西海岸旅行記2014夏(41):6月16日:ロサンゼルス、マリーナ・デル・レイのドギーバッグ

2014-09-25 10:55:38 | 西海岸旅行記
 シャトルの展示を出た後、サイエンスセンターの中をウロウロして常設展を見た。常設展は、日本のそこら辺にある科学館と規模も展示内容もそんなに変わらない。壊れている展示も結構ある。子供達が大勢はしゃぎまわっている。お腹が空いたので何か食べようと思ったが、マクドナルドと売店しか見当たらない。僕はなんでもいいけれど、クミコはもっとちゃんとしたものを食べたがるので、少し足を伸ばして"Cheesecake Factory"に行くことにした。
 その前に、空腹を抱えてミュージアムショップを覗き、僕はモンスターズ・インクのマイクから長い三本脚が生えたような宇宙人のボイスレコーダーを買った。モーションセンサーが入っていて、誰かが前を通ると録音した声が流れる。

 車に乗って検索するとMarina Del ReyのCheesecake Factoryが近いので、そこへ行くことにする。Marina Del Reyは世界最大のマリーナらしい。行ってみると、底抜けに明るい海に白いクルーザーだかヨットだかがびっしり停泊している。Cheesecake Factoryがどこでもそうなのか、ここがお金持ち向けエリアだからなのか、駐車場はバレーで内装も制服も僕が"BigBang Theory"で見ていたものと随分違う。まあいいか。
 外のテラス席に座って、海とビーチとヨットを眺めながら、僕はバーベキュー・ベーコン・チーズバーガーに類するものを注文した。ここでは灰色の鳥が幅をきかせていて、レストランの客が何か溢してないかとテーブルの下を歩き回っていた。

 結構な量の食べ物が僕達のテーブルに運ばれてきて、2人でお腹に詰め込んでいると、近くのテーブルにはバースデーケーキが運ばれ来て誰かの誕生日が祝福される。そのテーブルの人達がハッピーバースデーの歌を歌いはじめたので、テラス席にいる人はみんな歌うのかと思ったら誰も歌わない。そう誰も歌わない。日本人はノリが悪くて欧米人はノリがいいという都市伝説はあっさりと壊れる。日本でももうちょっと周りの人が誕生日テーブルを気にして歌ったりすると思うけれど、この時は完全に無視だった。

 この「ノリ」とか「恥ずかしがる」に関する都市伝説に、「日本人は教室で恥ずかしがって質問しないが、欧米人は下らない質問でもなんでもガンガンする」というものがある。
 これも嘘ではないかと思っていたら、この翌々日訪れた空母見学で、「何か質問は?」「・・・」「誰か、質問ない?」「・・・」「質問してもらわないと、私が困るんだけど、質問してもらえない場合に備えてしゃべることも用意してるんだ。勝手に喋らせてもらうよ、いい? ほんとに質問ない?」「・・・」というシーンに出くわした。内部見学ツアーは20人毎に区切られていて、20人も人がいるのに誰も何も言わない。
 こういう場面では僕は勝手に責任を感じてしまうので、あれこれ質問を考えたけれど何1つ聞きたいことが浮かばなかった。話し手や状況の魅力がなかったというだけのことかもしれない。

 ピザとハンバーガーとフライドポテトとワカモレとサラダを頼んだら、パンも付いてきて食べきれないのでドギーバッグに入れてもらった。もう時刻は午後4時を回ろうとしていて、今日は夕食の約束もあるので不安な気分になる。お金を置いてテーブルを立つと、さっきの誕生日テーブルの人達もそろそろ支払いみたいだった。こちらも食べきれなかったと見えてドギーバッグをめいめいが手にしていた。店を出て、表で駐車場係に車を取ってきてもらうのを待っていると店から出てくる人は大抵がドギーバッグを持っていて、さらに僕達より先に車を待っている人達もドギーバッグを持っていた。なんというか。

 お腹が一杯になった僕達は、そのまま少し北上してベニス・ビーチを目指した。
 ベニス・ビーチ。
 スケートボードの聖地。
 1970年代に、この町では Zephyr skateboard teamが活躍した。
 ビーチにはたぶん世界で一番有名なスケートパークがある。
 カリフォルニアの大賑わいな通りに臨む広いビーチという果てしなく恵まれた環境にあるスケートパーク。

 僕はトリックもろくにできないヘッポコだが、スケートボードにはかなり思い入れがある。
 以前、何かのインタビューでもう「老人」なのにスケートボードに乗っている人がこんなことを言っていた。

 「もうおじいさんの年齢なのに、まだスケボーとか乗ってるんですか、って言われるんですよ。でもそれは僕にとっては的外れな指摘なんです。スケボーというのは只の乗り物でもスポーツでもなく、文化とかスタイルとか生き方の問題だから」

 たぶん世の大半の人達は、このおじいさんの言っていることに「何言ってんだか、まあ元気みたいでなにより、はいはい」という感想を抱くのではないかと思う。
 だけど、僕は彼の言っていることにかなりの共感がある。
 昔、僕の友人がスケボーに乗っていて警官に止められた。そしてやりとりの後、こう言われたそうだ。

 「いい年こいて何してんだ」

 僕は、このおじいさんと友人に共感し、この警官に中指を立てるスタンスの人間だ。それはもう明確に。

西海岸旅行記2014夏(40):6月16日:ロサンゼルス、スーパーフラットな幻想と細部のもたらす現実

2014-09-24 09:19:51 | 西海岸旅行記
 使い込まれてカッコイイけれど、ややハリボテな本物のスペースシャトルを見て、改めてさっき見たエンデバー運搬の短いドキュメンタリーを思い出した。それから歴代のシャトル打ち上げ動画も。
 皮肉なことに、よりドラマチックだったのは実物ではなくて動画の方だった。丁寧に編集されているので、ただ動画というよりも「映像作品」と言ったほうがいいだろうか。
 展示されているシャトルは本物であっても動くわけではないので、実際に飛んでいる動画の方に面白みがあるという見方もできる。
 けれど、僕の場合はもっと根が深い。

 「アンディ・ウォーホルのすべてについて知りたければ表面だけを見ればいい。
  僕の絵や映画やそして僕自身の表面だけをね、それが僕だ。
  背後に何も隠されちゃいない」

  ー アンディ・ウォーホル

 僕は20代の前半「ポップ」というのにすっかりやられていた。当時の日本の文脈では村上隆の「スーパーフラット」ということになるかもしれない。特に京都だからというわけではないが、groovisionsは今もとても好きだ。
 2010年代半ばである今は、アニメ系のイラストが「二次元」「萌えキャラ」という呼び名でどんどん進出している。京都では公共交通機関はすっかり萌えキャラにやられてしまった。駅には萌えキャラのポスターだらけ。僕はそれらには興味がないけれど、アニメ系のイラストを使うことに一定のシンパシーはある。なぜなら、アニメ表現は現実世界からゴチャゴチャしたディテールを取り去った上澄みとしての表面だからだ。そこには、鼻水も汗もバイ菌も生ゴミの臭いもない。たとえそれらが描かれていたとしても、記号化されていて僕達が日常で感じる嫌悪感は発生しない。そういう上澄みの世界は魅力的だ。

 「スーパーフラット」から現代とは反対方向、過去に時間を遡ると、1980年代を代表する三人のイラストレーターが思い浮かぶ。
 わたせせいぞう。永井博。鈴木英人。
 遠近法は使われているものの、平面的な色の塗り方。
 彼らをスーパーフラットの萌芽だといい加減に言うつもりはないけれど、実は僕は彼らのイラストが結構好きで、アメリカ旅行前日には京都駅でやっていた「わたせせいぞう展」にも行った。
 こんなことを言うと、周囲のアート・デザイン系の友達に「えっ?!」という顔をされるのは分かっている。ちょうどラッセンの絵がこき下ろされるのと近い感じで、あの西海岸への憧れ丸出し(少なくとも一時期は)でバブリーなイラストは分かり易くてバカにされる。しかもこれらはキッチュに差し出されていない。まっすぐにそのまま大衆に向かって投げ付けられる。知性ではなく欲望にそのまま投げ付けられる。

 が、僕は彼らが好きだ。
 なぜなら、これらもアニメイラストと同じように、写実的でありつつディテールを意図的に落とした現実世界の上澄みだからだ。
 あるいは、これらは「旅行ガイドブック」だということもできる。ガイドブックには旅先の写真が「理想的な」写真を使って表現される。撮影対象は景色や建物や料理であって、そこに撮影者の影は全くない。つまり人間の生身は排除されている。実際に旅行をすれば、窮屈な飛行機で疲れたり、炎天下を歩いて汗だくになったり、過密スケジュールで寝不足のヘトヘトだったり、天気も悪いかもしれないし、レストランは大混雑してるかもしれない。そういった可能性は、少なくともガイドブックの写真を見ながら旅の計画に胸踊らせている間は考えなくてもいい。疲れている私、汗だくで不快な私、お腹痛い私、は完全に排除されている。理想的な写真の提示する理想的な旅行のイメージに集中していればそれでいい。それは「旅行ガイドブック鑑賞」という1つの快楽だ。
 わたせせいぞう、永井博、鈴木英人のイラストは「非実在現実」への旅行ガイドブックであり、差し出されるものは端的に快楽である。快楽に浸ることを、多くの人達は現実逃避だと言って忌み嫌うが、それは嫉妬の裏返しでもある。

 カリフォルニア・サイエンスセンターで見た「エンデバー」の動画は、きれいに編集されたもので、イラストに似ている。ディテールは写っているようで実は取り除かれている。それに対して、実物のエンデバーが突きつけてくるのはディテールという汗や鼻水や疲労のような現実だった。
 スペースシャトルに限った話ではない。
 僕が子供の頃から築いてきたアメリカ合衆国という幻想も、ドラマや映画やニュースや小説という上澄みを超えて、合成香料の臭いやひび割れたアスファルトというディテールに、あるいはそこに存在する自身の肉体というリアルによって破壊されていく。今回の旅で、僕はそれをやりに来たので、別に幻想が冷めていくことは構わない。ただ少し寂しい。

西海岸旅行記2014夏(39):6月16日:ロサンゼルス、スペースシャトル「エンデバー」

2014-09-23 19:02:33 | 西海岸旅行記
 カリフォルニア・サイエンスセンターではポンペイ遺跡の特別展をやっていて、それがフィーチャーされていた。火山灰に埋もれて死んでしまった人達も、まさか2000年後にこんな遠くで自分たちが展示されるとは思っていなかっただろう。サイエンスセンターのあちこちに掛かっているポンペイ展のフラッグを見て不思議な気分になる。僕達が今日見るのはスペースシャトルだけだ。
 センターに入って、2階へ上がるとシャトル見学の受付ゲートがある。拍子抜けなことに「何時の予約の人でも入って下さい」と書かれていた。30分刻みで指定できたので、最適なのは何時か考えて予約したのにまったく意味はなかった。さっきホテルでプリントアウトしたチケットを渡して、引き換えにカードのようなものをもらう。次にそのカードを渡して、エンデバー関連の展示室へ入る。たしかにそれほどは混み合っていない。だから予約時間は問わないことにしたのだろう。

 展示室には、シャトルのタイヤだとか、搭載されていたトイレだとか、そういうやや細かいものの実物が展示されている。ただ、僕の一番の関心を引いたのは、これまでのシャトル打ち上げ風景を全部並べた動画だった。
 100インチくらいの画面の中で、タイミングを合わせ歴代のシャトルが打ち上がる。これは圧巻だった。画面もそんなに巨大ではないし、ましてや個々の打ち上げは細部の分からない小さな動画でしかない。だけど圧巻だ。良くも悪くもスペースシャトル計画につぎ込まれてきたエネルギーが一気に固体ロケットブースターから吹き出したみたいで、背骨がきゅっとなって鳥肌が立つ。
 僕がこの動画に引き込まれていると、隣では別の展示を見ていたクミコが10歳位の女の子に「あなたの靴いいと思うわ」と靴を褒められていた。

 細々とした備品の展示室の次は、大きなスクリーンのある部屋で「エンデバー」がケネディ宇宙センターから、ロサンゼルス国際空港経由でカリフォルニア・サイエンスセンターに運び込まれるまでのドキュメンタリーを見る。
 ケネディ宇宙センターからロサンゼルス国際空港までは、巨大な飛行機の背中にスペースシャトルを載せて運び。さらに空港からサイエンスセンターまでは普通の道路をでかいキャリアに載せて運ぶ。
 この5分程度の短いドキュメンタリーは、シャトル本体を見るよりも感動的だったかもしれない。
 ロサンゼルスという大都市の上空を、巨大な飛行機がスペースシャトル載せて飛んでいるのはSFのようだ。
 ありふれた住宅街の道路をゆっくりと進むスペースシャトル。
 コインランドリーの中にいると、突然表にスペースシャトルのノーズが現れる。
 自分の部屋にいると、突然窓の外にスペースシャトルの尾翼が現れる。
 人々は老若男女入り乱れて、道端から、屋根の上から歓声を上げる。

 この動画はまるっきりアメリカだった。
 いかにも強き良きアメリカ合衆国という感じがした。
 もちろんこの映像を見て、6歳の小学生みたいに素直には感動できない。アメリカ合衆国という幻想は美しく素晴らしいが、それが幻想に過ぎないことをもう僕は知っている。
 
 この後、僕は実物のスペースシャトルを見る。
 真下に入って、手を伸ばせば届きそうな位置で、25回も宇宙へ行ってきた船体を心行くまで眺めた。
 さすがに心は踊る。幼稚園のときに紙粘土でキーホルダーを作ったが、それがスペースシャトルだったことを思い出した。そんなもの完全に忘れていた。黄色の絵の具で色を塗って「間違えた」と思ったのを思い出す。指の後がベタベタと残った出来損ないのスペースシャトルはどこへ行ったのだろう。カバンに付けていて垂直尾翼が折れたのは覚えている。そのあとどうなったのだろうか。たぶん母親が捨ててしまったのだろう。

 本物のスペースシャトルはクールだったが、見ようによっては僕の紙粘土細工のようでもあった。あるいはダンボールで作ったみたいだった。というのは表面の耐熱材のせいだ。表面が耐熱タイルに覆われていることは知っていたけれど、にも関わらず僕はシャトルの表面はもっと飛行機みたいにツルッとしたものだと思っていた。実際には不規則にややボコボコしている。こんなので本当に宇宙行けるのか?やっぱアポロは月に行ってないんじゃないか?と思うような無造作な精度。iPhoneからダイソーの100円の包丁まで、精度の高いプロダクトに囲まれて生きている僕達から見ると、実に手作り感溢れる不安な船体。


 ボランティア説明員が何人かいて、団体で来ている小学生が何かを触らせてもらっている。どうやら断熱タイルらしい。子供に割り込むのも気が引けたので、先に会場をぐるっとすることにした。
 ギフトショップを覗くと欲しいデザインのTシャツがあったのに、袖が女の子用になっているものしか置いてない。メンズのはNASAのロゴとかシャトルのプリントが無難に入った素人臭いものばかり。社会には男物の服はダサくなくてはならないという暗黙の了解があるような気がする。

 ちょうどさっき子供達の相手をしていたボランティアのおじいさんが、今度は暇そうに寂しそうに突っ立っていたので、僕はシャトルのことを聞いてみることにした。

 「こんにちは。この黒いタイルって何個あるんですか?」

 タイルの個数は忘れてしまったけれど、おじいさんは楽しそうにタイルのことを色々教えてくれた。先ほど子供達が手に乗せていた黒いものを僕の手にも乗せてくれる。

 「これは本物でははいけれど、シャトルの黒い耐熱タイルと同じ重さのものだよ」

 びっくりした。まさかこんなに軽いとは。発泡スチロールとかスポンジみたいに手応えのない重さ。

 「えー、ここまで軽いとは思ってませんでした」

 「そうでしょ。みんなこれに一番びっくりするよ」

 タイルの実物はガラス繊維でできていて、1600度の大気圏突入温度からアルミニウム製のシャトルを守る。アルミニウムの融点は660度。200度程度で必要な剛性は失われてしまう。こんなペラペラ頼りないタイルでそんな脆いものを保護するというのもギリギリで恐ろしいが、アルミニウムとタイルの膨張率が違うので間には普通のフェルトが挟まれていて、さらにそれらが普通のボンドで接着されている。案の定というか、断熱タイルが剥離してしまうことはシャトル計画の悩みの1つで、2003年の「コロンビア」の空中分解事故も、タイル剥離が原因の1つだった。
 こんなハリボテに宇宙飛行士は命を預けていたのだ。
 脱出装置すらないハリボテに。
 「チャレンジャー」殉職7名、「コロンビア」殉職7名。
 30年間のスペースシャトル計画で、14名もの宇宙飛行士がなくなった。

 「こんな素晴らしい展示は、カリフォルニア・サイエンスセンターはじまって以来だよ」

 おじいさんの話はなかなか止まらない。おばさんが僕達に割りこむように質問を挟んできたので、彼女にバトンタッチ。僕達はおじいさんにお礼を言ってスペースシャトルを後にした。



西海岸旅行記2014夏(38):6月16日:ロサンゼルス、ゲッコー・テック活躍する

2014-09-22 23:22:17 | 西海岸旅行記
 午前1時を過ぎていたが、幸いな事にホテルの早い者勝ち駐車場は1つ空いていた。部屋に入って、シャワーを浴び、ついでにTシャツを洗濯する。ところが、この無人ホテルの簡素な部屋には洗濯紐を張れそうな突起が殆ど無い。のっぺりとした只の箱でクローゼットすらなく、壁には金庫が1つ埋め込まれているばかりだ。あとは鏡が一枚掛けられているものの、グラグラしているので濡れた洗濯物やバスタオルを干すには心もとない。洗濯物を干せる高さにある、ある程度しっかりした突起はドアの蝶番くらいしかない。洗濯紐の一端は蝶番でいいとして、もう一端はどうしようか。

 そうだゲッコー・テックがあるじゃないか。
 ビッキーに受け取りを拒否され、何かと嘲笑の的になりがちなゲッコー・テックのここ一番の出番だ。壁が完全に滑らかというわけではなく、濡れたバスタオルと洗濯物はそこそこの重さがあるが、ゲッコー・テックは無事にそれらを保持してくれた。もちろん翌日も。
 そんなゲッコー・テックの活躍をクミコは「ややほほえましい」という感じで眺めている。これは子供の時からずっと感じていることだが、便利グッズというのは人に笑われる要素を多分に持っている。さらに言えば、「便利」という概念自体に、どこか人から軽んじられる部分がある。
 便利なものは使わないオレ、ワタシ。この不便さがクール。
 映画に出てくる発明家は「笑える」存在だし、実在の発明家はドクター中松みたいなイメージだ。
 不便はクールで、便利はシリー。

 以前、「旅は遠くへ行くから楽しいのではなくて、半分くらいは不便を強いられるから楽しいのではないか」と書いたけれど、不便がクールという文脈にもこれは合致する。
 持ち物の少ない不便な旅はクールで、ヴィトンのトランクを5個も運ばせるなんでも揃った旅はシリー。
 行き当たりばったりのヒッチハイクと仕方なしの徒歩はクールで、全行程にガイドが付くような予約された移動はシリー。
 旅先で迷うのがクール、スマートフォンのグーグルマップはシリー。
 というような価値観はけっこうドミナントではないだろうか。

 翌日は、夕方に人と会う約束をしていたが、それまでどうするかは予定を立てていなかった。クミコは明後日の昼に日本へ帰るので、貴重な最後の1日だ。僕はもう数日こっちにいる。ユニバーサルスタジオに行かないのは間違っているのかもしれないなと思いながら、やっぱりユニバーサルスタジオには行かないことにして、カリフォルニア・サイエンスセンターでスペースシャトル「エンデバー」を見ることにした。サイエンスセンターのサイトには「エンデバーを見るのには予約がいる」と書いてあるので、昼の12時半に予約をする。予約をすると「チケットは必ず印刷して持ってきて下さい」と書いてある。ホテルの廊下にプリンターがあったから、あれで明日印刷しよう。プリンターなんか誰が使うのかと思っていたけれど、自分が使うことになった。もしかしたらスペースシャトルのチケットを印刷したがる宿泊客が多いのだろうか。 

 翌日、チケットの印刷もして日焼け止めも塗って、準備万端でホテルを出ると、出てすぐの車の運転席側窓が割られ、中が荒らされていた。昨日は戻ってきたのが遅くて、暗いし良く見なかったけれど、この車のミラーが変な角度だったのと助手席から靴下が飛び出ていたのは覚えていた。「相当慌てて下りたんだな」と気楽に思っていたら、車上荒らしにあっていたというわけだ。
 目をやると僕達の車は無事で一安心。気にならなくはないが、特にできることもないのでそのまま出発する。駐車場から出るとき、歩道に立っているホームレスの男と目が合う。申し訳ないが車の割れた窓が頭をよぎって、なんでこんな暑い何もないところに立っているんだろうと思う。せめて日陰なら分かる。まさかホテルを見張ってるんじゃないだろうか。僕達はもう一泊するので、荷物は部屋に置いたままだ。

「部屋に戻って、一応荷物車に積んでった方が良くない?」と僕は提案した。

「なんで、大丈夫よ。万が一なんかあっても貴重品は持ってきてるし、保険もあるし」

 まさかホテルの部屋に侵入されるとは僕も思っていなかったが、多少の手間でできる予防は惜しみたくなかった。カードの付帯保険でカバーできるのだろうけど、色々面倒なことは間違いないし、だいたい自分のものを人に荒らされるというのは気分が悪い。今ならまだ5分で荷物を取ってこれる。一手間を惜しんで、困った事態になったことはこれまでに何度も経験している。「わかってたんだけど」という後悔はとてもとても苦い。
 が、結局は「そんなこと言ったら、車に積んでて車上荒らしにあったら一緒じゃない」というクミコの言葉に押されて、荷物はそのままホテルに置いて行くことにした。まあ、もういいや。

西海岸旅行記2014夏(37):6月15日:ロサンゼルス、光と闇のサンタモニカビーチ

2014-09-21 22:56:24 | 西海岸旅行記
 サンタモニカビーチに着いたのは、夜10時を回った頃だった。「こんな時間にビーチというのもな」と思っていたけれど、僕の予想に反して駐車場にはたくさんの車がとまっていて、遊園地のようになった桟橋は子供から大人まで大勢の人達で賑わっている。店の明かり。観覧車のネオン。コースターのネオン。輝くちょっと懐かし目の遊園地。光を受けて賑やかな人達。真っ暗な海に長く付き出した明らかな桟橋は、テクノロジーが勝ち取った楽園のようだ。喧騒に疲れたら、静かなビーチで、少し遠目に桟橋と海を眺めればいい。気温も、薄いナイロンジャケットを羽織るとちょうどいい。なんて快適なところだろう。
 車を下りて桟橋へソワソワと向かった。
 ビーチではお祭りに良くいるインチキくさいオモチャ売りが何人かいて、LED付きの空に向かって飛ばすオモチャを2個6ドルとか言いながら売っている。ゴムで真上に飛ばすと、羽が付いていてゆっくり落ちてくるオモチャ。同じものは、韓国の東大門市場でも人でギュウギュウの真っ只中実演販売している人を見掛けた。彼らの実演と、実演に釣られて思わず購入した子供達が空に向かってLEDを放つので、ビーチには疎らに発光生物でも飛んでいるかのようだ。

 遊園地は射的とかバスケットボール投げがあるような、いわば子供だましのもので、きれいだけどまあ特にすることはない。ペニープレッサーで1セントを潰し、桟橋の全景を刻み込んだ後、フラッと一周して桟橋を先端まで歩いた。先端にはレストランがあって、その向こう側まで行くと海を眺める人の他に結構な数の釣り人が水面へ竿を伸ばしている。ネオン輝く遊園地のこんな近くで、静かに海面へ向かう釣り人達を見るとは思わなかった。それまであまり意識しなかった磯の香りが、そういえば確かにしている。
 後ろを振り返ると、相変わらずネオンの煌きが色とりどりだ。

 こんなにきれいなのに、僕達には別段することがない。
 このもどかしさを、僕はいつも感じる。
 大きな街は美しい。特に光をまとう夜は、そこだけ自然界から守られた楽園のようだ。
 飛行機から見下ろす大地に広がる都市の明かり。
 展望台から眺める都市の明かり。
 歩く道路から見上げる近代的高層ビル群には、全部の窓に電気が付いていて、外壁の広告スクリーンではきれいな女の子がビールを掲げる。
 前から後ろから、一体こんなに沢山の人がどこからどこへ行くのか、くたびれた人も楽しそうな人も、ビジネススーツの人もオシャレな人も、みんながどこかからどこかへ毎日毎日移動する。

 この美しい都市のダイナミズムに、どうすれば丸ごと肌身で触わることができるのだろう。全てが視界に收まる遠くからは、ただ眺めることしかできない。近づいて街に取り込まれれば、今度はピンポイントで入った1軒の店の中しか見えない。立ち並ぶビルのほとんどはオフィスビルで、入ったって仕方がないし、商業用ビルにはどうせ同じ店しか入っていない。
 そこに生活の根をゆっくりと下ろし、働いたり住み着いたりして、段々と知り合いとか馴染みの店を増やして、すこしづつ「ここは自分の街だ」という感覚を育てて行くしかないのだろうか。それにはとても時間が掛かるし、それでも肌身に触れるのは都市の一部でしかない。

 子供の時、僕は友達の家へ行くのがとても好きだった。はじめて見る人の家の中は実に面白い。ある時、近所の家のほとんどに入ったことがないことに気付いてびっくりした。近所どころか、僕は自分の住んでいる町に建っている家のほとんどに入ったことがないし、さらに世界中のほとんどの家に入ったことがない。世界中には何個家があるのだろうか。僕がほとんどの家の中を見ないで死んでいくことは確実だった。どう考えてもそれは確実だった。愕然とするような事実。
 都市を「味わえない」ことに対するもどかしさは、この時に感じた絶望に似ている。

 砂浜に引かれた道路を歩き、若きシュワルツェネッガー達が体を鍛え上げたという伝説的なマッスルビーチなんかを散歩して、僕達は車に戻った。もう真夜中を過ぎていたが、桟橋にはまだ明かりが灯っていて、まだわずかに発光生物も飛び上がっていた。

西海岸旅行記2014夏(36):6月15日:ロサンゼルス、不機嫌で無口のチャイニーズシアター

2014-09-20 11:44:07 | 西海岸旅行記
 結局、僕達がホテルについても彼はまだで、しばらく待つことになった。とことん機嫌の悪い僕は、タカヤマ君が現れて挨拶してくれても、申し訳ないけれどあまり愛想のいい挨拶は返せない。おまけに彼とクミコは大学の同期なので、僕の知らない何とか君と何とかちゃんが今は付き合ってるとか結婚してるとかどこで働いているとか、そういう話にどうしてもなる。でなくても、彼は今長い旅の途中なので、ブラジルはどうだったとか、チリはどうだったとか、旅の話を聞かされることになる。

 この日は僕の機嫌が最悪だったというのもあるとは思うけれど、基本的に旅の話は聞いても全然面白くない。人の旅の話なんて別にどうでもいい。「どこどこに何とかという街があって、そこでなんとかというのを食べたらすっごい旨くて、それがしかもこーんな皿に大盛りで新鮮なのにたったのいくら」みたいな話を聞いても、それでどうしろというのだろう。しかもこの「いくら」のところには、その国の通貨の単位が入るので、聞いてもどれくらいの値段なのか分からない。通常では、「ふーん、いいなー、僕も食べてみたいなー、その300ペソって日本円でいくら位なの?」という風に会話が進行していくことになっているのだろうけれど、完全にどうでもいいので僕は「ふーん」しか言わない。
 どこどこ行ったら綺麗だったとか、良かったとか(良かった?良かったってどういう意味だ?なんだそれ?)、そんなの聞いても全然面白くない。

 ちょっと待て、人の旅行の話は聞きたくないと言いながら、お前は今ここに旅行記を書いているではないか、一体どういうことだ。という指摘があるかもしれないが、「旅行の話をちょっと聞く」のと「書かれた旅行記」は全然違う。僕は旅行記を読むのは好きだ。旅行記には、単なる事実以上のことが書かれている。あとで調べて加えたその街の歴史とか、著者の考察とかが入っている。体験をベースラインとしたものにデータと思考が乗ったものを読むと、自分も旅をしている気分になれる。でも、ペチャクチャ交わされるおしゃべりにはそういうのがない。もしかしたらじっくり話を聞けば面白いのかもしれないけれど。

 「もう僕はここで降りるから、車自由に使ってくれていいし、2人でどっか行ってきたら」と、喉まで出掛かっていたのを抑え込み、僕達はチャイニーズシアターを目指した。
 途中で、「ところでユニバーサルスタジオには行くか」という話になる。
 タカヤマ君は明日行くらしい。僕とクミコは少し迷って行かないことにしていたのだが、「なんで?!ハリウッド来てるのにユニバーサルスタジオ行かないなんて、絶対面白いでしょ」と言われたら、まあそれはそうだ。ただ、調べてみても特に見たいものはなさそうだったし、あまりそういうテーマパーク風なところに行くつもりはなかった。

 行くつもりがなかったと言えば、別にチャイニーズシアターにも行くつもりはなかった。手形なんて見ても仕方ないし、スターの名前が歩道に書かれていてもだからなんだというのだ。
 そう思っていたけれど、行ってみると活気があって、いかにも観光地という安っぽい感じが面白い。手形もどうでもいいつもりだったけれど。ジャッキー・チェンの手形が見たくて思わず探してしまう。が、なかなか見つからず、クミコと2人ならともかくタカヤマ君もいるので諦めた。かわりにスティーブン・セガールの手形を写真に撮ってしまう。
 ジャッキーの手形が見れなくて、さらに機嫌の悪くなった僕は、この辺りからほとんど口を聞かずに1人で写真を撮ったりしていた。ところが唯一のカメラ、iPhoneの容量がここへ来て一杯になり写真がこれ以上撮れない。しょうがないので、最初はアルバム毎に音楽を消していたのだが、すぐに面倒になって音楽を全部一括消去してしまう。なにせ僕は機嫌が悪い。お陰で10ギガ分の容量が空いたので、僕はまた黙って写真を撮った。
 カメラがiPhoneだけであることから類推されるように、僕は写真にはほとんど興味が無いので、これはこれで苦痛ではある。

 唯一の救いは、土産物店の片隅に打ち捨てられていたシェルダンの等身大ポップだった。
 打ち捨てられていて自立しないので、手で支えながら一緒に写真を撮ってもらう。この時だけ少し機嫌が回復する。
 後はまあずっと機嫌が悪いので、アメリカの超人気ハンバーガーショップ"In-N-Out"で夜ご飯も食べたけれど、味も何もあったものではなかった。お店は本当に大人気で、店内には人が、駐車場の入り口には車が列を成している。この列が交通を妨げるので"In-N-Out渋滞"なる言葉もあるらしい。
 ハンバーガーを食べた後、タカヤマ君をホテルに送り届けた。態度が悪くて申し訳なかったなと少し後悔する。
 彼を見送ると、「今日はごめんね」とクミコが言った。謝るのは僕の方だろうけれど、僕は自分の機嫌をコントロールするタイプではないのでこればかりはどうにもならない。

「今から、サンタモニカビーチ行かない? まだそんなに遅くないし、リョータ絶対に好きだと思う」


西海岸旅行記2014夏(35):6月15日:ロサンゼルス、チーズケーキファクトリーを逃す

2014-09-19 18:32:47 | 西海岸旅行記



 リトル・トーキョーの立体駐車場で、僕達は夕方以降の予定を立てた。今日は"StayOn Beverly"というここから車で20分程のホテルに泊まる。とにかくサンタモニカビーチまで行こう。ビーチへ向かう途中に、前述の"Best Buy"に寄って、ビーチからの帰りには、ちょうど帰り道沿いのモールに"Cheesecake Factory"があるから、そこで晩御飯を食べようという話になった。

 ”Cheesecake Factory"は、ケーキ屋さんではなくてチェーン展開のレストランだ。前述の"Best Buy"がドラマ"Chuck"に出てくる家電量販店のモデルであるように、この"Cheesecake Factory"も"The Big Bang Theory"というドラマにそのままの名前で出てくる。主人公達は毎週火曜日にここで夜ご飯を食べる。毎週火曜日に来るのは神経質な変人のシェルダンのせいだ。彼は曜日ごとに何を食べるか正確に決めていて、それを守らないと気が済まない。もしも火曜日の夜にイベントでも入ろうものなら「駄目だ。今日は火曜日。火曜日はCheesecake Factoryの日だ」と拒む。シェルダンは毎回”バーベキューとベーコンとチーズは別にした”バーベキュー・ベーコン・チーズバーガーを頼むので、僕もバーベキュー・ベーコン・チーズバーガーを食べようと思っていた。"Barbecue Bacon Cheeseburger with the barbecue, bacon and cheese on the side"という風に(このドラマはシットコム)、シェルダンと同じオーダーの仕方をしたら、店の人も「わかりました、シェルダン・クーパー博士」という風に冗談で返してくれるかもしれないと思ったけれど、そこまではしなくてもいい。

 漫画とかアニメとかドラマに影響されて日本にやってくる外国人のことを、今までは「その程度のものに影響されて来るなんて。あれは全部フィクションじゃないか」と思っていたけれど、今では彼らの気持ちが良く分かる。映画やドラマに出て来た場所や、それに類するものを見るととても嬉しくなった。「この景色はあの映画のどのシーンみたいだ」などと考えてしまう。
 そして、「物語」というものが持っている力の強さに改めて感服した。物語というのは、いわばタダの嘘っぱちのデタラメだ。小説を書いていると、ときどき「こんなデタラメを書くのに人生を使っていていいのだろうか」と思う。けれど、今回の旅で「いいのだ」と強く肯定できるようになった。物語なしの世界なんて、そもそも考えられない。僕達は子供の頃から、昔話、アニメ、漫画、小説、映画、ドラマなど、様々な形で物語に接して生きている。その全てがない世界なんて、なんて味気ないことだろう。人類は物語を生み出さずにはいられないし、聞かずにはいられない。

 第一目標地点である"Best Buy"に向かって走っていると、ノキアに着信が入った。クミコの友達のタカヤマ君からで、どうやら今日会おうという話になっているみたいだ。彼と僕は面識がないけれど、大学は僕とクミコと同じところだったみたいなので、まったく親近感がないでもない。南米の下の方からずっと長い旅をしていて、ちょうど僕達がロサンゼルスにいるときに彼もロサンゼルスに着きそうだから、運が良ければ会おうという話になっていた。
 電話を切ると、クミコは、

「さっきまで私達がいた辺りで、〇〇ってホテルあったでしょ、あそこで1時間後に待ち合わせになった」

 と言った。

「えっ」

 このサンタモニカビーチ目指して走ってきた30分は一体何だったんだ。予定もすでに完璧なのを立ててたじゃないか。
 今日はCheesecake Factoryの日だ。
 僕は一気に機嫌が悪くなって、このあと5時間くらいはあまり口を聞かなかった。何の相談もなく勝手に決めて宣言されたのも嫌だったし、なんだかんだいってタカヤマ君が男だというのも影響していただろう。もしも女の子だったら、まあしょうがないねとあっさり受け入れていたかもしれない。

 もう"Best Buy"はすぐ傍だったので、そこへ寄ってから引き返すことにした。時間が中途半端に空いたので、タカヤマ君を迎えに行く前に今夜のホテルにチェックインする。"StayOn Beverly"はコリアタウンの中にあって、大きな通り沿いのガソリンスタンドと消防署に挟まれた分かりにくい所にあった。小さなホテルなので余計に分かりにくい。表にある駐車場も車4台分の小さなもので、ホームレスが1人寝ていた。ホテルの客室は20室くらいあるので、駐車場は早い者勝ちというアバウトなシステムになっている。

 このホテルは少し変わっていて、スタッフがいない。玄関も部屋のドアも、メールで送られて来た暗証番号をキーパッドに入力して解錠する。内装もシンプルなのでちょっと未来的だ。人がいないといっても、共同のバスルームや休憩コーナーには手入れが行き届いているので、誰かが巡回したりしているのだろう。メールには「滞在中に身分証を確認させてもらう」と書いてあったけれど、結局は2泊して一度もホテルの人に合わなかった。
 ホテルのスタッフがいないというのは、未来的だし気楽だし僕は結構すきなのだけど、ここに限って言えば治安が悪いという不安があった。大通りに面しているので、まず周囲に人気がない。車はビュンビュン通るけれど、人はいない。まれに見かけるのはホームレスだけで、炎天下で心地良くもないだろうホテルの入り口付近に突っ立ってられると、いい気はしない。と思っていたら、駐車場の車が一台窓ガラスを割られて車上荒らしにあっていたのだけど、それはまた翌日の話。

 ホテルを一通りチェックしたあと、再び車に乗ってタカヤマ君の待つホテルを目指した。帰ってきた時に駐車スペースがあるのかどうか分からないが仕方ない。ホテルに近づいた頃「遅れる。また時間分かったら連絡する」との連絡があったので、僕はまた一段と機嫌が悪くなり、彼からの連絡があるまでロサンゼルス市街を宛もなくウロウロドライブする。それも馬鹿みたいなので、大きめの公園を探してそこで待つことにした。ヒスパニックの人しかほとんどいない区画に、結構大きな公園がある。周りでは人々が歩道に色々な品物を広げて、かなり雑多な感じで売っている。この辺りはかなり人が多いし、車も多い。公園の周囲にはびっしりと車がとまっていて、僕達の駐めるところはなかなか見つからなかった。橋を渡ったり、また戻ったりして、やっと空いているスペースを見付けたと思ったら、図ったようにタカヤマ君から連絡が来たので公園はやめにしてホテルへ向かった。言うまでもないが、僕はもう回復できないくらいに機嫌が悪かった。今日なんてもうどうにでもなれ。

西海岸旅行記2014夏(34):6月15日:ロサンゼルス、人のいない大都市とその下の大地

2014-09-18 18:58:36 | 西海岸旅行記
 リトル・トーキョーからイースト・セカンド・ストリートを北西へ。途中で交通局"CALTRANS DISTRICT SEVEN"の未来的でメカニカルな建築を眺めたり、ロサンゼルス・タイムズのビルを横目にして、強い日差しの中を僕達は歩いた。巨大なビルの立ち並ぶ明瞭な街にはほとんど人影がない。「みんな普通は車で移動するから歩いてる人なんていない」とクミコが言ったが、広い道路にも車はほとんど走っていない。「今日は日曜だから、この辺は基本オフィス街なの」とビッキーが言う。

 大都市を望むとき、いつも頭に浮かんでしまうのは、この美しい人工的な世界を形成するのにどれだけの生き物が殺されただろうということだった。僕は都市が好きだ。でも、この都市が作られる前、人間が闊歩する以前、この辺りはどんなだったのだろうと思う。コンクリートのボリュームとアスファルトの下には、太陽の光を奪われた大地が眠っている。スニーカーが一歩一歩着地する度に、足の裏から数十センチ下にあるであろう土の窮屈な気配がときおり背骨を登って伝わってくるような気持ちになる。

「さっきの交通局のビルもカッコ良かったし、僕は基本的に大きな建物も好きだけど、でもいつも、この大きなビルを建てるのにどれだけの生き物が殺されたのかと考えてしまって、複雑な気持ちにもなるよ。たとえば、ビルを建てようと思ったところに樹が生えてたら、僕はその樹を切り倒さなくてはならないわけだけど、自分で樹を切らなきゃならないとしたら可哀想でできそうな気がしない」

 歩きながらそう言って、僕はビッキーの方をサングラス越しに見た。当たり前だけど、クミコもビッキーもサングラスを掛けている。子供の時は、サングラスなんて格好を付ける為に気取って掛けているのだろうと思っていた。大人になると、子供の時はどうしてサングラスなしで夏の炎天下が平気だったのだろうと思う。

「そういう気持ちはわかるかもしれないわね。でも、ロサンゼルスでは心配無用よ。ここ、もともと砂漠だったんだもん」

 ビッキーはしたり顔でそう言った。

「えっ、そうなの?」

「うん、だから日本と違って、そんなに樹のことなんて心配しなくてもビル建てれるの」

 そうか、ここがもともと「どの程度の」砂漠だったのかは兎に角、たしかに世界のどこもかしこもが樹で覆われているわけではない。僕の「ビルを建てるなら地面の造成段階でたくさんの樹々を殺すことになる」という考え方は、山に囲まれて育った人間の偏見にすぎない。
 なるほどなと、この時はそれで納得して別の話題に移っていった。

 だけど、日本に帰ってから台湾人建築家の女の子にこの話をすると、「砂漠は自然じゃないの? 砂漠にも生き物はいるけれど、それは可哀想じゃないの?」と返されてしまう。僕の浅はかな納得はあっさりと覆される。
 そうだ、砂漠だって自然だ。青々と樹や草が茂っているわけではなくても、砂漠には砂漠なりの生態系がある。蛇とかトカゲとか虫とかネズミも住んでいる。
 なんてことだ。
 それでも、僕達は建築物が欲しい。道路が欲しい。都市が欲しい。
 罪深く申し訳ない。

 そのまま、もう少し歩くと、キラめく銀色のウネウネした建物が見えてくる。フランク・ゲーリーの「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」。さらに磯崎新の「ロサンゼルス現代美術館」。
 それにしても、いくらオフィス街の週末だからといっても、これだけの施設があるにしては外に本当に全然人がいない。ゴーストタウンみたいだ。外は暑いから、建物の中に人が留まるのは理解できる。だけど、それにしても人がいない。もしかしたら、人がいないのは、ここには居辛いからではないかと思う。聳える建築は、その外部に人を寄せ付けないところがあった。人が心地よく過ごせるような木陰もないし、飲み物が気楽に買えそうな店もない。「東京砂漠」という言葉が昔流行ったけれど、ここに比べたら東京はオアシスだ。

 この頃から、どうしてポートランドがアメリカで持てはやされるのか、段々と分かってきた気がする。滞在したときには、それほど魅力を感じなかったし、鄙びた退屈な街だと思ったけれど、たしかにアメリカの街にしてはあそこは「適度」な感じがあった。

 「人がいないなー」と言いながら、僕達はリトル・トーキョーまで戻って、韓国人の経営しているお店でアイスクリームとジュースを買ってビッキーと別れた。駐車場が同じだったので、バイバイは駐車場で言う。

「今日は案内してくれてありがとう」

「こちらこそ、大体いつも誰かが来たら連れて行くコースなの、それじゃまたね」

 なるべく日陰に駐めたものの、車の中は太陽ですっかり暑くて、僕達は乗り込んですぐにエアコンを全開にした。

西海岸旅行記2014夏(33):6月15日:リトル・トーキョー、エリソン・ショージ・オニヅカ

2014-09-17 23:24:00 | 西海岸旅行記
 1986年1月28日、過塩素酸アンモニウムとアルミニウムが生み出す莫大なエネルギーが轟音を立てた。補助ロケットの強大な推進力で空へまっすぐ登っていくのはスペースシャトル「チャレンジャー」だ。国の威信なんて得体の知れないものが掛かっていて、後にリチャード・ファインマンが批判しまくったように開発の内情はそれほどブリリアントでもなかったのかもしれない。でも、これは人類の1つの到達点ではあった。僕達の祖先は土と石と木と水だけでテクノロジー始めた。そこからスペースシャトルに到達したのはすでに奇跡だ。
 感慨が胸を高鳴らせドキドキするのは、残念ながら73秒間の短い時間に限られる。
 73秒後、「チャレンジャー」は空中分解し、乗っていた7名の宇宙飛行士は全員亡くなった。
 空中分解の後なんとかしようと操作した形跡があり、何名かの宇宙飛行士達は、時速300キロで海面に叩き付けられる瞬間まで生きていたのではないかとも言われている。 

 リトル・トーキョーを歩いていて突然現れたスペースシャトルの像に、なんだろうと近づいてみると宇宙飛行士エリソン・ショージ・オニヅカ(鬼塚 承次)の記念碑だった。
 実は、僕はこのときまで「チャレンジャー」に日本人が乗っていたなんて知らなかった。知らなかったというのは、かなり奇妙だが知らなかった。僕は「チャレンジャー」乗組員の写真をこれまでに何度か目にしているはずだし、ニュースだって何度か聞いているはずだ。すっかり忘れていたのだろうか。「チャレンジャー」の事故は、シャトル計画上の悲劇で、ファインマンが事故調査委員会でOリングの欠陥を見抜いたということしか印象に残っていなかった。僕は写真を見ても、ニュースを聞いても何も見てはいなかった。

 ショージ・オニヅカは1946年にハワイで生まれた日系人で、コロンビア大学で航空宇宙工学を専攻。空軍の訓練も受けて少尉になっている。空軍エンジニアとして働きながら1978年のスペースシャトル計画第一期飛行士候補へ応募。
 1985年に「ディスカバリー」搭乗。
 1986年、「チャレンジャー」搭乗で殉職。39歳だった。

 ショージ・オニヅカの殉職は悲劇だが、それでも彼の記念碑には力があった。何か腹の底に力が湧き上がる。ショージ・オニヅカという宇宙飛行士のことがこんなに気になったのは、彼が日系人だからだろうか。僕は日本人なんだなと思う。
 あまりこういうことは認めなくないけれど、やはり日本にルーツのあるものは気になる。このリトル・トーキョーだってそうだ。ちょっとインチキくさいけれど、僕のある部分はここへ来て完全にリラックスして嬉しいと思っている。特に昨日はハリウッドで勝手に疎外感を感じていたので、その落差もあるだろう。

 記念碑の近くの建物一階には、「マルカイ」という日本のスーパーが入っていた。ビッキーが「見たい?」と聞くので、見たいと行って中へ入る。中は、トレーダー・ジョーズやホールフーズなどのアメリカ的な一応内装も気を使っているスーパーとは違ってゴチャゴチャして身も蓋もない。まさに日本のスーパーだ。大根もタケノコの里もなんでも、大抵のものは置いてある。これはいい。もしもアメリカに住むことがあれば、結局はこういうスーパーの近くに住んでしまうかもしれない。
 この頃から、「アメリカに別にそんなに住みたくないかもしれない」と思っていたのだけど、もうすこし掘り下げると、僕は全般的に「ある文化圏に紛れ込んだ異文化」というものが好きなだけなのかもしれない。たとえば日本にいるときにアメリカ文化が良く見えたのは、それが「日本にあるアメリカ」だからで、リトル・トーキョーが素敵に見えるのは、それが「アメリカにある日本」だからなのかもしれない。

 そういえば、僕は京都にずっと住んでいるけれど、普段はほとんど関西弁、あるいは京都弁を使わない。それは単に関西弁が嫌いで、標準語みたいにベタベタしていない言葉が好きだからだと思っていた。ところが、はじめて東京へ行った時に自分の口から「好んで」関西弁が出てくるのに気付いてびっくりした。
 僕は標準語が好きなわけでも、関西弁が嫌いなわけでもなく、ただ「周囲の人と異なる言葉使いをしたい」というだけだったのだ。そんなことで周囲との差異を取ろうとしていたのだろうか。自分がそんな詰まらない人間であることにがっかりすると共に、異分子に惹かれる傾向は無視できないとも思った。それは常に「今ここ」ではないものを求めるという病理にも似ている。

困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫)
岩波書店

西海岸旅行記2014夏(32):6月15日:リトル・トーキョー、ゲッコー・テック拒否される

2014-09-16 22:17:52 | 西海岸旅行記



 翌朝、テレビを点けると"X games"をやっていてアメリカだなと思う。
ホテルは13時までにチェックアウトすれば良かったけれど、ランチの約束があったので12時半にチェックアウト。ポーチで駐車場係に車を取ってきてもらってチップを渡す。僕は1ドルしか渡さなかったけれど、前のおじさんは何枚かの紙幣をクルクル丸めたものを渡していた。車を取ってくる毎にチップをもらっているわけだから、それだけでもまあまあな稼ぎになるのだろう。

 アメリカではレストランなんかでのチップが大体15%で、基本的に外食は日本よりやや高いくらいなので、チップの額もそれなりになる。ウエイトレスやウエイターにとっては結構な収入源だが、払う方にとってみればそれなりの痛手だ。払う方はさらに税金も払わなくてはならない。カリフォルニア州はセールスタックスが9%掛かるので、税とチップで24%。つまり、外食に10万円の予算を当てていたとして、実際にはメニュー上の額面で8万円分しか食べれないことになる。
 まあ金額のことはいいとしても、こんな七面倒なシステムはなくして欲しい。

 ロサンゼルスのダウンタウンにある日本人街「リトル・トーキョー」、そこのカジュアルな日本食レストランで僕達はランチの待ち合わせをしていた。例によって仮名だけど、彼女はビッキーという名前の女の子で、クミコのロサンゼルス時代の友達だ。ずっとハリウッドに住んでいるビーガンなのに野菜が嫌いな女の子だと聞いていたので、なんとなく気難しい人ではないかと先入観を持っていたけれど、物腰の柔らかいシニカルな女の子だった。

「こっちで、The Standerdに泊まるなんていうからびっくりした。どうだった?」蕎麦サラダを食べながらビッキーは含み笑いをした。
 
「うん、良いホテルだったよ。」

 僕は天ざるを食べながら答える。関空を出てインチョンについた頃から無性に蕎麦が食べたかったのでちょうど良かった。リトル・トーキョーには道路に「福」印の提灯が掛かっていたりとなんだかおかしな所はあったが、このお店はちゃんとした天ざるが出てきた。とてもおいしい。クミコは何かのドンブリを食べている。

「本当に? 人はどうだった、人は?」

「うーん…」

「クレイジーでしょ。ほんっとに、あの人達」

 ビッキーの仕事のクライアントにはハリウッドの俳優たちが含まれる。仕事はなにかと大変みたいだ。
 一頻り話した後、僕はゲッコー・テックを取り出してビッキーにあげようとしたのだが、彼女は「いらない」と受け取ってくれない。遠慮とかではなく頑としてまったく欲しくないようだった。

 ゲッコー・テック(ヤモリのテクノロジー)はストアデポに寄った時、僕が一目惚れして買った吸盤付きのフックで、値段はサイズにもよるけれど、5ポンド(2.3kg)まで掛けれるのは1つ6ドルくらいする。僕はそれを買った。なんでそんなものに6ドルも払ったのかというと、もしかしたらこれは本当にバイオミミック(生物模倣技術)製品かもしれないと思ったからだ。
 吸盤付きといってもだたの吸盤ではない。真っ平で、普通の吸盤みたいにお皿形に凹んでない。真っ平。壁に両面テープなんかでくっつけるタイプのフックを思い浮かべてもらえばいい。違うのは、両面テープなんていらない点だ。平らな面にペタッと着けるとくっついて、端から剥がすとさらっと剥がれる。何度でも着けたり剥がしたりできる。
 パッケージ裏面に「革新的な微小吸着技術」と書いてあるので、ちょっと本当のヤモリのバイオミミックではないみたいだなあ、と思いながら買ったのだけど、あとで調べたところでは微小な吸盤が吸着面にたくさん造形されているみたいで、ヤモリの足とは関係がないみたいだった。ヤモリの足は小さい吸盤ではなくファンデルワールス力で壁にくっつく。

 まあヤモリと関係ないにしても、バイオミミックではないにしても、この製品にはかなり惹かれた。僕はお土産否定派なので、旅行に行ってもまずお土産なんて買わないのに、思わず何個かお土産用に買ってしまったくらいだ。そして買ってすぐに自分の分を車の窓に貼ったりして浮かれていた。

 そのゲッコー・テックを、満を持してビッキーにあげたら、完全完璧にまったく欲しくないしそんなのもらっても迷惑だという感じで断られたわけだけど、まあいいや、お土産が1つ節約できたことにしよう。
 (さらに残念な後日談としては、日本に帰ってきたらダイソーに同じようなものが売っていた。)

ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー
早川書房