子の構造を決めるのは推量による他ない。色々な形のものを試みて、実験の観測にあう結果が導けるハミルトニアンを見出すのである』

 時にはこのように理論物理学と言っても理論もへったくれもないことだってあるわけです。

politically correct.

2008-11-07 14:11:09 | Weblog
"Mr,Sandman" The Chordettes singing on the car radio.
僕達は二人とも、それぞれ運転席と助手席に座って、すっかりと押し黙ったままだった。もちろん、僕達にとって沈黙というのは別に気まずいことではない。 When we don 't have talk with, we don't. Just it is quite simple. Sitting next each other and there is just music going on. Isn't it not bad? 曲がり角を曲がり、大きな通りに出ると、正面に大きな満月が見えた。それは完全なまん丸だったけれど、でもそんなに明るいというわけでもない。「きっと空気が汚れているのね」と彼女は言った。" Or just because of cloudy sky, natural" "maybe you right" 「たぶんね。この辺りの空気がそんなに汚れているとは思えないよ」 actually around here, this region is filled with forests and no industrial plants.

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 大学に来る途中でハイヒールを履いた恐ろしく歩き方の悪い女の子に会った。
 そういえば、去年の夏にハンガリーからIが来ていたとき、二人で街をぶらぶら歩いていると、Iは急にクククと笑い、それから「日本に来てからずっと思っていたんだけど、日本人の女の子ってヒールのある靴履いて歩けないんだね」と言った。僕はヨーロッパの女の子がヒールを履いてどういう風に歩いているのか良くしらないけれど、「そんなに違うものかな、姿勢なんて現代人はみんな悪いし、それから人それぞれなんじゃないの」というようなことを言った。Iは、もちろん個人差はあるに違いないけれど、それにしても日本に来てから自然にそれが気になるくらいにはヨーロッパと違うよ、というような返事をした。僕たち日本人は骨盤が後ろに傾いているから、そういうこともあるのかもしれない。

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 一昨日I君に僕の非常にフレキシブルでファジーで心意気のないベジタリアンとしての態度がどうにも理解できないと言われる。ちなみに彼はベジタリアンでもないので、これはベジタリアンの初心者が先輩に説教される、というようなことではなくて、単に僕の姿勢は論理が通ってないという指摘です。でも、まあ僕にとっては曖昧なスタイルがとても自然だし、別にそんなに真剣に世界の食料事情を変えようと思っているわけでもない。
「どうしてデモとかをして世間に訴えないのか」
「食堂へ行くたびに、どうして肉を食べている人に説教をしないのか」
「今食べてるチョコレートに入っている乳成分はかわいそうな牛から採られたものなのに、それは食べてもいいのか、肉は見えるけれど、そういう見えないものはいいのか」
「恋人が肉料理を作ってくれたら、友達とのパーティーで肉が出てきたらそのときは食べるとはどういうことか」
「どうして食肉産業の会社を潰そうとしないのか」
 みたいなことを色々言われたわけですけれど、だから、僕は別にそこまで真剣に考えているわけではないし、筋を通そうとも思っていないわけです。僕には僕なりの優先順位というものがあって、動物が可哀想とか世界の食料事情とか、そういうことより優先したいことがたくさんあって、それは我侭だと言われても譲るつもりがない。彼は非常にストリクトな性格なので、0か1かを要求してくるわけだけど、ファジー集合が用意されていなくてクリスプで決めろといわれるなら僕は1ではなく0を取ってマクドナルドへでも駆け込む。
 正直なところ、僕一人が肉を食べようが食べまいが、別にそれである生き物の命が救われるわけでもなんでもないわけです。そういうことはとてもよく分かっている。それから、僕はなるべくこの世界に生まれてくる「意識」というのが悲しみや苦痛を味わわない方がいいなと思うけれど、別に収入の半分を寄付したりもしてない。悲しみが少ない方がいいというのはあくまで一つの意見にすぎなくて、強いものが弱いものから奪うというのを信念に持っている人だっていて、これはどっちが正しいという問題でもない。あくまで全部政治的問題でしかない。だから僕は大きな声で他の人が肉を食べることを咎めるつもりが全然ない。それどころか僕も日常ではなんとなく避けているだけで、場面によっては肉をたべるし、ベジタリアンではない人と結婚する可能性が極めて高いので結婚後はベジタリアンでなくなると思う。これに関しても「じゃあ相手に理解を求めるか、他のベジタリアンを選ぶべきだ」みたいに言われたけれど、僕にとって恋人あるいは奥さんはなにより大事なものだからそんなバカな話はない。その人以外の人を選ぶなんてとんでもないし、その同じものを食べたいと思う。
 それでいろいろ面倒だなと思ったので、ベジタリアンって言葉を使うのやめようかなと思います。勝手に日常生活で肉をあまり食べないようにして、ときどき食糧事情の話を言いふらせば、僕にとってはその方がずっと簡単だ。

the.u.s.

2008-11-06 17:28:02 | Weblog
 これまで一度も通して聞いたことがなかったのだけど、あまり多くの人がバラク・オバマの演説は素晴らしいという評価をしているので、youtubeで20分くらいの演説を聴いてみた。確かにドラマチックなスピーチだった。アメリカらしくショーアップされたステージで丹精な顔立ちをしたまだ若い政治家が熱弁を振るう様はまるで映画みたいだった。
 これは素晴らしい政治家が現れた、と僕がもしもアメリカ人なら思っただろう。でも、僕はアメリカ人ではなくて、心の底に小さな恐怖が沸き起こるのを感じた。僕は英語が堪能ではないので、実のところオバマさんが何を言っているのかそれほど良く分かったわけではない。でも、だいたいは「どんな主義主張、立場の人も一丸となって良いアメリカを作りましょう」ということだったと思う。良い世界ではなくて、良いアメリカ。愛国心とかいう以前にフレームワークとしてのアメリカ。僕はアメリカ人ではないので、そういう語り方をされるとなんとなく怖くなる。

 そういうことを思った後で、内田樹さんのブログを読むと僕の漠然と感じた恐怖みたいなものがもっと分かり易く書いてありました。それを引用させていただくと、

『だから、私はアメリカがこのあと外交戦略などでこれまでより「開放的」になるというふうには考えない。
アメリカ国民は自己利益を確保するために「開放的なタイプの政治家」を指導者に選んだのであり、当然彼は全力を尽くしてブッシュが失った「国益」の回収に乗り出すはずであり、有権者はそれを期待している。
オバマは95%のアメリカ国民に減税を約束した。
でも、その原資はどこから調達するのであろうか?
アメリカの富裕層からであろうか?
まさかね。
彼は白人も黒人も、貧しいものも豊かなものも、「すべてのアメリカ人」の統合を訴えたのである。
富裕層に課税するような政策はこれと平仄が合わない。
アメリカを豊かにするための原資はおそらく「アメリカ以外の国」から調達されるのであろう。
現に学術領域でしているように。
麻生首相はオバマの大統領決定の報に苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
彼はアメリカの新大統領が「内側にいい顔」をする分だけ、「同盟国に渋い顔」をすることをおそらく予感しているのであろう。』