brand-new.

2007-08-30 19:00:52 | Weblog
 ブラウザを立ち上げると、どこかの保育園だかで指しゃぶりを辞めさせるために保育士が園児の指にカラシを塗った。ひどい。というようなニュースが載っていて、違うサイトを見ているときにもそのニュースは目に飛び込んできた。これは、かつて僕の両親が僕の左利きを治そうととった手段と同じだ。ひどいといえばひどいのかもしれないけれど、はっきりいってどうでもいいようなニュースだと思った。

 レトロ趣味が消えました。
 考えてみれば僕は随分と長い間「古い物がいい」という在り来たりな趣向を持っていて、携帯電話はみんながカラーのディスプレイを使っているときにまだ白黒だったし、バイクは僕が生まれるよりも昔に作られたものに乗っていたし、カメラは当然フルマニュアルの古いペンタックスを使っていました。
 でも、最近そういった傾向がなくなってきたのです。

 最初に表れてきたのは服装においてだと思う。僕は古着屋さんへ行って60年代や70年代の服を探して良く着ていたけれど、ここ2,3年はそういった服を着なくなっていた。
 新しいピカピカの自転車を買って、毎月のように修理の必要なバイクに乗るのを止めた。電気系が6Vで部品も段々と手に入りにくくなった。
 ずっと使っていた携帯電話を最新式に換えた。

 バイクが壊れて立ち往生することも、携帯のバッテリーが通話1分でなくなることもなくなって、生活は快適できちんとしたものになった。

 それから遂に、5年以上使っていたペンタックスSPの代わりに、動画も撮れるデジタルカメラを持ち歩くことにした。
 (なのでこれからは時々動画もアップしていこうと思います)

 いつだか忘れましたが、フォルクスワーゲンのニュービートルが発売されたとき、僕は「やっぱり昔のやつの方が圧倒的にかっこよかったな」と思ったのですが、今ではニュービートルが欲しくて仕方ありません。
 レトロな車ではなくて、きちんとエアコンが効いて、高速で100キロ出しても夜中の山道を走っても不安にならなくていい最新の車が欲しい。

 これらは、実は友人Tの影響でもあるのですが、僕としてはだんだんと大人になってきたのかもしれないな、と感じて日々を過ごしています。


2007年8月29日水曜日

 Sちゃんに半ば強引に貸された「アヒルと鴨のコインロッカー」を読んでみる。小説を読むのは久しぶりのことだ。物語に入って出てくると、僕は自分がどこか全く別のところに行ってきたのを実感する。「物語というのはこの世のものではない」という村上春樹の言葉を思い出す。
 昔はよくもこんなに重たい体験を毎日のように繰り返していたものだと思う。最近ようやく、多分去年の夏に村上龍の「半島を出よ」を読んだことが大きいと思うけれど、読書というのが、特に小説を読むというのが特別な行為であると分かってきた。文字を読んで映像を浮かべるから想像力がつく、とかそういった下らない次元での話ではなくて、もっと特別なものだ。

月。

2007-08-24 18:46:14 | Weblog
 ちょうど大文字山の上に月が出ていた。夕暮れがはじまる前の雲がオレンジで空がまだ青いひと時。月と山と雲と、青くオレンジな空の所為で、それから高くを南へ飛んでいくカラス達の所為で、世界の上半分だけを見れば、まるでここは太古の地球か、それともどこか他所の星のようにも思えた。子供向けの科学雑誌に出てくる恐竜時代か、それとも僕達人類が遠い未来に住むかもしれないスペースコロニーの内部を描いたイラストのようだった。
 夕方に、カラス達はみんなして南へ飛んでいく。僕の大学のずっと南、たぶん御所を目指しているんじゃないだろうかと思う。僕はあそこの森の中でカラス達が眠っていることを知っている。

 今年はそんなにきちんと見ていないのですが、大文字ちょっと失敗してましたよね? 大じゃなくて太になっているように見えました。なんかおかしいなって思っていて、それから次の日、昼間の明るい山肌を眺めると、いままでなかった焦げたあとが付いていました。

taxi.

2007-08-22 14:26:05 | Weblog
 自転車で街中を走っていると、屋根の上にプロペラを付けた変な車が通っていった。そんなバカなことがあるものかと思ったけれど、その車にははっきりと「エコロタクシー」なる文字列が書かれていた。

 なんだろうと思って検索してみたら京都の会社でした。
 http://ecolo21.com/event/051205.htm

 意図があまり良く分からないのですが、はっきり言って恥ずかしいので僕なら絶対に乗りたくありません。
 というのはこのタクシーはエコでもなんでもないし、敢えて言うならアンチエコだからです。
 ホームページには「走行時の風をプロペラで受けて発電する」ということが書かれていますが、当たり前だけど、その分車体の空気抵抗が大きくなってエンジンに対する負荷も大きくなる。つまり電気はそりゃできるだろうけれど、その分ガソリンの消費も増えているということです。もしも電気が欲しいなら自動車に内臓されている発電機からそのまま電気を取った方が遥かに効率がいい。
 大袈裟な場合を考えればもっとはっきりします。タクシーの上に乗っているプロペラが直径10メートルくらいの巨大なものだったら、空気抵抗がすごくてタクシーは前に進むために随分なエンジンの力を必要としますよね。

 このタクシーのプロペラ発電がエコだといえるのはタクシーが止まっているときたまたま前から風が吹いてくるか、坂を下っているときだけだ。

 こんなことはタクシー会社のほうでも本当は承知しているはずだ。発案者が仮に気づかなかったとしても、プロペラの製作やなんかに携わったエンジニアの誰もが気づかないなんてことは有り得ない。

 それでもこんな馬鹿げたタクシーが走っているというのは、タクシー会社のほうで「ぱっと見た感じエコっぽいから、客は付くんじゃないか」という人々を馬鹿にした戦略があるせいではないかと疑わないではいられない。

high land.

2007-08-21 11:29:34 | Weblog
 お盆の締めくくりに、土曜日、日曜日と、六甲にあるBの別荘へみんなで行ってきました。大きくて古い建物で、去年は幽霊が出たと言うけれど、今年は出なかった。お化けは出なかったけれど、それはもういろんなことがあって、小学校のときの野外学習をなんとなく思い出した。建物は洋風と和風のミックスで、基本的に僕たちが使っていた部分は和風で、縁側があって、外には森が広がっていて、女の子は全員芸術大学出身の尖った子ばかりだったので、全然期待していなかったけれど、全く予想外なことにきちんとした料理が出てきて、木々の間から差し込む夕暮れの太陽の下、畳の上に食卓を用意すると、それは果てしなく完璧に正しい日本の原風景みたいになって、僕達は写真をパチリパチリと撮った。

 月曜日、僕はBのプジョーの鍵を持って帰ってしまっていたので、梅田まで行ってIに鍵を託す。そのあと、ちょっと万博公園へ寄ってから京都に戻り、ひさしぶりにYちゃんとご飯を食べる。

像。

2007-08-17 22:07:29 | Weblog
 五山の送り火を、大人達が少しだけ涙ぐんだ目で祈り、今はもうこの世に居なくなってしまった大切な人達のことを想う隣で、子供達はきれいだねと言ってはしゃぎ回り、鴨川はやっぱりさらさらと流れる。

 ときどき真っ暗なこの世界に、奇跡みたいな体を持って生まれた僕達はそうして何年も何年も繋いできた。
 僕達の知らないところで、僕達のことを祈ってくれている人に、どうやって感謝しようかと考える。 

 夢なのか現実なのか区別が着かない。僕が目を開けると、足元を若い男の人が横切っていった。僕はちょっとびっくりしながら、やせ我慢して手を振ってにっこりして、それからまた眠った。

 お盆は4年ぶりだとか2年ぶりだとか半年ぶりだとか、懐かしい友達に会ったり、バーベキューしたり空を見上げて流れ星を探したり、中華料理とタイ料理をお腹に詰め込んだり、強すぎる昼間の太陽と空間を塗りつぶしたみたいなセミの声にうんざりしていいのか喜べばいいのか分からないうちに過ぎていった。

 もちろん、夏というのはまだまだ終わらない。

その街の歩き方について。

2007-08-10 12:27:25 | Weblog
2007年8月7日火曜日

 ISOの監査なんかもあって、5時まで研究室にいたあと、東寺や国立博物館なんかへ観光に行っていたIと烏丸御池で落ち合う。僕も何か飲みたかったし、Iはとてもお腹が空いたというのでマクドナルドへ入る。ハンバーガーを食べながら「病気になる」という意味合いのスロバキア語だかハンガリー語と「マクドナルド」を掛けたなんとかという言葉を習っていると、窓の外では雨が降り出して、三条通りを人々が駆け抜けたり雨宿りをしたり。
「この奇妙な格好をした女の人は有名なのか?女だよね?」とIが取り出してみせたのは瀬戸内寂聴さんの写った何かの宣伝で、「今日隣にいて変な格好だから気になって仕方なかった」と言う。

 その後、CDショップに行こうと話していると雨が上がったので、ラッキーだなんて行ってマクドナルドを飛び出したけれど、Iが途中で靴屋がある度に靴を見たがるので、靴を見ているとSちゃんと会う時間になる。

 僕たち二人は市役所前で拾ってもらい、Sちゃんの車でYちゃんと僕ら4人して将軍塚へ行く。
 久しぶりに見下ろした京都の夜景は、夕立に洗われたあとで心なしかいつもよりきらきらして見えた。遠く、西の山向こうから一度だけ光が見えて、たぶんそれは亀岡市の花火大会だろうと僕たちは考えた。耳をすませばドンドンという音も聞こえるような気がした。

 Yちゃんはチェコに縁があって、Iの彼女であるBが次に行く予定のチェコの大学に彼氏がいるということで、世界というのはなんて狭いのだろうと思わざるを得ない。僕にとってはつい2年前までハンガリーもチェコもスロバキアも全部、東欧なんて遠い遠い国の話だったけれど、Bがハンガリーに行ってから急速にすべてが近くなった。

 子供の頃、ハリウッド映画とNHKの海外ドラマばかりで育った僕にとって、当然外国というのはアメリカのことだった。僕は28歳にもなって一度も日本から出たことがないけれど、気がつけば身の回りには色々な国の人がいて、今や確実に僕の世界感は彼ら彼女らによって作られている。それでいつも思うことには、日本人と話しているのとそう違いを感じたことがない。当然だけど世界は広くて、でもつまるところ人間というのはそう大きな差異を持たないのだなと思う。

 そのあと、北山のマタキチでご飯を食べて帰る。


2007年8月8日水曜日

 朝にBとの待ち合わせ場所へ出かけていくIを送り出してから研究室。僕は学力が博士課程の学生だとは信じられないほど低いので、この夏は人並みに追いつこうと思う。それからいつも小説を途中でやめてしまうので、秋口まで嫌になってもコンスタントに物語をつなげていこうと思う。


2007年8月9日木曜日

 昼からWの部屋探しに付き合う。
 出町柳か百万遍周辺にアトリエ兼住居といった感じのものを2万円代の家賃で借りたいという。頼みの綱、不動産Nへ行ってみるも、良いものはなかった。見せてもらった部屋は予想以上に朽ちていて、Wは「つげよしはるの世界みたい」と言った。
 僕は日本林業から参加したけれど、Wはすでにその前にも別の不動産をまわっていて既に疲れを見せていた。僕達は百万遍の進進堂でランチをとって、不動産屋の冊子をチェックしながらしばらく休憩していたけれど、はっきりいって2万円台の物件はカタログには載るものではない。「もう私どこ行っていいのかわかんない。いい不動産知らない?」とWが言い、「いや、僕は不動産のことは何にも知らないし」と言おうとしたけれど、そういえば昔Tが「友達に優秀な不動産屋がいる」と言っていたのを思い出して、Tのお店もここからはそう遠くないので行って聞いてみることにした。

 昼食中だったTに、その友人である不動産屋さんに電話をしてもらうと、その不動産屋さんも昼食中だった。「家賃2万円代なんてある?」というTの質問に、電話の向こうでは「きた、2万円台」という反応があったみたいで、でも部屋はいくらかあるようだったので、後から僕達が店舗を訪ねる旨を告げてもらった。

 Wは今日中に部屋を決めたい様子だったし、僕はもしかすると4時半くらいから用事が入るかもしれなかったし、Tもご飯中だったので短い時間でTのお店を出て、不動産Kへ行くと「ああ、Hですね、今呼んで参りますので」ということで、僕たちが一言も言葉を発しないうちにてきぱきとお茶とアンケート用紙が用意された。

 それからHさんに色々と調べてもらって、さらに3箇所ほど車で連れて行ってもらい、Wのなかでは1つ気にいった場所が決まったようだった。
 その後店舗にもどって、Wがどうしようか、ここでいいとは思うんだけど、と煮え切らない態度をとっていると、「じゃあここで契約ということで」と絶妙に強引なタイミングで、さっきまでの飄々さからは計り知れない素早い合わせをHさんが掛けてきて、Wもそのまま契約してしまいそうだったので、この人なかなかやるなあ、と思いながらもそれはそれなのでWに「ちょっと待って、まだ決めたわけじゃないでしょ? 本当にここにするの?」と言うと、「うん、決めるときは決めないと」とWは言い、契約はするすると結ばれた。

 そういう訳で、Wの新しい部屋は無事に見つかり、それは実に感じの良いアパートだったので、僕もWも満足してTとHさんに感謝した。

 そのあと、Tのお店へ行ったときに近所にできたというハワイアンカフェのことを聞いたので、そこへ行ってアイスクリームを食べて、嬉しくなって、また住むことになったアパートを見に行って、アパート周辺を少し探検した。

 奇しくも、アパートの場所は僕達がTのお店へ行く途中に面白い看板を見つけて笑っていたところのほんの目と鼻の先だった。つい数時間前まで、この辺りは僕達にとって全くの他所だったのに、一月後からWが住むことになるなんてなんとも変なことだ。

 

river.

2007-08-07 13:18:36 | Weblog
 8月3日にある課題の締め切りがあったので、それまでの数日間は随分と忙しいものになった。本当は31日に愛宕山の千日詣へ行きたいなと思っていたけれど、冷静に考えればどう考えても無理なので、それもやめにして、少し寝不足なまま3日を迎えた。8月4日は、土曜日で、鴨川公園の中洲に屋根と壁を作って映像を映して静かな音楽を掛ける、ということをすることになっていて、でも結局は3日の段階でまだ天井用の照明ができていなかった。だから、僕はこの日の夜にそれを作ろうと思っていたけれど、ばったりと眠ってしまって結局できない。

 眠っていると電話がなって、半分目を閉じたまま携帯電話のディスプレイを見ると、発信者は「公衆電話」となっていて、なんだろう、と思いながら取ってみると電話の主はBだった。ハンガリーから帰ってきたところで1年ぶり。
 諸事情により、ハンガリーから一緒に日本へ来た彼氏Iを少しの間僕の部屋に泊めて欲しいという。とりあえず、4日の中洲でのパーティーには来るというので、そのときに詳しい話をすることにして電話を切る。

 4日の朝、体がいつもよりも重たい、午前中に注文していた黄色いスニーカーが届くことになっていたので、それまで部屋にいる。
 結局僕が照明を作らなかったので、昼に実家まで車や発電機を取りに帰る前にI君と相談して、I君に照明は任せる。
 実家へ帰って車を借りる。父親がヒツマブシを作ったので食べていけと言われ、食べていると「日本の名山」といった感じのDVDを流しはじめる。急いでいたのでそこそこにして祖父の家へ向かい発電機とスピーカー、アンプを車に積んで、それから松ヶ崎に戻る。

 結局荷物を大学から中州に運びはじめるのが、もう6時になろうかと言う時刻になってしまう。
 フレームについて、中洲についてから部品を組み立てるのは面倒だし、大きいけれどそんなに重たいものでもないから組んだものを歩いて中州まで持って行こうという考えだったが甘かった。想像以上に運ぶのが大変で、たまたまOが手伝ってくれなくてI君と二人だったら時間と体力を絶望的に消耗していたに違いない。

 3人でフレームを運び込んだあと、Oに見張りを頼んで、僕とI君は大学に戻り、荷物を車に積み込んで中州へ運ばなくてはならない。運び始めるのが遅くなったせいで時間に全くゆとりがなく、歩いて大学に戻るのは時間のロスが大きすぎるので出町柳の駅でタクシーを拾う。ハンドルを小径のものに変えていて「車検は通るよ」と言う、走り屋みたいな運転手さんで少し楽しかった。

 車にプロジェクターなどの機材を積んで、ガソリンスタンドで携行缶にガソリンを買い、中洲に戻るともう八時前だった。

 すでに中州についていたT君たちに荷物を運ぶのを手伝ってもらって、僕は車を駐車場へ入れに行く。コンビニで懐中電灯用の電池を買って中州に戻ると「運ぶの終わったよ。でも、プロジェクター落として壊しちゃった」とI君が言う。その後、発電機にガソリンと入れて始動させ、電気を作ってプロジェクターをチェックしてみると本当に壊れていたので少し悲しくなる。

 残ったもので行うしかないので、とりあえずは灯りを燈して、河の水を汲んで錘を作り、フレームを立てて布を張って壁と屋根を作る。その最中、見てみればハロゲンライトが消えていて、ハロゲンは電圧にセンシティブで変な電圧で使うと切れるかもしれない、というのが頭にあったので、古い発電機に繋いでいてはどれくらい持つのか心配もしていたところだったから一瞬絶望的な気分になる。
 誰かがスイッチを切ったのかと思ってスイッチを入れても反応しない。プロジェクターで天井に映像を、ハロゲンライトを使って壁に河の水面からの反射を淡く映す予定だったから、二つとも壊れてしまってはもう絶望するしかない。
「ハロゲンが切れた」と僕が言って、大騒ぎしているとT君がコンセントが抜けているという非常に初歩的なことを指摘してくれて、結局はそれだけのことだった。

 心配していた風も穏やかで、設営も問題なくすんで、天井には急ごしらえの照明しか当たっていない状態だったけれど、それはそれで悪くはないものができた。みんなが持ってきてくれた食べ物だとか飲み物だとか、そういうものもあって、そこそこはくつろげる空間ができたのはないかと思う。部屋のサイズは幅5メートル、奥行き3.5メートル、高さ2.5メートルで、そこそこの人数は入ることができたと思う。

 設営が終わったとき、僕は朝から既にくたびれていたのもあって疲れ果てていて、喉もカラカラでSさんが作ってくれた特製フルーツポンチとMちゃんのスパークリングワインをガブガブと飲んでしまった。あとでTに、「今日は飲んでいいの?車は?」みたいなことを言われて初めてしまったと思う。それからはジュースばかり飲む。

 結局、手伝ってもらいながら片付けが終わったのは朝の5時くらいだった。BとIはKちゃんとM君のところに一晩泊まることになり、僕は明るくなり行く窓の外を見ながらシャワーを浴びて眠った。

 5日。車と発電機を実家の方まで持っていかなくてはならないので、昼にI君と車で実家へ向かう。先に祖父の家へ行き、発電機などを下ろすと、祖父が「仏壇を参っていけ、コーヒーを飲んでいけ」というので、I君と上がってその様にする。

 そのあと実家へさっと車を置いて、JRで松ヶ崎へ戻る。帰り道にTから電話があって、奈良の燈花会はなかなかいい、などのことを教えてもらう。それまで飲み物ばかりで、動き回っていたのに全然空腹を感じなかったのが、急にお腹がすいてコンビニで食べ物を買って食べる。部屋に戻って眠ろうとするとBから電話がかかってきて、やっぱりIを暫く僕のとこにおいて欲しいとのこと。僕の狭い部屋に男子を泊めるなんて有り得ないことだけどBに頼まれては仕方ない。まさかそんなことが起こるなんて考えたこともなかった。

 9時に松ヶ崎へIを迎えに行く。僕とIは先日の中洲で挨拶をしたくらいで全くの他人で、それが今日から3日ほど一緒に寝起きするのだから変なものだ。Iはハンガリー人の芸術学生で、話すと随分な好青年だった。
 部屋に荷物を置いてから、彼は祖国のお兄さんと連絡をとる必要があったのだけど、使っている国際電話のカードがうまく働かなくて連絡できない。僕もこういったことは疎いのでいまいちどうすれば良いのか分からなかったけれど、ネットを使いに研究室へ行くと夜中だけどOがいたので色々助けてもらう。彼はもう日本も二年目だし、色々良く知っている。

 6日は大学へ行こうと思うも、京都が右も左も分からないIを放っておくわけにはいかないので、とりあえず行きたいという二条城へ行く。僕は良く知らないけれど「Bが予約すると7日に只で入れる」と言ったらしく、とりあえず予約をしにだけ行くつもりだったのが、「7日は休みです」と看板が出ていたので二人して入ることにする。
 僕は二条城に入ったことがなかったし、耐震工事のために5年くらいは入れなくなる、と聞いていたところだったので、僕にとってもとてもいい機会だった。

 そのあとランダムウォークへ行って地図を買い、6時からYちゃんのハムスターを預かることになっていたので急いでアパートへ戻る。炎天下を歩いて僕もIも疲れていて、気がつくとハムスターもIも僕も眠っていて、Yちゃんがハムスターを受け取りに来たとき時刻は既に9時前だった。

 それからラティーノへご飯を食べに行って、下鴨神社へよって帰る。


鴨川公園のお知らせ。

2007-08-03 17:58:20 | Weblog
 台風の影響で、風や雨があればできませんが、そういうことクリアされていれば明日の夜8時くらいから鴨川公園でスクリーンでも出してビールでも飲んだりしていると思うので、もしもよければお立ち寄りください。
 場所はより正確に書くと、京阪出町柳駅の前にある鴨川の中洲先端です。
 なんてことはないんですけれど。場所はそもそも心地の良いところです。

r/g.

2007-08-03 01:06:17 | Weblog
 その部屋の入り口にはピンク色の紐でできた暖簾みたいなものが掛けられていた。昨日初めて出会って、最初の瞬間からお互いに好きだって分かって、今日この部屋へ入れば僕は3時間後くらいに「好きだ」って言ってしまうだろうな、というようなことをもう二人とも分かっていて、お互いがそういうことまで分かっていることも分かっていて、「お茶でもどうぞ」って言いながら君はもう吹き出さんばかりに満面の笑みで、僕が必要以上に礼儀正しくそれを飲んで君はついに吹き出した。
(『スプーンとペンギン(仮題)』より)


 しばらく前の話になりますが、テレビを点けると何か議論形式のバラエティ番組がやっていて、そこで温暖化のことや何か環境問題の話が持ち上がっていた。それにはタレントだけではなくていくらか専門家みたいな人も出ていて、なんとか大学の教授か誰かが実に興味深いことを言った。

「海面上昇は嘘だ。IPCCは10年以上も嘘を言い続けている」

 なんと、とんでもない。

「いいですか、大体北極の氷が融けて海面が上昇するわけないじゃないですか。アルキメデスの原理ですよ。そんな物理学の基本原理が覆ったというのですか。バカな」

 バカは誰だよ。と僕は失礼ながら思った。IPCCの科学者をコケにするような発言に僕は腹を立てた。

 北極の氷が融解しても、彼の言う通り、アルキメデスの原理で海面の上昇にはほとんど影響しない。じっさいには氷は真水に近くて、それが海水に浮いているので話は少し違うけれど、コップに水を入れて、そこに氷を浮かべて、氷が解ける前と融けた後の水面の高さを比べてみればそれは同じだ、というのと大筋では一緒だ。

 だけど、誰も北極の氷が融けて海面が上昇するなんて言っていない。俗説としてはあるのかもしれないけれど、科学者は誰もそんなことを言っていない。
 地球温暖化に伴う海面上昇の原因は2つあって、最大の要因は水温が上がって海水自体が膨張すること。もう一つは氷河や南極大陸の氷が融けて海に流れ込むこと。割合としては海水の膨張が大きな影響力を持つ。
 だから、地球が暖かくなれば海面は上昇する。なによりこれは観測された結果だ。

 僕がこのテレビに出ていたら「温度が上がっても液体が膨張しないなんて、いつ液体の温度変化に対する性質が変わったんですか」と言いたかった。もちろんテレビのこちら側でそんなことを言っても仕方がないけれど。

 この発言を聞いて思ったのは、子供がこれを見ていて安直に信じると困るな。ということでした。もちろん、大人も含めて。スタジオでは現に誰も反論しなかった。僕にも強くその傾向がありますが、人というのは人が知らないことを知りたい生き物だと思います。だから世間で言われている通説と違った意見を専門家から聞くと「なるほど」と信じたくなるものです。そのほうが断然面白いし、誰かに話して驚かせることもできる。みんなが海面上昇といっているときに、それって実は嘘なんだよ。アルキメデスの原理知らないの。というのはなかなか楽しいことなんじゃないかと思う。でも、残念ながらそれは科学的な意見ではない。そして、科学というのはもちろん仮設の繰り返しであり、通説が覆ることだってあるけれど、通説というものが築かれた裏には沢山の科学者の膨大な努力があることも少しは意識したいなと思う。

Lagrange's method of undetermined multipliers .

2007-08-02 00:50:58 | Weblog
 わずか数十円のお金でワクチンが買えて、どこかの国の子供が助かるらしいのに、どうして僕は120円の缶ジュースを買って一気に飲み干したりするんだろう。と時々思う。

 クリックするだけで1円が募金されるサイトというのがあるけれど、そのサイトを開いてクリックする、という一連の作業にもしも1分掛かるとしたら、それは時給60円のひどく効率の悪い作業だし、その1円をクリックした人の代わりに出してくれるという企業の広告を読まされているだけにも思えて仕方がない。

 僕だってもう子供じゃないので、円やドルやユーロの話を全然知らないわけではないけれど、缶ジュース一個分のお金で人の命が救えるのだとしたら、この世界は一体どうなっているというのだろう。

 どうして僕たちは募金というものをあまりしないのだろう。

 もしも目の前に誰かがいて、その人の命が50円で救われるなら、ためらう日本人なんてほとんどいないだろう。でも、実質僕たちは毎日それを躊躇っている。躊躇っているんじゃないよ、忘れているんだよ。というのはお粗末な言い訳だ。僕たちはそれを知っているし、忘れているというのは意識的にそれを気にしないようにしているということにすぎない。考え出すと面倒だから。想像力や実感の限界だという意見もある。1万キロかなたのことなんて考えられないって。

 僕たちは募金をするときに良く分からない謎の感覚に陥る。
 これが何なのかは良く分からない。でも、この異様な感覚は世界の歪みみたいなものを象徴しているように思えて仕方ない。地震の義援金みたいなはっきりしたときは感じない感覚だ。
 そういうのを解決するのは募金じゃない、とみんなが思ってるからかもしれない。あるいは、そういうのを解決するのは僕じゃない、とみんなが思ってるからかもしれない。

 社会保険庁のデータ問題が世間に発表された後、暴動みたいなものは起こらなかった。もちろん暴動では何も解決しないけれど、5000万件ということはすくなくとも5000万人の人が人為的に被った損害に対する怒りみたいなものはどこへ放出されたのだろうと思う。

 なんというか大変なことが起きても誰も本当には怒らないように見えて、僕はときどきそれが良いことなのか悪いことなのか分からなくなる。腹で飲んだのか。それとも「僕には本質的には関係ない」と思うからか。

 「年金がもらえないんじゃないか」みたいな話も、全部トピックではあるけれど本題として語っている人がいるようには見えない。どうせ心の底では誰かがうまくしてくれて年金はちゃんと貰える様になっている、と思っている人の方が多いように見える。
 実際に目に見える形で痛手を被るまで、僕たちは共同体の構成員であるにも関わらず当事者意識をほとんど持たない。そして痛手を被った後の事後策というのは本質的には何も回復させない。それは仕方のないことではなく、仕方は今ここにある。



2007年7月31日火曜日
 研究室へ行くとOが「今日はいい天気だ。湿度も低いし、アンカラの夏はこんな感じだよ」と晴れ晴れした顔で言う。僕は斜め向かいのアパート解体が今日はやけに埃っぽくてひどい気分で部屋を出てきたので、とてもそれに同調する気分ではなかった。しかも寝不足だし。
 昼にB先生に約束していたレポートを出しに言って、ついでに少し話をして帰る。
 食堂でランチを食べているとOがやって来て、Mがやって来て、S君が通る。Mはイラン人なのでアジアカップのことをちょっと聞こうと思ったけれど忘れる。
 研究室に戻ってしばらくすると寝てしまったので、いっそのことと部屋へ戻って寝ようとするも、目が冴えて本を読み、シャワーを浴びて、祖父から貰った野菜が大量にあったので久しぶりにフライパンを使ってご飯を食べる。